102 魂魄魔法使いの討伐その六
ぶちりと、肉の裂ける音がした。
「く、くくく……」
体が白熱し燃え盛っているにもかかわらず、カステリオンが不気味な嗤い声をあげる。
首を大きく傾げるような体勢。
その首の付け根には、炎よりもさらに赤い、真紅の裂け目ができている。
『くくく……これはあんまり使いたく無かったんだけどねえ。こうなっては仕方がないかなあ』
次に聞こえたのは声ではない。
くぐもった音がその裂け目から聞こえてきた。
ビリビリと肉が割り裂かれる。
真っ赤な飛沫を撒き散らしながら中身が飛び出してくる。
「な、なんだと……」
それは人の体の中に入っていたとは思えないサイズの、巨大な肉の塊であった。
肉塊は脱ぎ捨てたカステリオンの体を吸収し、ぼこぼこと蠢き膨れ上がってゆく。
「そ、外から何か来ますっ!」
背後で、部屋の外を見張っていた兵士が叫んだ。
今度はなんだと振り返ると、青白い火の玉のようなものが壁をすり抜け、次々と部屋に侵入してくるのが見える。
とんでもない数だ。
それらは導かれるようにして流れ、行き先を目で追えば最後には肉塊へと吸収されていく。
これもやつの唱えたソウルミューテイションという呪文の効果なのか?
呪文の名から魂に関連するものだと想像はできる。であればこの青白い火の玉が人の魂だとでもいうのだろうか。そうだとして、これだけの数を一体どこから……。
「完全熱量転換!」
思考を巡らせながら俺は呪文を放った。
疑問は残ったままだったが、ヤツの呪文が成立するのを待つ必要は無い。
他の魔法兵も同様に判断したか、次々と放たれた攻撃魔法が殺到する。
しかし魔法の弾幕は、カステリオンだった肉塊に届く前に、寄り集まった魂に着弾してしまう。
『ぎゃああああああぁっ!』
『熱い! 熱いいいぃぃぃ!』
『お、俺は死んだんじゃ無いのかよぉっ! 助けてくれぇっ!』
白熱する火の玉からノイズの混じった絶叫があがった。
生々しい男達の声。
『ははははは! 死んだ死んだ! 死んだ傭兵達がまた死んだ! 可哀想なことをするねえ、君達は!』
「お前……何をした!」
哄笑をあげるカステリオンに兵士の一人が問うと、肉塊にヤツの顔がぼこりと浮かび上がった。
「何って……? 今日死んだ、死にたてほやほやの傭兵達の魂を集めただけさあ。捕虜とかになって死に損なったやつが居たから、そいつらみんな殺すのにちょっと時間が掛かっちゃったけどねえ」
「馬鹿な! 死体は処理したはずだぞ! それに捕虜だと!?」
「そりゃあ彼らを集めた時から呪文を仕込んでおいたからね。彼らの魂は、死んだ瞬間に肉体から離れ、しかるべき時に僕のところに回収される仕組みだったのさ。死にぞこないを殺すための術式も、ちゃーんと仕込んでおいたし、資源は無駄なく活用しないとねえ?」
魂を吸収しながら、カステリオンは異形の姿をとって立ち上がった。
体高は人の二倍ほど。四本の太い足が地を踏みしめ、それに支えられた上半身からは、八本の長い触腕が伸びている。体表には傭兵達と思しき顔がひしめき合うように浮かび上がり、口々に悲痛な声をあげていた。
「化け物め……」
トビーが呟くように言った。
おぞましい呪文の効果に対する混乱や動揺は一瞬のことで、戦闘が再開される。
「これ以上何かやらせるなっ!」
「うおおおおっ!」
「ぜりゃあ!」
号令を受けて、剣兵が切り込む。
魔法による火力が集中する。
それらの攻撃は、ダメージを肩代わりする傭兵たちの苦悶の声と共に、半ばかき消されてゆく。
残りの攻撃は、直前の軽口はどこへやら、無表情のカステリオンが触腕を振るって迎撃していった。
触腕はドレイン系のデバフを付与できるらしく、近接域では厳しい戦いになっている。
一方で遠距離攻撃は、これまでと違いほとんど妨害を受けておらず、魔法でも弓矢でも、着実にダメージを積み重ねているように見える。
後方から支援と回復を行いながら、俺は変貌したカステリオンとの戦況を観察していた。
「生体探査、魔法探査」
探査系の魔法を使えば、どうやらあの状態がやつにとって最後の手段であるらしいことが理解できる。取り込んだ死者達をダメージの肩代わりと魔力の補填に使っているようだが、それも消耗するばかりで先が無い。
パーフェクトコンバージョンは実際のところ、相当に効いたと見て良いだろう。現に今も俺がパーフェクトコンバージョンを打ち込めば、真っ先に触腕で撃ち落とし、熱量が全身に巡る前に触腕を自ら切り落としている。
触腕は再生すると言っても、再生にも魔力は消費される。
やつがジリ貧であることは間違いないはずだ。
だが。
「あの魔力の動き……」
減りゆくカステリオンの魔力が、妙な動きを見せている。
恐らくは何らかの術式を構築し、発動に向けて魔力が練り上げられているのだ。
「迎撃はこちらでも対応します」
「分かりました。私が先手を」
参謀と短く交わして、俺は再びカステリオンの眼前へと立った。
「悪だくみは済んだのかい?」
「悪だくみはお前の方だろう。何をするつもりか知らないが、好きにさせると思ってるのか?」
「さてね。させるかさせないか、できるかできないか……君らがどうかは関係ないのさ、この呪文にはね」
カステリオンはどこか疲れたような調子で言った。
これまでとは様子が明らかに異なる。
