55 神息と魔法の威力
魔法の威力を決める要素には三つあると言われている。
一つは術式。
魔法を形作る設計図であり、この術式によって魔法の威力が八割方決められる事になる。これは理論を基に築き上げられてきた理力魔法だけでなく、神聖魔法や魂魄魔法にも適用される。
この部分を変動させる事は原則的には不可能で、もしここをいじって威力を上げるとするならそれはもう別の魔法として扱われる。
ちなみに師匠はこの原則を打破し、威力の変動する魔法を開発した事で一躍有名となったのである。
もう一つは個人の魔法力。
魔力を操る強さの指標になるが、魔法の威力決定は術式が大部分を占めているため、そこまで大きな要素とはならない。師匠の言によれば魔法の初心者とベテランを比較しても威力差は二割程度らしい。
どちらかと言えばこの魔法力は、扱える術式の規模、つまり高位の魔法を扱えるかどうかに関わってくる。「大魔法力の魔法使い」と言えば、例えば以前学会で見た「竜咆哮」のような大魔法を扱える魔法使いを指す事になる訳だ。
この部分はいくつかある魔法の訓練(例えば瞑想など)により僅かに上昇するらしい。
基本的には年齢と共に増加し老いと共に低下するが、多くは個人の才能に依存しており人によって最大値や能力のピークはまちまちのようだ。
ここもあまり変動の無い部分だと言える。
魔法の威力を決める最後の要素は、魔法の魔法的強化である。
要するに俺がよく使っているエクステンドマジック、ホーミングマジック、スペルエンハンスなどの魔法による強化である。
魔法そのものの威力が術式によってほぼ固定されているので、その術式の枠組みの外で魔法を強化しようというアプローチになる。
これら三つの要素が魔法の威力を決定付けている訳だが、魔法に関する視点で見た時、神息は非常に珍しい「個人の魔法力」を強化する魔法に分類される。
この魔法力バフと言うべき魔法は、実は理力魔法にもあるにはあるがあまり使われていない種類の魔法である。
その理由は、先述の通り魔法力を強化したところで魔法の威力増強の程度はたかが知れているからだ。
そんな事をするくらいならエクステンドマジックを使え、というのが通常の考え方なのである。
では、俺がこれから行おうとしている「欠損治癒術のブレスによる強化」は果たして結果にほとんど影響を及ぼさない、無駄な行為なのだろうか。
……答えは否、だ。
実は俺の場合、そして欠損治癒術に関して言えば非常に効果があるのである。
なぜならば、欠損治癒術に関わってくる「魔法の種類」が多岐にわたっているからである。
例えば魔法力強化による威力増強が仮に一割だったとして、だ。
欠損治癒術は調査のためのセンスバイタルに始まり、
痛覚軽減のクリアマインドとマインドプロテクション、
術の身体への悪影響を考えてのフィジカルアップ、
欠損治癒の核となるリジェネレーションとソウルヒーリング、
術後の回復に関わるヒーリング、
加えて効果は薄いかもしれないがレジストマジックやプロテクションやマナプロテクションも一応使う。
更にはブレスの影響下にある強化された俺なら、これら全てにエクステンドスペルとスペルエンハンスを掛ける事も可能である。
あくまで仮定だから計算する必要なんて無いとは思うし、単なる合算や掛け算で結果を測れるものでもないが、相当な強化が得られる事は簡単に想像できるだろう。
そういう訳で、俺はブレスを使うと決めた時から、欠損治癒術の行使について非常に楽観的になっているのである。
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「そういう訳だから、心配すんなよ」
遅い昼食を取り終え、ハンスさんに準備してもらった部屋へと移動。クロウさんとも合流して、これから行う事を説明し終えた後、俺はカトレアに向かってそう言った。
「う、うん。分かってる」
対するカトレアは椅子に座らされてガチガチに緊張している。
いやまあ最初に不安な事言ったの俺だけど、これだけ説明したんだから少しは信用してほしい。
「クロウさんは今の説明で大丈夫でしたか?」
「ええ、問題ありません。ようやくあの大魔法をこの目で見られるのですね……」
一方クロウさんは、今までさんざん(主に魂魄魔法使いのせいで)苦労し、にもかかわらず実現しなかった欠損治癒術を目の当たりにするとなって感慨深げだ。
貴族への説明は最初はクロウさんから行う事もあってしっかり説明したのだが、こちらはちゃんと理解してもらえたようである。
今回の結果が良ければ話の信憑性も増すだろうし、俺も気合を入れないとだな。
「よし、じゃあやろうか」
「お、おう。ど、どこからでも掛かってこい!」
この通りカトレアの緊張は解けないままだが、まあいいか。
俺はカトレアに向かい合うような立ち位置で、他のメンツは術式の行使がよく見える場所……俺の右手側に移動した。
この術式を売り出す主体であるクロウさんはもとより、ズーグとトビー、ハンスさんも興味深げにしている。
レイアはその後ろで心配そうにしているが、俺ももう魔法行使の集中に入り始めているし今からフォローはちょっと無理だな。肉と骨が生えてくるという多少ショッキングな光景を見る事になるが、貧血になったりしないか少し心配だ。
ズーグかトビーかどっちか気付かないかなと思って目配せをすると、トビーが気付いてレイアの隣に移動してくれた。
ならばよし。
直前で気付いてしまった憂いも取り除かれた事だし、術式を始めるとしよう。
「じゃあまずは俺自身に各種バフを掛けます」
