5 地下二階
「ふぁあ……」
朝、簡素なベッド(板張りに毛布を敷いただけのもの)の上で目を覚ます。
と同時に『超越存在』を知覚する。
そりゃそうだよな。あれだけの存在感なんだから。
神聖魔法の源であり、それを使えるようになった以上、俺には二つの対策が取れる……と言うか二つしか取れない。
つまりはあの存在が常に意識下に存在する日常に慣れるか、知覚外に置けるよう訓練を積むかだ。
俺は再び目を瞑り、それでも間違いなくそこに存在するそれに意識を向ける。
「…………」
うーん、これはちょっと難しいかもしれない。
超越存在を意識外に追い出そうとすればする程、その存在感に目が行ってしまう。
だめだなこりゃ。朝イチで超越存在に意識を向ける行為なので、どちらかと言うと『朝のお祈り』みたくなってしまっている。
いやもうそれでいいか。すぐにできるような事でもないだろうし。
この対超越存在用意識コントロール訓練(長い)を朝のお祈りとして、毎朝行う事にしよう。
超越存在への関わり方は神聖魔法の訓練になるかもしれないしな。
「よっ、と」
ひとしきりお祈りした後、俺はベッドから立ち上がり、身支度を整える。
と言っても靴を履いてショートソードの鞘をベルトで固定するだけだが。
階下に降りて朝食をいただく。
三〇ゴルド。黒パン、ベーコンとくず野菜入りスープだな。夕飯と同じく味はまあまあ、量はたっぷりだ。周囲を見渡せば汚いおっさんばっかで底辺労働者の宿って感じだ。まあ客観的に見たら俺も汚いおっさんの一人なんだろう。まだ俺は二十五歳だが十代から見たら十分おっさんの範疇だろうし。
朝食を終え、水をコップに一杯飲み干して俺は宿を出た。
その際、金が無くて一泊単位の支払いになる事を宿の店主に伝えると「部屋はいつも空いてる」との事なので、今晩もここにお世話になる事にした。安いし飯は量が多いので気に入ったのだ。
さて、俺の泊まっていた安宿は迷宮区画にあるが、迷宮に行く前に組合に顔を出すべきだろうか。
物語の冒険者ギルドなんかだとクエストとか言う仕事があるから行く意味はあるんだが、この世界だとどうだろうか。
考えても分からないので、とりあえず一度行ってみるとするか。
迷宮の地下二階からは敵が強くなると言うし、資料とかあるなら確認もしておきたい。
そういう訳で俺は探索者組合へと足を向けた。
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組合の建物の中に入ると、昨日よりは多少人影があった。
取光窓からの光の角度が違うのもあって印象ががらりと……ぶっちゃけ言って明るい印象だ。
居るのは武器を担いだ男たちが数人と、受付に若い男女の組が一組。後は掲示板のようなものを見ている斥候風の男が一人くらいだが、人が居るとやっぱり違うな。昨日はマジに閑散としていたし。
「じゃ、今日は三階からスタートするわよっ!」
ちょうど受付を済ませた若い男女の組――男二人女一人のグループとすれ違う。
少年少女と言っていい年齢だが、その内の少女が威勢のいい声を上げながら何かの紙をぴらぴらと振っている。
何かと思いつつ、俺も受付に近づいた。
「おはようございます」
「おはようございます。どうかされましたか?」
「迷宮に行く前に組合でやる事は無いのかなと思いまして」
マルティナさんは俺の説明に片眉を吊り上げる。
「迷宮に入る前に特に組合に来ないといけない規則はありません。ただ、一度組合に来ておくのは良い心がけです。顔を見せておけば行方不明になった時に探してもらえるかもしれませんし」
一度組合に来ておけば、自動的に迷宮に入る予定かどうかを組合員に教えられると言う訳か。それでその後顔を見せなくなったら迷宮で行方不明って事も推測できると。
「まあ、あなたくらいの重要度の低い探索者ですと、捜索依頼が出る事は無いでしょうけどね」
あ、はい。それもソウデスネ。
捜索するコストに見合う有能な探索者の場合のみ、って言うのは当然だろうな。タダってわけでもないだろうし。
「それより今日二階に行くんでしたら、一応掲示板を見て行ったらいかがですか? 該当する有色魔石が依頼に出ているかもしれませんよ」
「有色魔石ですか?」
「属性を持つ魔物は稀にその属性付きの魔石を落とすんです。通常は探索者組合でプールして必要時に売却しているものですが、急ぎの需要があるものについては別途依頼としてあそこに掲示しています。追加報酬もあるので探索前には確認するのが良いでしょう」
