110 北方領域 その二
管理棟の指令室に案内され、申し送りを済ませた。
ほとんどイリスさんにやってもらったが、内容は現状と要望の伝達である。
もちろん邪神の話は大っぴらには出していない。ヴェンデリン卿には軍の総帥から伝達済みであると聞いているが、文官さんは多分知らないからな。表面上は「迷宮踏破のための戦力徴発とその対価」に関する話になっていただろう。
それを終えると、次に俺たちは「面通し」をちゃんとやるために砦の修練場へと向かった。ヴェンデリン卿はさっきの決闘で完了したとか言ってたが、流石にノーカンである。ついでに言えば、傷痍兵の治癒も始めてしまおうと言う魂胆もあった。
兵士たちからはやはりと言うか、好意的な歓迎があった。
ガウムとの一戦はヴェンデリン卿の目論見通り、彼らに衝撃を与えたようである。
戦力を借り受けることについても「いつでも声をかけてくれ」と、非常に肯定的な反応を貰った。
まあ、当のガウムは終始むっつりとしていたけどな。
負けは認めたのか特に何も言ってこなかったのだが、逆に不気味なくらいおとなしくしていた。
トルギール砦での仕事は、これで完遂である。
申し送り、面通しに加えて、傷痍兵の治癒まで問題なく行うことができた。
傷痍兵の治癒までやったのはまあ、我ながらアルセイド公爵並のせっかちさだとは思う。
だが現状、俺自身の強化と言う点では一歩も前進していない訳だからな。多少急ぐのもむべなるかな。兵士たちからの評価も爆上がりしたし、これで今後、更に動きやすくなることだろう。
ちなみに、欠損治癒の対象となる傷痍兵の数がやけに多かったため、全員とまではいかなかった。
まだ北方領域でやることはあるから、残りは次回以降である。
治癒した元傷痍兵たちは他の砦に移送され、俺の評判を広めてもらう手筈になっている。俺が次の砦へ赴く前準備と言うわけだ。これで砦を移るたびに決闘なんてマネをしなくて済むようになるだろう。
さて。
そんな風にして急ぎ欠損治癒を行い、砦を転々とする前準備までして、俺が何をしたいのか。
理由はもちろん、御前会議で話した内容の通りである。
まずは後顧の憂いを断つ。邪神と相対しているときに後ろから魔獣に攻められてはおいしくない。決戦に臨む準備の第一段階として、「北方領域の安定」は必須事項だと言えるだろう。
そして次に戦力の強化だ。決戦部隊の人員の選別や錬成ができ、俺とトビーの修練にもなる。多人数での魔法戦闘への習熟も進められるだろう。後は実戦で魔法を使うことで、開発して欲しい魔法の要望をまとめたりとか、細分化して述べればキリがない。
とにかく北方領域の安定に寄与することで、これら複合的な目的を達成することができる、と言うことである。
では実際に、北方の安定のため、やろうとしていることとは何か。
それは「定期討伐」という、一大作戦行動への参加である。
北方駐留軍の日々の任務は、地域の哨戒と、山林からはぐれ出た魔獣を狩ることだ。しかしその最たる目的は、この定期討伐を年に一度遂行することにある。
定期討伐では、砦近くの平野部に魔獣をおびき寄せ、軍勢をもってそれらを討伐する。
わざわざ魔獣を誘引するなんて、無駄に危険を増やす行為にも感じられるだろう。ただどうやら、それをしようがしまいが、定期的に魔獣の軍勢は人間の領域を侵そうとやってくるらしい。
それならば、魔獣を誘引して戦うことには確かに多くの益がある。こちらのタイミングで始められれば準備もし放題だし、イニシアチブも取れるからな。多勢を展開できる平野を戦場に選べるのも大きい。
もちろん戦い自体の危険が取り除かれるわけではない。だが、この定期討伐によって、人間の領域はこれまで守られてきたのである。
北方の兵士たちが俺のことを認識し、今日を境にそれが広まり始める。
何かをやろうとしている人物がいる。そいつが定期討伐に参加したいらしい。
物資が動き、人が動き、いつもと違うことになっていると、兵士たちは気づくだろう。
その果てに、俺を中心戦力にした連続定期討伐が始まるのだ。
欠損治癒に沸く砦を後にしながら、俺は戦いの予感に気を引き締めるばかりであった。
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「はぁっ、やっぱり寒いな……」
砦の塀の上で当直の兵たちと決戦場を見守りながら、白い息を吐いた。
初めて北方の砦を訪れたから、はや二週間ほど。
第一砦での準備が整い、今朝から魔獣を誘引する餌を決戦場に配置し、敵を待つ時間を過ごしている。
「これでも暖かいみたいっすけどね、ここらじゃ」
トビーも外套の襟をかき寄せながら、体を震わせる。
北方領域は寒い地域だ。彼の言う通りこれでも暖かい時期ではあるらしいが、夕刻ともなればかなり冷え込んでくる。慣れている兵たちも焚火に体を寄せて暖を取っているくらいだ。まあ、俺たちと違って彼らは平気そうな顔をしているが。
「それにしても、ホントに実現しちまうとはなぁ」
そうぼやくガウムも寒さは平気そうだ。
さっきから望遠鏡で逐一森の辺縁部を確認している。
「そんなに意外か?」
