109 北方領域 その一
イリス・ミレニアは王家付きの文官である。
出自は平民ではあるが、生まれも育ちも王都で魔法学園にも通い、次席で卒業した才媛だ。
現在では王家の補佐もそつなくこなし、将来の宰相候補などと早計な評価を貰ったりもする。彼女の人生には汚点一つもなく、あえて挙げるとするなら魔法学園で主席を同年代の女子に譲ったことだろうか。その相手は現在学会の権威に囲まれてなお才覚を発揮し、先ごろの学会ではちょっとした騒ぎになるほど、優れた魔法理論を組み上げた人物だったりする。
それはさておき。
場所はマイトリスの領主館。彼女は濃紺の長髪をポニーテルに結い、今日も隙の無い出で立ちで、とある人物(とその従者)を迎えていた。
「お待ちしておりました、リョウ様」
「おはようございます、イリスさん。あ、いや、ごきげんようと言った方が良かったですかね……?」
「ふふふ、そうですね。その方が挨拶としては望ましいでしょう。叙勲の式も近いですし、第一声に気を付けると素早く身に付くと思いますよ」
その人物の気の抜けた対応に、自然とイリスの頬が緩む。
彼は聖騎士と言う前代未聞の地位が内定しているとんでもない人物なのだが、ご覧の通り人格としては平凡そのものだ。多少飄々としたところもあるが、「叙勲に向けて言葉使いを正したい」と依頼してきた通り、常識的な人柄をしている。
まあ、もともとそこまで貴族的な言葉を話せない人物ではない。特殊な地位と言うこともあって、さほど気にするほどでもないとイリスは考えている。だから当人が「自分が貴族っぽく話すと芝居がかってしまう」と言うように、意識づけの手伝いをしている程度であった。
「じゃあ、早速ですけど転移部屋へ向かいましょう」
「承知いたしました。ご案内いたします」
と、転移魔法を扱うための部屋への案内を開始する。
彼の場合は何度も利用したことがあるので、単に先導するだけではあるが。
今日の予定は北方領域への申し送りと、向こうの戦力との面通しだ。イリスは移動の間にそれを簡単に(あくまで確認として)伝え、特段リョウからの質問も無く、転移部屋へとたどり着いた。
転移部屋は転移魔法を合法的に行使しても良い空間で、転移先も王国各所に設置された転移部屋のみと定められている。そもそも時空間系の魔法を行使できる魔法使いは限られるが、国防のために設けられた制限だと言える。
「外からカギを掛けられるのは、やっぱり慣れませんねえ」
そんなことを言うリョウに、イリスは横目でちらりと視線をやった。
この平凡な青年が、こうした制限が無ければ魔法であらゆる場所に移動してのけるのだ。以前にわずか半日で王国を横断したと聞いて、彼女も大層驚いたものである。
「それでは行きましょうか。リョウ様、よろしくお願いいたします」
そんな内心をおくびにも出さず、イリスはリョウを促した。
そしてリョウの魔法が発動され、わずかな不快感を残す一瞬の間を経て、イリスたちは異なる部屋に転移を完了した。
もうそこは北方領域である。
魔獣たちが人間の領域を侵犯する、その最前線。
イリスが初めてここに来たのは、学生時の素材収集のためだった。あとは王子の慰安に同伴したりと、仕事のために複数回訪問の経験がある。
彼女は王国の全国民の中では、比較的多く北方を訪れている部類に入るだろう。
それくらい、北部以外の人間にとっては、酷く縁が薄い土地なのである。
北方領域の転移部屋は砦が破壊された時に備え、砦から少し離して建てられた小屋の中にある。
彼らが転移部屋から出て、更に小屋の外に出ると、唐突にリョウが「転移部屋を抜けるとそこは雪国だった」と呟いた。少し冷めた口調と表情で、彼にはあまりそぐわない。何かを思い出すような呟きであった。
「なにか、雪に思い出でも?」
「いえ、特には。気にしないでください」
そう苦笑してはぐらかすので特に追及もせず、イリスは彼らを連れて北方領域第一の砦、トルギール砦へと足を向けた。
「あれ、門が開いてますね、珍しい」
「そうなんですか?」
「ええ、いつもは通用口から入るんですが……。まあ管理棟への近道になるんで、こちらから入りましょうか」
いつもと違う砦の様子を不思議に思いながら門をくぐる。すると門の先にある広場に多数の兵の姿があった。加えて塀の上などそこかしこから、多くの兵士たちが顔をのぞかせている。
「おいあれ、例の探索者じゃねーか?」
