3 迷宮初探索
迷宮への入り口は迷宮都市の内門を抜けて十分ほどの場所にある。
内門の外側には迷宮区画が広がっており、どちらかと言えば内側にある都市区画よりも賑やかな街並みだ。ごちゃごちゃしているとも言う。迷宮区画は都市区画と違い地面が露出していて整備されてない感じだが、無頼の街って感じで悪くはない。
迷宮区画には人と迷宮を隔てるものが無いため、万が一スタンピード(迷宮の魔物の氾濫)が起きた時には大変なことになるのだが、ここには「そんなことより商売だ!」と言う骨太な人たちが主に暮らしている。貧困層・労働者層の住む長屋通りもこちらに集中しているようだ。
そんな混沌とした街を南北にぶち抜いているのが、いわゆるメインストリート、迷宮通りである。それを北に行き着いた先に、迷宮の入り口があった。
入口は下り階段状で、その上に雨露を防ぐ屋根があり、そこから数メートル離れた周囲を人の身長の倍くらいの石塀が囲んでいる。屋根の下には簡素な椅子と机が一揃い、そして水甕が置かれており、椅子には鎧を身に纏った兵士らしき人物が座っていた。
「おや、こんな時間から探索ですかな?」
兵士が手元の書物から視線を上げ、俺を認めてそう言った。
よく見れば顔に皴が浮かぶ老兵士である。
「そうです。初挑戦なんですよ」
「ほう、そうですか。……見れば随分な軽装だ。今日は一階だけでやめておいた方が身のためでしょう」
老兵士は目尻に一層深い笑い皴を浮かべ、武術師範バーランドと同じ注意を口にした。
「武術師範にも同じことを言われました。今日はその通りにして、奨励金が貰えるノルマの達成を目指そうと思ってます」
「ほっほ、バーランド殿が。それなら無用の忠告というやつでしたかの」
「いえ、ありがとうございます。知らないことも多いので、これからよろしくお願いいたします」
人生の先達を前にしたせいか、ちょっと堅すぎる口調だったかもしれない。
けど社会人としてはもう癖みたいなもんだし仕方ないよな。この世界の普通もよく分からないし。
「まあそう堅くなりなさるな。一階は大したことは無いですからの。それより、これから探索ならそこで水を一杯飲んでいくといい。迷宮で催すのは良いことではないですが、緊張と集中が続くと意外と喉が渇きますからな」
老兵士が指さした甕にはたっぷりと水が貯められている。
水分の補給か。基本だが、確かにそういうことも考えないといけないな。
今は何も手元にないが、水筒なり何なり今後用意しないといけないだろう。
「ああ、水質については大丈夫。この甕には当番の兵士が交代毎に浄化の魔法を掛けておりますでの」
俺の視線を別の意味で捉えたか、老兵士がそう補足した。
兵士が魔法を使うことについては予備知識にもあったので驚きはない。この世界は現代に至るまで三度の世界大戦を経験しており、その中で魔法技術の発達と日常生活への浸透が進んできたらしいのだ。
俺の元居た世界と比べると、外観は中世のようだが、中身は魔法技術の根差す近世、という感じなのである。
「ではお言葉に甘えて一杯……」
俺は老兵士の勧めに従ってコップ一杯の水を飲み干し、彼に別れを告げて迷宮の中へと進み入った。
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迷宮の中は、地下ではあるがじんわりと明るい。予備知識にあったが、ヒカリゴケという薄く発光するコケによるものらしい。ヒカリゴケの濃淡によって明るさの程度はまちまちだが、凡その視界は確保できている。
「さてと」
俺はひとしきり周囲を見回した後、ひとつ息をつく。
迷宮に入り周りから人が居なくなったのならば、まずもってやることがあるな。
「スキルの検証だ」
街中で色々やるわけにもいかないから、ずっと我慢していたのだ。
入口すぐそばだとアレだから少し移動し、ステータス画面を開く。
――オープン
【ステータス画面】
名前:サイトウ・リョウ
年齢:25
性別:男
状態:普通
職業:才能の器(0)
スキル:斥候(0)、片手武器(0)、理力魔法(0)(SP残:0)
今の状況はこんな感じだ。
ステータス画面を開きながら、色々試していこう。
まずは斥候だ。
やり方なんて分かるはずもないが、とりあえず周囲をよく観察してみる。そして耳を澄ませて細かい音を聞く。匂いを嗅いでみる。目を瞑って、さらに深く聞き、嗅ぐ。
「こんな感じかな」
完全な先入観になってしまうが、斥候と言うと感覚に優れているイメージがある。それで一般人にも想像できる範囲で「五感を研ぎ澄ませて」みたわけだが……。
分かったのは、迷宮の内壁は乳白色でゴツゴツしている、音は無音だが無音ゆえの耳鳴りみたいなのは少し感じる、匂いは古い家の中みたいな饐えた匂いがした、ということくらいだろうか。生物の気配は今のところ無さそうだ。
「おっと、変化ありだな」
