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ドMシリーズ

ドM餅

作者:たいちうみ

「うーん、ひっさびさの日本だぁ!」
 祖国の空気を吸い、少年は深呼吸をする。
「さっさと行こう、十四郎。新幹線まで時間がない」
 その横で、青年は巨大なキャリーケースを引きながら、さっさと鉄道の改札へ進んでいく。
「えー、兄ちゃん、もうちょっと感慨的なものをさ」
「それよりも指定席のほうが大事だ。乗り逃がしたくない」
 十四郎と呼ばれた少年は、頬を膨らませながら、兄を追った。
 未確認生物の調査及び研究を生業としている吉中兄弟は、久々に帰国した。
 彼らが向かうのは実家――ではなく、その反対方向にある依頼者宅である。今回は、完全に仕事でこの国に戻ってきたのだ。
「はー、本当に日本っていいねえ。日本語で会話すればいいんだから」
「そんなの、日本人観光客が多いところでもそうだろ」
「兄ちゃんは、情緒ってものがわかってないなぁ。メルヘン大好きなくせに」
 それは関係ないだろうが! 怒鳴りかけた蔵人だったが、寸でのところで飲みこんだ。最近の自分的標語を「心穏やかに」にしたばかりなのだ。
 二人で空港からターミナル駅まで移動し、そこから新幹線で延々と数時間。乗り換えて、さらに二時間ほど行った先の駅で、兄弟は待ち合わせ相手と落ち合った。
「よく来てくれました」
 依頼人は、にこにこと笑う白髪交じりの男だった。
「秋津さんでいらっしゃいますね? お迎えありがとうございます。私が吉中蔵人、彼が弟の十四郎です」
 秋津という名の彼は、十四郎の姿に驚く。
「話に聞いていましたが、本当にお若いんですね」
 一応、俺もまだ若いんですよ。吉中兄弟の、地味で目立たない兄の方である蔵人は、ちょっとだけ青年の主張をしたくなった。
「ささ、まずは乗ってください」
 秋津の家は、駅から車を一時間ほど走らせた場所にあるという。
「本当に、もう、山奥の小さな村……辺鄙なところです」
「この地方には、不思議な生物、精霊の目撃情報が昔から多いでしょう。我々にとってむしろ夢のような土地です」
 調査が終わったら、ちょっと寄り道して、可愛い子たちと戯れよう。言葉には出さないが、蔵人はご機嫌麗しかった。
「そうなんですけれど、うちの村のあれは、その……」
 秋津の歯切れの悪い口調に、兄弟は揃って首を傾げる。
「とりあえず、実際に対面する前に、お話を先に聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「あの、その、信じないかもしれないんですけれど」
「我々は、多くの『信じられないもの』を実際に目にしております。どうぞ遠慮なくお話しください。確か、依頼時のお話では、六十年前の品だとか」
 蔵人たちに来る案件で、依頼者自身が未確認生物を目撃しているケースは少ない。それゆえに、仔細が不明の状態で舞いこむ話も多々ある。
 今回も若干不明確な箇所がある依頼書だったため、蔵人としては事前に聞けることは聞いておきたかった。
「あの、どうもカッコ悪い気がして書けなかったんです。だって、餅ですから」
「餅?」
 ハンドルを握りながら、秋津は神妙な顔で頷く。
「餅なのです。かれこれ、五十年前についた餅が」
「え、お餅ってそんなにもつの? カビないようにって一生懸命早めに食べちゃってた!」
 十四郎は目を丸くする。蔵人も、いくらなんでも、と眉をひそめる。
 しかし、秋津は、そんな彼らに対し表情を崩さない。
「例の餅は、何かが違うのです」
 発端は、五十年前の年末。餅つきをした夜に、その家の若い青年が急死したことにあるという。
 そして、喪のため据えた鏡餅を動かそうとしたところ、いきなり家が揺れて屋根が一部崩れた。
