第1120話
単純な仕掛け。
いや、仕掛けというほどでもない。
レイターの頭上に飛んだ時点で、ミレアは勝利を確信していた。
「このッ………ちょこまかと………!!」
魔法を上に向けるレイター。
しかし、忘れている。
杖はまだ、すぐそこにあるのだ。
「!!」
ミレアの魔力とリンクし、魔法は形を形成する以前に消えた。
こうなれば、距離を取るしかない。
だが、そこに思考がたどり着く前に、それは起こった。
「ぅっ、く………これは………?」
巨大な光が、そこ瞬間二人を飲み込んだ。
反射的に目を瞑るレイターだが、すぐに錯覚であると気がついた。
しかし、それはつまり、目眩し目的ではない謎の光ということ。
違和感などない。
それが一層不気味さを際立たせた。
そして、戦況も芳しくはない。
故に、焦りが生じる。
狭まった視界は、光のみに集まり、レイターは頭上から迫る異物に全く気がつくことが出来なかった。
そう、事が起きるのは、その次だ。
「っ——————」
どろり、と。
レイターの頭上から、液体が降って来る。
その塊を全身に浴び、理解した。
(これは、油——————!?)
背後を見ると、そこには油を浴びていたはずのミレアが、何もない状態になって立っていた。
「裁定………こういう時には、役立ちますね………って、それどころじゃないですか」
そう、サバスはもうミレアにかまけている暇はない。
一刻も早く、ミレアに向けて飛ばしていたはずの炎を消さなければならなかった。
簡単だ。
サラマンダーの能力を使えば、火消しなど造作もない。
少し魔力を動かせば、1秒必要ない——————筈だった。
それはもう、無理な話だ。
理由は簡単。
今のレイターは、サラマンダーではない。
ミレアの裁定を喰らい、サラマンダーであるという嘘は、既に正された。
つまり、炎は消せない。
「クソ………なんで………なんで………………っ!?」
躱す時間はない。
既にそれは、目と鼻の先。
息を荒くする暇も、焦って混乱する暇すらない。
あるのはコンマ数秒後、黒焦げになる自分の未来のみ。
「ぁ——————」
引火。
そして、悲鳴が数秒響、焼けた喉からはそれすらも出なくなった。
もがき回る黒い塊。
地面を転がって何度も体を擦り付けるが、体にべったりとついた油が、そんな事で離れる訳がなかった。
「恨みっこなしですよ。レイターさん」
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その一方で、コウヤはサバスを順当に攻め、完全な死角を取り完璧な一撃を放っていた。
当たれば、標的であったサバスの関節部分を確実に破壊できる。
手応えは十分。
しっかりと、刃が触れる感覚があった。
なのに、
「っ………………剣が………!?」
短刀は、何かに押し負けるような形で、根本から折られてしまっていた。
防具ではない。
コウヤが狙ったサバスの腰の部分にはそれらしいものはなかった。
だが、刃は確かに突き刺していた。
コウヤの腕には、まだ感覚が残っている。
しかしそれは、柔らかい肉を切った感覚ではない。
もっと、恐ろしいまでに固いもの。
それは既に、コウヤが裂いたサバスのローブの下から、僅かに顔をのぞかせていた。
「驚いた。まさか、これを使わされるとはな」
「なっ………それ………………鱗!?」
裂いたローブの奥から見える、巨大な鱗。
これが、コウヤの渾身の一撃を防いだのだ。
傷こそついているが、それは表面の一部のみ。
思い切り突き立てたところで、貫けるかどうかといったところだ。
「残念。確かに実力は上がったようだが、まだ足りんよ」
「………………!!」
まさに窮地。
速度で上回り、ようやく背後を取っても、刃が届かないのでは意味がない。
掴んだと思った背中は、ありもしない幻想だった。
手に残ったのは、どうしようもない絶望感のみ。
どうしようもなく、敵が遠く感じる。
だが、まだ見失う程ではない。
「………だったら、それでもいいよ」
「?」
「力を隠してるのがそっちだけだと思うなよ」
不敵な笑みを浮かべ、まだ余裕がある事をあえて宣言するコウヤ。
この差を埋めるための方法が、コウヤにはまだある。
隠し球はまだ残っていた。
だが、それでも倒せるかはわからない。
今確かなのは、間違いなく今よりは差が縮むということだけ。