「あれがか? バンダナの方じゃねーの?」
リョウを一目見ようと集まったのだろうか。
イリスたちはそんなざわめきに囲まれる。
砦に付いたらまずは管理棟で文官に申し送り、とそんな風に考えていたイリスは、人の壁で進むに進めず、顔を顰めた。
「貴方がた、いったい何なのです? これが挨拶に伺った方への、北方での出迎えなのですか?」
イリスにしてはかなり強い口調であったが、妙齢の女性に言われたところでさしたる効果は無い。普段からもっと恐ろしい魔獣たちと接している兵士たちには、彼女の恫喝など、小鳥のさえずりと変わりはないのだ。
その後、どれだけイリスが言葉を重ねようと無駄であった。
逆に野次のような言葉が飛び交い始め、どうしたものかと嘆息した、その時である。
「おいおい、みんな! お嬢さんが困ってんだろうが! 少しは話を聞いてやろうぜ!」
人垣をかき分けるように、巨躯の男が大声を上げて前に進み出てきた。
鋭い目つき、燃えるような赤毛。頭髪をひっつめて後ろで束ねているが、毛が太いのか毛質なのか、毛先が爆発したように広がっている。とにかく野卑な印象を受ける男であった。
「……貴方は?」
「俺は最近ここに配属されたガウムってんだ。今はここの先鋒部隊の隊長をやらしてもらってる」
北方領域における先鋒部隊とは、その砦の最強部隊のことを指す。
その長ともなれば実力は折り紙付き。しかも目の前の男は体格もそうだが、重厚なプレートメイル、巨大な片手斧、そして肩の上から腕の先までを覆う紡錘形の盾など、装備も一流のものを身に着けているように見える。
「そ、その装備は?」
「まあ気にすんなよお嬢さん。俺はちょいとこいつに用があるだけなんだ」
「俺か?」
ガウムの視線に応じるように、リョウが一歩前に出る。
「はじめまして、探索者殿。ご機嫌はいかがかな?」
「すこぶる悪いな。歓迎が上等すぎて俺には合わないみたいだ」
「ほう、そうかい。でもまあそう言わずによ。俺からの歓迎も、もらってくれねえか?」
荒い口調のガウムに、同じ口調でリョウが返す。
当初より丁寧な対応だったリョウの別の顔に、イリスは少し困惑した。だがそれよりも、この大柄な男が完全装備で目の前に現れた理由が良くないものであると、そのやり取りが示しているのではないか。そう彼女が確信に似た推測をし、それを問い詰めようしたその時、
「……え? きゃあっ!」
無造作な仕草だった。
最初は紡錘形の盾の先端で、リョウを指し示そうとしたかに見えた。
攻撃として盾が振るわれたと知り悲鳴を上げたのは、ガウムが盾を振り終えた後であった。
そして、追いつくように認識する。
ガギッと金属のぶつかる音。
横方向に吹き飛ばされるリョウ。
ガウムが渾身の力で盾を振るったのだ。
纏う光は魔装術のそれに違いない。
その直撃を受けたリョウは、広場に積み上げられた薪の山に突っ込んでいった。薪に埋もれて見えないリョウからの反応は無く、崩れた薪が乾いた音を立ててカラカラと落ちる。
「……あ、あ、貴方! な、何をやっているんですか! あの方を敵だとでも思ったのですか!? いえ、それよりもっ……なんです?!」
激昂して喚き散らすイリスは、肩をぽん、と叩かれて苛ただしげに振り向いた。
そこにはリョウの従者トビーが立っていて、気楽な様子でこう言った。
「イリスさん、大丈夫っすよ。ご主人は無事っす。……と言うか、やべえ攻撃だったら俺が通すわけないでしょ」
「てめえ、言うじゃねえか。そのご主人サマはすっ飛ばされて反応がねぇみてえだけどよ? 今ので死んじまったんじゃねえか?」
「んなわけねーだろが。どうせ受けをミスったの反省してるとかそんなんだよ」
「なんだそりゃあ? てめえ舐めてんのもいいかげんに、ってなんだ!?」
もうここまでくると、立て続けに起こる展開に、イリスは追いつくの精いっぱいである。今度は何かとガウムの視線を追えば、薪の山が爆発するようにはじけ飛び、白い光を帯びた何かがこちらに跳躍してくるのが見えた。
その何かが、光の残影を残すようにしてイリスたちの近くに着地する。
「っと。……あーいってぇ! ミスったわ、マジで」
「遅いお帰りっすね」
「うるせー」
白い光を帯びた何かは、やはりと言うかリョウであった。
体の調子を確かめるように、剣を持った肩を回し、ゴキゴキと首を鳴らしている。
「り、リョウ……様? あの……」