話す余力すら無いとでも言うのだろうか。
俺を含め、今なおカステリオンへの攻勢は続いている。向こうはじり貧だが、攻撃の圧力はこれまでとそう変わらない。であればやつが軽口を叩けない程に、思考力を使う魔法ということなのだろう。
俺はそう判断し、余力を放出して一気に圧力を上げる決意を固めた。
魔法の発動に意識が行っている今ならば、全力の魔法を叩きつける隙があるかもしれない。
後詰は魔法兵に丸投げだ。カウンターマジックかパーフェクトキャンセレーションか、いずれにしても体内で発動する自己強化でない限り、発動した魔法を迎撃する準備はできている。
もし自己強化をしたならば、俺の放った魔法が直撃することになる。白竜すら焼き尽くした俺の魔法だ。力比べをして負けないくらいの自信はある。
かくして、戦いの趨勢を決める魔法の打ち合いは俺が先手となった。
カステリオンが応じるように魔法を起動させ、魔法兵がそれに応じる。
それぞれが最後とばかりに放出した魔力が、奔流となって空間を吹き荒らした。
「完全熱量転換ッ!」
「対抗魔法!」
呪文と術者と。
両者を攻撃する魔法が、呪文の成立を阻まんと殺到する。
しかし……、
「……欠け落ちよ」
高まった魔力とは裏腹に、呟くように紡がれたカステリオンの呪文が、周囲の空気を完全に変えてしまった。
「遍く運よ、遍く未来よ、欠けて落ちゆき滅ぶべし」
呪文が言葉として世界に放たれるごとに、空気自身がどろりと重さを増したように感じた。
空間を満たしていた魔力が、発動を目前にした魔法が、まるで存在を許されないかのように、いともたやすく掻き消けされていく。
「がぁッ……」
「ぐ、ぐうっ……」
後には空間に満ちる、この異様な重圧だけが残った。
周囲の兵士たちが重さに耐えかねるように膝を屈していく。
その重圧が実際に体に掛かる重しであると、俺は最初認識してはいなかった。
だが兵士たちが膝を折り立ち上がれないのを見るに、肉体に掛かる物理的な力ということなのだろうか。俺に対しそれほど影響が出ていないのは不思議だが、これまでの例からも、この身の魔法耐性がべらぼうに高いのは知っている。今俺が立ったままでいられるのは、恐らくそれが理由だろう。
「さあて、これで終わりだ」
カステリオンはゆっくりと触腕をもたげさせる。
動いている触腕は一本。他は力なく垂れ下がっている。カステリオン自身も眉間にしわを寄せ、何かに耐えるような表情を浮かべている。
「これは……自爆技か? 切り札の切り方がお前と同じってのは、あんまりいい気分じゃないな」
「ふん、君はまだ動けるようだね。流石の魔法耐性だ……と、言いたいところだけど、軽口を叩けるのも時間の問題さ」
カステリオンが倒れた兵士を狙って触腕を振るう。
俺は剣を抜き、クリエイトウェポンで盾を呼び出しながらフォローに回った。
「くそっ、動きが……」
やつの呪文による重圧のせいか、自身の動きの鈍さに歯噛みする。
まるで強い疲労か、あるいは筋肉痛を抱えている時のようだ。
何とか一撃目は弾き返したが、体勢が崩れた。
テレキネシスで魔法の盾を操るが、激しい追撃に晒されて防御が間に合わない。
デバフの掛かった触腕にしたたかに腿や肩を打ち据えられる。
「ぐうっ、ひ、回復……!」
攻撃が一時止んだ隙に、即座に回復魔法を唱える。
打ち込まれた弱体魔法に形勢が不利に傾くのを感じた。
「なっ、馬鹿な……っ!」
しかし、盾を構えなおした俺が見たのは、驚愕に目を見開くカステリオンの姿だった。
「なぜだ! なぜそれほど動ける! それに魔法だと!? 盾を取った時は何かの間違いだと思ったが、回復魔法まで唱えやがった……!」
突然声を荒らげながら、カステリオンが触腕を振り回す。
俺はその攻撃を防ぐのに精一杯で、どちらが優勢かは火を見るよりも明らかだろう。
しかしそんな現実とは裏腹に、今のやつは一切の落ち着きを失っている。
これまで戦いの中にあって、ヘラヘラと薄気味の悪い笑みを絶やさなかったカステリオン。ソウルミューテイションを唱えた後は余裕が無い様子だったが、それでも自身の呪文への自信はありありと感じられた。
それが今、俺が魔法を唱えたと知っただけでこの有様だ。
一体何が、と言いたいところだが、原因は嫌でも理解できる。
先ほど唱えた欠け落ちよで始まる呪文。
それによって得られるはずの効果が、俺に及んでいないことが信じられないのだろう。
それほどに、やつにとってあの呪文は重要なものだということか。
「俺の魔法耐性を甘く見たようだな。どんな呪文かは知らないが、それはさっきお前が自分で……」
「そんなわけがないだろう!」
俺の言葉を遮るようにカステリオンが喚いた。
「魔法耐性だと!? あの呪文がそんなチャチなもので遮られるものかよ! あの呪文はなあ! 我が一族の研究の集大成なんだぞ! それをお前、お前なんかに!」
その様子はまさに狂ったと言った様子で、口角には泡すら浮かんでいる。
「あの魔法は存在が持つ運を欠落させるんだ、あらゆる未来の可能性を内包した、神に与えられた祝福を……。僕の、僕の最高の呪文なんだぞ……それを魔法耐性ごときが防ぐなんて、そんなことありえないんだ……」
ブツブツと早口につぶやき続けるカステリオン。
俺はその姿を見ながら、やつが口走った言葉に引っ掛かりを覚えた。
可能性?
