31 出会い
明くる日。
俺達は再び師匠の居室を訪れていた。
師匠が昨日話していた神聖魔法の研究者は学会に出席する研究者である。俺としても昨日の今日で会えるとは流石に思っていないが、もしかすると面会日くらいは分かるかもしれないとやってきたのである。
まあアポを取ってくれたかどうかは師匠の仕事の速さに期待だな。
「おはよう、リョウ。気分はどうだい?」
「おはようございます。きぶんは良いですよ。まだ圧迫かんにさらされてますけど、師匠にはなしを聞いてもらってかなり楽になりました」
師匠という解決の種はあったし、才能の器には情報処理のような思考補助できそうなスキルもあった。
そのため絶望するほど現状を悲観していなかった俺だが、やはり不安には感じていたのだろう。俺は師匠に事情を話した事で肩の荷が下りたような気持ちになったのだ。
まだ何も解決はしていないが、いくらか気分が軽くなった。そして昨夜は超越存在の圧迫に晒されながらではあるが、数日ぶりに安らかな睡眠を得る事ができたのである。
ところでここ数日の経験で分かってきたのだが、超越存在から受ける圧力の強さには波がある。
初めてヤツに視線を向けられた時のような強烈な圧迫感や恐ろしさは、一日のうち何度かある程度。基本的には並列思考による防壁で普通にしていられるくらいなのである。
これは超越存在が単なるエネルギーの塊ではなく、何らかの意思を持った存在であるという俺の考えを、より決定づける証拠なのではないか。それに気付いて俺は非常に恐ろしい気分になった。
例えば神聖魔法にフォースという攻撃魔法がある。それで世界を満たしてもまだ余裕がありそうな、そんな超エネルギーを持つ存在が、目には見えないが意志を持ってそこに存在している。アレが戯れにこちらに力を向けただけで消滅したっておかしくない。視線を向けられるたびに俺はその事を想像してしまい、ありもしない恐怖に震えているのである。
ちなみに超越存在に視線を向けられた俺は、そのたびにビクッとなって何もない後ろを振り返っている。その動きはまるで精神病患者のそれだが、怖いもんは怖いから仕方ないのだ。
「多少でも気分が良くなったのなら幸いだ。それより紹介の件だけど、早速昨日行って聞いてきたよ。ちょうど話したい事もあったしね。それで、明日の午後だったら空いてるらしいから、君達もその時間ここに来るように」
「は、早いですね。ありがとうございます」
師匠は流石の仕事の速さで、もうアポイントを取ってくれたようだ。
今日顔を出して正解だったな。
と言うか昨日来た時に毎日顔を出すつもりである事や、こっちの予定はいつでも空いている事を伝え忘れていた。宿の場所や連絡手段も相談していなかったし、脳の処理能力や注意力が落ちているとは言え、手落ちも良いところである。
まあ師匠には伝えるまでもなく完全に読まれていたのだろう。こうして無事にアポイントを取れたのが良い証拠である。
「君には早く治してもらいたいからね。魔術師組合にも弟子として伝えてしまったし、指導をスタートさせたい。後は私も世界記憶型の魔法には興味があるからその話も早くしたいところだ」
「そうですね。おれもせっかく師匠にあえたのに、まともに魔法のことはなせないのはなんかもったいない気がします」
「そういう事だ。学会が終わるまでに取れる時間も少ないしね。まあ神と言われる存在とその魔法、そして君の状態の回復過程についても面白そうと言えば面白そうだけど」
師匠には今のところ迷惑しかかけていないので、俺の状態について面白がってくれるのは良かった。
俺としても神聖魔法のレベルが上がっている事は確認しているので、この状態を乗り越えれば先に進めるのだ。現状も悪い事ばかりではないという事である。
「さて、この後君達はどうするんだい? この部屋で過ごしても構わないが、私は午後は分科会に出席するから、残念ながら相手はしてやれないんだ」
分科会は本会に出すほどではない、途中経過などの発表の場らしい。
俺も興味はあるが、流石に全く教えを受けていない状態で聞いても意味は無いだろう。
そういう事なので、俺達はそのまま師匠の部屋を辞する事にした。
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更に翌日。
