第815話
あの後すぐ、ラークは屋敷を発った。
婚約を破棄するための準備だとかで、しばらく会えそうもない。
急に呼びつけてロクな説明もせずに話を進めるとは失礼な話だが、今の俺は執事という立場上、ぞんざいに扱われても仕方のない部分はあるので、今は何も言わないでおこう。
それともう一つ、実は俺とラビ以外にも、爺さんの正体を見破っていた人物がいた。
そう、リンフィアだ。
よくよく考えると、リンフィアとラビはルナラージャでも神威による精神操作を受けていなかった。
あれは確か、メルキアだったか。
飴玉の存在を始めて知った、奴隷達の居住区の出来事が強く印象に残っている。
当時俺は別行動を取っていたので、この二人がいなければ、まともに街の調査が出来なかったであろう。
しかし、リンフィアのことは万一に備えて伏せておく事にした。
その方があとあと都合がいいと考えたのだ。
今頃四人は、ここへ来る前に言っていた、ファリスの用とやらを済ませに行っている筈だ。
と、言いたいところだが、
「なー、ししょう。ワタシもめしつかいしないといけないのか? どうかんがえてもワタシがはたらくのはおかしいだろ?」
ラビは、ここに残る事になった。
リンフィアを外に置くのであれば、その“資格を持つ” という俺とラビが同じ場所にいた方が、隠密が必要な時リンフィアが動きやすくなると判断したのだ。
「文句は言わないように。しっかりと働きなさい」
「………ふへへっ…………………あ、やべ」
我慢できなかったというのがありありと伝わってくるような笑い方をするラビ。
このクソガキ、リフィの飯は確定として次笑ったら山に埋めてやる。
「まーいっか。とりあえず、1かげつはここでのんびりしとけばいいんだろ? だったらのんびりしとく」
「のんびり出来れば、の話です」
「へ?」
この後、そこそこ長期滞在する事になったため、本格的に家出のルールを叩き込まれる事になるのだが、のんびり出来ると思ってしまっているラビは、まだをそれを知る由もなかった。
ともかく、明日から俺はしばらくケンではなく、ワイズのままだという事だ。
「ワイズ」
「はい」
「1ヶ月、よろしくお願いしますね?」
どこかウキウキした表情のミレア。
俺は呆れながらも、戦争の後長らく見ることのなかった、心の底から楽しそうにしている笑顔を見て、どこか安心したのであった。
「はい、こちらこそ」
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「おぉい! ワイズくん」
「うん?」
ノックして返事も聞かずに入ってきたのは、やはりシェリアであった。
「わぁ、本当に個室なんだねっ。羨ましいなぁ」
一応、向こうが俺に頼む立場という事もあり、個室を用意してもらえた。
そもそも上級使用人とされる執事は、一応ただの使用人よりも位は高い。
俺の場合、執事とは違って下級の使用人に対する命令権は持っていないのだが。
「どうされましたか? シェリア殿」
「ああ、殿って付けなくていいよ。一応私の方が部下? というかまぁ、下なんだしさ」
いやお前タメ口やないかい。
とは言わないでおく。
「ではそのように。して、ご用件は?」
「あれ? 忙しかった?」
「いえ、お嬢様が部屋でお勉強なさっているので、今は自由時間です」
だよねっ、と。
この時間に勉強するのは、昔からの習慣だったのだろう。
生徒会の仕事が終わって寮にいる時は、いつもこの時間に勉強しているのを、同室だった俺やウルクは何度も目にしている。
「さっき説明でも聞いただろうけど、結構ルールが緩かったりスケジュールにも余裕があるでしょう?」
「確かにそうですね」
もっと規律に雁字搦めにされるかと思ったが、規則は割と自由な感じであった。
爺さんも、殺気さえ飛ばしていなかったら怯えられる様子はない。
思い返せば、ラークも爺さんを追い出した時の様子からして、かなり厳しいわけでもなく、というか常日頃から割とフランクに接している様子が垣間見えた気はしていた。
「ロゼルカ家は国内屈指の名家だけれど、使用人たちにとってはすっごいホワイトだから人気なんだよっ」
「ああ、それでしたら存じています。この家に仕えたいという話は、いろいろな場所で耳にしておりましたから。けれど、外では規律の緩さは一切出ていませんでしたね」
「まぁ、そこに関しては旦那様が徹底なさってるからね。いつも仰ってるよ? “ロゼルカ家の使用人として、恥じることのない振る舞いを見せなさい。しかし、緩めることも忘れてはいけない。君たちは決して道具ではない。職務を全うする君たちを不要な権力で縛るような愚かな行為を、私はしたくないし、許すことはない” だって!! かっこいいよねぇ」
「………………とても響くお言葉ですね」
そして同時に思う。
何故、力を持ちながらも、立場が下の者に対して平等に接する暖かさと器の大きさを持っているのに、娘を犠牲にしようとしたのか。
どこかに理由がありそうだ。
それがわかれば、俺も少しは納得出来るかもしれない。
「あっ、そうじゃない!!」
「?」
と、シェリアは慌ててテーブルを叩いた。
「実はね、ワイズくんに会ってほしい人がいるの」
「と、言いますと?」
「というか、勝負して欲しいのっ!! 私とその人と、この1ヶ月ミレア様をお世話するという栄光を賭けて!!」
突然の勝負の申し込み。
しかし俺は、声を大にして言いたい。
いや、いらねぇ
と。