「頼むぜ金髪。奥の手——————」
「む、解放されたな。止めるか」
と、意気込んでいる所に水を差すように、サバスはこんな事を言った。
「………………へ!?」
「………うむ。自由に動くな。恐らくは………………やはりそうか」
コウヤには目もくれず、サバスはミレア達が戦っている方を向いた。
「死ん………ではないか。だが、効果を維持できない程にやられたらしい」
「ということは?」
「お前達の勝ち、という事だろう」
サバスの口から出た、事実上の敗北宣言。
コウヤは、唖然としながらも、少しずつ状況を飲み込んでいった。
(まぁ、彼奴が死ななければ、だが………………いや、それでも………)
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「………………」
「随分と………あっけない決着でしたね」
勝敗はついた。
ミレアの勝ちだ。
決定的だったのは、やはり切り札の差であろう。
最後にまとめて隠し球を投下し、一気に攻めたのが今回の勝因であった。
この結果は文句のつけようもない。
誰がどう見ても、戦闘の続行は不可能。
ただ死んでいないだけだ。
望んでいた勝利を得たミレア。
しかし、決して気持ちのいい勝利ではなかった。
「っ………」
これ以上は、命に関わる。
これは、殺して終えば負けの戦いだ。
ミレアは、消し炭になったに再び裁定をかけ、油と炎を体から分離させた。
「ぁ………ぇ、ぁ………………………………」
ギリギリ蘇生は可能。
だが、すぐに治すわけにはいかない。
かなり苦しんでいるが、この戦いは殺しはなしというルール上、終わらせるにはある程度の線引きが必要となる。
決定的な一言が必要だ。
「意識はありますよね。目も耳も、まだ機能する筈です。私は、あまり苦しめたくはありません。だから、負けを認めてください」
「ぅ………ぁ………」
「無理に喋る必要はありません。頷いてください。でなければ死んでしまいますよ」
やけ焦げ、爛れた顔が見える。
突けば死んでしまいそうな、貧弱な生命。
なのに、
(なんで………そんな目が………………)
決して、眼が死ぬことはなかった。
このまま放っておけばお前達の負けだぞと言わんばかりに、ジッとミレアを睨みつけている。
決して譲らないという固い意思。
ミレアは、こういう眼をする者達が決して動くことはないということを知っていた。
しかし、ミレアにとっても、この戦いを譲ることは出来なかった。
勝利の先に待っているのは、明確に “力” だ。
この先手に入る水精のペンダントを手に入れなければ、ミレアの能力は向上しない。
——————そんな事、許せるわけがない。
すぐ目の前にあるものを、黙って差し出せるわけがない。
それは何よりも欲しているものなのだから。
「負けを、認めて下さい」
「………………」
「抵抗しないでください」
「………………」
「っ………貴方は負けたんです!! これ以上恥を晒す前に、大人しく引き下がりなさい!!」
返答はなく、帰ってくるのは頑固なまでの意思、それだけ。
次第にミレアも痺れを切らし、語気が荒くなっている。
普段のミレアでは言わないような事を口に出し、次々レイターに向かって叫ぶが、意思は変わらなかった。
「このっ………………」
今、ミレアは崖側にいる。
これ以上はダメだというラインの上に立っている。
品行方正、人は彼女にそういう印象の持つ。
そして、事実その通り。
だから、どんな時でも、どんな者が相手でも、最低限の礼は守り、人として恥じることの無いように行動してきた。
しかし、今彼女の目の前には、喉から手が出るほど欲しいものが吊るされていた。
それは伸ばせば届くか届かないかという距離にある。
ここは崖。
伸ばそうとすれば、瞬く間に奈落へと落ちる。
我慢をしなければならない。
落ちてはいけない。
ミレアもそれは重々承知している。
そもそも相手は悪人でもなんでもない。
罵倒など、許されないのだ。
だが、今回は吊るされているものが悪すぎた。
魅力は目を眩まし、崖が崖であるということを忘れさせてしまう。
故に、ミレアはそれに向かって、思い切り手を伸ばし、飛び込んだ——————
「貴方のそんな——————」
が、しかし。
ミレアの腕を使むものが、後ろに立っていた。
「それ以上、言うんじゃねぇ」