「あー、すいません、イリスさん。ちょっとこいつと話があるんで、適当にトビーと下がっといてもらっていいですか?」
質問を封じるように言ったリョウの語調は強かった。
いつもと違うリョウの様子に、イリスはコクコクと頷くしかなかった。
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あー、もう色々と、本当に。
本っ当に、想定内だ。
想定内過ぎてビビったわ。
調整で方々を飛び回っていた時、王子殿下に「第一砦にやたら血の気の多いやつが居る」とは聞いてたんだよな。名前もどんな地位なのかも聞いてたし、そいつと会えば決闘みたいなことをさせられる可能性も聞いていたのだ。
「ったく、ほんとに聞いてた通りのやつだな、お前」
「なんだと?」
「俺が一歩前に出たから良かったものの、あんな距離でぶちかましやがって……イリスさんに当たったらどうするつもりだったんだ」
「俺様がそんなもんミスるわけねえだろ」
ガウムは自信満々に言った。
だが、その言葉に偽りがないことは看破の内容からも確かに分かる。
【ステータス画面】
名前:ガウム・スタット
年齢:24
性別:男
職業:戦士(24)
スキル:拳闘術(2)、片手武器(9)、盾使い(5)、斧使い(6)、体術(2)(SP残0)
バーランド師範と同等の総合レベルに加え、魔装術を扱える技能レベル9がひとつ。立派なものである。総合レベルはトビーよりは低いが、体格的な有利もあるし、一対一で戦えば勝つのはガウムだろう。
だが、悪いがそれで俺に勝てるわけではない。
「初撃で倒せなかったのは運が無かったな」
「なに?」
彼が俺に勝つには、初撃で俺を殺す、くらいしないとダメだった。
だがお優しくも彼は手加減してくれたようだ。
さっきの一撃が斧ではなく盾による打撃だったことがその証左だ。
「歓迎してくれるんだろ? ほら、こいよ」
トビーがイリスさんを連れて下がったのを視界の端に捉え、俺はガウムを挑発した。
それに激昂したガウムが今度は斧の一撃を振るうが、
「おらあっ!」
「ぜああぁぁっ!」
すでに神息の付与された斬撃をぶつけ、衝撃を相殺する。
「なにっ!」
「武具精製ッ」
盾を生成して装備しつつ、更に斬撃を繰り出す。
ガウムは俺が近接の間合いから一歩も引かないことに面食らっていたが、受けに回ったのも数撃、魔装術の光を滾らせて斧を振るい始めた。
「武具精製、そらどうだ、邪魔だろ?」
「ぐっ、てめえっクソがっ!」
だが、近接の間合いで踏み込む先に、武器を振るう脇の間に、視界を遮るように。俺が生み出し続ける小さな魔法の盾が、その動きを阻害する。
俺があの迷宮の底でどれだけの戦いを潜り抜けてきたと思っているんだ。
自分より近接技能が高い相手だっていた。暴力的な力を持つ相手もいた。自分よりはるかに大きい相手、様々な特殊能力を持つ相手だっていた。
それらをすべて打ち倒して、今の俺が居るのだ。
魔装術が使える程度のただの戦士に後れを取ることなんてありえない。
幾度も振るわれる斧にはすでに殺傷力が篭っている。だが、体格差と技量差はブレスと小盾、そして試練での経験で埋められる範囲内だ。
「近接戦闘はお嫌いか? じゃあこれはどうだ」
俺はガウムの攻撃を軽く回避したのち、後ろに跳躍して間合いを取った。そして間を置かず魔導槍の連射を始める。
そしてガウムが結構キツそうだったので、すぐに魔法矢へと 切り替えた。
この戦いは、デモンストレーションなのだ。
王子殿下に決闘を挑まれる可能性を聞いた時、それをダシにして力を示してもいいかと尋ね、許可ももらっている。
だから最初に吸収みたいな初見殺しはやらなかった。
エナジージャベリンをマジックボルトに切り替えたのも同じ理由である。簡単な攻めで押し切られてしまったら困るからな。
「この野郎っ! 馬鹿にしやがって!」
マジックボルトの連射を盾で凌ぎながらガウムが突撃してくる。
威力は数段劣るとはいえ、連射性能はこっちが上だし、あれでも結構圧力はあるはずなんだが。流石に魔装術を使えるレベルと言うことなのだろう。
ただまあ、それだけと言えばそれだけの話である。
「クリメ……じゃなくてええっと……雷拘束!」
俺は反射的に火葬をぶつけそうになり、すんでの所で取りやめて別の魔法を再構築した。
いやーあぶない……。つい癖で殺しかけるところだった。
重ねて言うがこれはデモンストレーションなのだ。