神に与えられた祝福?
ふと気になって、俺はステータス画面を開いた。
【ステータス画面】
名前:サイトウ・リョウ
年齢:25
性別:男
職業:才能の器(63)
スキル:斥候(1)、片手武器(3)、理力魔法(8)、鑑定(1)、神聖魔法(5)、魂魄魔法(3)、看破(4)、体術(4)、並列思考(5)、射撃(5)、空間把握(5)、盾使い(2)、情報処理(3)、剣使い(3)、錬金術(1)(SP残0)
「これは……?」
運の欠落、やつの言葉を使って言い換えれば可能性の喪失か。
それによって技能レベルの低下が引き起こされている?
それで魔法が掻き消え、動けなくなるほどの結果が引き起こされるというのだろうか。
周囲にも目を配ってみれば、確かに兵士たちの技能も軒並みレベル1~2まで低下しているが……。
いや、技能レベルの閲覧は、俺が発現させた『才能の器』の機能のひとつに過ぎない。
目に見えている部分は技能レベルの低下だけだが、それ以外にも欠落したものはあるのだろう。
そもそも可能性を喪失した人間に、どのような影響がでるかなんて、正確に判断できるはずもない。
だが理解できたこともある。
神の祝福である『可能性』に影響を与えるあの魔法は、俺には間違いなく効果が薄いのだということだ。
なんと言っても俺の中にある『可能性』は、才能の器という疑似的なもの。創造主と大地の精霊によって作られ、後付けで与えられたものなのだから。
ならば、今度こそ終わりにできる。
あの呪文はカステリオンにも影響を及ぼしている。
俺の能力も低下しているとは言え、あいつほどではないだろう。
俺はステータス画面で確認した、低下した技能から、カステリオンを滅ぼすための呪文を選び出す。
「理力魔法がレベル8なのは助かった。これも自力習得のお陰ってやつかな」
そう呟いて、構築したのは当然「完全熱量転換」だ。
師匠の指導の下、自分の努力だけで習得した魔法。
最初から最後までこの魔法にはお世話になりっぱなしだな。
魔法強化と魔法誘導は、ラックの影響か同時には唱えられなさそうだ。
ここは威力重視で魔法強化がいいだろう。
俺は盾を捨て、左手を前に向けた。
カステリオンは顔を振り回しながら、いまだにブツブツと続けている。
「じゅ、術式に不備があったのか?」
「た、確かにまだ完成したわけじゃあない」
「でも僕の理論は間違ってないはずだ」
「もう一度だ。もう一度最初から計算しなおして」
「またなのか? 何度ゼロからやり直せばいい」
「何年掛けたと思ってる、いくつ素体を無駄にしたと思ってるんだ」
「体をまた乗り換えなくちゃならないのか?」
「次は自我が残ってるかなんて」
「やりやがったな、クソ野郎」
「お前にも」
「僕は証明するんだ」
「僕は役立たずなんかじゃない」
「絶対にあいつらを見返して……」
いつの間にか、体表に浮かぶ虚ろな顔の傭兵たちすらも、やつと同じ呟きを繰り返すようになっていた。
相当の難敵だったが、まさかこんな風に崩れるとは。
だがやつにしてもそれだけ乾坤一擲、自信のある魔法だったということだろう。
「だとしても、これで終わりだ」
放たれた魔法は違わず着弾し、再びカステリオンの体が白熱し始める。
例によって復活するんじゃないかと身構えていた俺をよそに、やつはそのまま蹲るようにして膝を折り、最後には炭へと姿を変えた。
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