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顔を上げると、ずっと見つめていたのかドルディノと目が合った。眉尻が下がった灰色の瞳が寂しさを訴えているように感じて、手を伸ばしそっと指先を絡め合う。
二人の雰囲気は完全に恋人のそれで、フェイとマルクスは顔を見合わせ、どちらからともなくニヤリと笑った。
「それでね、リン。君にプレゼントがあるんだよ~」
「え……プレゼント、ですか?」
うんうんと頷いたフェイは「ドルディノ君にもだけどね~」と付け加え、リンに手を差し出した。
眼前の手の平を見下ろし、ぱちぱちしたリンは小首をかしげて問う。
「ええと……手を乗せたらいいんでしょうか?」
「うん、そうだよ~。ちょっと気持ち悪いかもしれないけど~」
「……? では……」
そんなことはないと思いつつ、フェイの手の平に置いた指先が、握られる。刹那、カッと体の奥が熱くなり肌がざわついた。
「っなっ……!? フェイ、さんっ……!」
「なに? リンさんどうしたの? フェイさん?」
何かを探られているような、体中に走るぞわぞわする感覚に嫌悪感が走る。咄嗟に手を引き抜こうとするが、放してもらえない。
「大丈夫だからこのままで」
「っ……」
両目をぎゅっと閉じ眉間に皴を寄せて耐えていると、不意に不快感は消滅し、間髪入れず左の鎖骨下が熱を持ち始める。
驚いて見ると、肌の上に青色に輝く花弁のようなものが四枚描かれてあり、瞠目した。
数秒ののち光は消え、青い花模様だけが残る。
「……フェイさん、これは……」
「それはね~、オイラの魔力の欠片なんだ~」
「え……? どうして……」
「じゃあ次、ドルディノ君。手を出して~」
「あ、はい……」
リンの疑問に答えることなくドルディノの手を取ったフェイは、再び瞼を閉じ、自身の魔力を送り込んでドルディノの体の奥に眠る“魔力”の気配を探る。見つけた魔力の糸を自身のそれに絡めて手繰り寄せ、編み込んでゆく。
完成し手を離すと、ドルディノは不思議そうに、右鎖骨下に描かれた青い花模様を眺めていた。
「……リンさんと、同じ……?」
「うん、同じ模様だね。これはね、移転紋章っていって、同じ模様を持っている者の所へ瞬時に移動できる術なんだ~」
「「えっ!?」」
「へー超便利じゃん」
「ただし回数制限つきでね~四回までなら使用可能。今、模様が青でしょ? 一回消費するごとに緑、黄、赤って変化するから、慎重にやらないと、移動したけど戻れない~ってなるよ。まぁドルディノ君は空飛べるし、リンは迎えに来てもらえそうだから心配いらないよね~。あ、飛びたい時は、相手の名前を呼んで傍に行きたいって言えばいいから。あと、使用時は目を閉じていた方がいいかもね~気持ち悪くなるかも~」
「へー紋章術師ってやつはすげぇんだなー。さすが……しただけのことはある」
マルクスが囁いた後半の言葉を、リンはしっかり聞き取った。
――……もしかして、封印された竜の……こと?
なんとなく、足元に視線を落としてしまう。
――この下に……骨が埋まってると思うと……なんか、悲しい…………。
「リンさん? 大丈夫ですか?」
背中に添えられた温もりに、はっと見上げると心配そうにしているドルディノがいた。
「大丈夫、です……」
そう言って微笑むと、ドルディノも柔らかい笑みを浮かべる。
「……良かった」
――ドルディノさんは、知ってるのかな……埋まってること。
ジッと見つめていると、ドルディノはにこやかに小首を傾げている。
――可愛い。
「リンはいつグレマルダに戻る~?」
「ええと……」
考えあぐねていると、フェイは続けた。
「オイラも一旦向こうに行くから、一緒に送ってあげるよ~。そうすれば、一回分消費せずに済むでしょ~?」
「なるほど……ありがとうございます、フェイさん」
「うん。……行く日決めたら教えてね~」
「分かりました……」
ひらひらと片手を振りながら踵を返すフェイの姿を眺め、瞼を伏せる。
――行くなら、早いほうがいい……。
「ドルディノさん……」
「うん、なに?」
「……明日、行きます。お母さんたちの所へ……」
「……うん、分かった。……僕も、時間作って会いに行くから」
「…………はい」
別れることを考えるともう寂しくなって、ドルディノの広くて逞しい胸に顔を埋め、滲む涙を誤魔化す。
ぎゅっと抱きしめてくれる腕が温くて、少しだけ心が慰められた。
それからの時間、リンはドルディノと散歩したり昔話に花を咲かせたりなどして、ゆっくり過ごし、夕食を摂ったあとはフェイの所へ行き、明日行きたいと告げ了承を得た。
寝る準備を済ませベッドに入り、目を閉じる。しかし数時間経っても寝付けず、溜め息が零れる。
「……だめだ。全然、眠れない……」
むくりと起き上って窓の外を眺める。暗闇に光り輝いてる星を見ると新鮮な空気が吸いたくなって、バルコニーに出た。