「やりゃあできんじゃねえかって思ってな。まあ、そんくらいマジなのは伝わるがよ。今年ために進めてた準備もあんだろうが、それにしたって普通より三か月ははええぜ」
いつもは物資の調達や人員の配置などで、遅れることもしばしばらしい。
それを考えれば、今まさに開始されている第一砦の定期討伐は、異常なスピード感で準備が整えられたと言っていいだろう。
文官や司令部、ひいては王国としての本気度が伺える成果である。
ちなみにこの二週間で、定期討伐の準備以外にもいくらかの進捗があった。 例えばロミノの論文が異例のスピード承認されたり、俺が扱える理力魔法の数を増やしたりとかだ。もちろん北方の兵士との習熟訓練もしっかりと行った。欠損治癒も地道に数を増やし、しまいには他所から移送されてくる始末だ。
「つーかさっきからちょこちょこ忙しねーんだよ。そんなにビビってんのか?」
「ああ? なんだトビー、おめーこそビビってんじゃねーのか? ごちゃごちゃ言ってねーでどっしり構えてろや」
「はあ? おめえコラ、調子こいてんじゃねーぞ」
ケンカ腰でやり取りするトビーとガウムももはや見慣れた感じだ。
ガウムにはトビーの修練に付き合ってもらったのだが、俺が他のことで方々行ったり来たりしている間に、気づいたらこんな関係性になっていた。
最初は本当にケンカしてるんじゃないかと思ったが、どうもトビーがガウムを一方的にライバル視しているらしい。確かにスキル構成も盾持ち片手武器で似通っているし、対魔物に関する経験値はガウムに一日の長がある。
王都駐留軍に鍛えてもらう手筈もあったが、ガウムとの修練を優先したのはトビー自身だ。それくらい彼にとって得られるものが大きかったということだろう。
そして。
確かにその選択は正しかったようで、トビーのスキルはこの短期間に伸びを見せていた。
【ステータス画面】
名前:トビー・ステイン
年齢:24
性別:男
職業:戦士(34)
スキル:片手武器(7)、斥候(6)、盾使い(8)、剣使い(7)、体術(6)(SP残1)
見ての通り盾使いのスキルがレベル8となっている。
ここまでくると本気で達人級だ。ズーグの槍使いのレベルだって8だったわけだしな。もう一つ上がれば魔装術が扱えるレベルである。
こんな短期間でよくぞ、と言う感じだが、毎日上級回復が必要なくらい怪我をしてくるので、厳しい訓練だったことは想像に難くない。
このレベルの伸びは、彼の努力の結果と言えるだろう。
「それぐらいにしとけって。他の連中も見てるぞ」
「すいやせん」
「……けっ」
ガウムもこの二週間で俺に三回くらいボコられてるからか、大体言うことは聞いてくれるようになっている。
リベンジ戦は俺の近接魔法戦闘の修練にもなってちょうど良かった。流石にガウムくらいの相手に初見殺し的な小盾阻害戦法は、どんどん効果が薄くなっていくからな。
ちなみにガウムも俺を倒すために色々やってはいたが、芸のない突撃をされるのが意外と対応に苦心する戦法だった。
やっぱり瞬間的な打撃力が俺には欠如しているのだ。
もちろん完全熱量転換をぶつければ勝つのは容易いが、それが通じない相手がいることは試練で重々身に染みている。師匠たちが開発している新しい魔法の完成を待つばかりである。
「それにしても、意外と動きが無いもんだな。もう半日は経ってるだろ」
「そう急くなよ、餌にたっぷり詰めた魔石が、大物をそのうち引き寄せてくるさ。まあその前に山ほど小物を追い立ててくるだろうけどな」
多くの魔獣を配下に置く(あるいは単に行動を制限できる)ような魔獣は、魔力の高い生物を捕食することを好むらしい。それで準備されたのが、胃に魔石をしこたま詰めた草食獣の死骸と言うわけだ。
もちろんそうした大物の魔物は警戒心が強く、開けた決戦場の餌を自身だけで取りに来たりはしない。先ぶれとして小物の魔獣を使い、こちらの様子を見て襲撃を掛けてくるのだという。
そうした魔獣の作戦を全て跳ね返すのが、この「定期討伐」の概要なのである。
向こうの作戦とこちらの準備。どちらが上かの力比べと言うわけだ。
そしてその力比べに、人類は一度も敗北せず、生活領域を守り続けているのである。
ガウムの返答には淀みが無く、望遠鏡を覗く所作にも油断は無い。
それでいてどこか力の抜けた振る舞いは、定期討伐を何度も潜り抜けてきた経験によるものだろう。
俺なんかは一度説明を受けたにもかかわらず、妙に緊張してたりするんだが。
まあ、それも戦闘が始まるまでか。
始まってしまえば、俺も一人の戦士として振る舞うことができるだろう。
迷宮での試練で、文字通り死ぬほど戦闘を経験したわけだしな。
「そうら、やってきやがったぜ」
事も無げにガウムが言うのと同時、甲高いラッパの音が響いた。
定期討伐の開始を告げる音色が砦に響き渡り、先に休息を取っていた兵たちを叩き起こす。
逢魔が時とはよく言ったものだ。
魔獣はこちらの夜目が効かないことを理解しているのだろう。
森の辺縁部の闇。それがまるで蠢くように広がっていく。
あの闇がすべて魔獣と言うことか。
火矢が飛び、準備されていた篝火が灯る。
地面に埋め込まれた魔道具も遠隔作動されて淡い光を放ち始めた。
さあ、戦いだ。
薄暗がりの中で、第一砦での定期討伐の火蓋が、切って落とされた。