 人々は不気味がって処分しようとしたが、誰かが触れるたびに、まるで餅自身が怒っているかのように家に何らかの怪異が発生した。お祓いを頼んでも、まったく効果がなかった。
 そしてとうとう動かすことを諦め、五十年間その家の床の間に鎮座している。
「兄ちゃん、どう思う?」
「……今までの事例を考えるに、餅を住処にしているやつがいるとか」
「もしかしたら、ミッチーたちみたいに」
「やめろ、その可能性を一切排除したいんだ」
「もう、研究者がそれでいいの?」
 物に魂が宿った場合、動物など何らかの形をとって姿を現すことが多い。しかし、時折、物体そのままの状態で命を持った生物も存在する。その例として挙げられるのが、某国の道だったり別の国の家だったりするわけだが、詳細はドMシリーズの『ドM道』および『ドM館』にて。
 もしも、魂が具現化した存在がいたとしても、一般人には見えない。まずは自分たちの目で確認する必要がある。
「可愛い妖精さんだったらいいなあ」
 蔵人は、心の底からの願望を吐き出すように呟いた。


 兄弟が旅の疲れでうつらうつらとし始めた頃、秋津が道を左折しながら口を開く。
「ここがうちの村です」
 二人は顔を上げ、窓の外を見やる。
 山と田んぼと畑、ところどころに民家。絵に描いたような風景が広がっていた。
「あ、本当にいるみたいだね」
 十四郎は早くも浮き浮きとした様子だ。とりあえず自分たちの研究対象がいるのは事実らしい。蔵人は弟を見て確信する。
 車は奥へ奥へと進んでいく。その先の丘にあったのは、見るからに年季の入った家屋だった。十四郎は感嘆の息を漏らす。
「すごい……」
「遠目で見る分にはいいんですけれどね」
 秋津は家の前で駐車し、屋根の一部を指す。ところどころ、微妙に色が違う。
「修復に修復を重ねてきましたが、もうそろそろ本格的な改築が必要なんです。でも、最近、何も触ってないのに家が揺れるようになりまして」
 それで依頼したというわけだ。
 車を降り、蔵人は黙って頷く。さすがにここまで近づけば、彼にもよくわかる。気配がする。
「静江おばちゃーん、来たよー」
 玄関の引き戸を開け、秋津は奥に呼びかける。ゆったりとした足音とともに、六十すぎと見える女性が姿を現した。
「修ちゃんすまんね、ありがとうね。こちらが、頼んでた人? ようこそおいでくださいました。平本でございます」 
 彼女は膝をつき、深々と頭を下げる。兄弟もそれに倣って一礼する。
「吉中と申します。大まかな話は、秋津さんから伺っております。早速、例の……餅を見せてもらってもいいですか?」
 静江は返事をせず、目を丸くしながら蔵人の顔を凝視した。
「あの……?」
「あら、失礼しました。どうぞおあがりください。ご案内します」


 静江に促され、一行は廊下を進む。
「大きいおうちですねえ」
「行事のときは、うちに集まることが多かったものですから」
 しみじみとした口調で、彼女は語る。
 半世紀前まで、平本家での餅つきは村の年末の恒例行事だった。しかし、今は行っていない。もちろん、五十年前の事件と餅が原因だった。
 静江は襖を開ける。その先は、縁側に面した、三十畳ほどの和室だった。
 蔵人が床の間に目を向けると、件のものは堂々とそこに鎮座していた。
「これですね」
 彼は近づく。悪戯な小人さんが餅を住処にしているだけでありますように、と願いながら。
 すると――。
「三郎さん……?」
 声がする。しかし、具現化した存在は何も見えない。
 蔵人がくるりと振り向くと、にこりと笑う十四郎と目が合う。彼は再び踵を返した。
「三郎さん、なの?」
 最近、引きが多いな。蔵人は咳払いをしながら、静江や秋津に声をかける。