そこまでしては意味がない。
ちなみに突進に対しての回避+クリメイションと言う選択。これは試練でどれほど多用したか分からないほど良コスパ、かつ隙の少ない戦闘行動なのである。クリメイションの炎熱を敵が振り払ってる間に魔法で拘束、ドレイン、そしてパーフェクトコンバージョンと繋げるのが試練で使っていたセオリーだった。
だが、今ここでそんな殺意の高いことをするわけにもいかない。
上手く切り替えられて一安心である。
「魔導槍!」
「ぐはぁっ!」
「魔法拡大、呪文強化、氷棺!」
俺は拘束されたガウムにエナジージャベリンを直撃させ、ひるんだところにアイスコフィンで下半身を氷漬けにした。
彼には悪いが戦いはここらで終了とさせてもらうことにしよう。
「くっそがぁ!」
ガウムはまだ戦意がありそうだけどな。
ブレス込みで強化まで乗せた魔法の氷だから、変な体勢から斧を叩きつけたくらいじゃ破壊できまい。
「勝負あり……ですね」
もがくガウムをどうしようかと眺めていると、そんなことを言いながら進み出てくる者が居た。
口髭を蓄えた茶髪の紳士。看破をすると貴族であるらしい。彼が頬のこけた中年を引き連れてこちらに歩いてくる。
ステータス画面に並ぶスキルは近接技能に加えて指揮、政治、魔法と言った感じだな。多分この人はこの砦の指揮官だろう。とすると後ろの中年はイリスさんの言っていた文官だろうか。
「俺の勝ちにしてもらっていいですかね。これ以上やると怪我じゃ済まないと思いますよ。まあ、死んでなければ治しますが」
「ああそうか、神聖魔法も使えるのでしたね。もちろん貴方の勝ちで、決闘は終了といたしましょう。こちらも十分目的は果たせました」
「おい! 俺はまだ負けてねぇぞ!」
喚き散らす大男を無視して、貴族の男……シルーグ・ヴェンデリンが右手をすっと上げる。すると成り行きを見守っていた兵士たちがぞろぞろと、ガウムのところに集まってきた。
「おいお前ら! 寄ってくんじゃねえ、負けてねぇっつってんだろうが!」
「いや大将、どう考えてもコレは負けでしょうよ」
そんな感じでピッケルを持った兵士たちが氷をガツガツと破壊していく。
普通の氷とは思えない硬さに驚きの声が上がったりしているが、それはさておき。
「自己紹介が遅れました。私はシルーグ・ヴェンデリン。この砦の指揮官をしております。以後お見知りおきを」
丁寧な挨拶と共に語られた自己紹介は看破で予測した通りだ。
決闘騒ぎは俺も利用しようと目論んだとはいえ、責任者であるはずの彼はあまり悪びれた様子はない。さっきも目的は達したとかなんとか言ってたしな。なんか癖のありそうな人物である。
「これはご丁寧に。リョウ・サイトウと申します。こちらには情報の申し送りと、戦力を借り受けるための面通しに伺った次第です……が、予定が少し変わったようですね」
「いえ、予定していた面通しは今この通り、完了いたしました。申し送りとは前後しましたが、予定通りです」
「ほう、予定通りですか」
「ええ。荒っぽい土地柄ゆえ、ご無礼は平にご容赦を。ですが、兵たちへの演説よりはこちらの方がお気に召すかと思いまして」
俺の当てこすりにも動じずコレである。
まあ、確かに兵士たちの前であれこれ話して戦力の供出を依頼する、なんてのは俺に向いた仕事とは言い難いな。兵士たちへの効果も高いし、要した時間も短いし、悪い面はイリスさんがびっくりさせられたことくらいだろうか。
彼女は才媛らしいから(アルメリアさん談)、こういう荒っぽいやり取りに巻き込まれてちょっと可哀そうである。
「ウチの兵士たちは脳き……戦う力が取り柄のものばかりですから。納得を力で勝ち得ることができる人物になら、喜んで従うでしょう」
今「脳筋」って言いかけやがったなこの人。
彼には彼なりの苦労がありそうだ。
とにかく、色々起こりはしたが不思議とコトは進んだようだ。
あとは状況を申し送りして、時間が余るなら傷痍兵の治癒を始めてもいいかもしれない。
「それでは、ここは他の兵たちに預けて指令室まで案内いたしましょう。後回しにした方の仕事を片付けなければなりませんからね」
呆然とするイリスさんを連れ、ヴェンデリン卿直々の案内を受けて、俺たちはトルギール砦の管理棟へと向かうこととなった。
砦に入った後もずっと、ガウムの雄叫びは寒空に響いていた。
砦に居るどの兵士もそれに一切気を留めていないのが、少し可笑しかった。