115 足踏み
魔法の習得。
それも全て自力での習得だ、時間が掛かることは理解していた。
けれどどうやら、俺の見積もりは甘かったらしい。
「うーん、これって前試したっけか? いや前のは一筆多かったと思うし……うーん……」
師匠とフェリシアから新魔法について教えてもらってからはや一週間。
色々なことがどんどん進んでいるのに、俺の魔法習得だけが一向に進展していなかった。
「師匠、魂魄魔法の術式解説って新規であがって来てませんでしたっけ?」
「いいや来てないよ。昨日渡したのが最新のやつさ」
「そっかぁ……うーん」
魂魄魔法は解析が進み、特に有用なマインドプロテクション、レジストマジックは既に使用者を日々増やしている。術式自体の解析も進んでいて、逐次師匠のもとに解説書のようなものが送られてきている。
一方俺はというと、覚醒の習得ができず、その先に進めていない。
この魔法の習得難度は、カステリオンのステータスを鑑みれば魂魄魔法レベル9を要する可能性がある。もちろんヤツがレベルいくつで習得したのかは分からないが、カステリオンの研究資料から得た術式を読み解いても、使えそうな雰囲気すらないのが現状だった。
というかそもそも『この魔法を扱える人間が居ない』ことが、実は最大の障壁になってるんだよな。
魔法そのものへの理解、術式への理解、術式描写の精度。
魔法習得に必要なそれらの要素を、完全に資料に頼らなければならないからだ。
思えば究極熱量転換の時は恵まれていたのだ。レベル8の高位魔法だったとはいえ、作成者自ら指導してくれる環境にあったわけだからな。
今回は本当にもう……一から十まで自力である。いや術式自体はあるから、一から九くらいかもしれないが。
ともかく日々更新される魂魄魔法の術式とその解説を読みながら、どの部分がどうしてどうなって結果に結びつくのか、俺自身で答えを導く必要があった。師匠にもアドバイスはもらえるが、魂魄魔法については俺に一日の長があるからな。頼るにしてもパーフェクトコンバージョンの時の様にはいかないのである。
「ぜんぜん術式に魔力が通らないんだが……一体何が間違ってんだ? くっそ……」
「まあまあ、あまり根を詰めても良くないだろう。少しお茶でも飲んで休憩しようか」
「……はい」
師匠になだめられ、机にスペースを空けるためガサガサと資料をまとめる。
椅子の上も資料だらけで、一つ席を空けるだけでも一苦労だ。
「……ふーっ」
「はっははは! 大分脳が煮えてきてるみたいだね」
自身の思考に区切りをつけるために大きく溜息を吐き出すと、お茶の入ったポットを持ってやってきた師匠に笑われてしまった。
「まあ、新しい魔法を扱おうとする時はそんなもんさ。体系立てられている理力魔法ですら、新規に魔法を造って発動させられる人間は、一握りなんだからね」
「そういうものですか」
「ああそうさ。君の叙勲式が決まって色々と情報が開示されたから、魔法学会も大手を振って研究を始めてる。なのにさほど大量の魔法が開発されたとは聞かないだろう?」
確かに俺が挙げた要望やロミノの新理論があっても、選び放題というほどには魔法は開発されていないようだ。
「魔法を発動できたとしても、それが再現性のある術式かと言われると、意外とそうでもないしね」
俺が明けた席……俺の隣に腰を下ろして、師匠はしみじみと言った。
「苦労も当然と言うことですか……。というか、それより叙勲式のこと思い出させないで下さいよ。せっかく忘れてたのに」
「悪い悪い。大きなイベントだからつい、ね。私は誇らしく思っているんだよ? 可愛い弟子の力が、ようやく世に知らしめられるんだから」
先に述べたように、今日に至るまで状況は色々と動いている。
二回目の定期討伐だとか、次期聖女のクリスが迷宮初探索をしたとか。
はたまた王が周辺他国との会談の日取りを決めたとか。
アトラさんがそれに合わせて森林の勢力にも連絡をしたとか。
あとアトラさんにはアカシックレコード経由で大悪魔の情報を入手できないか、試してもらうよう依頼もした。
本当に色々だ。
色々と考えたりしないといけないことばかりだ。
けれど、これらを置いてもなお俺の気を重くさせているのが、聖騎士の叙勲式なのである。
「いやぁ、実に楽しみだ。式典用の服なんかももう準備したんだろう?」
ワクワクしている師匠は可愛らしいが、叙勲式はマジで気が重い。
いや礼節はイリスさんに言葉使いを正してもらったりとか、気を遣ってはいるが、それとこれとは話が別だろう。
邪神との決戦に向けて何をやれと言われてもやる気はある。キツイ修行も魔法の習得も。でも一般市民の俺に貴族の式典とかいう未知のイベントは、荷が重すぎるというものだ。
「いいんですよその話はもう! それより、師匠の方はどうなんです? 進捗は」
「私かい? 私の方は一つ新しい魔法の開発方針が決まったくらいかな。まあこれも魂魄魔法だから、結局は君の頑張り次第になるだろうけど」
「うわぁ……まだ一つも終わってないのに、次なる宿題ですか」
俺が嘆きの声を上げると、師匠はうふふと笑った。
「まあ、それまでには私の方でもできるだけ解説できるようにしておくよ。それに君だってアウェイクンを扱えるようになれば、それが経験として蓄積されるんだ。そう難しいことにもならないと思うよ?」
そんな風に言って、すまし顔でお茶を一口。