「端からだと、単に僕らが幻覚や幻聴に襲われているように感じるかもしれませんが、どうかそのまま見守っていていただけないでしょうか?」
 戸惑いながらも二人が頷くのを見てから、蔵人は向き直る。
「三郎っていうのは?」
「あ、私の叔父にあたります」
 蔵人は餅に声をかけたつもりだったが、静江が答えてしまう。
「最初に……餅の呪いで死んだ人間です。とても優しい人でした」
「私じゃないわ!」
 怒りを孕んだ口調に、思わず兄弟は二人揃って一歩下がる。
「私は、こんなにも彼を愛しているのに!」
「君は?」
「ひょっとして、あなた、三郎さんではないの?」
 餅は、怪訝そうな声を出す。
「まったくの赤の他人。呪いの餅があるっていうから調べに来たんだ」
 餅の周囲の空気が悪くなる。
「呪いだなんて! 私はただ、あの人に魂を吹き込んでもらっただけなのに!」
「……はあ」
 こりゃまた、面倒くさそうな。頭をぽりぽりと掻く兄の横から、十四郎が一歩前に出て、彼女に笑いかける。
「ごめんね、不愉快にさせちゃって。詳しい話を、君の口から聞かせてもらってもいいかな? 三郎さんのこと気になるんだ」
 待ってましたと言わんばかりに、餅は喋り出す。
「とってもとっても素敵な人よ! 彼みたいにね」
「どちらかと言わなくても、女性的な気質。誕生してから五十年ほど経過しているが、精神年齢は十代後半から二十代半ばと推測。言語に地方や年代の特徴は見られず。特定の人間に強い関心を示す」
 蔵人は無視してノートにメモする。
「兄ちゃんみたいに?」
「ええ。三郎さん……今でも思い出すわ。とても、とても素敵な方だった」
 餅が語るには、彼女に心が宿ったのは収穫されて、餅つきのために蒸されている最中のことだったらしい。
 どういうわけで自我を持ったのかは、彼女自身もよくわからない。しかし、すぐに食べられる運命にあったことは理解できた。餅つきがどのようなものかも、本能でわかった。
 杵を振り下ろされ、痛めつけられ、形を変えられ、最後は食べられる。
 覚悟を決めて、臼に入れられた彼女は、残酷な儀式の開始を待った。
 そのとき、ふと覗きこんできた青年に運命を感じてしまった。それが、平本家の三郎だった。
「いなせでね、杵で私をつく姿の勇ましいこと勇ましいこと。あれは、一目ぼれだったわ……!」
 蔵人は餅の視点で想像してみた。
 杵を自分に振り落とし続ける男に惚れる女。ドM以外の何者でもない。
 またか。どういうことだ。この類のものはみんなそろってドMなのか。他の例はどこかに存在しないのか。研究者仲間が隠しているのではないか。
 苦悩する兄をよそに、十四郎は実に絶妙な相槌で、彼女の話を真剣に聴いていた。それに気をよくした餅は饒舌になる。
「そのとき、私は悟ったの。彼に食べられるために、この心は生まれたんだって。その幸せを味わうために、彼とひとつになるために! でも、その日の夕方、彼は亡くなってしまったの」
「餅を喉に詰まらせて?」
 蔵人はメモから目を離さずに尋ねる。
「いいえ、本当に突然死。まだ二十二だったわ。あの人に食べられて、あの人の体の一部になれたら私幸せだったのに」
 しくしくと涙を流すように、餅の周囲の湿度が上がる。
「いつかまた、あの人の生まれ変わりに巡り合えるかもしれない。それだけを信じて、五十年間耐えてきたわ。捨てられたり他の人に食べられたりしたら、たまったもんじゃない。一生懸命抵抗し続けた。でも、もう限界みたい」
 蔵人はその姿を観察する。表面は完全に乾燥し、端には青いカビが見える。
「最近、触れられていないのに家が揺れるという話があったが?」
「頑張って姿を保ってきたけれど、私ももう滅びようとしている。限界なのね。それで、つい」
「ほう」
