12 交渉
「では、ハンスがお茶を持ってくるまで待つ事もないでしょう。話を始めさせていただいても?」
「ええ、どうぞ」
クロウ氏は椅子に腰を落ち着けて、俺と向かい合う。
何から話すかを少し考えたのか一瞬間があったが、彼はすぐに口を開いた。
「最初に認識をすり合わせておきたいのですが、貴方は当初より自身の魔法技能の事をお話しにならなかった……即ち社会に与えるそれら魔法の影響を知らなかったと言う事でよろしいですか?」
社会への魔法の影響、か。
正直この世界で生まれ育った訳ではないので予備知識以上の事は知らないな。
「神聖魔法は神の信奉者が扱うもので、社会においては治療院などで医療を。魂魄魔法は精神に及ぼす魔法とその対抗策を担っている……と言う程度です。治療に魂魄魔法が関与する場合がある事も知っていますが、人によっては多技能を持つ事もあるでしょうし、そうでなくても協力して治療を行っていると思っていましたが。……聞く限りでは違うようですね」
「やはりそういった認識でしょう。実際、治療が行われた実績もあります。ただそれは国レベルの権力者、重要なポストの貴族や軍人が様々な伝手や対価を用意してようやく可能というレベルなのです」
噂話で「ナニナニ将軍がこの前の戦で失った腕を生やしたってよ、偉い人はすげーよなー」と語られる事はあっても、実際には容易くその治療を受ける事はできない、という事か。
そう聞くと、クロウ氏は頷きを返した。
「その通りです。少なくとも、魂魄魔法の関与する魔法……部位欠損の治癒はほぼ無理でしょう。神聖魔法で治癒可能な重度の外傷や、薬学の範囲が含まれる病気の治癒などは十分なお金を積めば可能です。もちろん、そもそも市民がそのような重傷を負う事自体が稀と言う事もありますが」
普通は噂話でしかない高度な治療を、底辺職の探索者が実践可能……かもしれないとなれば目の色も変えるだろう。
ただ少し気になるのは、神聖魔法使いと魂魄魔法使いの協力が何故そこまで困難なのかという事だ。そりゃあ高位の技術者二人のアポが必要な訳だし、腕を繋げるのではなく腕を生やすのだから、分からなくも無いが。元の世界でも実現できていないような凄い技術だしな。
ただそれにしたって、世界大戦でかなり魔法技術が発展したと言う話もある。
技能持ちの数だって相当数居るとは思うんだが。
そういう疑問をクロウ氏にぶつけてみると、クロウ氏からはもの凄い笑顔が返ってきた。
この笑顔はアレだな。好意的な奴じゃなくて、笑顔はもともとは威嚇の表情だったとか言う……。
「あいつらは人間じゃないので仕方が無いです」
ほらみろ地雷だった。意味分からん答えが返ってきたぞ。
そこからクロウさんによる、怒涛の魂魄魔法使いへの愚痴が始まったのだがそれは省略する。
どうやらクロウさんは職業柄、身体欠損した人に接する事が多くあるらしい。
要するに腕が無くなって仕事できなくなり、借金が膨らんで首が回らなくなって、奴隷落ちで金を作って家族だけ助ける、とかそういう話だ。
で、奴隷商も商売で慈善事業じゃない。
そういった身体欠損者を買ったのなら何とか高く売って儲けないといけない。
じゃあどうするかと考えて、身体欠損を治癒できたら五体満足な奴隷として売れるので良いだろうと。
借金奴隷の方は解放後に元の生活に戻れるし、全員ニッコリ万々歳だ。
それで、神聖・魂魄魔法の技能持ちに当たりをつけて色々苦労した結果。
魂魄魔法使いは人間じゃない事が分かったそうだ。
……いや、うん。めっちゃ端折った。だって話なげーんだもの。
「あいつらは世の中の役に立つ事もできるから許されてるだけで、その数百倍は冒涜的な事をやっているんです。下手に出てれば奴隷商だからって舐めやがって、死体を斡旋しろだ? こっちは法の下でまっとうに商売やってんだ、何でてめーらの悪行に手を貸さにゃならんのだ! ……って話ですよ」
ちなみにこの話は三回目である。
あんまり繰り返すのでだんだん覚えてきたが、どうも高レベルの魂魄魔法使いは邪教徒じみた実験が大好きな、研究一筋のイカレポンチどものようだ。
マッドサイエンティスト……いや科学者じゃないからマッドマジシャンってやつか?
