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最終話ですが、長くなったので分けます。

 『……て。……き……よ。起きてよ』


 

 脳内を劈いた声にハッと目を見開く。けれど視界は真っ暗で、幾度まばたきをしても変化はない。

 無音の世界。

 どくり、と心臓が嫌な音を立て、冷や汗が浮かぶ。思わず胸を押さえた。

 ――なに……、何も見えない! ここはどこ!? 私、さっきまで……外に座ってたよね? 嫌だ……怖い!

 「い……やっ……ドルディノさんっ……!」

 


 『起きた? こっちを見て?』



 頭中に響くそれに体が飛びあがる。

 「っだ、誰か……誰かいるの……!?」

 恐怖に丸めた体を抱き締め忙しなく目を動かす。背後に何かの気配を感じ取っておそるおそる振り返ると、映ったそれに目を剥いて固まった。

 


 『やっと会えた! ずっと会いたかったよルディ!』

 

 

 「…………」

 喜色の浮かんだ男の声に答えるように、ゆるりと頭を振る。

 

 

 『どうしたのルディ。……もしかして、僕の事。…………忘れた?』

 


 低くなったその声に、危うい気配を感じ取り、リンはごくりと唾を飲み込んだ。

 それでもじっと、目前の巨体を見つめる。

 


 『……キミ、ルディじゃないね……誰?』



 黄色の瞳孔が縦に細まって、リンを睨む。

 肌をひりつかせる殺気に、背筋が凍りつく。一つでも間違えば殺されると悟った。

 早鐘のように打つ心臓を押さえつけ、ゆっくり名を告げる。

 「私……は、リアン……と、いいます……」

 


 『……キミ、ルディの、何?』

 


 手汗が滲む拳をぎゅっと握り締め、喉を鳴らした。

 「わ、私には……わかり、ません……ごめんなさい……」

 水を打ったように、音が止む。

 リンはただただ、そこに佇む緑色の巨体――……緑竜を見上げ続けた。

 目を逸らしたら死ぬとでもいうように。



 『……ふぅん。でもキミの魂から、ルディを感じるんだよね……だからもしかしてって、思ったんだけど……。そうだよね、ここにいるわけないか……僕は、ディーを守ってあげられなかったんだから……』


 

 その言葉が慟哭のように感じ、リンの胸を締め付けた。

 再び横たわる静寂の中、リンの中で一つの考えが浮かぶ。

 もしかしたら、黙っているほうが正解なのかもしれない。けれど。

 「あ、の……私……正確にいうと……銀の一族の、リアンといいます……」

 


 『……そう。……そうなんだ……確かにさっき、ルディがよく歌ってくれた歌が聞こえたと思ったんだ。だから僕、ルディが来てくれたんだと思って――……! でも、違った……』



 一瞬明るさを取り戻した声色に、絶望が滲む。

 「私が、歌いました。……そのせいだと、思います……すみません……」

 この竜は、おそらく“封印された緑竜”なのだ、と内心で結論付ける。ルディという人が、殺されてしまった銀の一族の女性なのだろう。

 けれど、自分からルディを感じる、とはどういうことなのだろうか。



 『……ねぇキミ。リディッタって知ってる?』



 徐々に、現実を受け止め始めているのかもしれない。

 先刻より少しだけトーンが上がった声にほっとしつつ、思案する。

 「……いいえ……聞いたことはありません、すみません。……その方は……?」

 話すうちに険が取れてきた気がしてつい訊いてしまい、後悔する。

 

 

 『リディッタは、ルディの妹なんだ。……あれから、どのくらい経ったのかな』



 あれからとは、彼が死んでから、という意味かも知れない。

 「ここは……アグレンという、竜族が住まう大国で……その、……ある緑竜さんが、五百年以上前に色々あった、とお話ししてくれました……」



 『……あぁ、そうなんだ。そう……じゃあリディッタも、とっくの昔にいなくなってるんだね。……キミの魂からルディを感じるのは、もしかしたら、キミがリディッタの遠い子孫だから……なのかもしれないね』

 


 『だとしたら……ちょっと嬉しいな』と目を和らげる。

 


 『リディッタの子孫……リアン。僕のために、もう一度……あの歌を、聞かせて欲しい』

 


 請われ、何故か「ああ、最期なんだ」と、心が苦しくなる。

 サファイア色の瞳の奥が熱くなり、喉にせり上がってくる感情を抑え込んで、俯いた。

 「……はい……。あの……最後に、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか……?」

 ふっ、と笑われたような気がした。


 

 『いいよ。もう誰も呼ばない名だけどね。……僕は、ルニクス・ラド・アグレン』

 


 「ルニクス……さま……ありがとうございます」

 すぅ、と肺を膨らませ、言の葉を舌にのせる。

 安らかにいけるように。

 また生まれ変われるように。

 今度こそ、愛する人と幸せに暮らせますように。

 そんな想いを込めて。

 

