第1104話
記憶がない。
俺のことがわかっていない。
一度そう考えると、俺の頭は受け入れたくないと言う意思を無視して、嫌と言うほどに理解した。
これまで見せた態度も、あの時見せた怯えも、何もかもに合点がいく。
それは、逃れようのない事実として、完結してしまった。
「………………………っっっ!!!」
ぶわっ、と滝の様な汗が流れ始める。
嫌な想像を数段超えてきた。
目の前の男は、まるで赤の他人を見る様な目で俺を見つめている。
言わずともわかる。
全てが0になっていた。
そしてその光景が、仲間に忘れられたという事実が、今まで感じたことのない種類の恐怖を以って俺を支配していた。
しかし、
「………い、や………おれは、何を……………なんで、金髪………おれ、あ、ああ??」
「!!」
俺の見てはっきりと “金髪” と呼んだ。
見た目で言ったわけではない。
俺にそう言ったのだ。
「コウヤッ!! 俺がわかるか!? 覚えているか!?」
まだ間に合う。
そう思って肩を揺らす。
だが、
「あれ、おれ、は………お、あ………………あああ、あ?? なん、これ………誰? お前? 俺? あれ? 誰俺? えええええ? あ? あ?」
コウヤは頭を抱え、目を泳がせながらうずくまり始めた。
呼びかけるも、返事の代わりに誰に向けたかわからないうわ言が返ってくるばかり。
これはマズい。
記憶は確かに残っている。
だが、明らかにそれは混濁している。
自分の中の記憶を認識できていない。
すぐにでも、どうにかしなければならないだろう。
ただ、そう思う反面俺もどうするべきか答えがわかっていない。
この能力………攻略本は俺も専門外だ。
俺のもつ知識とは別のもの。
この現在の妖精界限定の独立したルールを持った力なのだろう。
つまり、ここから戻る方法は、コウヤでなければわからないのではない………いや、コウヤが自力で戻らなければならないのではないのか?
頭を掻きむしって、脳みそをひっくり返す様に考えて、悩み抜く。
ただ、あくまでも冷静に、だ。
焦りこそあるものの、どうするべきかこの場で唯一考えられる俺が冷静さを欠くわけにはいかない。
冷たいかもしれない。
だが、冷静とはそう言うもの。
一度は取り乱したが、あのままというわけにもいかない。
俺が怯えてはいけないのだ。
コウヤのために、俺は取り乱すわけにはいかない——————
「あああ、あ………ああ?? 忘れ、俺、おれ………あれ、誰? コウヤ、あ? あ————————————いや、だ」
「 」
頭を押さえ地面に蹲っていたコウヤの目から、ツーっと涙が流れていった。
静かに、だが怯える様に。
泣きじゃくるわけでもなく、絞り出す様にそう言った。
「お、い………………やめろよ、弱気になるな!! しっかりしろ!! 気をしっかり持てコウヤッッ!! 諦めんなッッ!! 」
「あ………ぅぁ………」
先程までの思考は消え去り、俺は焦燥感たっぷりの表情でコウヤにしがみつき、何度も揺さぶった。
「クソッ………ふざけんなよ………………!!! 戻ってこい!! お前はコウヤだ!! 思い出せッ!! 思い出しやがれ!!」
知識も知恵も関係ない。
ただただガムシャラに、愚直に呼びかけ続けた。
愚行を愚行と気づかず、無策なままひたすらに続けた。
「まだ始まったばかりだぞ!! こんなところで終わってんじゃねぇ!! テメェ一体なんのために旅に出た!! こんなところで野垂れ死ぬためか!? 違うだろうが!!」
「ぁ………………」
「!!」
反応を示した。
これまで一切俺の言葉には耳を傾けてなかったのに、ここでようやく見せた反応。
無意味なわけがない。
これだ。
今、必要な鍵がどこかにあった。
………いや、考えるまでもない。
悔しいが、俺たちは鍵じゃない。
だとすれば、
「弟………………弟だ!! どこかにいる、お前のたった1人の肉親を探すんだろ!?」
「おとう………と………………………おれ、は………」
支離滅裂な言葉を吐き続けていた口が、ほんの僅かにだが止まった。
望みは確信に。
ならば、動くほかない。
