第1414話
劇的な変化はなかった。
流れる様に、滑らかに、カラサワは本来の力を取り戻していった。
ただし、流れは流れでも、全てを飲み込む激流だが。
ただでさえ、敵わない強さを持った肉体だった。
力を失い、体術のみとなったカラサワですら、今のミレアでは厳しい相手だった。
そして、そんな肉体にたった今、手に負えない力が注がれていった。
神だとのたまう罪の神とはまるでものが違う。
そこにいるのは、正真正銘神の領域に達した男だった。
「ああ、ただいま。僕の理想郷」
「約束を違えるなよ?」
「当然だよ。というか、余裕なくなって喋り方変わっちゃってるけど、大丈夫?」
ケタケタと笑うカラサワ。
罪の神は何も言わなかった。
「ああ、それと」
「!」
カラサワが罪の神の肩に手を触れると、途端に魔力が溢れ出した。
流し込まれた経験値が、瞬く間に肉体を成長させたのだと、ミレアはすぐに気がついた。
「あなたはいずれ僕の上に立ち、このフェアリアにて全てのヒトの神となるお方。今はまだこの程度の力しか捧げられない事を、どうか寛大なお心でお許し願いたい」
「………ヒヒ。弁えているじゃないか」
担ぎ上げだ。
と、それは罪の神もわかっている。
わかっていても乗らなければならない。
知らないふりが平和だと、彼はもう気づいてしまっていた。
「なんて情けない………………」
「何か言ったかなァ? ミレアたん?」
「その気色の悪い喋り方も直してくれればよかったのですが、この際どうでもいいです」
身の回りに砂鉄を撒き、帯電させる。
懐かしい感覚だった。
そう、愛用の武具さえ懐かしいと思うくらいには、時間は経っていた。
ミレアも、いろいろな事を経験した。
ここは、そのさまざまな経験の中でも、一番大事な局面だと言うことは分かりきっている。
だが、1人で解決できない事も悟っていた。
「それは、あまり褒められない類の無謀だよ。ミレア・ロゼルカ」
「ええ。犬死にも犬死にでしょう。何せ私が一番無駄だと自覚してるんですから」
「そこは安心していいよ。僕としてはこれ以上死人は出さないつもりだし。君にも、ヒジリケンにも、この世界のアダムとイブになって貰う必要があるからね。あ、丁度いいじゃないか。君、彼のことが好きなんだろう? 彼も君の様な美人なら本能だろうさ」
アダムもイブも、ミレアには聞き覚えはない。
しかし、何を言わんとするかは理解していた。
それは少なくとも、今の発言はミレアにとって2人と人間に対する冒涜だった。
「………一つ。女性にそう言った発言をするものではありません。二つ。ヒジリケンはそんな浅い人間ではありません。三つ………………私の友人の身体で、これ以上下卑た事を口にするな、この下郎が」
「………! へぇ、これは中々に」
罪の神が消え、弱体化している肉体とは思えないほど濃密な神威と魔力がそこにあった。
やはり、一介のプレイヤーとしては異常な数値。
今回のゲームではとことんプレイヤーに恵まれなかったと、改めてカラサワは実感していた。
「これだけイレギュラーがいたんじゃ、そりゃゲームもダメになるか。修正が必要………………あれ?」
いつの間にか、隣から罪の神が消えていたことに気づき、カラサワはキョトンとしていた。
しかし、心当たりはすぐに見つけた。
「なるほど。兄弟分の神威を感じ取ったか。全く、勝手な神様だ」
「!」
ミレアの場合、神威ではなく魔力でその気配を感じ取っていた。
「これは、ラビの………」
「不倶戴天って奴かな。罪の神からすれば、大昔に計画を潰した罰の神がまだ許せないんだろうさ。このままじゃ、彼女死ぬよ」
「そんな事—————————」
振り返ると、そこには人が立っていた。
敵かと反射的に身構えるが、よくよく見ると見覚えのあるその顔だと気づき、ミレアは警戒を解いた。
そうしているうちにもう1人、見知った顔が姿を見せた。
「君とはアクアレア以来か」
「あなたは確か、ベヒーモス………………それに、」
「お久しぶりです、ミレアさん」
「生物迷宮のお婆さん………」
ベヒーモスと生物迷宮の老婆がそこにいた。
「これはまた珍客だ。五色獣の生き残りに、生物迷宮の生き残りとは」
「殺したいほど会いたかったぞ。管理者」
「積年の恨み、思い知りなさい」
おお怖いと肩を竦ませるカラサワ。
だが、容赦ない殺気も放っていた。
モンスターも老女も、子供を作らせ人口を増やすのには役に立たない。
この2名は、カラサワにとってもはや利用価値すらなかった。
