5:語部──物語
「ビアンカ、さん?」
突然、現われたビアンカの姿にステラは訳も解らず呆然とした。
「ステラさん。それに、ルイベルさんも本当にありがとうございます」
近くにいた魔物の鼠が光りと共に消え、ビアンカが微笑んだ。
それは、まさしく優雅な淑女の姿。だが、この状況でその光景は些か歪であろう。
「貴方がたの活躍によって、私もここまで滞りもなくやって来られました。
聞きしに勝るとはこのことですね。流石、我が国の英雄様」
「そんなことを言いに態々脚を運んだわけじゃねぇんだろ?
てめぇの本当の目的は何だ? まどろっこしいやり取りは抜きで吐けよ」
棘だらけのルイベルの言葉を聞き、ビアンカは徐に苦笑する。
「最初にお話しした通り、バルハウス家とカーフェン家の争いを無くしたいだけです」
「だったら──」
「やはり、貴様だったか! この成り上がりの小娘めっ!」
そうやって会話に割って入ったのは部屋の奥で脂汗を流すヘルマンであった。
対する彼女は、先程の穏やかさを無くし、冷たい態度でヘルマンに視線を向ける。
「夜分遅く、突然の訪問失礼いたします、ヘルマン様。
重ねて失礼しますが、まずはこの人たちとの会話を先にさせていただきますので、少しお待ちください」
「なっ!! 何を勝手な! 誰か! 誰かいないのか!?」
「叫んでも無駄です。貴方を守る大半の人間はそこにいる彼等が気絶させましたし、残りも私が対処させていただきました。
警察に期待などなさらない様に。警察に顔が効くのは貴方の家だけではないのですから」
「ぐ、ぐっ!」
叫ぶ言葉すら見つからないのか、ヘルマンは苦渋の顔を呻く。
そんな彼に淡々とした言葉を投げかけていたビアンカは、まるで別人のような微笑みをルイベル達に見せた。
「お話の途中なのに失礼いたしました。申し訳ございません。
……さて、続きですが、ルイベルさんはまだ何か私に訊きたい事が終わりですか?」
「ああ。てめぇの目的が家同士の争いを無くすことが本当だったとしてだ。
その方法は俺らに盗らせようとした、違法契約書を証拠による告発じゃねぇのか?」
「それも手段の一つ、ですよ。
ただ、それだと後にもみ消される可能性もあるので、他にも方法を考えております」
「それは、そこにいるおっさんを殺すことか?」
そうやってルイベルは顎でヘルマンをさし。
「はい」
ビアンカは即答で肯定した。
「なっ!」
それを見たヘルマンが口を開け絶句し、ルイベルの傍らにいるステラも息を飲んだ。
そんな二人の様子を余所に、ビアンカはルイベルとの会話を続ける。
「少し前にお話したとおり、私達は以前から両家の争いを無くすように励んでおりました。しかし、どうしても、その為にはそこにいる男が邪魔なのです」
「っ! さっきから勝手なことをベラベラと!」
そこで先程まで黙っていたヘルマンが、再び恫喝を散らす。
「そこの二人も、この女の口車にまんまと騙されおって! 私は殺されることは何もしとらんぞ! 変な言いがかりは止めてもらおう!」
「黙って!」
今までで最も大きな叫びが、部屋に響き渡る。
ヘルマンへ最初に見せた冷たい顔とは違い、ビアンカは今にも襲い掛かりそうな形相で彼を睨んだ。
「何をした? 貴方は、私の、両親を。裏組織の人たちを使って、殺したでしょう!!」
ステラが、再び息を飲む。
ビアンカの瞳には涙が溢れていた。身体も、良く観察すれば振るえていることが分かる。
そんなビアンカの嘆きを、ヘルマンは鼻で嗤う。
「また言い掛かりかね。もはや名誉棄損や不法侵入だけでは済まさぬぞ。
それに、殺したというならば、貴様等こそ我が妻を手にかけただろ」
「それこそ言い掛かりでしょ! 奥様が乗った車が、雨の日に横転したのは事故以外何ものでもありません! 何回、いや、何十回検証し直したと思っているのです!」
「ふん! そんなもの、幾らでもでっち上げられる」
「貴方は、またそうやって……。本当に、貴方さえいなければ、こんなくだらない争いは終わるのに。いえ、今日こそ、終わらせてみせる!」
彼女はそう叫ぶと、一気に服の袖を捲り上げる。
ビアンカの左腕。
そこにある紫の宝石が嵌められた黄金の腕輪を一目見て、ルイベルは勘付く。
「魔術霊装。魔物の召喚、使役の類か」
「ご明答です」
カッ!