「そうだ、思い出せ!! お前がなんで、今俺たちと一緒にいるのか………………なんで慣れ親しんだ街を離れ、俺たちと戦うことに決めたのか、思い出せ——————!!」
無策。
愚直。
それは最も愚かしい。
そんな事、ご立派な力をわざわざ使わずともわかる事。
しかし、愚直とは、言い換えればまっすぐな事。
他所を見ず、“これ” というものを決める事だ。
もしもそれが答えにつながっているのであれば、たとえ偶然であろうとも、何より早く辿り着ける。
どんな状況でも、間に合う事もあるかもしれない。
故に、
「………………き、ん………ぱつ………か………?」
「………………戻っ………た」
意識の方向が、こちらを向いている。
波のように揺らいでいた意識が、いつも通りに戻っていた。
他人を見るような目はどこにもない。
コウヤの意識は、戻ってきたのだ。
「は………っ………………ぁっ………」
肩を持っていた手を一度離し、膝をついて空を仰ぎ見る。
糸が切れた人形の様な気分だ。
当然安堵した。
不安が消え、何より無事に済んだことに感謝すらした。
しかし、その跡すぐに、俺の意識は張り詰めた。
「…………………おい………テメェ………」
俺は意識を取り戻したコウヤの胸ぐらを、手を震わせながら掴んでいた。
「こうなるって分かって………………っ、なんであんな力使った!? お前………消えちまうところだったんだぞ!! それ分かってンのか!?」
「………………お前こそ、わかってるのか?」
コウヤはそう言って、俺の胸ぐらを掴み返してきた。
先程までの不安げな表情はどこにもない。
今の俺の様に………いや、それ以上の憤怒を抱え、俺を睨みつけながら掴みかかってきた。
「あの様子じゃお前、相当な無茶したことあるだろ。いや、してた………か。俺もカイトで見たからな」
「っ………」
掴んでいた手がつい緩む。
しかし、それとは対照的に、コウヤの手はより強く拳を握った。
「俺を見ただろ? 俺は怖かった。自分の命を賭けるんだ。たとえ仲間のためであっても、命は惜しい。それでも助けたいから俺は命張ったんだ。言ってみれば俺のためみたいなもんだよ。だが、お前はどうだ?」
コウヤはそのまま腕を弾き、頭突きをする様に俺の額と自分の額を突き合わせた。
「まるで自分の命をゴミみたいに扱って………どれだけ仲間に心配かければ気が済むんだ?」
「………それは」
「ふざけるな? 誰が言ってンだよ………………お前の方がよっぽど危なっかしいだろうがァ!! お前がそんなだから、銀髪ちゃんは苦しそうな顔するんだ!! 金ロールちゃんが無茶して強くなろうとするんだ!!」」
2人の顔が思い浮かぶ。
わかっている。
俺の身勝手で、どれだけあいつらが苦悩しているか。
わかっているつもりなんだ。
だが、心のどこかでやはりそれでも納得できない部分がある。
俺が傷ついて誰かが守れるなら、痛みも恐怖もない俺が戦うべきだと、どこかで思ってしまう。
でも、この一言は、そんな俺にでも深々と胸に突き刺さった。
「いいか、よく覚えとけ。あいつらの命を護ろうとするその行動が、何よりあいつらの心を傷つけてるって事をな!!」
「っ——————!!」
脳天を鈍器で殴られた様な感覚だった。
傷つけた。
そう、傷つけたのだ。
自覚があるだけ突き刺さる。
無視しようと、考えまいとしていたものを見せつけられ、ひどく狼狽している。
いつの間にか、胸ぐらを掴んでいた俺の腕は離れていた。
拳を握ろうにも、力が入らない。
図星をつかれ、また俺もそれを認めていた。
そんな俺を見ながら、コウヤは静かにこう言った。
「………危ねぇ橋を目の前で簡単に渡ろうとする仲間を見て、銀髪ちゃんたちがどう思うか、わからないわけじゃないだろ? お前は、いい奴なんだからさ」
「………」
何も言い返せない。
鏡に映った自分は、辟易とするほどにどうしようもなく身勝手なものだった。
自己嫌悪で、今にも潰れそうだ。
「………………………悪かった………………ゴメン」
「いいよ。俺だって同じことやったんだから。だから、これであいこだ」
俺を掴んでいた腕を離し、コウヤはその拳で俺の肩をポンと叩いた。
その軽い拳は、今日受けたどんな攻撃よりも重く、深く、大きな跡を残した。