「待ってください!! お二人では彼には………」
「わかっている。だから私たちは、命懸けで託しにいくのだ。そして、君にも」
「私にも………?」
強く手を握るベヒーモス。
そこには恐れなどなかった。
まるで望む様に死に向かう男は、ミレアにはこう言い遺した。
「我らが主人ラビ様と我が同胞の娘、エルのことを、どうかよろしく頼む」
「………………大事な仲間です。こんな、半端者の私でよければ………ええ、任されました」
これから死ににいくとは思えないほど優しい笑みを浮かべ、ベヒーモスは頷いた。
それは、使命のための生であった。
生まれ落ち、主人を見守り、そしてその痕跡を消すことだけが彼の………いや、彼らの役目だった。
語れることは多くない。
流れる走馬灯も、全て似たりよったり。
十年、百年と時間をかけ、少ないとはいえ生物迷宮の全ての記録を消していった。
全ては、再び創造主たる罰の神に巡り合うため。
天化人となりうる生物迷宮を、危険から守るため。
生物迷宮の隠居のために費やした生は、結局その使命だけの生で終わることになった。
次代の罰の神である天化人は、ついぞ現れず。
しかし、不満はとうに過去へ置き去った。
今あるのは時代への期待と、やり切った満足感。
そして、当代の王の持つ、可能性への喜び。
見届けることは叶わないが、ラビならばあるいはと言う期待を抱いていた。
何せ、彼女の傍には、神に届きうる力を持った人間の少年がいたのだから。
(ラビ様。どうか、あなたは神に—————————)
心の中で願いを唱え、ベヒーモスは姿を変える。
巨大な肉体から放たれる咆哮は、このユグドラシル全土へと響き渡った。
『五色獣ベヒーモス、参る!! さぁ頼んだぞ、妖精の少女よ!! 走れ!!』
犬死にしようとしていたミレアは、いつの間にか役目が出来ていた。
自覚するままに、その方角を向く。
“カラサワの相手は私ではない”
その確信からミレアは振り返ることなく、罪の神の向かった場所へと駆け出していくのだった。
「折角だ。長い任務から解放されたそのお祝いに、引導を渡してあげよう」
『そうか。それは、侮辱的なくらいに光栄だ』
ベヒーモスは、どんどん身体を巨大化させていった。
彼の別名は暴食。
全てを喰らうほどの巨大な肉体こそ彼の能力であった。
雲まで届くその巨体で開かれた大口は、果てしない闇の様であった。
「土地ごと僕を喰らうか。ははは、食いしん坊だな」
『大人しく………………喰われろォォオオオッ!!!』
「ああ、そうしよう」
影がカラサワを、木々を、森を覆う。
大きな牙は大地を抉り、文字通り、森は飲み込まれた。
あとは、噛み砕くだけ。
だが、それがあまりにも遠かった。
それは、届きえない距離だと、ベヒーモスは分かっていた。
「さようなら。ベヒーモス」
『ああ、あの世で貴様を待っていよう—————————』
闇は、取り払われた。
切り刻まれた肉体から光が差し、そしてその肉塊が血液さえ残さず跡形もなく蒸発したのは、ほんの一瞬。
ベヒーモスはこの世を去り、そして、
「………………? なんだ、ここは」
カラサワ・エイトを、最後の決戦の地へと送り込んだ。
切り開かれた先に見えた景色は、ユグドラシルではない。
何もなくだだっ広い、一面白で染められた世界だった。
—————————ここが、貴方の墓場です。
「!」
どこからともなく聞こえる声。
姿はなく、気配もない。
しかし充満する魔力は間違いなく声の主、老婆のもの。
そう、ここは老婆の迷宮だった。
(そうか、巨大化したベヒーモスをポータルに入れて、僕ごとダンジョンの転移させたか)
命懸けのトラップを理解したところで、カラサワは落ち着いて辺りを見渡す。
すると、そこには、
「墓場、だとさ」
「! ………そうかもね。殺す気はないけど、ともすれば墓になるかもしれない………ヒジリケンと、僕直々に刻んでおくよ」
「刻まれるのはテメーだよ。ブラコン野郎」
このフェアリア最大の障害にして、最強の人類。
ヒジリケンであった。
どうも! 桐亜です!
今年もいよいよ終わりです。
そして残念なことに、大晦日正月はちょっとたて込んでいまして、12月28日に投稿予定の1415話を投稿後、1月3日までお休みさせていただきます。
また当日の後書きにてアナウンスさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします!