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鼻をすする音が響く中、ダグートは静かに訊いた。
「その女性は……リンの母親、なのか?」
「っ……はっ、ぃっ……」
嗚咽を漏らしながら激しく首肯するリンに「そうか……」と落とすと、ドルディノに視線を投げる。
頷き合い、ダグートは再びホール中央で騎士に抑えつけられている女王に向かい合った、その時。
「あ……、アサ、ギ…………さ…………?」
男の掠れ声で、水を打ったように静まる。
リュグドが、抱き締め合っている銀髪の親子に、泣きながら手を伸ばしていた。
『アサギ』それは、母の名前ではなかったか、と。そう思って見上げたリンの青い双眸に映る、リュグドを見つめる母の顔は。
まるで、知らない女性のよう。
「……お、かぁさ……?」
「……りゅ、リュグド、さ……ん……」
騎士が、掴んだ手を離さなかったのだろう。リュグドは、崩れ落ちるように床に膝をついた。
「……ミラルザ・ランス・グレマルダ。お前が銀髪の女性を攫い、塔に閉じ込めていたのか?」
ダグートの疑問に間を置いて、女王が答える。
「…………そうだ」
「何故だ?」
「息子、リュグドは後継者なのだ。そんな高貴な者が、どこぞの村娘などと一緒になるなぞ、許されないだろう?」
「殺す為か」
「そうだ」
「だが殺さなかった。何故だ?」
「……何故、だろうな……」
どこか遠い目をする女王。
もしかしたらこの女も、国王であった父上を慕っていたのかもしれない、と思う。しかしその想いに応えてはもらえず……。息子の恋人を殺せば、自分と同様、届かない想いに苦しむことになる。
だから、銀髪の女性を殺しきれなかったのではないか。
色々と、複雑な思いが……あったのかもしれない。
――余計なことだな。
「……ガディロ、地下牢に連れて行ってくれ。しっかり繋いでおけよ。ついでに失神したままの宰相もな」
「はっ」
騎士たちにより、床を引き摺られるように連れていかれる女王は、もう何も言わなかった。
はぁ……、と重い溜め息をついたダグートの横で、天井を仰ぐボッツが呟く。
「ようやく……終わりましたね……」
「はぁ…………。長きに渡って、ご苦労だったなボッツ。世話になった」
「とんでもございません」
「……王子……第二王子は……」
挟まれた言葉に振り返る。
涙を流しながらリアンの母を見つめている異母兄弟を瞳に映し、告げた。
「……放してやれ」
「はっ……」
解放されたリュグドはしかし、切なさが篭った淡い水色をリンの母――……アサギへ向けるだけだ。
「……下がってもらっていた使用人含め、全員各自の仕事に従事してくれ。私は第一王子、ボッツと客人を連れ応接室へ移動する」
「承知いたしました」
その場に立っていた騎士一同から声が上がり、ダグートは、ボッツに視線をやってから初対面のマルクスを見、フェイ、ドルディノ、銀髪の親子、そして義母兄弟へと移す。
「…………リュグド。私が分かるか?」
膝をついて覗き込むダグートと、リュグドの視線が絡み合い――……こくりとした。
「そうか、それなら良かった。……なぁ、沢山話すことがあるだろう? お前と……お前が大事そうに見つめている、銀髪の女性とも」
「……ア、サギ……」
「うん。……だから、少し場所を移ろう。……いいか?」
黙って頷くリュグドを支え立たせたダグートは、周囲に目で合図し、応接室へ向かって歩き出す。
「……お母さん、私たちも……行こう」
「ええ、そうね……。そうしなければ」
母親と支え合いながら立ち上がったリンは、ドルディノを見上げ、彼が微笑んだのを確認してから動き出し、残りのメンバーはそのあとに続く。
そうしてホールは、警備する騎士数名が残るだけとなった。
手早く掃除が済まされた応接室のソファに腰を下ろした面々に、お茶が置かれていく。口をつけようとしたダグートを戻って来たガディロが止め、毒味役に飲ませてからカップを傾けた。
皆が一息ついたのを見計らい、ダグートの錆朱色の双眸をフェイへ向ける。
「まずは。よく来てくれたな、フェイ」
「いえいえ~あと、頭は知らないと思うので紹介しますね~。ドルディノ君の後ろに立っている人は、マルクスさんっていう方で、彼の同郷です」
「あぁ……なるほど」
立ち上がったダグートはマルクスの正面へ回ると、手を差し出し――……その手を、マルクスは遮った。
