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第2章 座敷わらしの声


 リリリリリリリ……と、外から虫の鳴き声がしていた。戸の隙間を通る風は涼しく、快適な夜だった。

 もっとも、櫻子にしてみればその夜は不安を孕んでいた。石原はすぐ近くの部屋で寝ている筈だが、例えあの座敷わらしの影を掴んでもこの時間帯に声は掛け辛い。

 小さな布団の中で、今日あった事を振り返る。昼間に少し外を散歩した時には心が安らいだ。石原の作ってくれる晩ご飯はとても美味しかった。

 上出来じゃないか。ここにいるだけで充分リラックス出来ているんだから。しかしそれでも、櫻子にはつっかえている物がある。

 そもそも何故、中年男の独り暮らしを民泊先に選んでしまったのだろう。てっきり夫婦かと思ったのに。

 櫻子だって石原が危険な男でないのは理解しているが、なにせ彼女はまだ18になったばかりだ。男に対して過度に怯える事は無いにしても、年頃の娘であれば相応の懸念はあって当然だろう。

 そしてそれよりも彼女の気を重くするのが、例の座敷わらしだ。まだ座敷わらしであると断定するには情報が少ない気もするが、彼女の中ではそうと決まっている。

 では座敷わらしとは、どんな危害を加えるのだろう。……そうだ、調べてみよう。

 彼女は枕元に置いてあったスマートホンを掴み、『座敷わらし』で検索を掛けた。

 検索結果の一番上に表示されたページを適当にタップし、浮かび上がってきた文字に目を凝らす。

 気になっていた危害については、人を脅かすなどのいたずらをするとしか書かれていなかった。だが、それよりも櫻子の興味を引いたのは、それが出没する地域だ。

 そのサイトによると、座敷わらしは岩手県を中心とする東北地方で言い伝えられる存在らしい。しかしここは埼玉だ。

 なんだ。じゃあ違うんだ。櫻子は安心してスマホをオフにし、再び掛布団を胸まで引き寄せた。

 ……いやいや。座敷わらしじゃないならないで問題じゃないか。じゃああたしが聞いたのは幻聴だったって事?

 納得のいく答えが見つからないまま、彼女は眠りにつこうとしていた。




 それは、櫻子が夢の世界へと足を踏み入れ掛けたその時の出来事だった。

『ねぇ』

 朦朧とした意識を、その声が振り払った。

 櫻子はすぐに飛び起きて、周囲を確認した。灯りは全て消したのではっきりとは見えないが、少なくとも人の姿は見当たらない。

 だが、声だけははっきりと聞こえる。

『聞こえる?』

 少女が新しい言葉を口にした。キコエル? 櫻子は混乱した脳内でそれを何度も再生し、やっと意味を理解した。

 だが、それと返事を口にするのとでは全く別問題だった。話をしていい相手なのか分からない。怖い。

 しかし、このままではただこの声に怯えるだけだ。状況を変える為には、何かアクションを起こさないと。櫻子は意を決し、布団の裾をぎゅっと握りながら答えた。

「聞こえる。あなたは誰?」

 氷の様な沈黙が、部屋の中を支配する。櫻子はぶるぶると震えながら、ひたすら相手の返事を待った。

 ……しばらくして、床からドン、ドンと突き上げる様な音がした。続けざまに何度も何度も、その音は鳴り響く。床の振動が櫻子の下半身に伝わる。それはだんだん激しくなっていく。

 ドンドンドンドンドンドンドンドン――

「ごめんなさい! 失礼な事を言ってごめんなさい!」

 櫻子が必死でそう叫ぶと、それはぴたりと止んだ。

『……私の事が、分からないの?』

 感情の読めない、静かな声。櫻子は頬を伝う冷や汗を拭いもせず、返答を考える。

「……ごめんなさい。分かりません。どうかお許し下さい……」

 櫻子の精一杯絞り出した声が小さく響いた後、再び沈黙が訪れた。

 櫻子は逃げ出してしまいたい気持ちをこらえて、少女の返す言葉を待つ。

『……この家を出るまでに、私の事を思い出して』

「え……」

 この家を出るまでに? 少女は、あたしが民泊でここへ来た事を知っているの? 明後日の朝になれば、あたしがここを出るって事も……?

