もしも詐欺師がマッチ売りの少女に転生したら
冗談じゃないぞ、と俺は雪がちらちらと舞う灰色の空を睨んだ。
凍りついたような手はあかぎれで真っ赤、身にまとっているのはボロボロの服。
足に至っては裸足だ。
ペラペラのスカートは雪に濡れ、確実に凍死寸前である。
道ゆく人々は皆毛皮のコートを羽織り、暖かそうな毛のマフラーに首を突っ込んでいる。
俺だけが、クラスに一人はいた冬も半袖で学校へ来る小学生のような格好をして、マッチがたくさん入ったカゴを持ち、通りに突っ立っているのだ。
こんなところでいきなり記憶が戻るなど、女神からは全く聞いていない。
ある日夜道で車にはねられるまで、俺はベテラン営業マンだった。
浄水器から抗菌床下収納まで様々なものを売りつけ、「砂漠で砂を売る男」とまで言われた。
商品の効果は、ほぼほぼ期待できないものばかりだ。
詐欺師と言われればそれまでである。
だが、俺を詐欺師と呼んだものはいない。
皆、進んで騙されてくれる。
人は高い金を出せば出すほどに、良い買い物をしたと思いこみたくなるものだ。
とにかく、あの運命の日、俺は油断して帰途についていた。
パワーストーン入りの風呂釜を定価の二倍で売りつけることができ、少々飲んでいたところも反省すべき点だ。
あっと思った時にはもう、車が目の前まで迫っていた。
後は轟音と今まで経験したことがないような痛み。
そして意識が遠のいたところで、女神と称する何かが声をかけてきたのである。
あなたは、今世で人を騙し、贅沢をしすぎたので、異世界で貧乏な少女に転生させましょうと。
断ったはずだったが、俺の意見は反映されなかったようだ。
少女として異世界で生まれてからのことも、俺の記憶には残っている。
甲斐性のない父親、病気がちの母親、その割にはやたらといる兄弟たち。
俺は今日、父親からこのマッチを託されて、全部売るまで家に帰るなと追い出されたのだ。
「……さて、これからどうするか」
俺はカゴの中のマッチを確かめた。
20箱ほどあるマッチは、1箱も売れていない。
それと言うのもこの少女……俺に前世の記憶がなかったからである。
マッチはいかがですかと差し出すだけで売れたなら、俺は今頃億万長者だ。
こういうときの手はただ一つ……お客の元に自ら赴き、お客が望むものを売ることである。
とにかくこの通りは寒い。
凍死を回避する為にも、俺は近場にある家の扉を片っ端から叩いた。
十軒目にして、やっと扉が開いた。
「あなたなの?」
細面の金髪を頭でまとめた女がうきうきとした表情で出てきた。
古い家並みが続く界隈に住んでいるわりに、こざっぱりした身なりをしている。
が、ボロボロの服を纏った少女、つまり俺が立っていることに気づくと露骨に胡散臭そうな顔をした。
俺は素早く彼女と玄関を観察した。
「あなた誰? 押し売り?」
女は眉をひそめ、扉を閉めようとした。
帰って、と言われる前に、俺はすかさず足をドアの隙間に挟む。
裸足なので少々痛いが、この際仕方ない。
「メアリー様、ご結婚おめでとうございます」
俺がそう言って深々と頭を下げると、彼女は目を丸くした。
そして扉を大きく開けた。
「あら、知り合いだった? 私が新婚だと誰に聞いたの?」
俺は意味深な表情で笑ってみせた。
家そのものは古いだが、ちらりと見える家具は皆綺麗で新品同様。
玄関には夫婦の肖像画が飾ってあり、彼女の容姿は全く同じ。
肖像画の下には、今年の日付と「チャールズとメアリー」の文字が彫ってある。
何より、彼女の左手の薬指には全く光の衰えていない銀の指輪が嵌っていた。
俺は、もったいぶってカゴからマッチを一箱取り出した。
「このマッチが教えてくれたのですよ。
今日あなたと出会ったのもマッチのお導きなのです」
うやうやしくマッチを掲げながらそう言うと、彼女は首を傾げた。
「そのマッチが一体なんだというの?」
この質問に答える前に、俺は絶対に確認しておかねばならないことを聞いた。
「今、家にはお一人ですか? ご主人は?」
「ちょっと出かけてしまったわ。もうすぐ帰ってくるはずよ」
よしよし、いいぞ。二人より一人の方が圧倒的に説得しやすい。
「七面鳥を酒場に取りに行っているのですね」
「あら、また当たりよ!」
女は驚いたように両手をあげた。種を明かせば簡単なことである。
玄関の棚の上にポーラ亭の住所が書いたメモが乗っていたからだ。
ポーラ亭は近所の酒場だが、この時期には七面鳥の受け取りで行列ができる。
当分帰って来ないだろう。
俺もゆっくりと説明ができるというものだ。
「それでは、このマッチについてご説明を。
あなたのような教養のある方でしたら、マッチ透視術はご存知でしょう」
デタラメな名前であるが、女は餌に食いついてきた。
「……いいえ、知らないわ。そのマッチで結婚したことがわかったのよね?」
ええ、そうでございますよと、俺は笑顔で首を縦にふった。
「透視術に使われるマッチは、高名な聖職者の棺を作るときに出た、祝福を受けし端材で作られているのです。
もちろん、それだけではありません。
ほとんどの人にとって、これは普通のマッチと同じ。
しかし私が使えば、炎の中にあなたの過去や未来を見ることができるのです」
「まあ、一体どういうことなの?」
「本来は料金をいただくのですが、特別にあなたの未来を見てみましょう」
俺は芝居がかった仕草でマッチの箱から一本取り出し、さっと擦った。
赤い炎がパチパチと勢いよく燃え上がった。
炎をじっと見つめて、俺は意味深に呟く。
「……幸せな家庭……満ち足りた暮らし……可愛らしい子供達……男の子と女の子……」
俺がブツブツと呟くたび、女はみるみるうちに花の咲いたような笑顔に変わった。
マッチが手にもてないほど短くなると、俺はふっと炎を吹き消してこう言った。
「どうでしょう。こちらが、あなたのお望みの未来でしょうか?」
「ええ、そうよ!