ステータス画面を見れば「才能の器(1)」「斥候(1)」になっていた。
最初の数字がゼロだったから、経験値というより熟練度的なやつかなと思っていたが当たりのようだ。
同じように、次は片手武器を試そう。
ショートソードは腰の裏にベルトで鞘が固定されており、右手で簡単に抜剣できる。それを映画やアニメなんかで見た動きを参考に振ってみる。
何かで読んだが、初心者が刀剣類を扱う時、自分で自分を傷つけることが割とあるらしい。たぶん長さとか重さを把握し切れていないからだろう。なので、そこだけは十分に注意する。
かっこいい動き、と言うよりはより実戦的に、敵にトドメを刺す動きを想定して練習した。切るよりは刺す。そんな感じだ。
おそらく俺のスキル構築なら先制⇒魔法による遠距離攻撃⇒刃物でトドメという流れになると考えての練習である。
まあ、当然予想通りに行くとは思ってないが、理想ってやつだな。
そうして練習していると「才能の器(2)」「片手武器(1)」と変化した。
なるほど、なるほど。
最後に理力魔法だ。
魔法なんて理解が及ばない力だが、実はちょっと心当たりがある。
斥候スキルの時のように目を瞑り、今度は体に感覚を向ければ……ほら、あった。
理力魔法スキルを取ってからぼんやりとは感じていたのだが、今はっきりと知覚した。
俺の中に、何か知らない力がある。
「これが魔力だ。間違いない」
確信をもって俺はそう言葉に出し、頭に浮かんだ言葉を紡ぐ。
「灯火」
言葉と共に、視線の先に小さな火が灯った。魔法の火だ。
その時の感覚はなんとも言葉にしづらいものだったが、俺は間違いなく魔力を知覚し、体から魔力を発して、呪文に乗せて魔法を紡いだのだ。
その一連の流れを身に刻むように、俺は連続でファイアを唱える。
ステータス画面では「才能の器(3)」「理力魔法(1)」と変化があった。
これはもう確定だな。
才能の器のレベルは各スキルレベルの合算である。この合算レベルが何を意味するのかは今のところ分からないが、とにかくステータス画面の表示に関する検証は一時済んだということだ。
ちなみに理力魔法レベル1でできることは、思い浮かんだ範疇だと「灯火」の他、「水生成」「送風」「土窪」「魔矢」であった。
理力魔法はムラの多い妖精魔法を模倣し、火水風土の四属性を言葉通り「理」にはめ込んで制御しようとしたことが始まりなので、基本的には四属性の魔法が多いんだろう。マジックボルトは多少の例外というやつか。
もちろんこれ以外にもある可能性はある(と言うかあるはず。これだけじゃ少なすぎる)ので、お金に余裕ができたら呪文書なんかを買ってみてもいいかもしれない。
「よし、次は実践だ」
斥候の感覚と武器を使う感覚、そして各種魔法を得てようやく俺は周囲に目を向ける。
入口からここまではそそくさと歩いてきたし、斥候スキルを検証した時も狭い範囲しか探れていない。
俺は移動しながら、魔物の気配を探っていく。
それにしても、改めて観察してみれば色々なことが見えてくるな。
例えば地面は平坦なように見えて割と凸凹がある。歩く分にはさほど問題無いが、走ったり、戦ったりする時に足を挫く可能性が考えられる。
迷宮の構造も直角に交わった四つ辻があったかと思えば、曲がりくねった道や、坂道もある。鍾乳石みたいな太い突起が天井からも地面からも、至る所に生えており、複雑な構造と相まって見通しは悪い。
隠れる場所が多くていいが、逆に奇襲される危険も増えるというわけだ。
さっきも観察したつもりではあったが、やはりスキル検証の方に集中していたのだろう。あるいは斥候スキルがレベル1に上がった恩恵かもしれないが。
そんなことを考えながら注意深く歩いていると、とうとう生物の気配がある場所に行き当たった。
「あの突起の裏にいるな、たぶん」
目測で半径十メートルくらいの広場。
俺は耳を澄ませ、広場の中央にある突起の裏からわずかに動く音を聞き取った。
突起の太さからしてそこまで大きくない。俺は広場から伸びる通路の一つに身を隠し、わずかに顔を出して中を窺いながら、魔物が視界に入るのを待つ。
さすがに慎重すぎるかもしれない。
しかし、これは訓練でもあるのだ。相手が大したことないというなら、完全勝利してみせるくらいでなければこれからやっていけない……と思う。
まあ、若干面白がってやっているのも事実だ。
何せ今のところ、リアルなロールプレイングゲームをやっているような感覚なのだ。どうせ現実は後から嫌と言うほど実感することになるだろうし(主にお金の件で)、これくらい楽しんでも罰は当たらないだろう。
「見えた……あれは、カエルか?」
のそのそと姿を見せたのは三十センチはゆうにある大きなカエルだ。
元の世界で見かけたらそれは驚くだろうが、異世界転移という訳の分からない事態に見舞われて、魔物と戦うつもりで来た俺にとっては少々インパクトに欠ける。