少し早め、昼過ぎに師匠の部屋を再訪した俺達は、前と同じように師匠に茶を入れてもらいながら、雑談をして過ごした。
昨日少し王都を巡った時に買った焼き菓子を摘まみながら、他の皆はゆったりと、俺は少しソワソワしながらその時を待った。
そしてしばらくして、師匠の部屋のドアがノックされた。
「どうぞ」
師匠の声を受けて扉が開き、入って来たのは神官服に似たゆったりとした貫頭衣を着た、俺より少し上くらいの年齢の男性であった。
「こんにちは、エルメイル先生」
「ようこそヘックス先生」
「えっと……ここに揃ってる皆さんは例の件の?」
「ああ。君の言う通り、そこの手前に座ってる男が例の彼だ」
師匠に紹介され、俺は立ち上がって彼と握手を交わす。
すかさず看破をするとステータス画面には以下のように表れた。
【ステータス画面】
名前:アルバート・ヘックス
年齢:32
性別:男
職業:学士(9)
スキル:農業(2)、神聖魔法(7)、情報処理(0)(SP残0)
間違い無く、スキルの崖を越えた神聖魔法の使い手である。
風貌は冴えない……と言うか顔のつくりは良さそうだが、目の下にくっきりとした隈があるため陰気な印象が勝ち過ぎている感じだ。
この隈は……もしかすると超越存在からの圧迫を受けてのものだろうか。
そうだとすれば彼はこの圧迫感に打ち勝ったのではないのかもしれない。
いや、印象で語るのは早計か。
とにかく話を聞いてみる事にしよう。
「はじめまして、リョウと言います。こんかいは……その、よろしくおねがいします」
「アルバート・ヘックスです、よろしく。君の事は少しだけど、エルメイル先生から聞いているよ。神威にやられているらしいね」
「かむい……と言うのですか? この圧迫感は」
「神殿ではそう呼ばれているね。という事は君は私と違って破門になった訳ではないのか」
破門という事は彼はもともと神殿に所属していたのだろうか。
それに神威という言葉も出てきた。
詳しく聞きたいがどう切り出すかすぐに思い浮かばずまごまごしていると、彼は察したように色々と事情を語ってくれた。
どうやら神殿(唯神教と言うらしい)では、ある一定以上の力を持つ神官には厳しい精神修養が課せられるらしい。それはこの超越存在からの圧力、すなわち神威と呼ばれるものに耐えるための修行なのである。
この修行を終えた者のみが、神からより強い力を借りる事ができる。逆に言えば修行を修めないうちは、神聖魔法を使い過ぎないよう厳しく指導されるらしい。
この規則は神威によって精神を破壊されないための神官達の自己防衛であり、余談にはなるがこれによって神聖魔法の使い手と使える回数が制限され、それが治癒魔法などの費用が高額である原因のひとつになっているようである。
規則というものはあれば破る者も当然居る。
戦争に駆り出されて治癒術を使い過ぎる、と言った場合は別だが、神威に中てられたという事はすなわち規則を破ったも同然のため、その者には厳しい罰則が科せられる。
今俺の目の前に居るヘックス教授は、神官であった当時から神聖魔法に非常に興味を持ち、魔法の研究に耽溺していたらしい。その熱意は適性の無い理力魔法を学び術式の知識を得ようとしたほどで、結果無理が祟って神威に当てられたそうだ。
その時点で既に神殿の上役から再三に渡る警告を受けていたようだが、無視しての戒律破りである。結果として、彼は唯神教を破門になったらしい。
「それでもこうして私が研究を続けていられるのは、彼らもそれに利点があると考えているからだろうね。研究に没頭して簡単に戒律を破るような者は神官ではない、けれど自分たちの利益になるなら黙認はする、という事さ」
なるほど。
こうして聞いているとやっぱり私欲に塗れた連中に思えてくるよな。
と、そんな事を考えているのが表情に出ていたのか、ヘックス教授は俺を見て一つ笑い声を上げた。
「ははは、嫌そうな顔だね。でも実際のところ、精神修養を経て神威に耐えられるレベルの神官は高潔な人が多いよ。精神修養の内容はやった訳じゃないから私も詳しくは知らないけど、聞くところによると行を修めると魂の位階が上がるらしい」
「魂のいかい?」
「あくまでそう教えられただけでそれが実際どういう事なのかは……私には少ししか分からないんだけどね。ちなみに唯神教には欲深い連中もいるけど、殆どは精神修養を修める事ができずにくすぶっている、経験だけは長い連中だよ。欲深だから魂の位階が上がらないのか、魂の位階がいつまでたっても上がらないから腐ってしまったのかは知らないけどね」