途端、風が寝間着の裾を揺らす。夜だからか少しだけ肌寒く感じ、人肌が恋しくなった。そっと真上を見上げる。
ドルディノが気が付いて、ひょっこり覗いてくれたりしないものかと、淡い期待を込めて。
「……」
頭を振り、会いたい気持ちを抑え込む。
――寝てるんだから、起こしちゃだめだ。
視線は、自然に禿げた大地に向いた。
――世界に、私だけしかいないってわけじゃない……今は寝てるだけで、皆そばにいるのに……それなのに、真夜中にたった一人起きているだけで……人と話しができない、姿が見えないだけで、こんなにも孤独で淋しいなんて……。
胸が、押し潰されそうに苦しい。
リンは寝室へ戻るとベッドを一瞥し、溜め息を漏らすと肩掛けを羽織った。
足音が立たないよう慎重に歩き、扉を開けて廊下に出ると外を目指して進んでゆく。
――この中を歩けるのも、今日で終わりなんだなぁ……。
感慨深く思いながら外に出て、先日シードと会話した辺りで足を止め、お城を見上げた。
目に焼き付けるようにじっくり見渡す。
――今日で見納め……お世話になったなぁ……。
「はぁ……。ドルディノさんと離れるの……淋しいなぁ……」
今ですら、想像するだけで胸が張り裂けそうだというのに、耐えられるだろうか。
風に靡く肩掛けが攫われないよう握りしめ、大地を見下ろした。ゆっくり腰を落とし、指先でそっと土に触れる。
「……ね、緑竜さん。あなたはもうずっと……そこに居るの? ……一人は、淋しくない? 私は淋しいって思った……」
そっと目を伏せる。
「緑竜さんが……好きだった人と、向こうの世界で一緒になれてたらいいなぁ……」
――そしたら、淋しくないから。
両膝を抱えて座ると、倒した頭を腕に乗せた。
木々が揺れ、葉擦れの音が響く。やがてそれに、リンの声が混ざり始めた。
そっと口ずさむ、故郷に伝わる歌。
その終わりがきた瞬間、それは起こった。
ゴゴゴゴゴゴと大きな地鳴りが大気を震わせ、ドルディノは跳ね起きた。
「くっ……ぅ! 地震っ……!?」
キィィィィンと脳内を劈く高音で激痛が走り、頭を抱える。
「リン、さんっ……!っぅ……!」
突き刺すような痛みを歯を食いしばって堪え、飛ぶように窓へしがみつく。体当たりするようにバルコニーへでて手摺りに掴まり、落下を防いだ。
揺れ自体は大きなものではない。それよりも、地の底から聞こえる鳴動に同調して起きている頭痛のほうが問題だった。
「リンさんっ……! 大、丈夫ですかっ……!?」
恐怖に足がすくんでいるリンの姿が浮かび、転がり落ちながら皮翼で宙を掻き、部屋を覗き込む。
――いない……!?
「一体どこに……!」
「何が起きてるんだよ!? 何だこの揺れは!? くっそ、真っ暗で何も見えねぇ!」
ロディの怒号の直後「これで耐えて!」とフェイの叫びと同時に上空に大きな球の光源が出現し、周辺を照らし出す。
「おう、じ……! 無事ですね!?」
顔を顰め手の平で頭を押えたシードと歯を食いしばったマルクスが飛んで来て、頷いた。背後から「空飛べるやつはいいよな!?」とロディが声を上げたが、地鳴りに掻き消される。
「あ、そこ……何か落ちてない!?」
異常を感知して上空に集まった竜人たちの誰かが悲鳴のような声を上げて指をさし、一斉に視線が動く。
落ちているソレが何か理解した刹那ドルディノはリンの名を呼んで飛び出していた。
ビュオオオオオと鋭く風を裂きながら一直線に向かい、仰向けに倒れていたリンを掬い上げて旋回し、光源のそばまで移動すると青白くなった顔を覗き込む。
「リンさん! リンさんっ……!! 大丈夫ですか!? しっかりしてください、リンさん!! リンさんっ……!!」
心臓が早鐘のように打ち、引き裂かれたように痛む。背筋が凍りついて脂汗が滲んだ。
生きた心地がしなかった。
「リンさん……お願いです……起きてくださいっ!! リンさんっ……!! っぅ……なんでっ……どうしてっ……!?」
抱えている両手に力が入る。胸が締め付けられ、喉が引きつった。
血の気が引いたリンの頬に、ぽたぽたと雫が流れ落ちる。
「……王子……、一旦、竜山へ……運びましょう。あそこなら……揺れもないと思います」
シードの助言を受け入れ、飛べないフェイたちと共に岩山へ移り、以前竜体だった自分がいた場所へリンを横たえる。
「っリンさん……」
「ちょっと退いて」
リンを囲むドルディノ、シード、ガーガネスの間に割って入ったロディは跪き、リンの鼻に耳を寄せ、次いで胸に当てた。更に首筋、手首に指に触れると、口を開く。
「多分、まだ生きてる。じっちゃんはどうにかできないの? この間王子サマを治したように」
「無理だと思うが……やってみよう。ナイフを」
靴の間から取り出されたナイフをロディから受け取り、ガーガネスは平の上に滑らせる。直後、滲んできた鮮血を数滴、リンの唇に落とした。
しかし数分経っても、リンが目を覚ますことはなかった。