 状態変化を自らの意志で抑えたり、限界が存在する点は、道や家には見られない特徴だ。研究材料として期待できる。
「あの……」
「元気出して、モッチー!」
 またその類か。
「やっぱり、ミッチー、ウッチーときたら、モッチーだよね」
「十四郎よ、兄はお前の言語感覚が心配です。ごめんな、ちょっと日本離れすぎたな」
「モッチーね……あの人にも私のこと、特別な名前で呼んでほしかった」
 うっとりと言う餅へのツッコミの言葉を蔵人が探していると、いきなり彼女の意識が彼にぎゅんっと向けられる。
「三郎さんね、あなたによく似ているの……!」
「は?」
 きょろきょろと周囲を見渡すと、壁に写真がいくつか掛けられているのが目に入った。
 蔵人は静江を見ると、彼女も秋津も、餅と会話を始めた兄弟を見て呆然としていた。
「あの、平本さん」
「あら、あ、はい。ななな、何かしら?」
 目の前の出来事に困惑しながらも何とか応対しようとする努力が窺える。吉中兄弟はこういった反応に慣れている。罵倒されないだけいい。
「三郎さんは、あのなかにいますか?」
「えっと、この人です」
 彼女は最も端にある写真を指す。十四郎はそれを見上げ、感心したように頷いた。
「確かに、兄ちゃんにちょっと似てる? こっちの人のほうがたくましそうだけど」
「うるさい」
「ええ、私も最初はびっくりしました。ちょっと面ざしが似ていますね」
 静江はどこか嬉しそうだ。
「そうですか。あれ曰く、その三郎さんに一目ぼれしたものの、彼が死んでしまったものだから、暴れたり図々しく居座ったりしたらしいです」
「ちょっと、何そのまとめ! もっと詩的に言ってみなさいよ!」
「お前にポエムの何がわかる!」
 怒鳴り返す蔵人に、静江と秋津はびくりとする。
「兄ちゃん、その言い方はないでしょうに」
 咎めるような、十四郎の視線。視線を逸らし、蔵人は小さく謝罪した。
「ごめんね、うちの兄ちゃん、ちょっとだけ口が悪いんだ」
「三郎さんは、もっと優しい人だったわ。でも、顔は似てるから許す! 劣化版でもね。私、あなたにだったら食べられてもいいわ!」
「はあ?」
「私、ずっと考えてた。食べ物として生まれたからには、やっぱり食べられるべきなのよ。それが運命なの。でも、どうせだったら、せっかくこうやって心を持ったのなら、好きな人に食べられたいじゃない? だから、この人にならって思える人をずっと待ってたの! 愛情込めて私を咀嚼して、飲みこんでくれる人を!」
 蔵人は、血の気が引くのを感じる。
「どうか、その白い歯で思いきり噛んで、私の身体をめちゃめちゃにして! 愛し合いましょう!」
「ごめんなさい、僕は龍とか人魚姫とか妖精とかが好きだけど、恋愛は人間オンリーです」
「ねえねえ、ちょっとキャラ崩壊してるよ?」
 弟の言葉に、蔵人は頭を振った。
「……十四郎。兄ちゃんな、今、ドSな生物にだったら抱かれてもいいと思ってる」
「早まらないで!」
「絶対、他の子には渡さないわ!」
「黙れ!」
 蔵人は溜め息をつく。
「馬鹿なこと言ってないで……これからのこと、真剣に考えよう」
「これからのことって?」
「俺たちは君みたいな存在を研究するのが仕事なんだ。君に時間がないとすれば、限界までとにかく観察を」
 その瞬間、家が揺れる。
「いやよ! この青カビ見て! いずれ私、青カビだらけになっちゃうわ! 今、まだ餅らしい白さが残っているうちに食べてもらいたいのよ! 完全に醜くなる前に餅としての運命を全うしたいの! それが女心ってものなの! お願い、食べて、食べて、食べて食べて! 研究材料なんて残酷なこと言わないで!」
「だが」
 蔵人は眉間にしわを寄せる。
 研究材料うんぬんを抜きにしても、保存環境が芳しくない状態で五十年も経った餅を口に入れることに抵抗がある。
