第592話
「……………」
朦朧としていた意識がどんどん晴れていく。
まだボヤけているが、何を見ているのか判別することくらいはできるようになった。
ごちゃごちゃとした音は、徐々に耳の奥へ入っていった。
霞みがかった視界は鮮明に。
雑音は悲鳴と怒号に。
埃や塵の匂いは、鉄臭い血の匂いに。
そして目を見開き、理解した。
今自分は、戦場にいるのだと。
辺りを見回す。
ラクレーは今までいた場所ではないことに気がついた。
「………?」
どうやらここは出口の近くらしい。
ファルグに気絶させられたところまでの記憶はあるが、そこから動いたとなると、どうやら誰かが自分を運んで脱出を試みたのだと気がつくラクレー。
だが、肝心な事にファリスやギルファルド、それに子供達がいない。
よく見ると、籠から出て外に出た跡がある。
そこから視線を辿っていくと、
「………………!」
ルアナが、1人ポツンと突っ伏したまま動かないでいた。
腕ももう無く、露出した魔石の光がかなり薄まっていた。
『コレガ………欲ヲ………張リ過ギタ末路カ………ナント皮肉ナ………』
「ルアナ………?」
『ス、マナ………カッタ………………私ノ欲張リデ、オマエ達モ、道、連レ…………ニ………』
ルアナは全て言い切る前に、動かなくなってしまった。
「………ルアナ?………ルアナ、待ってよ………ルアナ!!」
ラクレーは悔しそうに俯いて歯を食いしばった。
強くなった筈だった。
なのに、今の自分はその時の強さはおろか、ただのお荷物にまで成り下がっている。
これで子供達に顔向けできるわけがない。
ルアナは子供たちにとって母親代わりだったのだ。
「こんな………こんな事って………………………」
地面を叩く手にも力が入らない。
戦う力などもう残っていないのだ。
しかし、
「………………いや、まだ止まれない………………道連れ………それを突き止めないと……………」
諦めるには、ラクレーは関わりすぎた。
子供たちは放って置けない。
ファリス達も助けたい。
ラクレーはその一心で壁を張って出口に向かい、その扉を開けた。
その瞬間、
「ッッ………………………!!」
顔の横を、何かが横切った。
大きい。
だが、小さい。
「………はッ………………はッッ………!!」
息が荒くなる。
身体は動かなくても、ラクレーの眼は、無慈悲なまでにそれを捉えていた。
見たくない。
見て仕舞えば、きっと壊れてしまう。
すると、
「ぅ、ぉ………………ぁ………」
「!!」
それはよたよたと歩いていく。
似つかわしくない大人用の剣を手に取って、引きずりながら歩いていく。
「ラ、ル………待って、もういい!! 戦わなくていいんだ!!」
ラクレーは、それを抱きしめた。
よかったと、生きていてくれて安心したと。
だが、安堵の先に待つものは安寧であるとは限らない。
ラクレーは顔を上げ、それが向かおうとしていた先を見てしまった。
「………………………なに、これ………」
甲冑を着た、見知った騎士たちが虚な目で横たわっている。
城の騎士達だ。
倒れているのは、それだけではない。
「っ………ぁ、ああ………………!!」
子供達もいたのだ。
「………」
戦争。
王族は、そういったものに一番近いはずなのに、一番疎いという事がしばしばある。
しかし、ラクレーは遠いし疎かった。
闘いは好きだ。
でも、戦争は好きじゃない。
いや、わからない。
あたしは、競いたいだけで、争いたいわけじゃないんだ。
その感情は、きっと誰にでもある筈。
だからわからない。
奪うための殺し合いなんて、意味のない事をする理由がわからない。
何だ?
何をしているんだ?
何がしたいんだ?
知らないが故に、無意識で受け入れられない。
倒れているそれらが何なのかもわかっていない。
すると、
「!!」
背後からの気配を察知したラクレーは、バッと振り向き、目を見開いた。
夥しい刺し傷と焼けただれた腕と、おそらく致命傷になったであろう、心臓近くから飛び出した剣。
あと数秒の命となっていた男だが、その執念だけで剣を構えていた。
しかし、身体がいう事を聞かない。
調節できない天人の力は、ラクレーの自由を著しく奪っていたのだ。
「おう女………でん、か………………お命………もらい受け———————————————」
動け、動け、とラクレーは最後まで足掻き続けた。
するとその時、
「————————————!!」
下から小さな影が飛び出し、男の剣を弾き返し、男を突き飛ばした
こんな小さな体躯からは考えられない、非常に冴えた完全な防御だった。
しかし、これは当然だ。
この一撃は、それの精いっぱいの足掻きだったのだから。
「………ラル?」
剣を落とし、僅かな自立もやめ、目を僅かに開いたまま、呼吸も心臓も止まった。
ずっとだった。
ラルはとっくに事切れていた。
それでもなお、夢のため、少しでも夢を語ることの出来た大きな友人のため、残された安寧を前にしつつもなお、その痛みに耐えながらラクレーを守ったのだ。
人はいつかしぬ。
しぬって何だろう。
しんだ人って、どんなだろう。
ラクレーは、今までに誰かの “し” と直面したことはなかった。
良くも悪くも幸福に包まれていた。
ラルはもう動かない。
見知った騎士達も、仲良くなった子供達も。
ああ、理解したくない。
それでも、知ってしまう。
内側をグチャグチャに引き裂くような痛みとともに、何かが蠢くのを感じた。
そして、
「ぁ………………………」
呆然とした視線の先で、大好きだった姉妹達に腹を貫かれた2人の同胞を目にしたラクレーは、とうとうその言葉を脳に、魂に焼き付けた。
「ぁ…………ぁああ、ああああ、アアアああああああああああああああアアアアアァァッッッ!!」
これが “死” である、と。