瞬間、ビアンカに嵌められた腕輪から妖しい輝きが溢れ出した。
一気に部屋全体へと四散した光が徐々に収束していくと、ビアンカの傍らに先程までなかった一つの巨大な影ある。
鰐の頭部、獅子の体と前足に、河馬の後足。
名をアメミット。神話にて、神の法廷で死者の審判に立ち会うとも伝えられている獣だ。
獰猛な気迫が昼間のキマイラよりも上だ。ヘルマンなど、驚きのあまり失神している。
そんな、魔物を脇に蔓延らせて、ビアンカがゆっくりと笑う。
「召魔の腕輪。護身にと亡くなったお父様くれた贈り物なのですが、私には適性があり、こんな子まで呼び出せるのですよ」
比較的に誰でも使える物が多い魔術霊装だが、そうでもないものもある。
相性というものがあり、ルイベルで言えば書物。ビアンカならば召魔の腕輪なのだろう。
「なるほど。昼間の事件も、全部自演だった訳だな」
「ええ、そうです」
一連の光景を眺めて出たルイベルの言葉を、ビアンカは素直に認める。
「跳び下りた私を誰かが助けてくれなかったら、すぐに別の魔物を呼ばないといけませんでしたけどね。運良く、ルイベルさんが助けてくれました」
「何が運良く、だ。それも狙ったことだろ」
「……。本当に見透かしていますね。私のことに関しても、ステラさんとは違い驚いた様子はないです。貴方、最初から疑っていましたか?」
その言葉を聞いて、ルイベルが肩を竦める。
「友人曰く、捻くれた性格なもんでな。他人を疑うのは何時ものことだ」
「なるほど。では、今後のために、何時から疑ってかお教え願えますか?」
「んなもん、最初からだ」
率直に言って、ルイベルの性格は悪い。
だが、ある意味、警戒心が高いので、初めで出逢う人間に対しては常に疑っている。
「皇都で魔物が現われ、それが俺達の前に現われ、その後は密談。
まるで出来過ぎた筋書きのような展開。これで少しも疑わなければ、ただの阿呆だ」
ルイベルの言葉を聞いて、ビアンカが納得したように頷くと、次には不思議そうな顔を浮かべた。
「そこまで疑っておいて、何故、私の依頼を御請けになったのですか?」
「所詮は想像の範囲だ。本の中身同様、実際自分の目で確認しなければ感想は言えねぇだろう。なら、本当に地雷かどうかは、自分で叩いてから確認する」
「それで爆発したらどうするのです?」
「簡単だ。爆発に当たらなければいい。本なら途中で読むのを止めるとかな」
「なら、今回の場合は? 御聡明な貴方なら、この状況、御理解しているのでしょう?」
「当たり前だ」
そうやって、ルイベルが懐のホルスターに閉まっていた銀のハンドガンを抜き、銃口をビアンカに向ける。既にその隣では、ステラがアメミットに剣を向けて身構えていた。
「俺達をここに寄越した理由は、ここまでの露払い。そして、おっさんと口封じで俺らを処分した後は、侵入した俺らと抵抗したおっさんが共倒れしたことにでもするんだろ?」
「本当、全部解ってますね……」
「ビアンカさん……」
そこで、口を閉ざしていたステラがビアンカへと呼びかけた。
声をかけられたビアンカは、最初に見せたような顔で微笑む。
「はい、なんでしょう?」
「……騙していたのですか?」
「この後に及んでどのような内容かと思えばそのことですか……」
呆れ気味の苦笑を浮かべたビアンカが、静かに自分を見つめてくるステラに告げる。
「騙していません。事実、貴方がたが違法契約書を盗っていただいただけでも、今回は手を退く事を考えていました」
「なら──」
「だから、言わなかっただけです。自分できるだけ得をするように相手を誘導するのが、取引の基本なのですよ、お嬢さん」
「っ!」
苦痛でステラの顔が歪む。
ガン!
