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竜体から人型に変えて薄暗い洞窟から出た刹那、刺すような陽光に甲を翳す。
先刻まで体を蝕んでいた息苦しさも、抑えきれない吹き荒ぶ欲求も消え、晴れ渡る気分だ。
「お、来たぞ」
背後から響いたマルクスの声に正面を向くと、急いで走ってくる銀髪の少女の姿に破顔する。
「っドルディノさぁぁぁんっ!」
「リンさん!」
胸に飛び込んできたリンの背中に軽く腕を回すと、上目遣いで見上げてくるサファイアが涙の膜で揺れていた。
「っ……うぅっ……!」
みぞおちに、おでこをぐりぐりしながらすすり泣くリンの頭を撫でていると、シードを筆頭に皆がバラバラに近づいて来る。
「シード。迷惑をかけてごめん、ありがとう。皆も」
「……肝が冷えることはもう御免ですよ、ドルディノ王子」
「うん、ありがとう。で、その……僕の治療をして下さったのは、ガーガネス様……で合ってますよね?」
空けられた道を進んでくるガーガネスの貫禄溢れる姿に感嘆するが、おくびにも出さない。
「お初にお目にかかります、ガーガネスと申します」
「顔を上げてください。あなたは僕の恩人なのですから」
「滅相もございません」
「傷の手当てもありますし、一旦城へ帰られますか?」
「そういたしましょう」
ガーガネスの手の平には白い布が巻かれていたが、鮮血が滲みだしている。
二人の間で話がまとまると、ガーガネスはロディを呼んで腕に座らせ、飛び立った。次いで緑竜人たちが飛び去っていく。
「よし、じゃあフェイ君は……」
そう言ってちらりとシードを見やったマルクスは、その眉間に皴が寄っているのを確認すると、口角を上げる。
「……俺でいいかな?」
「おっ、今度はマルクス君に連れていってもらえるんだ~! 得したなぁ~」
「なんだそりゃ」
マルクスが笑いながら腕を差し出し、フェイが座る。「いくぞ」とかけ声がしたと同時に彼の足は地を蹴っており、空の彼方になっていた。
「王子」
「リンさんは僕が一緒に行くから大丈夫だよ、シード」
「……では、お先に失礼します」
深緑の皮翼がバサリと音を立て羽ばたいていき、視界から消える。
「……リンさん?」
胸に頭を押し付けたまま体を強張らしている少女に声を掛けると、肩が大きく震えた。
「どこか、体調でも――……」
「ちちち、違います! 大丈夫です!」
ばっと顔を上げたリンの上気した顔、潤んだ蒼い瞳に心臓が跳ね、声が上ずった。
「だだ、大丈夫なら、いいんですけど……!」
これ以上見てはいけない気がして、目を逸らす。
――な、なんか暑いな……。
「あ……あの……」
腕を掴んでいるリンの手に、ぎゅっと力がこもった。
「その……すみません、私、ずっと……だ、抱きつい……ちゃ、ってて……邪魔、でしたよね……」
「え!? そんなこと全然ない、です、よ……」
途中からリンが嬉しそうに微笑んだのを見て語尾が尻すぼむ。
なんだか恥ずかしいことを口走った気がする。
「いえ、あの……か、帰りましょうか?」
「はい!」
「じゃあ……僕の肩に凭れてくださいね?」
「は……っひゃぁ!?」
両脚を掬われ思わずドルディノの首に両腕を巻き付ける。
「あ、すみませんリンさん。驚かせちゃいましたね、大丈夫ですか?」
「だだだ大丈夫、大丈夫です!」
リンは、耳元にかかった吐息のこそばゆさに耐えきれず、紅潮した顔を隠すように埋める。
――お、お姫様だっこ……!
二度目のような気もするが、初回は体の調子が悪く、それどころではなかった。
「では、飛びますね。ゆっくり行きますけど、舌を噛まないように気を付けてください」
「は、はいっ……!」
ふわりと体が浮いたと思ったら、柔らかい風で靡く髪が頬をくすぐっていく。腕を回した肩越しに見た竜巣山の天辺は雲を突き抜ける程高かった。
城に戻ったドルディノは溜まった疲れもあり、夕方までの間、休息をとった。
食事を頂いたあとフェイから話がしたいと言われたため、ドルディノはリン、マルクスと共に居間へ移動し、テーブルを挟んだソファーへ腰を下ろす。
マルクスの合図で運ばれてきた温かいお茶を口に含むと、そっと息を吐いた。
「それで……お話とは?」
口火を切ったドルディノに、正面に座ったフェイは頷く。
「うん、それなんだけどね~。そろそろオイラ、ここを出ようと思って~」
その言葉に、ドルディノの隣に座っていたリンがぱっと顔を上げた。
「あ……もしかして、お頭さんの……?」
「うん、そうなんだ~。ドルディノ君が暴走している間はオイラの力が必要になるかもしれないからここに居たけど、もう落ち着いたでしょう? ボッツは既に向こうと合流してるし~」
「フェイさんは、ずっとお頭さんと連絡を取り合っていたんですか?」
リンがそっと口を挟む。
「うん、そうだよ~。まあ頭と……っていうよりボッツと、かな。頭は自由に動けない状態って聞いてたし。まあ、もう状況が変わってる可能性もあるけど~。ああ、怪我したわけじゃないから大丈夫だよ、リン」
安心して、と柔らかな眼差しを送られたリンは、詰めていた息を吐いた。
「お頭さんは今、どこに……?」
ドルディノの問いに、フェイは唸り声を上げ天井を仰いだ。と思ったら、組んだ両手を膝に乗せ前のめりになる。
「……グレマルダ」
「え、マジ?」
無言を貫いていたマルクスが声を上げ、フェイが隣に座っている男を見つめた。
「ご存じなんですか?」
「そりゃまあ、他国の情報は一応な。……国王と正妃が治めてた頃は、重税もなく流通もあっていい国だったんだが、正妃が亡くなってから迎えたミラルザを正妻に据えた途端国王が崩御、彼女がグレマルダ女王となり、独裁国家の完成。……色々と血生臭いことやってるって話だぜ」
「あの……お子はいらっしゃらなかったのですか?」
リンが問えば、マルクスの視線が正面へ転じる。
「国王と正妃の間には王子が一人いたが、病死した、と聞いている。……グレマルダ女王にも息子が一人いた筈なんだが、こっちは生きてるか死んでるのかすら分からない。存在すら危ぶまれてる状態だ」
しーんと静寂が横たわり、空気が重くなる。それを払拭するように、ドルディノは口を開いた。
「ボッツさんも、グレマルダに……?」
「うん、いると思うよ。伝書鳥で運ばれてきた紙にはそう書いてあったからね~。まあそういうわけでオイラは明日立つよ。君たちはどうする?」
一応訊いておこうと思って、とフェイは新芽のような黄緑の目を細めた。
「僕もご一緒させてください」
ドルディノの返答に、フェイの口元が緩む。
「正直、君がいてくれると心強いかな。リンは……」
「私も……行きたい、です。でも迷惑になるなら……残ります」
「いいよ。じゃあこれで決まりだね。それで悪いんだけどドルディノ君……お願いがあるんだ」
「はい。なんでしょうか?」
佇まいを直して見据えてくるフェイにつられ、ドルディノも背筋を伸ばし真剣な顔つきになる。が、次の瞬間フェイは満面の笑みを浮かべて言った。
「明日、君の背中に乗せて行って欲しいな!」
ブフッと斜め前に座る男が吹き出し肩を震わせる中、ドルディノは小さな声で「あ、ハイ……」と答えるしかなかった。