とても嬉しいわ、これから子供たちに囲まれた幸せな生活ができるなんて」
俺は、曖昧に笑ってみせた。
「それはよかった。しかし、今の段階では、確実に起こり得る未来だとは限りません」
「どういうことなの? あなたには炎の中に私の未来を見たのでしょう?」
急に不安なことを言われて、彼女は戸惑うように俺を見た。
すっかり信頼しきっている顔である。
もったいぶって、俺は燃えさしを見せながら女に説明した。
「未来というものは不確かです。変わっていくものなのです。
私が幸せな未来を見たとしても、これからのあなたの行動で泡のように消えてしまうかもしれません。
あなたは、先ほど私が見た未来を現実にしたいと思いますか?」
「もちろん!」
「それでは、このマッチの燃えさしを、家の花瓶にそっと入れなさい。
誰にも知られてはなりません。
満月がすぎるまでそうしていれば、あなたの未来は現実となるでしょう」
「まあ! そんな簡単なことで幸せになれるのなら、喜んでそうするわ」
彼女は俺の手から燃えさしを取ろうとした。
俺は自然に手を後ろに回し、にっこりと笑ってみせた。
「燃えさしはただでお渡しするわけにはまいりません。
……サービスです。銅貨10枚でお渡ししましょう。
なあに、これからの幸せを買うにはお安い金額です」
なお、マッチ1箱の値段は銅貨3枚である。いかに付加価値をつけるかが、俺の仕事の醍醐味だ。
だが、マッチの燃えさしで、ここまでふっかけてしまって大丈夫だっただろうか。
俺の心配をよそに、女はうきうきとしながら財布を取り出して、中から銅貨10枚を取り出して俺に渡した。
望むものを手に入れるためなら、金も惜しくないのが人間の性だ。
彼女は俺からマッチの燃えさしを取り上げ、何度も礼を言った。
それどころか、彼女は暖かいお茶までご馳走してくれた。
俺はいつ夫が帰ってくるかと気が気ではなかったが、顔には出さずに笑顔でお茶を飲み干した。
やっと腹に食べ物が入り、体も温まってきたが、これから次の場所へ行かねばならない。
俺は玄関で丁重に礼を述べた後、女に聞いた。
「ああ、あともう一つ。
さっき炎の中に、あなたのご近所にいる一人暮らしの女性が見えて……心当たりはございませんか?」
「さあ……」
「その人があなたを知らず知らずのうちに不幸に巻き込んでいるのです」
彼女は首を捻りつつ考えた。
「……まさか、マリーのことかしら?」
「そうです、マリー様です! お住まいはどちらでしょう?
私が行って、このマッチで未来を見通し、その方の不幸も取り払って参りましょう」
これで、次に行く先の当てができた。
芋づる式に客を繋いでいくのが、訪問販売に欠かせないノウハウだ。
俺は意気揚々と次の獲物の元に向かった。
俺は、その日30人ほどの未来を見通してやった。
恋人と別れた者には新たな恋人ができる未来を、貧乏な者には将来大金持ちになれる未来を、醜いと嘆く者には美しくなれる未来を……欲しがっているもの全てを当ててやると、皆は自ら財布の紐を緩めた。
この辺りの区画にある花瓶には、今頃マッチの燃えさしがやたらと入っていることだろう。
靴や服を一通り揃え、ぬくぬくとしながら俺は家路についた。
まだマッチが残っているものの、財布には全て売った以上の金が入っている。
女神の気まぐれで貧乏な少女に異世界転生しようとも、俺はなんとか生きていけるようだ。
砂漠で砂を売りつけるように、役にも立たないマッチの燃えさしを売りつけて。