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 二階の数ある中の一室の前で足を止めたダグートが、コンコンとノックする。

 どうぞ、と中から聞こえダグートが扉を開けると、ベッドで休むリュグドと、寄り添うように座るアサギの姿があった。

 「様子は、変わりないか?」

 「はい……」

 「そうか……面倒をかける。あと……彼女を連れてきた」

 優しく背中を押す手に導かれるまま、母親の元へ近づいていく。

 「リアン……」

 「……あの、さっきは……っ!?」

 ぎゅぅ、と強く抱きしめられ、ほんのり香る“母”の懐かしい匂いに、胸が熱くなる。背中に両手を回せば、小さく、細くなってしまった体に儚さを感じ、指先に力が入った。

 記憶にある母は、大きく偉大で、力強い存在だった……なのに。

 こんなに、時の流れを感じた瞬間はない。

 せり上がる思いに、視界が歪む。

 ――私が、お母さんを守ってあげなきゃ。

 「お父さんのこと、黙ってて……ごめんね……」

 母親の、抑えきれていない、声の震え。

 「ううん、いいの……もう、いいの。お母さんが無事だったから。それでもう……十分なの」

 ありがとう、と消えてしまいそうなか細い声が、耳朶を打った。

 ひときわ腕に力を込めてから離れ、父親を見下ろす。改めて見てみると、顔色の悪さが目を引く。

 重い空気を払拭するように、わざと明るい声を上げた。

 「お母さん、紹介したい人がいるの! さっきも会ったと思うんだけど」

 扉の前に立っているドルディノに視線を向けると、ゆっくり近づいてくる。

 「ああ、さっきリアンを追いかけていってくれた人ね、ありが……、……?」

 アサギが小首を傾げ、青い瞳を細める。

 「…………ごめんなさい。違っていたら申し訳ないのだけど……以前どこかでお会いしたかしら……? あなた、お名前は?」

 「僕……、ドルディノといいます」

 会釈をしてから上げた顔には、優しい微笑みが浮かんでいた。

 ひゅ、と息を呑む音が聞こえる。

 「あ、あなた……もしかして、昔、一緒に暮らしてた…………?」

 「お母さん分かるの!?」

 つい大きな声が出てしまい慌ててリュグドを確認した。瞼は閉じているままで、ほっと溜め息を漏らす。

 「リアンったら……。そういうところ、変わっていなくてお母さん嬉しいわ」

 呆れながらも嬉しそうにする母親に笑って誤魔化したリンは、ドルディノの腕を取る。

 「お母さん、正解だよ。一緒に暮らしてた男の子! どうして分かったの?」

 「ええ、なんとなく面影が……。そう、あの頃は会話もできなかったけど、今は話せるようになったのね。良かったわ。リアンを守ってくれてありがとう」

 「とんでもありません! ……ずっと、守れていたら良かったんですけど……」

 目を逸らすドルディノに、「いいえ」とアサギは答える。

 「守ってくださってるわ。今までこの子に何が起きたのかは分からないけれど、でも、少なくとも今は楽しそうに笑っているから……昔のように。だから、ありがとう」

 そう言って愛しそうにリアンの頭を撫でたアサギは、ドルディノに頭を下げた。

 それから数時間、昔話や、離れ離れになった後のこと、再会できたヤルやロディ、ロネのことを話して過ごした。

 もちろん、性別が女になったことも。

 するとアサギはドルディノとリアンを交互に見つめてから一言「大事な人が出来たのね、良かったわ」とにっこり笑い、リンの頬を紅く染めさせた。

 太陽が真上に来た頃、マルクスとフェイを連れてダグートが顔を出した。どうやらマルクスとフェイは一旦アグレンに戻るらしく、ドルディノを呼びに来たらしい。

 どうしよう、と悩んでいると「行ってらっしゃい」と母親に背中を押され、リンは抱きついた。

 「絶対戻ってくるから……」

 「ええ。待ってるわね」

 そうして、両親とダグートに別れを告げたリンは三人と共に大空へ舞い上がり、アサギは愛娘の姿が見えなくなってもずっと眺めていた。



  