まあ魂魄魔法については彼女も素人だからな。術式の意図をある程度読み解けても、それに魔力を通すことはできないのだ。故に、高位魂魄魔法の行使自体は、現状俺の独力ってことになっているのである。
「はぁ、まったく……こんなことなら魂魄魔法使いを一人くらい残しておくんだった……」
「確か、先の事件の時に全滅してしまったんだったね」
「ええ。カステリオン事件の時にヤツが全員アンデッド化させるか、実験体にしたみたいなんですよね。俺もまさか、本当に一人も残ってないとは思っていませんでしたよ」
魂魄魔法の研究は、カステリオンの件の時から国の主導で行われると決まっていた。俺はそれをあくまで「残った魂魄魔法使いに依存しない」ためだと思っていたのだが。実際にはカステリオンを討伐すると、魂魄魔法使いの人数がゼロになるためだったという訳だ。
「そういう意味でも、君の登場は陛下にとって福音だったということなんだろうね」
「俺は無茶をしたなと思いますよ。俺自身の能力だって、蓋を開けてみればこんなもんですし」
既に完成している術式を、唱えて発動することすらできないのだ。
俺が自虐を込めてそう口にすると、隣の師匠にポンと膝を叩かれる。
「そう自分を卑下するもんじゃないさ。それに魂魄魔法使いを残すと言ったって、君が事件に関わった時には、当のカステリオンしか残っていなかったんじゃないかい? 彼の御仁は協力を仰げるような相手ではないだろうに」
「いえ、それはそうなんですけど……」
この件については、実は少し思うところがあった。
けれどその考えはあまりに下らなさ過ぎて、口に出すのは憚られることだった。
だからこの時も俺は言葉を濁したのだが……、
「ははあ、なるほど。君にしては歯切れが悪いと思ったら、もしやカステリオンを斃したことを悔やんでいるのかい?」
そんな風に師匠に言い当てられてしまった。
「私はカステリオンに関する報告書なんかにも目を通したんだ。魂魄魔法の研究資料を読み込むために、彼の御仁の人物像も知っておきたかったからね。彼の御仁は、魂魄魔法使いによってアンデッド化された存在……意図をもって他者に造られた存在というのは、君の境遇にも重なるところがある。相対していた時は敵同士……けれど今こうして落ち着いて、君は別の未来があったと、そう考えたんじゃないかい?」
久々の師匠の推理劇場である。
けれどその推測の内容は、いつもと違って恐ろしく的を射たものだった。
「よく……分かりましたね。誰かにそれらしいことを言ったことも無いんですが」
「ま、君のことはよく見ているからね」
事も無げに言われ、苦い笑みが浮かぶ。
俺だって馬鹿馬鹿しい考えだって自分でも思う。実際師匠の言う通り、戦っていた時には、境遇は同じでも価値観があまりにも違い過ぎて、共感なんてしていなかった。討伐の依頼も受けていたし、成した所業と価値観の相違から、間違いなく斃すべき敵だとそう思った。
けれど後になって思ってしまったのだ。
あの場で、あるいはこの世界で、唯一俺だけがヤツを理解してやることができたんじゃないかと。
理解が何になると言われてしまえばそれまでだろう。結局のところヤツは王の仇敵で、斃すしかなかった相手でもある。それ以外の未来がありえたとは、俺も思ってはいない。あんな性格の相手だしな。
ただ、俺は一人の貴重な共感者を失ったんじゃないかと。
そんな少しの喪失感を得てしまったのだ。
そして、今のこの状況。
カステリオンが生きていたならばと、ほんの少し考えてしまう。
誰がどう見たって現実逃避に他ならない考えだ。説得とかそういう段階をすっ飛ばした、下らない妄想だ。けれど現実が上手くいかなければいかないほど、そうしたかすかな後悔が、心にしこりを残すのだ。
「ふーむ……君は少し、自分を見失っているんじゃないか?」
「え?」
「新しい魔法のことを話していくらか時間は経ったけど、前の時なんてこんなものじゃなかっただろう。君はあの時、このくらいのことじゃ根をあげなかったじゃないか」
確かにパーフェクトコンバージョンの時は何十日も苦労して習得したんだったか。
忘れていたつもりは無かったが、それと比べれば今の俺はひどい体たらくである。
「まあ、君にとっては大きな心境の変化があったところだ。色々不安定になるのも仕方ない。それに背負う使命を思えば、焦る気持ちも分かる」
そう言って、師匠はポットから俺のカップにお茶を注いでくれた。
魔道具なのか、お茶はまだまだ熱さを保っていて、カップを手に口を近づけると視界が湯気に曇る。
「だからね、どうだい」
「なんですか?」
「……君のことを、話してくれないか? こういう時は自分を見つめなおすのが一番だと思うんだ。現に私もそうしてきたから、これは経験則なんだけど」
「師匠もですか? そっちの方が気になりますね」
「私の方は後のお楽しみってことで。さあ、茶飲み話だ。君の元になった君の話から、君の感じてきたこと、君という人間のことを教えてくれたまえ」
体がお茶で温まってきて、気分も解れてきた気がする。
隣に感じる師匠の体温も心地良い。
というか向かい合って座ってなくて良かった。
師匠の顔を見なくて済むから、自分のことを話す気恥ずかしさも少しは紛れる。
元となった斎藤遼、そしてこの世界に来てからのことを、俺は頭の中で反芻し始めた。