「んやんや、色々ありますし、今は無礼講ってことで行きましょう」
「申し訳ない」
「おう」
再びソファに落ち着いたダグートは、錆朱色をマルクスの横に立っているドルディノへ向けてから、彼の目前に座っているリンへと移す。
「リン……無事で良かった。大変だっただろう?」
「あ、はい。でも、ドルディノさんがずっと守ってくれました。フェイさんも」
「そうか」
柔らかくなった錆朱の眼差しに、リンも微笑みを返す。
「詳しいことは、フェイに聞くとしよう。そして……あなたは、リンの母上ということで合っているのだろうか?」
リンの右隣に座るアサギは、目前から穴が空くほど見つめてくるリュグドから視線を剥がした。
「はい。リン……と呼ばれている、この子の母親でございます」
「なるほど。では質問させていただきたいのだが……リュグドとはどういった関係で?」
「…………」
押し黙ったアサギはそっと瞼を伏せ、リンと繋いでいる手に力を込める。その間に、ダグートの目が細められ、リンに移った。
「……もしや……」
「……お母さん……?」
ダグートとリンが同時に呟いた。アサギは一度、深呼吸をしてからしっかり前を向く。
「そうです……この子は、リアンは……リュグドさんとの子供です」
「えっ!?」
「僕……の、……?」
驚愕で立ちあがったリアンを、淡い水色の瞳が追う。
「そ、んな……そんなこと、急に言われたって、私…………っごめんなさい!」
「リアンっ!」
部屋から飛び出したリアンのあとを、ドルディノが無言で追いかけて行った。
ホールまで駆け抜けて外に出たものの、行くあてなどどこにもない。
それでも、少し離れていたかった。
「リンさん」
優しく呼んでくれるその声に、心臓が早鐘を打ち、胸が苦しくなる。
「ドルディノさん……」
「気分転換、しませんか?」
「え……。でも、どこへ……?」
「それはもちろん」
人差し指を天井に向けたドルディノに、リンは微笑んだ。
「……はい」
素早くリアンの膝下を掬ったドルディノは勢いよく空を舞った。竜の背に乗った時とは違って全く怖くなく、ドルディノの首に両腕を回して胸に顔を埋める。
――心臓の音が聞こえる。……あたたかい……。
先刻までの塞いだ気分がほぐれていく。
「リンさん、怖くないですか? 見てください、綺麗な青空ですよ」
「……はい……」
淡い水色。
それは、リュグドを連想させる、透き通った色だ。
「屋根の上に座ってみますか?」
「……はい。いってみたいです」
気を取り直してそう答えれば、すぐに飛行して屋根の上に下してくれた。
艶がある美しい漆黒の翼が消えてしまい、惜しい気持ちになりながらも、お礼を伝えて両膝を抱えるように座る。
突然手を取られてドキっとしていると「ここは危ないから」と言われ、頷いた。
――顔が熱い……!
立膝をしているドルディノに見惚れていると、灰色の瞳とかち合って視線を逸らす。
「リンさん。色々ありましたけど……お母さんと無事に逢えて、良かったですね。今は、それだけでも……いいんじゃないでしょうか」
「…………」
じわりと、涙が滲んできて、顔を覆う。
そう、急ぐことはないと思わせてくれる。
急に現れた父親の存在を、今すぐ認めなくても……考えるのは、ゆっくりでもいいんだって。
いつも、そうやって……彼は、心を支えてくれる。
「っ……はい……」
――そんな優しいあなたが、好きでたまらない。
「戻ったか、リン。……気分はどうだ?」
ドルディノと共に応接間に入ると、一人掛けソファに腰かけたダグートがそう言ってきた。その横に座るフェイと、正面の壁に凭れかかっているマルクスに挨拶をされてお辞儀を返しつつ、アサギとリュグドの姿がないことに気付く。
「急に飛び出してしまってすみません……大丈夫です、ありがとうございます。……あの、お母さん、たち……の、姿が見えませんが……」
「……。一旦、座れ」
「あ、はい」
二人が対面のソファに腰を落ち着けたのを見計らってから、ダグートは告げた。
「……実はな、二人が出て行った直後、リュグドが血を吐いて倒れた」
「えっ!?」
「まあ落ち着け。侍医に、……弟はずっと病に侵されていて、余命幾ばくもない状態だった、と説明を受けた。今はリンの母上が傍についてくれている」
ひゅっと息を吸い込む。
ただでさえ、突然父親だと言われて戸惑っているのに、今度は……。
悩む時間すら与えてもらえない。
「……どこに……いますか?」
「案内しよう」