その前に、ルイベルの銃口から弾丸が発射された。
狙いはビアンカ。
非殺傷の弾のままだったが、相手は見るからに肉体を鍛えてもいない女性なので撃ち所が悪ければ只ではすまない。
だが、その銃弾は彼女に当たる前に、アメミットの獅子の前足より防がれる。
主の襲ったことが癇に障ったのか、アメミットはそのまま噛みつくかのように、大きな口を開けて、叫び上げた。
恐怖を煽る咆哮だが、ルイベルは怖じ気付いた様子もなくビアンカを睨んだままである。
そんな彼を、ビアンカが静かに見据えた。
「会話の途中で横暴とは。無粋ですね」
「んなことも解っていなかったのかよ。人の見る目ないなら商人なんて辞めちまえ」
「そう簡単にいかないから、こうするのです。お願い!」
「BYAAAAA!!」
アメミットが迫る。同時にステラが接近し、ルイベルが銃に実弾を装填させた。
すぐさま発砲。今度は魔力が籠った魔弾だ。並の魔物ならば一撃で屠る一撃を何発も受け、更にはステラの刃が迫る。
だが、アメミットはその身体でステラの刃を弾く。魔弾を受けた個所も消炎を上げるだけで傷を負っていない。
猛攻する魔獣から二人は距離を取りながら、何度もアメミットを攻める。
だが、数分経っても、ダメージらしきダメージを与えられない。
「苦戦していますね」
苛烈な戦闘を眺めていたビアンカが徐に呟いた。
「キマイラを倒したような魔術ならば可能ですが、ここにコレがあるから無理ですよね」
そうやって、自分の魔物に盗らせたルイベルの魔導書を掲げる。
「魔導書《蔵の書》。一ページごとに物を収納できる便利な霊装で、私達商人の間でも什宝しています。
ルイベルさんはこれに手持ちの魔導書を全て収納しているようなので、これを盗られたら貴方にこの子を倒す手段はありませんね」
彼女は余裕そうな笑みを作り、尚も語りかけた。
「さて、どうするつもりですか、物は試しで降参など──」
「ぐだぐだ、口喋ってんじゃねぇ、腰抜け」
「え?」
戦っていたルイベルが、ビアンカに罵声を浴びせる。
思わぬ言動だったので、ビアンカも気の抜けた声を上げてしまう。
「やっぱりてめぇは役者にも、商人にもできねぇ。語部すら以ての外だ。
今更殺すのに迷って、適当に話すな。声が震えてんだよ。鬱陶しくて仕方ない」
「そ、そんなこと」
図星だったのか、ビアンカが見るからに動揺した。
だが、そんな彼女をルイベルは無視する。
「言い訳はいい。この獣の程度は解った。これで終わらせられる」
そう言って、ルイベルが懐からあるものを取り出した。
本だ。
「本? でも、魔導書は!?」
「誰が、いつ、魔導書じゃなければ、大技をぶちかませないと言ったぁ?」
その言葉を耳にし、まさかと思い再度その本を確認すると、ビアンカは驚愕した。
あれは間違いなく、ただの本である。
ルイベルがバルハウスの屋敷で暇つぶしに読んでいた、本屋に行けば簡単に手に入る本。
その本から、溢れるほどの厖大な魔力が流れ出ている。
だが、魔力を通しただけでは、ただの本がこのような魔力を発する頃など有り得ない。
「そんな、ただの本がこんな魔力を!?」
「後学に教えてやる」
そうやって驚くビアンカに、講義でもするかのようルイベルが語った。
「世の中には様々な伝承、逸話、物語が存在する。
長年語りつかれた物語は、筆者の魂、記された存在事態に力が宿る」
人の想念が物、土地、世界に宿った思いの力。
不確かで、普通ならば何もできないことでありながら、時にその力は現実を変える強大なものとなる。
そして、それができるのが、魔術師ルイベル・ルクティウスであった。
「俺は本を触媒に、そのエピソードを再現する」
「そ、そんな、そんなことが──」
「否定するなら勝手にしろ。だが、それが、俺の力。俺の《書典再現魔術》だ!」
本に記された伝聞、物語すら現実に再現を為す。
数多の本の力にする、ゆえにルイベル・ルクティウスは《書架の魔術師》と呼ばれたのだ。
危険を察知したのか、アメミットが吼えながらルイベルに迫る。
だが、彼を襲うとした肉迫を、横から疾風のように駆け付けたステラが阻んだ。
轟風。自分の何倍以上の巨体を、小柄な少女が抑え込む。
その間に、ルイベルは準備を整えた。
「さぁ、これがお似合いの舞台だ」
ルイベルが掲げた本。
それは童話作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが描いた有名な童話だった。
ある所に、仲の良い少年と少女がいた。
しかし、ある雪の日、少年が一人でソリ遊びをしていたところ、何処からか雪の女王が現われて、その姿に魅入られた少年はその場から連れ去られてしまった。
春になり、少女は少年を探す。
長い旅の果て、少女が最後に辿りついた場所。
其れを──魔術師が、現実に再現する。
『再現
Reproduktionk──』
書典展開、起動──。
『雪の女王在りし氷宮殿
Schnee Konigin Palast!!』