 「あぁ……懐かしい……」

 感極まったような声が鼓膜を震わせ、歌い続けながらも瞼を押し上げる。

 そこに立っていたのは長い深緑の髪を三つ編みに、耳横から腰まで垂らした男性。

 足元から上がって来たであろう、きらきらした光が、ゆっくりと彼の体を包んでゆき、消していっている。しかし痛みはないのか、男の表情は明るかった。

 「ようやく……ルディの元にいける…………。ありがとう……、リアン」

 胸が詰まって、上手く歌えず、声が震える。

 目尻から零れた一筋の涙を、竜人の親指が優しく拭った。

 こてん、と彼の額が、リンのそれにひっつく。

 間近で見た彼の硫黄色の眼差しは、とても温かくて。

 引き攣った声で言葉を繋げながら、彼の瞳から流れる涙を拭おうと指先を伸ばすも――……掠ることなく、光の残滓と共に天に向かって消えていった。

 


  

 「っ……」

 ぱち、と目を開けると、よく知った白い天井が視界に映った。

 ――……ここ……寝室……?

 回らない頭で考え、周囲を見渡すと、ベッドの端に伏せている漆黒の癖っ毛が見えて口元が緩む。

 左手が温かいなと思ったら握られていたらしく、嬉しさでいっぱいになった。

 ――それにしてもドルディノさん、どうしてここに? 私、なんで寝てるんだっけ……? ええと……そう、私さっきまでルニクスさまとお話してて……。えっと、その前は確か……。

 真夜中に寝付けず、外へ出たのではなかったか? 

 ――そう、それから……歌を……。

 それなのに、どうしてベッドに寝ているのだろうか?

 内心首を傾げながら窓を見やる。燦々と降り注ぐ陽光が目にしみて、ぎゅっと瞑った瞬間。

 コンコンとノック音が響いて返事をする前に扉が開き、黄緑色の瞳と目が合った。

 驚いたような表情をしていたのは一瞬で、笑顔に取って代わる。

 「おはよう、リン。よく眠れた~?」

 「ぁ……ぉ、は、」

 「あ、ごめんごめん。声掠れてるね~先にお水飲もうか」

 被せるようにフェイが言い、手渡してきたカップを口元で傾ける。

 喉を鳴らして飲んだ水はとても美味しく、体にしみわたるようだ。

 「まだ飲む?」

 「あっ……いいえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 「うん。ところでドルディノ君と話した?」

 「あ……いいえ。……寝てるので……」

 「まあそうだよねぇ~。彼、心配し過ぎて死にそうになってたよ」

 「えっ」

 フェイがニヤニヤしながら言う。

 それは穏やかではない。

 「ねぇ、リンは外で何してたの?」

 「あ、私は夜眠れなくて……気分転換に」

 「そのあとは?」

 「そのあと……」

 思案するリンに、フェイが続ける。

 「地震なかった?」

 「地震……が、あったんですか? ……気づかなかったです」

 「ふぅん~そうなんだ~」

 心ここにあらず、といった風のフェイを見つめていると、真横から掠れた声が聞こえた。

 「ん……あぁ……、僕、寝ちゃって…………」

 顔を上げた綺麗な灰色の瞳がリンのサファイア色を捉えた瞬間、掻き抱かれていた。

 「リンさんっ! リンさんっ、リンさん……!」

 耳元で囁かれる喜色が滲んだ声に、胸がきゅんとして破顔した。広い胸に顔を埋めると香ってくるドルディノの匂いに愛しさが溢れ、彼の背中に回した両手に力を込める。

 「ドルディノさん……!」

 「リンさん……本当によかった! 死んでしまわないかと不安で居ても立っても居られなくて……」

 両手で包み込むように顔を上げられ、ひどく揺らいでいる灰色の双眸に微笑みかけた。

 「心配させてごめんなさい、私はもう大丈夫です。それより、ドルディノさんのほうが体調悪そうですよ……なんかゲッソリしてませんか? ちゃんとご飯食べてますか?」

 「大丈夫です。これからは食べますから」

 こつん、とおでこ同士がくっついて、心が満ち足りて笑みが零れた。

 「ねぇリン。あそこ、見てごらんよ」

 いつの間にかバルコニーへ出ていたフェイに呼ばれ、ドルディノに支えてもらいフェイの隣に移動する。そして驚愕した。

 そこには、緑の草原が広がっていた。風が吹けば、葉擦れの音が鼓膜を揺らす。

 「…………ど…………どうして、急に、こんな……?」

 信じられない光景に、思わずドルディノと繋いだ手に力が入る。真横のドルディノを見上げると、彼も茫然と眺めていた。

ラスト、今日の夜にアップします。

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