 それに思い出すって……あたしはこの子の事、知ってるの?

 櫻子の頭に次々と疑問が浮かび、混乱を招く。

「ちょっと……ちょっと待って下さい。それは、明後日の朝まで、という事でよいのでしょうか?」

 だが、返事は返ってこなかった。少女の気配も感じない。どこかへ去ってしまったのだろうか。

 櫻子は疲れた体を再び布団の中へ預け、掛け布団を頭まで被った。

 ……今はもう、考えたくない。




 早朝、部屋の戸がコンコンと叩かれた。櫻子はぴくりと体を動かし、それに反応する。

 昨夜少女と接触してから、布団の中で彼女はじっと意識を保っていた。不安に精神をかき乱され、眠気なんて起きる気配も無かったからだ。

 だから彼女は戸が叩かれるのを聞いて、あの少女がまた現れたのかと身構えた。そして布団に包まりながら、油断すればがちがちと鳴りそうな歯をくいしばっていた。

「一宮さーん? 起きてますか?」

 しかし、戸の向こう側から聞こえてくる声はどうも石原のものらしかった。櫻子は胸を撫で下ろし、布団から抜け出した。

「はい、ご用ならどうぞ」と返事を返すと、彼は遠慮無く戸を開けた。

「おはようございます、石原さん」

「ええ、おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」

「あ……はい。おかげさまで」

「それは良かった」

 石原は現役女子高生の寝間着姿になぞ目もくれず、ただ満足気に頷いた。

「ところで私、急用が出来ましてね。今から町の方まで出掛けなければいけないんですよ」

「え、そうなんですか?」

「はい、申し訳ないんですがねぇ。とりあえず朝ご飯は作ってありますし、お昼ご飯用にお弁当を冷蔵庫の中に入れておいたので、お好きな時に食べていただければと」

「それはどうも、お気遣いありがとうございます」

「いえいえ、こちらの事情ですので。あ、あと合鍵を机の上に置いておきますので、外へ出る時は掛けておいていただければと」

「ええ、承知しました」

「それでは暗くなるまでには帰ってきますので。本当にすみませんねぇ。じゃ、行ってきます」

 石原はにこりと笑って手を振った。

「はい、行ってらっしゃい」

 櫻子も小さく手を振った。

 石原はその様にして、家を去っていった。




 櫻子は朝ご飯を食べ終えると、すぐに外へ出ようと決めた。

 当たり前だ。この家に独り取り残されて、また例の少女が出てきたらと考えると身の毛がよだつ。

 身支度を整え、リュックに必要な物を詰めていく。スマホ、英単語帳、ウィンドブレーカー、折り畳み傘、冷蔵庫から取り出したお弁当、そして家の鍵。

 そしてそれを背負うと、昨日散歩していた時に見掛けた丘を目指して歩き出した。小一時間は掛かりそうな遠い道のりだったが、むしろ時間を潰せる方が良いだろう。

 道中の景色や、どこからかひらひら飛んでくる季節外れの蝶々を眺めながら、櫻子はあの恐怖を忘れ、ここへ来た当初の様に楽しんだ。

 しかし、少なくとも夜になればまたあの家に戻らねばならないと思うと気が滅入った。早く自分の家に帰りたい。久々にそう願った。

 もうそろそろ足が疲れてきたなという頃合いに、ようやく丘の上まで辿り着いた。腕時計を見やると、家を出てから2時間が経過していた。ゆっくり歩いていたからだろう。

 だが、流石に昼飯時と言うにはまだ早い。櫻子は近くにあった大木の影へ入ると、荷物を置いてその幹へもたれ掛った。

 木陰の中は涼しく、心地良い。今ならばストレスを感じず、落ち着いて勉強出来る様な気がする。櫻子はリュックから英単語帳を取り出して、ページをめくった。

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