「貴方がたが目の色を変えた理由がよく分かりました。それで結局どういう取引にしますか?」
聞いてるだけでかなり疲労したが、愚痴の合間を縫って俺はようやくこの話を切り出す事に成功した。
クロウさんは俺の言葉に我に返ったようになり、一つ頷く。
「ええ、奴らの事を話していても埒が明きませんね。では、交渉を始めましょう」
おれはしょうきにもどった! ってか?
いや気持ちは十分(話しまくった時間の分だけ)伝わったが、延々愚痴を聞かされた身としてはその澄まし顔張り倒したくなるな。
後このタイミングでしれっとお茶を出しに入ってきたハンスさんも張り倒したい。
……まあそれはいいか。
ともかく自分の技能について需要が分かった訳だし、奴隷獲得に向けて交渉といきますか。
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「まず私の方から条件を提示していきましょう。本来は貴方が奴隷を買いに来た立場ですが、今は将来の優秀な治癒術師を獲得したい私と奴隷が欲しい貴方との対等な交渉ですからね」
確かに、話は単純にお金を払って奴隷を買ってと言うところは過ぎているな。
「了解です」
「それでは……まず、現状貴方は私が求めている技能を持っていない。適性はあるようですが実践はできないようですからね」
「はい」
「ですが、高度治癒に必要な二つの技能の適性を有している事、そして理性的な話し合いができ一般的な価値観を持っている事の希少性は非常に価値があると考えます」
後者の方が明らかに語調が強いが、まあこの二つの条件は彼にとって魅力的という事だな。
「これらの条件ですと、現時点で一〇〇万ゴルドまでの奴隷の譲渡を提示できます。貴方からは譲渡する奴隷の金額に応じた回数の身体欠損治癒の実行、および高度治癒行為の独占権をいただきたい」
いかがですか? とクロウさんが聞いてくるが、それより一〇〇万ゴルドだ。
一ゴルド十円、つまり一千万円!
金額が飛躍しすぎてビビるな。今俺、一万ゴルドしか持ってないんだけど。
いや、それぐらい価値があると目の前の商人が判断したという事なのだろう。
それはよくよく理解しないとな。
……よし、こっちも気合を入れて商談に臨むか。
「なるほど、私の手持ちの札からすると、かなり買っていただいてるのが分かりますね……。いくつか質問をしても?」
「ええ、どうぞ」
「ではまず、一〇〇万ゴルドの奴隷と言うとどの程度なのでしょう。そもそも金額の当たりをつけるために今日訪問したくらいなので、分からないのです」
「そうですね、戦奴をお探しと言う事なので……闘技大会の予選突破クラスと言えばよろしいでしょうか」
なるほど、分からん。
クロウさんがわざわざ考えて例を出してくれたが、闘技大会については予備知識に無かった。いやあるにはあったが「王都で開催」「個人の武勇を競う」「奴隷の部がある」くらいの情報量だったのだ。
「先ほどの……ええっと、ズーグでしたか。彼はどの程度の値段で?」
知っている範囲で答えて欲しかったので、ここで見た唯一の奴隷である竜人の値段について聞いてみる事にした。
「あいつは……そうですね、そうだ、あいつは……」
するとクロウさんは顎に手を当てて考え込んでしまった。
ぶつぶつ独り言を言っているが、何かあるのか。
「どうしたんですか?」
「ああいや、何故考えつかなかったかったのかと思いまして。……一つ提案があるのですが、あのズーグを引き取ってはもらえませんか? あいつの欠損治癒を以って身体欠損治癒術が可能になった証にすると言うのはどうでしょう」
なるほどな。確かに彼の腕、そして目を治癒できれば間違いなく証明にはなる。
「構いませんが、どうして彼を?」
「あいつは戦奴として二度買われ、身体欠損を理由に二度“下取り”に出されてここに居るのです。あいつは最後は戦士として死にたいと言うのですが、あの体ですので中々良い買い手がつかず……。まあ体格は良いので荷役などでの買い手は居るのですが、二度も儲けさせてもらってますし、年齢的にも次が最後の売却になるでしょう。最後くらいは希望を叶えてやろうと思いまして……」
一気にそこまで話して、クロウさんはお茶に口をつける。
何やら複雑な感情が見え隠れしていたな。
まあ俺としても別に戦えれば問題無いし、あんな体になるまで戦い抜いてきた戦士を救えるのなら悪くない。
「私としても、彼であれば問題無いですよ。いきなり上等な奴隷を連れ帰ったら変な詮索を受けそうですし。彼の場合、欠損治癒術の回数はどうなりますか?」
