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第340話


 鎖に繋がれた少年が見える。

 幾度となく使われた注射の残骸が辺りに転がっている。

 外傷こそないものの、床にはあり得ない量の血液が撒かれたと思われることが一目でわかるような血痕。

 そして、腕には夥しい針の跡。

 3歳ほどだろうか。


 しかし、3歳にしてはあまりに落ち着き払っている。

 目は虚で、光はなく、吸い込まれそうな闇だけを残している。




 無。


 少年はただひたすらに“無”だった。

 そこに意思はない。

 心はない。

 自我など存在しない。


 己と言うものを、彼自身も認識していなかった。


 自分とは何だろう。


 大抵の人は答えられないだろうが、しかしその大抵の人々は、自分がどれなのかは()()()()()()()


 少年はそれさえできていなかった。

 便宜上使っている「僕」と言う一人称も、彼からしてみれば、一人称たり得ないものだった。

 俯瞰………いや、もはや客観視していると言っていい。

 まるでテレビゲームで自分が操作する他人のような感覚なのだ。



 彼は人ではない、“何か得体の知れないもの”として、彼は育てられた。


 あらゆる痛みに耐え、あらゆる悲しみに動じず、あらゆる悪意に囚われず、そして、あらゆる可能性に希望を見出さない。

 

 “先”なんてものは考えていない。


 ただひたすらに、“終わり”を目指す。

 

 人は彼を可哀想だと憐れんだ

 理解できないと吐き捨てた。

 気味が悪いと蔑んだ。


 少年を時に傷つけるものもいた。

 しかし、痛みを感じる事はおろか、一切の感情を揺るがすこともない。

 

 いつしか彼には誰も近寄らなくなった。

 大人ですら、彼に近付こうとしなかった。


 もっと早く、誰かが手を差し伸べていれば、彼がここまで破綻することは無かったということに、誰も気づきもしないで。





 これが、少年の幼少。

 物心着いてすぐの少年にはあまりに酷すぎる。

 虐待なんて生易しいものではない。

 一種の洗脳である。






 そしていつか、 殻から抜けて、陽の光を見た少年は自覚する。



 この人生は、始まりから今まで、地獄だったのだ、と。













———————————————————————————














 「っ………………何よこの記憶、気持ち悪いにも程があるわ!!」



 霧乃は思わず同調を切った。

 見たいものと違ったのだろう。

 嗜虐趣味の彼女をしても、あの映像はあまりに見るに耐えない。

 それはそうだ。

 彼女が求めている“反応”がこれっぽっちもないのだ。



 「あ………ああ、今、の………」


 ミレアは視線を泳がせている。

 これ程酷い扱いを受ける子供は初めて見た。

 あれは正に生き地獄。

 拷問なんてメでもない。

 それすらも超越する痛みを常に浴びせられた少年、もはや痛みに慣れてしまったのだろう。


 あまりに、あまりに悲しすぎる。




 「はぁーあ。興ざめだわ。あんな気持ちの悪いものを見せられるなんて思わなかったわ。さ、口直ししなくちゃね」


 ミレアはビクッと体を跳ねさせた。


 (そうだ、忘れていました。私の目の前にはこの男がいる。どうにかしなければ………!!)



 しかし、一度気が抜けてしまったミレアは、完全に集中が切れ、恐怖心がより大きくなっている。



 「そうね………まずは定番。服を破り捨てようかしら」


 「———————は………ふ、く………」




 マズイ。

 どんどん嫌なことを思い出してしまう。

 過去と同じ道を辿ろうとしてしまっているのだ。



 「お、ぉ、おおお………!!!」


 巨体が迫る。

 来る度に、心臓が蝕まれるような感じがした。

 トラウマが、視界を染めようとしている。

 耳元では逃げろ、逃げろと幻聴までし始めた。


 巨大な手が振りあげられた。


 「い、嫌………誰かぁ………た、助け………………!!」



 ミレアはピタリと口を止めた。


 助けを乞うても良いのだろうか。

 そう思ってしまったのだ。


 先ほどの映像が本物なら、彼は人を憎んでいるはず。

 それも、魔族ですら逃げ出すような憎悪を抱えているはずだ。



 人の一員である自分が、彼に助けをこう資格はあるのだろうか。


 否。

 ある訳がない。

 屈してはいけない。

 最後まで、抵抗を………



 「私は、私は………………私は、屈したりなど——————」




 そんな決意はバラバラに消え去った。


 完全に一致した。

 過去の悍ましい記憶と、今見ている光景が完全に繋がってしまった。



 なけなしの勇気は崩れ去り、残ったのは微かな自尊心と、圧倒的な恐怖。


 ミレアは諦めてしまった。



 そんな様子のミレアを見て、霧乃は実に恍惚とした表情を見せている。



 ああ、無理だ。

 立ち向かえない。

 敵はあまりにも大きすぎる。

 ああ、誰か——————






 「………たす、け、て…………………………」







 そんな小さな悲鳴は、霧乃の高笑いでかき消された。



 「あっはっはっはっは!!! さぁ!! ブルーノちゃん!! その子に絶望を!! 私にその子の表情を見せて————————————ブルーノちゃん………?」





 目を疑った。

 巨体の手が止まっている。

 いや、止められているのだ。

 あの、少年の手によって。



 「………………」



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