「魔矢」
俺は通路の角に身を隠しながら、人差し指をカエルに向けて射撃の魔法を唱える。
指先に魔力が収束すると即座に魔法が放たれる。そしてバシッという軽い音と共に、魔法の矢は容易くカエルを射抜いた。
眉間のど真ん中を撃ち抜かれた巨大ガエルは光の粒となって消えていき、後には小さな魔石が残される。
俺の魔物初討伐は、こうしてあっけなく終わったのであった。
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「それにしても、面白いほど簡単に狩れるな」
最初にカエルを倒してから、二時間ほどが経った。
この世界が一日何時間かは知らないが、少なくとも腕時計で確認したので間違いない。
俺は不確定名:巨大ガエルを初めとして、巨大カマドウマや巨大コウモリなど一階に棲む魔物を狩りに狩り、目標としていた魔石十個も既に集め終わっていた。
一階に生息している魔物は基本的に一匹ずつで行動しているようで、気付かれる前に発見⇒射撃という予定通りの動きが非常に有効に働いている。
剣を使ったのは二回だけ。一回はカエルとの戦い、そして近距離に二匹かたまって居たコウモリとの戦いである。
戦いの内容としては、カエルは跳びもしなかったので近づいて簡単に刺殺できた。
一方で、コウモリの相手はちょっと手こずることになった。
マジックボルトは直線的に飛んでいくから、飛び回るコウモリには俺の射撃能力が低くて当てられなかったのだ。結局近寄ってきた時に振った剣が(たまたま)ヒットし、落ちたところを追撃してなんとか仕留めることができた。
コウモリごときでちょっと焦る羽目になったのは正直ショックだったな。
これではいかんと即座に対策を検討して、魔法について色々検証を行ったことで面白いことが分かったので、気分的にはプラマイゼロだが。
新たに分かったのは、まず魔法は発動段階で留めておけるということだ。
これはマジックボルトに限らず、ファイアなど他の呪文もである。もちろん維持に魔力は掛かるようだし、より高位の呪文がどうなるかは検証のしようがないが、この情報は今の時点でも十分役に立つ。
先制攻撃の時に出せるだけ出して連射することで火力を増やせるのだから当然だな。
現在同時に扱えるのは三つ。別の種類の魔法でも問題無く、俺の行っている戦術においては特に有効に働くだろう。
次に、魔法はホーミングさせられるということだ。
何とか命中力を上げられないかと試行錯誤して、試しに「曲がれ」と念じた際に発見したものだ。これはかなり画期的に思えるかもしれないが、今のところあまり有効に活用はできていない。
なぜなら、魔法の誘導には非常に多くの魔力を必要としたからだ。検証の時に数度試しただけだが、ちょっとボルトの行先を変えるだけでもごっそりと魔力を持っていかれた。
感覚的に「魔力枯渇=昏倒」っぽいので、MP残量を確認できない今、無駄に高魔力の魔法を使うのは良くないだろう。
それに、これもあくまで予想なのだが、ホーミングは別魔法として存在すると俺は考えている。魔法に付与する魔法、という感じだろうか。いつかレベルが上がった時に頭に閃くものがある……はずだ。そうなれば適切な呪文で、適正な魔力で発動できると思う。
まあ今はコストを多く払えば魔法を誘導できる、とだけ考えておこう。
奥の手と言うやつだな。
「そろそろ切り上げるか……疲れたしな」
新たに見つけた不確定名:巨大カマドウマをマジックボルトで撃ち抜いて、俺は誰ともなしにそう呟いた。
約二時間の探索行で微小魔石が十五個。
大体八分に一匹倒せている計算である。ただ倒すたびに徐々に発見率が下がっていっていたので、最後の方は見つけるのに十五分近く掛かっていた。おそらく一階全体で一度に存在できる数はそう多くないのだろう。
あるのかどうかは知らないがリポップの検証もすべきだろうか。まあとりあえずそれは明日にしよう。今日はとにかく疲れたのだ。
二時間程度でここまで疲れた原因は緊張もあるが、他には床の凹凸も理由の一つと考えられる。
初見では想像しづらかったが、でこぼこした地面を二時間も歩くと、足への疲労だけでなくバランスを取る体幹にも影響が出る。そこに加えて魔物との戦闘があるのだ。今日は先制攻撃でほとんど仕留められたからいいが、これから攻防が発生するような敵が出るのであれば、一回の戦闘でどれだけ疲労するか想像するだけでうんざりする。
転倒の危険もあるし、皆して「今日は一階だけにしろ」って言っていた意味が分かったというものだ。
「しばらくは体力づくりした方がいいかもなあ……」
言いながら、俺は入口へと足を進める。
帰りの道中でもう一個魔石を追加して、探索者組合に向かうのであった。
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