第492話
彼女は希望だった。
喪失者たちのすがる、最後の希望。
彼女は喋らない。
言葉を介する事はない。
しかし、感じる事はできた。
彼女は動かない。
動くための肉体がない。
しかし、人を動かす事はできた。
彼女は望まない。
そもそも意思を示さない。
しかし、人の希望を叶え得る程の膨大な力を持っていた。
得体は知れない。
でも、それでよかった。
人々は神を信じるが、その神も得体は知れない。
信仰なんてそんなものだ。
大事なのは、信じたつもり、わかったつもりをどれだけ続けるか。
だからアルシュラ達もとりあえず彼女を信じて様々な行動をした。
今回狙われているのは、彼女だ。
なんとしても守り抜かなければならない。
彼女はこの空間の核だ。
彼女が消えれば、この空間が消える。
叶わないと分かっていても叶えたい願いすら消えてしまう事になる。
アルシュラは仮初めの肉体に力を入れた。
ギリッと奥歯を鳴らし決意を固める。
そして、奴が現れた。
「やぁ、数日ぶりにござるな」
天崎 命。
アルシュラは、悠々となんの恐れもなく、感慨もなく、ただひたすらに目的のために歩いてくる彼女が、死神の様に見えていた。
「っ………目的は………」
「ああ、それにござるよ」
「!!」
何故だか、彼女の思考は共有出来ない。
こんなにも意思は流れ込んでくるのに。
しかしそれでも、彼女の言うそれが何なのかは、もう明らかだった。
「………これはあたしたちにとって、何にも変え難いものなの。絶対に渡さない」
「ははは。強がって立ちはだかるのは実に愛らしいでござるが、それは元より我が主君の持つべきもの。返さぬのであれば………………」
その刹那、世界が裂ける音がした。
「————————————」
あまりに絶対的な力の差。
この世界の所有権はアルシュラ達にあるはずなのに、ここまで好き勝手にされるなんて思ってもみなかっただろう。
「う、ぁ………………………」
「おやおや、可哀想に。恐怖で足がうごないでござるか。ならばいっそ………素っ首斬り落としてしんぜようか?」
「————————————ぁ」
次の瞬間、アルシュラは叫んでいた。
恐怖、悲痛、絶望。
負の感情が、世界に漏れ出す。
それに呼応するように、クラスメイトの魂達が一点に収束し、
「おぉ………お主………」
まったく別の生命体と化していた。
「バケモノでござったか」
しかし、天崎は動じない。
それどころか笑みを浮かべ、腰に帯びた刀に手を添える。
ゾワッッ、と。
異形となったアルシュラ達だが、その威圧感はひしひしと感じていた。
悲鳴にも似た咆哮が轟く。
天崎は心地良さそうにそれを聞く。
「いやはや天晴れ。たかが人間如きにここまでの力を与えるほどとは………我が主神よ、どうか暫し——————」
そして天崎は、刀を抜いたのだった。
「お待ちを」
そして、そこから先の記憶は、アルシュラにもなかった。
でも、これだけははっきりしていた。
柩からは、彼女がいなくなっていた。
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「それでこの後、あたしたちは外に出て、同時に一体化した魂も元に分離したの」
「………」
「なるほどねぇ………“彼女” か」
柩に誰かいる時点で、それが何なのかはははっきりしている。
だが、問題はそれが “誰なのか” だった。
「アルシュラ」
「うん?」
「その彼女とやらの名前とか身体的特徴は一切わかんねェんだよな?」
「うん。彼女は本当に何もしなかったの。ただそこにいただけ。怖いのは、それだけなのに、あたしは本気で彼女に依存している様な状態だったの」
「………」
なるほど、だいたい掴めてきた。
が、実際問題少し疑問だった。
その正体は、今まで知ってきた事実と比較して、あまりにも荒唐無稽だったのだ。
とりあえず、胸の内にしまっておこう。
「ねぇ、ケンくん」
「ん?」
「もし………もしも彼女に会う事が出来たら、その………助けてあげられないかな?」
「………」
何も言わない俺をみて、アルシュラは少しシュンとした。
だから一応、一言だけ言っておこう。
「………保証はしねーからな」
「! うん、ありがとう」
正直言って、中身の正体にもよる。
悪ならばそこでツブしておくが、もしも何の罪もないのなら、俺はそれを解放するのにやぶさかではない。
「それじゃ、俺は今回の色々をあいつらに知らせてやりたいから戻るわ。そんじゃな」
俺は医務室を出ようとした。
すると、
「ケン!」
イシュラが俺を引き止めた。
そして、頭を下げこう言った。
「すまなかった。あの時オーブ………いや、天の柩のところに向かおうとしたのは、ハル先生ではなく俺なんだ。彼女は俺を止めようとしただけ。巻き込んだ挙句、君を裏切ってしまって………本当にすまない」
それを聞いて俺は、
「………そっか」
笑顔でそう返した。
イシュラが目を丸くする。
正直、約束を破ったのはむかつくが、春が俺との約束をちゃんと守ろうとしていた事は、本当に嬉しかった。
そうだ。
裏切りなんかじゃない。
事情があったとしても、知らせては欲しかったが、それだけでも知れて本当に良かった。
うん、これならば安心だ。
俺はそうやって、クラスメイトの連中とリンフィア達、そして教師達が待っている場所に向かうのだった。