「兄ちゃん」
 いつになく真剣な顔で、十四郎が兄の肩を叩いた。
「モッチーの望み、叶えてあげられないかな?」
 まさかの背後射撃に、蔵人は青ざめる。
「はあ?」
「僕は、モッチーの言うとおりにしたいって思うんだ」
 切なそうな弟の顔を見ながら、蔵人は必死に首を横に振った。
「よ、よっよよっよよく考えてみろよ、十四郎。俺がこいつを食べれば、こいつは形を失くして、あるいは思いを遂げて消滅するかもしれない。そうしたら、貴重な研究対象がひとつ失われるんだぞ?」
「わかってる……でも、研究をするためだけに、僕らはこの能力を持ったなんて思えない。たとえ自分が損をしても、モッチーの幸せを考えたいんだ! いつも僕の分までお金のことやってくれてる兄ちゃんには悪いけど」
「弟くん、よく言ったわ!」
「よし。すみません、平本さん、秋津さん。兄がこのお餅を食べることで、今回は解決すると思います。用意してもらってもいいですか?」
「十四郎、ちょっと待て、落ちつくんだ!」
「兄ちゃん、僕からもお願いだよ……五十年間待ち続けたモッチーを幸せにしてやって!」
 完全に餅に感情移入してしまっている。蔵人は恐怖で震えるが、静江と秋津はさっそく台所へと引っ込んでしまった。
「いやだ、いやだ、いやだああああああ!」
 広い室内に、蔵人の叫びがこだました。


「ああ……こんな……幸せ……」
 咀嚼するたびに、やけに色気のある声が響く。ついでに、苦さと渋さと辛さと考えてはいけない何かがブレンドされた味で、口内全体がぴりぴりとする。
「私、今、ようやく生まれた意味を実感しているわ……。食べ物はやっぱり、食べられることが幸せなのよ」
 飲みこむも地獄、吐くも地獄。
 蔵人は涙目だ。
「さすが兄ちゃん、漢だね!」
 無邪気に親指を立てる弟の笑顔に、彼を支えようと決意した気持ちがどんどん消滅していくのを感じる。
「これで、私、あなたの一部になれるのね」
 今すぐ肉体を捨て去りたい。いっそのこと、自分が未確認生物になってしまいたい。幽霊でも妖精でも妖怪でも悪魔でも何でもいいから。
 そう思いながら、蔵人は、巨大な餅を完食すると同時に倒れた。
 敷かれた布団で彼が唸っていると、十四郎と秋津が様子を見にきた。
「お兄さん、大丈夫ですかね?」
「大丈夫、うちの兄ちゃんは強い人だから」
 お前に言われるのは何か癪だ。頑丈な身体を持ってるくせにこっちに押しつけやがって。
 蔵人はそう文句を言いたかったが、今は声も碌に出せない。
「まあ、ゆっくり休んでいきなさい。お礼はたっぷりしますから」
 十四郎はにっこりと笑う。
「ありがとうございます。結構忙しかったから、休むのにちょうどよかった」
 蔵人に背を向けてに座り、二人は月を見上げる。
「普段は外国ばっかり回っているんです」
「ほう。そもそも、君たちはどこの出身なんですか?」
「こっからだと飛行機かな。新幹線じゃちょっときついから」
 具体的な地名を言うと、秋津の驚く声が漏れた。
「そんな遠いんですか。わざわざこっちに来させてしまって悪かったですね。あっちに寄るの大変でしょう?」
「別にいいんですよ。もともと行く予定なんてまったくないから」
「ん、帰らないのかい?」
 十四郎は、いつもよりも少し落ちついた調子の声になる。
「帰らない。帰ってもうちの親はきっと喜ばないし、今でもそこに住んでるかどうかも知らないもん。たぶん、まだ生きてると思いますけど。あ、さすがにもう離婚しちゃってるかな、わからないや」
「え?」
 秋津からすれば、信じられないことのようだ。けれども、十四郎は笑い交じりに喋る。
「僕も兄ちゃんも、あの人たちからすると要らない子なんです」
 蔵人は腹の痛みをこらえて、弟の話に耳を傾ける。