 日が完全に落ちる前にアグレンに戻ると、シードとガーガネス、ロディが出迎えてくれた。

 リンは、ロディと寝室へ引っ込み、夕食に呼ばれるまでの間にグレマルダであったことを簡単に説明すると、ロディは「会えてよかったな!」と喜んでくれた。

 夕食後、お茶を頂いていると、シードがやって来て「話があります」と言ってきた。

 思わずドルディノを見れば不思議そうにしており、マルクスは訳知り顔だ。再び深緑の瞳を見上げると、ふと気付く。

 今まではどこか冷めた目つきをしていたのに、その眼差しが和らいでいる。

 「……わかりました」

 席を立ち、シードのあとをついて廊下に出る。そして彼は、そのまま真っ直ぐ外に出ていった。

 草木が一本も生えていない中央で足を止めたシードは振り返り、リンと目線を合わせる。と、突然シードが跪き、リンは驚愕した。

 「えっ!? 一体どうして……か、顔を上げてください……!」

 「今までの無礼、申し訳ありませんでした」

 「えっ!? ぶ、無礼!?」

 「はい。正直に申しますと、わたしはあなたが嫌いでした」

 あまりのどストレートな告白に心臓が嫌な音を立て、息苦しくなる。

 なんとなく、察してはいた。察してはいたが……直にこうもはっきり言われて傷つかないわけがない。

 逃げ去りたい気持ちが、無意識にリンの足を一歩後退させた。

 「……王子が人間の屋敷で竜に戻っていた時も、わたしは一瞬抱えているあなたを落とそうかとも考えました。まあそれは、マルクスに警告されたこともあり、止めましたが」

 「っ…………」

 血の気が引いて、手に汗が滲んだ。

 害を与えようとしていた、と自白されている。思わず後ろに下がった。

 「言い訳になりますが、わたしは王子が行方不明になっていた時期にあなた(・・・)と一緒に過ごしていた、ということを先程まで知りませんでした。つまり、あなたが、王子の『命の恩人』だということを」

 ストンと腑に落ち、肩に入っていた力が抜け、少しだけ体の強張りが解れる。

 「わたしには、あなたが王子を誑かす人間としか思えなかった。だから、王子の前から消えて頂きたかった。しかしそれは間違いだったと、今は分かっています」

 「そう……ですか……」

 それしか言えない。

 ――理解してくれて良かったです、本当に。心から。でも怖い。

 国を治めるにあたって、時には残酷な判断も必要だと解ってはいるけれど。

 「……申し訳ありませんでした」

 「ああ、いえ……あの、はい……分かりました……分かりましたので、立ってください……」

 「……」

 綺麗な所作で立ち上がったシードの金髪が、吹いた風にさらさらと靡く。長い睫毛の奥に隠れるエメラルドの瞳が、暗闇を照らす月光できらきらと輝いて美しい。なのに、どうしてだろう。

 仄暗く感じるのは。

 「……わたしは、あなたが恐ろしい」

 「えぇ!? 私がですか!? どうして……人間だし、力もないし……」

 小さく頭を振ったシードは城の方を向き、リンの視線もそれに続く。

 ――あ……!

 二階のバルコニーに並んでいる人物を見て、リンの顔が綻んだ。

 ドルディノとマルクスが微笑んで、フェイは片手を振ってくれている。

 「……王子は、黒竜でありながらも優しい気性を持っています。故に、皆に対しても平等に振る舞っていますが……あなたについては、違います。あなたは、特別なんです。王子の、あなたに対する感情が命の恩人だからなのか、人間でいうところの愛なのかは、わたしには分かりません。ほら、よく聞きませんか? 愛する人を守るために殺人を犯す、復讐を成す……そういう話を。わたしは、王子があなたへの感情で狂ってしまうことが、とてつもなく怖いのです」

 「っそんな! 私はそんなこと望んでいません! 人を傷つける、だなんて……」

 「あなたはそうかもしれません。でも王子がどういう行動に出るかは、この先、分からないでしょう?」

 ぐっ、と言葉に詰まる。

 確かに、なんの確約もできないのだから。

 「…………その昔。心優しい青年がいました。彼は女性が苦手でした」

 なんの話、と思ったが、黙って聞く。

 「しかし、後継ぎは必要です。それを心配していた母親はある日、心優しく従順な女性を彼にあてがいました。少しでも、女性に対する嫌悪感が薄まるように、と」

 「……」 

 なんとなく、話の顛末が分かる気がした。

 「もうお分かりですよね。彼は、母に遣わされた女性に恋をしたのです。しかし、母親はそれを良しとしなかった。……割愛しますが、母親はその女性の命を奪いました」

 ひゅ、と息を吸い込む。

 心臓が、痛い。

 ふと、両親の姿が脳裏をかすめた。

 「彼は……狂いました。母親を殺し、母親を止めてくれなかった父親も手に掛け。残ったのは、全く関係のない者たちと……唯一彼女を慕っていた、彼の幼い弟だけでした」

 せり上がってくる感情を抑え、疑問を舌にのせる。

 「彼は……どうなったんですか……?」

 「……どこからか連れてきた紋章術師の力によって、封印されました。……この、真下に」

 そう囁いて、シードは足元に目線を落とした。

 草木一本生えていない、大地に。

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