ブレスを乗せる下準備として、数種の魔法を自身に行使していく。
そしてその後、神息を使用したまばゆい光が、部屋を満たすのであった。
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「では、最後に契約書へのサインを。家の引き渡しについてはまたロランドに案内させましょう」
「了解しました」
治療を終え、部屋の片づけをハンスさんに任せて、俺は最後の仕事である家の契約の締結を進めていた。
ロランドというのは昨日案内をしてくれた不動産担当の人で、彼に住居に関するアレコレを説明してもらい、入居という流れになるらしい。
予想外に時間を食ったので、家具類の運び込みや師匠に途中入学について聞きに行く件は明日でいいか。レイアは別に何もしてないので元気そうだが、俺もズーグもトビーも面接で疲労気味だしな。
ちなみにカトレアも治療後、不思議な事に疲労困憊になっていた。
痛みは無かったと言っていたので恐らく気疲れの類だと思うが、もしかしたら肉体の再生には本人の体力なりなんなり消費するものがあるのかもしれない。まあ、今日はゆっくりさせてやる事にしよう。
「それにしても、今日は本当に良いものを見させていただきました」
契約書への記入を進めていると、クロウさんがしみじみとそんな事を言う。
「さっきも言っていましたが、そんなにですかね?」
「ええ、欠損治癒魔法それ自体もそうでしたが、光を纏ってたった一人で大魔法を操るリョウさんはまるでおとぎ話に出てくる英雄のように見えましたよ」
痛みも無く高速で足を生やすという所業については、確かに我ながら凄い事をやったという自覚はある。
ただそれにしたってこれは褒めすぎだろう。光を纏ってるのはただの魔法の効果な訳だし。
「クロウ、この方は『まるで』などではなく間違いなく英雄だ」
後ろに立っているズーグもこんな事を言ってくる。
クロウさんもそれに「そうかそうか」なんて返さないでほしい。
完全に妙な空気になってしまってるんだが。
……ま、いいか。
買い被られるのは好きではないが、好意的なものだし気にしないでおこう。
とにかくこれで、ここでのタスクは終了だ。
俺は記入を終えた契約書をクロウさんに差し出して確認をお願いする。
「……はい、これで大丈夫です。物件の説明はロランドから行うとして、家賃の支払いはどのようにされますか? リョウさんの事は信用しておりますのでタイミングは任せますが一応予定などを伺っても?」
支払いはいつでも良いというのは、欠損治癒魔法を使った取引に関して俺とクロウさんの一蓮托生っぷりをよく表していると言えるだろう。
いつでも良いと言われると逆に答えづらいが……さてどうするか。
「そうですね……この後学園への入学を考えているので入り用になる事を考えると、最初の返済は少し待ってほしいんですが……そうだ、定期的にこちらに治癒のアルバイトをしに来るというのはいかがですか? その都度貯まったお金で返済していく感じでどうでしょう」
俺が考えながらそう口にすると、クロウさんは朗らかな笑みを浮かべる。
「ははは、なるほど! 治癒をしに来ていただけるなら大助かりです。ですがそれだと家賃よりこちらが支払う額が大きくなってしまいそうですね」
「いえいえ、私とクロウさんの仲ですからお安くしておきますよ?」
俺たちはそう言葉を交わして笑い合った。
半分冗談のようなやり取りではあったが、一方に負担を掛け過ぎるのも健全な商売とは言えないし、実際に安価で奴隷の治癒は行ってもいいかもな。人助けにもなるわけだし。
「ところで、貴族からの依頼についてはいつ頃になりそうですか? これからの探索は日をまたいでの事が多くなる見込みなので、場合によってはすぐに連絡がつかない可能性があります。大まかにでも予定が分かれば伺っておきたいのですが」
「ええ、その事についてはこちらからもお話ししようと思っていたのです」
そう言いつつ、クロウさんはカップに口をつけ、笑って渇いた喉を茶で潤した。
「今日の事で痛みが無い事は確認できましたし、話を持っていけばすぐにお呼びが掛かるでしょう。向こうの予定にもよりますが、早ければ十日以内には調整がつくと思います」
「そうですか。学園の手続きや授業の関係で対応できない可能性もあるので、いくつか候補を挙げてもらえると助かります」
「それは当然聞いてまいりましょう」
この辺りは流石に話がスムーズに進む。
十日以内とは予想していたより少し早いが、本格的な探索業を始める前になるのなら逆にこちらとしても嬉しい提案になる。
その分短期間にやる事が増えて大変になるが、放置するよりは良い結果になるだろう。さっさと本業に集中したい気持ちもあるしな。
その後、連絡がある場合は新居にと言づけて、ようやく俺たちは奴隷館を辞するに至った。
時間は掛かってしまったが、大口の取引きはこれで完了だ。
新居の事はシータも交えて考えれば良いので後にするとして、次は学園への入学手続きである。
まあ、ひとまず師匠のアポ取得からだな。
そのための手紙を昨日の夜にしたためてあるので、今日はそれを学園窓口に預けに行くだけで良いだろう。
この後ロランドさんから物件の説明も聞かないといけないし、後もうひと頑張りだ。
ズーグやトビーと探索とは違う疲労の浮かぶ顔をお互いに確認し、苦笑を交わし合って俺たちは新居へと足を進めるのであった。
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