第479話
「取引?」
ろくでもないという事を承知の上で聞き返してみた。
「ええ、取引。あなたがその条件を飲みさえすれば、この場では誰も殺さないわ」
この場では、か。
これがわざと言ったのであれば感心できるが、そのままを口にしただけならば、お世辞にも交渉が上手いとは言えない。
そして、恐らく霧乃は後者だった。
「チッ………………」
交渉術のある奴ならば操り易いが、皆無な奴だとヤケを起こして無茶苦茶な事を言う可能性もある。
少し慎重にならなければならない。
「………話せ」
「賢明な判断ね」
にこりと笑う霧乃。
きな臭いが、話を聞かなければ始まらないだろう。
「簡単な話よ。私たちはある2つの目的のためにここに来たの。ひとつは達成できそうだからいいとして、もう一つは下手するとあなたに阻止されかねない」
目的………
少し考える。
恐らくひとつは天の柩だ。
達成可能ということは、天崎が向かっているのだろうか。
いや、それならまだ大丈夫だ。
念のための罠が張っている。
足止めくらいは可能であろう。
ならば連中の目的は………
「………………っ! テメェらまさか………!」
あった。
そうだ、確実にあるじゃないか。
元々連中の目的はそれだった。
だから天崎は今この場にいるのだ。
「あら、気づいたの? そう、もう一つの目的。彼女の、ウルクリーナ・ルナラージャの身柄を渡してくれないかしら?」
「!!!」
会場に動揺が広がる。
この名前がいけなかった。
ルナラージャ、は流石に誤魔化せない。
いや、それよりも重要なのはウルクだ。
控室の方を見ると、そこで待機していたウルクと目があう。
少し、焦った表情だった。
確かにそうだ。
今場所がハッキリしないウルクは、最悪俺がここの観客を犠牲にすれば助けられる。
向こうはそうされると確実に目的を達せられないので交渉に誘ったのだ。
ギュッと拳を握りしめる。
下劣な連中だ。
そこまでしてやるか? などと言うつもりはない。
むしろ俺相手ならばかなり合理的と言えるだろう。
だが、他人を貶め、必要のない連中まで巻き込む腐った性根が本当に気に食わない。
「クソ共が………」
「そう? あ、あまり反抗的な態度は取らない方が良いわよ? 貴方には敵わなくても、ここにいる大半くらいは道連れにできると思うし」
クスクスと笑う霧乃。
俺はジッと霧乃を睨みつけた。
「………」
「なッ、何よその目は………!!」
一度倒してしまったせいか、ハッキリ言って雑魚キャラにしか見えない。
恐らくこいつにも俺には絶対に勝てないという潜在的な意識が完全の埋め込まれている筈だ。
「いいわ—————————あくまでも逆らうのなら見せしめね」
「!」
霧乃はスッと表情を消すと、淡々とそう言った。
俺の左斜め前の方角にいた奴が観客1人にナイフを向けた。
その瞬間、あたりは騒然とする。
周囲の生徒は止めようとしたが、全員まとめてピタリと止まってしまった。
そう、霧乃の暗示だ。
ナイフを持った男は、そのまま持ち上げたナイフを観客に突き向かって————————————
「………テメェ、殺されてェのか?」
「ッッィ………!?」
二重強化。
俺は目にも止まらぬ速さで観客席まで移動して、ナイフを持った男の腕を変形を留めないレベルまで破壊した。
「ィッ、ぁ………………あ………」
とてつもない力の差を目の当たりにして、目を丸くした霧乃。
チッ、と苛立たしげに舌打ちを打つと、
「このバケモノめ………」
と、心底恨めしそうにそう言った。
何か振り切ったような表情。
交渉などどうでもいいといった表情だ。
さっきはこう無鉄砲だと扱いづらいと思ったが、それはあくまでも正攻法で攻めた場合での話。
策はある。
「そう、ならいいわ。行動の暇なんて与えない。今から言う命令に従いなさい」
霧乃がそう言うと同時に、周囲にいた敵が全員攻撃態勢に入った。
中央にいた律人も観客に被害を及ぼそうとしていた。
なるほど、先ほどから大人しかったのはこいつらのせいか。
ギリギリだが、この場合にいる敵程度なら速攻系や幻覚系の魔法を駆使すれば倒せる。
だが、恐らく外の敵にもそれらは伝わってしまうだろう。
俺の魔力を感じた瞬間に暴れ出されかねない。
「ウルクリーナの身柄を渡しなさい」
観客達もざわつき始める。
特科は嫌でも注目を受ける。
ウルクも当然注目の的だった。
故に、混乱と、多少の非難の声が上がっていた。
何故ウルクなのか、と。
早く出てこい、と。
大体その二つだ。
と、考えている瞬間だった。
「もうやめて」
その声の主に注目が集まる。
もちろん、ウルクだ。
「キリノちゃん。もうやめて。どうして………どうしてこんな事を?」
すると、クスクスと笑いながら霧乃は答えた。
「どうしてですって? おかしな事を聞くところは変わってませんね。理由はあなたが一番わかっているでしょう?」
「っ………………」
そう、こいつは向こうからすれば狙われて然るべき存在だった。
国を脅かす情報をもち、先代命の神なんて爆弾を抱えている。
それに、こいつの目的は国家転覆だ。
向こうもそれなりにわかっているだろう。
「帰りましょう、ウルクリーナ王女。それだけでここの皆さんは助かります」
混乱するウルク。
その脅迫じみた申し出に、ウルクは——————