「僕ね、小さい頃、親にすごくすごく可愛がられてたんだ。そのとき、どうして父さんも母さんもこんなに優しいのに、兄ちゃんには冷たいんだろうって思ってた。なんで兄ちゃんと僕で、こんなに態度がちがうんだろうって」
 十四郎にしては珍しく、少々低い調子の声になる。
「ある日突然、父さんも母さんも、汚いものを見るかのような目で僕を見るようになった。お前もかって言って、母さんは泣いてた」
 吉中兄弟の両親は、自分たちには見えない物が見える蔵人を、ひどく嫌っていた。不気味だ、おかしいと言いながら。
 そんなときに生まれたのが十四郎。吉中夫妻は、この次男を溺愛した。蔵人はただ同居しているだけの存在になった。
 しかし、十四郎が成長し、新たな問題が発生した。彼もまた、兄と同様、未確認生物の存在を認識できる体質を持っていた。
 今度こそはまともな息子を持てたと安堵していた夫妻はお互い、相手の血が原因だと罵り合った。
 しかし、世間体のためすぐに離婚できず、家庭内別居が始まった。二人の息子は、完全に無視されるようになった。
「父さんも母さんも、僕たちが目障りだからって親戚に押し付けてさ。でも、兄ちゃんが僕の世話してくれたんです。それで、これは普通の人にはない、自分たちにしかない力だって教えてくれて」
 実際は、世界レベルで見ればもっとたくさんいたけど。十四郎は笑う。
「兄ちゃんがいなかったら、僕はこんなに楽しい人生になってなかった。学校も行ってないし、家らしい家もないけど、それでも僕、すっごくすっごく幸せだよ」
「……今、幸せかい?」
「うん、楽しい! 兄ちゃんは、お金貯まったら僕にも大学に行ってほしいみたいだけどね」
 蔵人は、静かに寝がえりを打って、彼らに背を向ける。
 最初は、自分が弟を導く立場だった。けれども、十四郎はすぐに追い抜かして、遠くへ遠くへと進んでいく。
 今はもう、ただの保護者でしかない。十四郎が完全に研究者らしくなったら、完全に自分の役目は終わってしまうかもしれない。
 それに関して、まだ複雑な思いは払拭できていない。
 けれども――。
 蔵人は目を閉じる。十四郎がもしも研究者として独り立ちしたなら、きっと自分にも生まれた意味はあったと思えるはずだ。そう己に言い聞かせながら。


 結局、蔵人の体調が回復するまで、兄弟は平本家の世話になった。長年悩まされていた問題を解決したと、村人たちからは盛大な歓待を受けた。
「記念の餅つきやりましょうか!」
 いや、餅は二度と食べない。蔵人は密かに決意した。グッバイ、正月の癒しよ。
 出立の日、たくさんの土産をもらい、秋津の車に乗って二人は村を後にした。
「もっといてほしかったんですけれどねえ」
「すみません、次の仕事の関係で、どうしても」
 予定よりも長い滞在になってしまった。怒りのメールが何通も送られたからには、いつまでも動かないでいるわけにはいかない。
 仕事をどんどん進めていかないと、二人の生活費が稼げない。引き続き調査ということになった、他の生物のところにも足を運ばなければならない。
 ホームまでついてきた秋津に挨拶をし、二人は列車に乗りこむ。すぐに発車ベルが鳴り、兄弟は遠ざかる依頼者に手を振った。
 またここから、空港まで長い道のりだ。
「なあ、十四郎。今の生活、本当に楽しいか?」
 ふと投げかけられた兄の質問に、十四郎は満面の笑みで首肯する。
「もちろん! 知りたいことも出会いたいヒトもまだまだいっぱいだろうし」
「そうか」
 早く成長して、立派な研究者になってくれ。兄など必要ないと、誰もが認めるほどの。
 蔵人は窓の外を見る。景色はゆっくりと流れていった。


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