「なるほど。……ところで少ししか知らないというのは」
「うん。君はもしかしたら気付いているかもしれないけど、私も一応神威に耐えられるようにはなっているからね。完全ではないんだけど、そうじゃないと日常生活も送れないし。……そういえば君はあまり神威の影響が無いように見えるね。今は大丈夫なのかい?」
初めてそれに気付いたように、ヘックス教授はそう言った。
これは……話すべきだろうか。
俺が初期の強烈な神威に耐え、今ある程度の会話ができるのは魂魄魔法による補助のお陰である。
魂の位階を上げないと神威に耐えられないという話は、俺が魂に作用する魂魄魔法でこの困難に対応できた事実と相反しないものだろう。
彼が神威に耐える事ができるようになった方法はぜひ聞きたい。
であればここは胸襟を開いて信用を勝ち取るべきではないだろうか。
お茶の入ったカップに口を付け、俺は決心して口を開いた。
「これは、師匠にも聞いてほしいのですが、おれはこんぱく魔法が使えるんです。それによって、かむいの影響をおさえているのです」
俺の言葉を聞いて、二人は怪訝そうな表情を浮かべる。
たどたどしい俺の言葉で別の言葉を聞き間違えたのではないか吟味したのだろう。
少ししてその表情は驚愕へと移り変わる。
「魂魄魔法……き、君は確かエルメイル教授の所に理力魔法を学びに来たのでは……」
ヘックス教授がそう言った。
師匠からその辺りの事情は聴いていたのだろう。
もしかすると二つの魔法技能を持つ、と言う話に興味を持ってここに足を運んでくれたのかもしれない。
「……二技能だけではなかったという事か。つまりそれが、君が隠したかった事なのかい?」
師匠も少し溜息を吐きながら言った。
神聖魔法の事情を話した時に驚かなかったのはマイトリスで探索者から何か聞いたのかと思っていたが、特にそういう訳ではなかったらしい。
彼女の事だから、俺とズーグだけで探索をしている事から二つくらいは魔法技能を持っていてもおかしくないと、そう推測していた可能性はある。
俺は二人の疑問に頷きを返す。
もちろん隠したい事はこれだけじゃないが、才能の器ほど荒唐無稽でないという点では、俺が主に秘するべきは魔法三技能持ちの事実で間違いないだろうしな。
「あの、これはここだけの話でおねがいできますか」
「……私は構わないが……ヘックス教授」
「あ、ああ。私も構わないよ。……少し聞いても良いかい?」
まだ驚きが冷めやらぬと言った様子だが、ヘックス教授が真面目な面持ちでそう聞いてきた。
「なんでしょうか」
「君は……将来魔法軍に入ったりするのかい? これは単なる興味なのだけど、君はその力で何を成そうとしているんだろう」
「……おれは迷宮の深部に用があるんです。くわしい事情ははなせませんが」
「そうか……いや、すまない。なにせ魔法三技能だろう。近代史の英雄譚でだって聞いた事が無い。もし君が軍に入ったりすれば、栄達は間違いないだろう。そんな君の行く末がどうしても気になってしまってね」
「いえ、だいじょうぶです」
俺達は揃ってカップに口を付け、お茶で喉を潤す。
この面会もそこそこ長くなってきたが、話はかなり出揃ってきたな。
俺の事情、彼の背景情報、そして唯神教の修行について。
「じゃあ、本題に戻そうか。私が神威に耐えるために行った精神修養の話だ」
そろそろかと思っていたが、やはりそうだったらしい。
ヘックス教授がようやくこの面会の核となる話を語ってくれるようである。
「まあ私も破門された身だから、正式な方法は教えてもらえなかったんだけどね。けど神威に苦しんでいた時、友人が魂の位階を上げる精神修養の内、簡易なもののひとつを教えてくれたんだよ」
「その方法とは?」
「香の行、というものでね、これを使うんだ」
そう言って彼はポケットから何かを取り出す。
机の上に置かれたそれを見れば、それは精巧な細工物の香炉であった。
いきなりうさんくさい新興宗教のような話になってきたな。
だがここは魔法もあるファンタジーな世界。
俺は意を決して、その方法を詳しく聞く事にしたのであった。
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