「戦奴としてはかなり落ちておよそ五〇万ゴルドほどなので、二回ですね」
魔法一発が二五〇万円! 凄いな、俺……。
いや、実現できるかは今の時点では不確定な未来なんだが。
これからもちゃんと鍛錬しないと。
「承知しました。ちなみに伺いますが、普通に身体欠損治療を依頼するとどれくらい掛かるものなんですか?」
「神殿の司祭への依頼は一〇万ゴルドから要交渉ですが、大体が多忙なので予定を調整してもらう交渉の方が大変です。魂魄魔法使いの方は……想定したくもないですが死刑囚の死体の調達か……できなければ奴隷の殺害、各所への口止め料を含めれば五〇万ゴルドは下らないでしょうね」
最低六〇万ゴルドか。法的グレーゾーンを突破する羽目にもなるし、あんまりやるメリットは無さそうだよな。
「この契約での欠損治癒術は多少安く見積もらせてもらってますが、不確実な未来への投資も含みますので。独占させていただけるなら正規の料金は別途交渉しましょう」
「分かりました。後はその独占についてなんですが、私が個人的に治癒を行う分には問題ないんですよね?」
「そうですね、その辺りは契約書の文言にも入れて細かく決めましょう」
その後、俺とクロウさんは二時間ほど議論して契約の細かい条件を詰めた。
細かい所は省くが大まかな内容としては以下の通りである。
・クロウさんが俺にズーグを譲渡する。
・俺は身体欠損治癒術の習得を優先事項として鍛錬する。
・身体欠損治癒術の習得証明はズーグの体を以って行う。
・欠損治癒術習得後、俺は無償で二回までの欠損治癒術をクロウさんに提供する。
・商業的価値の生じる欠損治癒術行使については、原則クロウさんを仲介して行う。
・俺の個人的事情、意志において実施する欠損治癒術はその限りではない。
・欠損治癒術の商業的価値の有無に関する判断は基本的に俺の意志が優先されるが、十分な検討、および可能であればクロウさんへの事前通達を行う事とする。
・その他、契約に関して発生した種々の問題および認識の齟齬等については、互いに誠意をもって協議し解決する事とする。
俺にとっては魔法の行使に制約ができてしまう事になるが、逆に言えば俺の身体欠損治癒術(やその他の魔法)を利用しようとやってくる奴らの盾にクロウさんを使う事ができるようになる。
クロウさんはその問題を加味しても、希少な魔法使いを抱えられるのでメリットがある。
そういう契約になった。
「じゃあ印章術で契約書を刻印して、契約は完了ですね」
印章術は魔道具等にも使われる魔法の一種で、契約書の場合は印章術を用いる事で、国に契約の内容を証明できる正式な書類となる。それから重大な契約違反があった時には契約者の体に印章が浮かび上がり、違反者として民事裁判に引き出される事になるのだ(逃走した場合の追跡にも用いられるらしい)。
「では、今日はありがとうございました」
「こちらこそ、良い商談でした」
「ははは、まだ商談にもなってないでしょう。全ては俺が身体欠損術を習得してから、です」
「そうですね。一日でも早い習得をお待ちしていますよ」
契約が終わり、ズーグを受け取って俺達は握手を交わした。
こっちはまだ借りている身なのでクロウさんの言う通り魔法の習得に努めないといけないな。
「そういえば一つ気になっていたんですが」
「なんでしょう」
「俺の魔法技能の価値、どうして教えてくれたんです? 貴方なら上手く搾取する事もできたように思いますが」
上手く契約できたからこそ、できた質問だ。途中で言って考えを改められても困るしな。
そういう意味でも俺には良い契約だったと思うし、クロウさんに対して借りに思う部分が大きい話になったのだが。
そんな風に考えていると、クロウさんは苦笑いを浮かべながらこう言った。
「そりゃ、魂魄魔法使いですから。マトモそうに見えても、下手に禍根を残すような真似はしませんよ……」
魂魄魔法使いの信用無さ過ぎ問題、ってやつか。
世間的な評価がどうだろうが俺は別に良いんだが、俺自身の信用も同時に無いのはちょっと困る。この件だけ、クロウさんにだけじゃなくて、誠実な対応は今後も心掛けないといけないだろうな。
ちょっと締まらない終わりになったが、俺もクロウさんに苦笑を返した後、別れを告げて奴隷商の館を出たのであった。
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