なるほどねえ。
と言うか嫌味言う前にそっちを説明しろよ。やっぱり性格悪いなこの人。
「後は魔物に関する資料ですね。二階には初見殺しのような魔物は居ませんが、準備を怠れば師範が言ったように簡単に死に繋がります。よくよく準備をするのが良いでしょう」
それは聞こうと思ってた。
性格は悪いが仕事はする。それがマルティナさんクオリティだな。昨日からの付き合いだがそれだけは十分身に染みた。
その後、俺はマルティナさんの勧めに従って資料と掲示板を確認してから迷宮に行く事にした。
資料によれば、魔物の種類は一階と同じでカエルと虫とコウモリ、そして定番?のゴブリンらしい。ここで攻撃方法などを頭に入れておいて、実戦で鑑定を併用して確認していく事にしよう。
掲示板の張り紙は「赤色、中魔石五個、オッド鍛冶工房、六の月十三日まで」「青色、小魔石二十個、マイトリス水道局、六の月八日まで」と言った内容だった。
この世界の暦については……あー、予備知識にあるけど今がいつかは分からないな。
と、思ったら受付にカレンダーが設置されていた。月と日が個別にめくれるようになっているやつだ。
それによれば今は六の月五日。日本ほどはっきりした四季は無いが一年三百六十日くらいで同様に季節が巡っているので、今は初夏ってところか。道理で蒸し暑いと思った。
マルティナさんによれば、依頼票はちぎって受付に持っていくと依頼を受理したことになり割り込みが発生しなくなるようだ。ただその場合は期限までに達成できないと違約金が発生するらしい。魔石を先に集めてきてその場で依頼票を提示する形ならそういうのは無いが、魔石を取って戻ってきたら先に他の人が依頼を達成していた、と言う事もあるのでそこは考慮のしどころか。
俺としては有色魔石が入手できるかも不明なので(一応二階のコウモリが青色魔石を落とすらしいが)、依頼は受理せず確認だけに留める事にする。
そういえばさっき若い探索者が依頼票ちぎって持っていってたが、有能なやつらなんだろう。そうでなければ無謀なアホと言う事になるが……さてさて。
ひとしきり見終わったがイケそうなのは最初の方に見た水道局の依頼だけだった。「青色、小魔石二十個、マイトリス水道局、六の月八日まで」ってやつだな。三日しかないので、それよりは体力トレーニングと二階に慣れる事が先決か。
「よし、じゃあ迷宮に行くか」
そう言ってひと区切りつけ、俺は迷宮へと向かう事にした。
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昨日と同様、入口の兵士に挨拶して水を一杯。
その後、俺は迷宮に足を踏み入れた。
「とりあえず魔法のチェック、その後二階だな」
【ステータス画面】
名前:サイトウ・リョウ
年齢:25
性別:男
職業:才能の器(11)
スキル:斥候(2)、片手武器(1)、理力魔法(2)、鑑定(5)、神聖魔法(1)(SP残0)
現状のスキルはこんな感じだ。
魔法は理力魔法レベル2では「火矢」「氷矢」「風矢」「石弾」「風槌」「鋭刃」が使えるようになった。
四種の属性魔法矢と、それよりやや消費の重い属性魔法、そして武器への付与魔法だな。
神聖魔法は昨日使った「回復」と「防護」の二つが使える。
それらの魔法を使い、一階の弱い魔物を相手に使用感を確認していく。
そして一つ分かった事がある。
「風魔法の威力が無さすぎる……」
魔法矢はそれぞれ属性が乗った分の威力が上がっていたし、キーンエッジは多少だが実感できる程度には切れ味が上がっていた。
しかしウインドボルトとエアハンマーについては、ただぶつけただけではノックバックがあるだけで殺傷力無しという呪文であった。エアハンマーはダウンバーストとして利用して飛行する相手を地面に叩きつける用途に使えるが、ウインドボルトは正直今後使う事は無さそうだな。
「まあ、その辺実戦で気付かなくて良かったか」
そう結論付けて、俺は二階(と言うか正確には地下二階)への階段を探す事にした。二階からは人を殺せる魔物が出ると言う事なので気を引き締める。
それからほどなくして階段を発見し、俺は二階への階段を降りる。
地下二階に入ると空気感が少し変わったように感じた。もしかすると気のせいかもしれないが、少し血生臭く、何か迷宮の存在感が増したような感じがする。
階段を降りた所は少し広めの小部屋になっており、そこから扇状に五つの道が伸びていた。俺はその内、階段から数えて最も左側の一つに足を進めた。
特に理由は無いが、一応しらみつぶしにする予定なので、端っこからだ。
道に入り、気配を探れば一つ目の曲がり角に反応がある。
「最初の相手は……」
果たして視界に入ったのは巨大なカエルだ。
鑑定結果は「スケイルフロッグ」。鋭い爪と長く伸びる強靭な舌が武器だ。組合の資料にもあった通り、一階のカエル(ジャイアントフロッグと言うらしい)の三~四倍もの大きさがある。
体高は約五十センチ、体長は一メートル強。海外旅行に行く時のキャリーバッグくらいの大きさだ。サイズ的に百キロ近いのではないだろうか。この大きさだけをとっても人を殺せる要素は十分あるだろう。
二階での最初の相手もカエルと言うのはちょっと既視感があるが、そんな事はどうでもいい。
俺は支援魔法を唱えつつ、魔法矢の距離まで歩き寄った。
攻撃開始だ。
「氷矢っ!」
まずは牽制。一本の青い矢が飛び、向こうを向いているスケイルフロッグの背中に着弾する。
ゲエッと呻いた後、スケイルフロッグは小さく二度跳躍し、こちらを向いた。
「氷矢っ!」
そこをさらに狙い撃つ。準備していた三本の矢がカエル野郎の顔面に突き立ち、表面を凍らせた。
スケイルフロッグの弱点属性は氷だ。組合の資料にも鑑定時のステータス画面にもそう書いてあった。体表が粘液で覆われているこいつは火魔法があまり効かず、刃物での攻撃も「滑る体表に刃を立てるには技術がいる」との事だ。
なので俺はセオリー通り氷の魔法矢で粘液を除去し、
「火矢っ!」
その後火魔法で致命打を与える事にしたのだ。
スケイルフロッグは名前の通り鱗が生えているカエルだが、それは頭部から背骨にかけてと脚部の一部に留まる。粘液の防御を突破すれば、体表の固さはさほどでもない。
俺の火魔法は十分に効果があり、爆発した魔法矢によってスケイルフロッグの体表に抉られたような穴が幾つも穿たれていく。
流石にサイズ的にも体力があるのか、スケイルフロッグは何度か飛び跳ねて抵抗を試みてきた。しかし魔法は多少回避できたとしても、しっかりと距離を取り伸びる舌での攻撃を防ぐため側面に回り込み続ける俺には攻撃は届かない。
魔法攻撃を続け、巨大なカエルは最後には血だらけになって沈黙した。
「……ふう……終わった、か?」
ゆっくりと光になって消えていくのを確認したところでようやく息を吐く。
「かなりタフだったな……魔法の威力が低すぎる気がするが」
使用した魔法矢は十数本と言ったところ。近接戦闘は結局しなかったのでキーンエッジとプロテクションは無駄になったが、それを考慮しても全体としてコスパが悪い。
得られた小魔石は三〇~五〇ゴルドなので、これでは一階でマラソン……雑魚を探し回って狩りをした方が儲かる可能性すらある。
「うーん、効果はちゃんと出てた気がするよな。敵がデカすぎるのが問題か」
つい独りごちてしまうが、これは事実である。
アイスボルトではちゃんと粘液除去を行えたし、ファイアボルトもしっかり敵の肉を穿っていた。
ただ、スケイルフロッグのサイズ感的にあの威力では重要な臓器をほとんど傷つけられていなかった。顔面に当たった初撃が脳に少しダメージを与えたくらいだろう。
ちらりと、自分の持っているショートソードに目を向ける。
刃渡り四十センチ。これを頭に突き刺せば、十分に脳を破壊できるだろう。
ただそれには鋭い爪を持つ相手(しかも巨体)の間合いに入らなければならない。
武術の嗜みなど毛ほどもない俺には少し高いハードルであった。スキルで片手武器を取っているとは言え、それがどれだけ効力を発揮するかは未知数だしな。
「もう少し、魔法で効率よく戦えないか検討してみるか……」
ひとまずそう言葉にしてはみたが、今日の宿代と飯代を今日稼がないといけない俺にとってはそもそも迷宮探索は時間との戦いだ。
そうそう悠長にしてられないのが現実だが、さてどうするか。
「とりあえず、他の魔物にも挑戦してみるか」
スケイルフロッグはクソタフネス。しかし他が同じとも限らない。
同じ様な気もするが、めげるのは確認した後でもいいだろう。
俺は足取りも重く、他の魔物を探し始める事にした。
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