第1123話
かつて、レイターがミラトニアに居た頃。
彼には、ハルメリアという婚約者がいた。
透き通るような水色の髪をした美しいルナラージャ人の冒険者だ。
初めてレイターが彼女とであった頃、人間ではあったものの、その少し周りから浮いた水色の彼女をどこか目で追ってしまっていた。
当時は少し引っ込み思案だったというレイターは、そのわかりやすい話題のおかげで、彼女に声をかけることが出来たのだ。
それから二人は共に戦い、日々を過ごすごとに少しずつ距離を縮めていった。
そして、2人は晴れて婚約を結んだ。
さて、少し話は変わるが、レイターにはその彼女とは別に、その彼女よりもずっと前から付き合いのある親友がいた。
男の名はサバス。
レイターと同じ、ウンディーネの男。
正義感が強く、いつも誰かを助け、気がつくと話の中心にいる。
そんな男だ。
レイターが彼女と出会ったのも、サバスが2人を引き合わせたことがきっかけである。
これだけではない。
友人関係にしても、冒険者として働くのも、すべてのきっかけがサバスであった。
引っ込み思案だったレイターに、サバスはいつも広い世界を見せてくれていた。
だから、この婚約はレイターにとって、小さな巣立ちのようなものであった。
後ろを歩くのではなく、一人前の男として、そして相応しい友人として隣に並び立とうと決めるきっかけになった。
しかし——————巣立った雛が、帰ることはついになかった。
それは、運命のあの日。
「………サバス………何を言って………………」
「聞こえなかったな? やれやれ………相変わらずお前はトロイな」
レイターの記憶にないサバスの表情。
浴びせられた事のない冷え切った目を見たレイターは、悲しむよりも先に、どうしてという疑問で埋め尽くされた。
受け入れようとしない思考が事実に歯向かって、未だ惚けている。
だが、そんな抵抗も虚しく、嘲笑混じりの声で、サバスはこう言った。
「お前の女は、俺が貰う。だから、ここからすぐに消えろ」
出てくる言葉はない。
今度ばかりは誤魔化しようもなく、はっきりとそう言われた。
ただ事実のみ。
抵抗も出来ない。
否定も出来ない。
目の前に、何よりの証拠があるのだから。
「………………ハルメリアさん………」
サバスの側に寄り添うレイターの婚約者であるハルメリア。
言葉など必要ない。
この恍惚とした表情が全てを物語っていた。
「どうして………どうしてこんな事………」
「どうだ? 全てを失った気分は?」
「………………え?」
淡々と、サバスはそう言った。
そしてこう続けた。
「お前はいつも俺の後ろをついて来るばかり。何をするにも俺と一緒にいないとダメ。いい加減鬱陶しいんだよ」
「………ぁっ………………」
情けないと、みっともないと、そういう自覚はあった。
意思を持たず、何かに頼ってもたれ掛かり、何を生むわけでもなく、ひたすらもたれかかり続ける。
最も信頼を寄せる親友であるが故に、レイターの罪悪感も大きかった。
だけれど、それ故にそこは離れがたい場所だった。
もたれ続け、動くことを忘れた足では、前に進めない。
支えがなければ立つ事さえままならない。
だから、レイターは何も言えなかった。
巣立つのはただの“つもり”。
やっていなければ、その事に価値はない。
何年も離れず、金魚の糞であり続けた自分に信頼などあるはずがないと、レイターは自分を心底恥じた。
「分かったら、ここから消えてなくなれ。幸い、何もできないデクの棒でも、ご立派な脚だけはついてるみたいだからな」
何を言う事もなかった。
聴き慣れた声が酷く耳障りに聞こえ、そこからはただただ足を動かし続けた。
そして、レイターは二度と彼らの元へ戻ることはなかった。
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「サバスとの1番の思い出といえばこれかなぁ。キヒ……… サバスがいなくなったから、ボクは文字通り全て失ったよ。ボクに繋がる全ては、直接ボクに繋がってるんじゃなくて、サバスを通して繋がっていたんだって、改めて実感したよ」
額に小さく汗をかきながら、レイターはそう言った。
少なからず、この出来事はレイターの心に影響を与えている。
情景も、声も、心さえも、鮮明に覚えているのは何よりの証拠だ。
“よくわかる”。
しかし、
「………思い出、なのか?」
「うん?」
ここだけ少し引っかかった。
皮肉かとも思ったが、そうではないのは声を聞けばわかる。
わざわざ演技をすることでもない。
これはきっと、本心だ。
「それだけひどい裏切りに遭って、お前はそれを思い出というのか?」
「………実はね。この話には続きがあるんだ。といっても、その話にはボクは出てこない。人伝に聞いた話と、ほんの少しだけボクの希望が込められた話さ」
後日談、というわけだ。
聞いてみよう。
「彼らの元の離れて数日経った後、ボクは1人の旧友と会った。友人の友人が友人になったっていうボクにとっての基本パターンの1人さ。彼から聞いたのは………………サバスの訃報だった」
「!」
「驚いたよ。ボクら、これでも昔は国内でも数人しかいないSSランクの冒険者だったからね」
通りで戦闘経験が豊富なわけだ。
あの体捌きと技術は、余程積み立てたものがなければなし得ない。
その一才を捨てて魔法使いになったのだから、すごい話だ。
「けど、正直もうどうでも良くなってた。どの道もう帰ってはこない。考えるだけ無駄だって。でも、こんな話も聞いたんだ」
「?」
「ハルメリアさんが、強い妖精の個体を探してるルーナラージャのどこかの研究員だったって話さ」
「!!」
「呪印と魔法がどうしたとか言っていたけど、そこはあまりよく覚えていない」
それはおそらく、天人の研究だろう。
ルーテンブルク人の特殊能力である呪印と、魔法の両方が使えるハイブリットである天人、その片方は妖精でも理論上は可能だ。
レイやルイの様に、両親が人間である必要はない。
これは10年以上も前の話。
当時はまだこの研究のために、人体実験が行われていたのだろう。
ただ、これが本当だとすればもしかすると………
「バカだよね、ボク。『もしかしたら、ボクが殺されないために身代わりになってくれた』なんて考えちゃった。サバスもボクと同じ妖精だから、たまたまサバスが捕まってボクは用済みになっただけかもしれないのに」
自虐的に笑うレイター。
これもきっと本心。
「でもね、騙されているかどうかはどうだっていい。誰かを傷つける嘘もあれば、誰かを救う嘘もある。これが彼の嘘だろうと、ボクの嘘だろうと、ボクは変わろうと………ボクの思い描く彼の様になろうと思えた」
なるほど。
すごい生き方だ。
憧れは誰もが持つもの。
しかし、自分を殺してそこに行こうとする者はなかなかいない。
レイターは、かつての自分を殺し、サバスになろうと思ったのだ。
他人に本当の自分の姿を偽り、そしてサバスが自分を救ったのだと、本当かどうかもわからない幻想で自分自身を偽った。
『笑顔を貼付け人を欺き、鏡を眺めて己を欺く』
だからレイターは、本に書かれたこの言葉が気に入ったのだ。
この言葉が、あまりにも自分と重なるからだったのだ。
「だから、ボクは折れる気はないよ。ここで折れたら、ボクはサバスの様にはなれない。嘘が嘘で終わってしまう。そんなのは、死んでもゴメンだ」
信念のある者の意思は何よりも強固だ。
だが、この男をただ黙って戦って終わらせるのはあまりにも勿体ない。
意地があることは俺も同じだ。
なんとしても、こいつに負けを認めさせてやる。




