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アグレン王城の執務室で、はぁ……と、シードの重い溜め息が落ちる。
「さて、対策を考えねばなりません」
深緑の双眸に、マルクスを始めとした五名の人物が映った。
「現在、興奮状態にあるドルディノ王子は、竜巣で緑竜数名により拿捕されています。薬師であるリンこと、リアンさんに調合して頂いた鎮静剤は、効果がないどころか拒否反応が見られたので、服用中止しました。恐らく、人間とは体の作りが違うためと思われます」
「はい!」
「どうぞ」
「竜族は薬を作っていないんですか?」
「作っていませんでした。現在は研究中です」
ロディの質問にシードが答え、それにマルクスが補足する。
「今までは必要がなかったんだ。元来、俺たちは頑丈に出来ている。人間の薬もほとんどのものが効果がないか、あっても弱い。しかし、ギーンとかいう男が裏で捌いていたヤツに関しては別だったってこった」
「僕もよろしいでしょうか」
「どうぞ」
ロネが顔を動かし、さらりと銀髪が流れた。
「そこにいらっしゃる……フェイさんのお力は、借りられないのでしょうか」
「あ~、ごめんね~。オイラそっち系は得意じゃないんだよね~」
「なるほど」
「っ……他に……他に、打つ手はないんでしょうか……」
今にも泣きだしそうなリンの背を、真横に立っているロティの手が遠慮がちに撫でる。
「っはああぁぁぁ……。じー様さえいてくれればなぁー」
片手で顔を覆うマルクスにフェイの意識が向く。
「じー様?」
「あー、ガーガネスっていうじーちゃんだけど……知ってる?」
フェイはその名を舌で転がし、頭を振った。
「記憶にないですね~」
「だよな」
大きな溜め息を漏らしたマルクスの双眸がシードへ転じた。
「も、終わりだよな」
「……そうですね」
「じゃあ俺、王子んとこ行ってくるわ」
「ええ」
「……嬢ちゃんもいく?」
思案気に首を傾げているロディに気を取られていたリンは、ハッと我に返った。
「あっ、はいっ!」
「……ボクも行っていい?」
扉前のマルクスに駆け寄るリンの背後を追いつつ訊いてきたロディに、彼は「おお」と答えた。
両腕に座らせるようにして二人を抱え竜巣山に降り立ったマルクスは、着いた途端走り出すリンの背中を見送り、ロディに預けていた籠を受け取って、ドルディノを抑えている仲間に手渡す。
時折苦しそうに唸るドルディノに寄り添ったリンは、黒い鼻筋を優しく撫でる。
「ドルディノさん……大丈夫ですか……? こんなことしかできなくて、ごめんなさい……邪魔ならあしらってくださいね……?」
グルルルル、と瞼を伏せた灰色の瞳が開けられ、靴音をさせて近づいてくるロディの姿を映す。
「ロディ……」
何かを訝しむようなその細目に、訳もなく身を乗り出して庇った。
「何をするの」
「いや……ただ……」
ジッと灰色の双眸を見つめるだけのロディに緊張を解き、佇まいを直す。
「……ロディ、さっきから何考えてるの?」
「……まぁちょっと……危害は加えないから安心してよ」
その言葉に、リンの目つきが胡乱なそれに変わる。
――もうやめて。これ以上ドルディノさんを傷つけないで。……ううん、傷つけさせない。
「大丈夫だよリアン。ただ見てるだけ。そう怒んないで」
「……ん」
暫くしてからロディは、飽きたのか、リアンの隣に移動し仰向けに寝転んだ。
背後には大きな空洞が幾つもある岩肌で、広く切り立った場所になっており、周囲には視界を妨げるものが何もない。
通り抜ける風の唸りを耳にして思い出すのは、やはり住んでいた小島のよく行った浜辺。
そして、家族のこと。
一瞬引っ掛かりを覚えながらも心地よい気流に身を任せていると、ロディは聞こえてきた男の声に意識を戻した。
「さて、ぼちぼちおいとましましょうかー。リン嬢も、いい?」
「……はい」
ここにわざわざ連れて来てもらっている身で、否と言える筈もない。
「ドルディノさん……また、明日きますから……元気でいてくださいね……?」
リンは、小さく喉を揺らすドルディノの額に軽く触れてから、そっと離れた。
食事に呼ばれダイニングルームへ行くと、フェイの姿がなく、マルクスが声を漏らした。
「一人いねぇな……またあそこか? 呼びに行くか」
席を立ったマルクスに次いでリンも習うと、「ん?」と視線を寄越される。
「あの……私もご一緒します」
「そっか。ロディ嬢はどうする?」
「……じゃあ、行きます」
「ちょっといってくるわ。それとも、お前も来る?」
「……まあそうですね」
シードの返答ににやけつつ、フェイを迎えに行くために目的地へ向かって歩く。幾度か通路を曲がり階段を上り下りして辿り着いた部屋に足を踏み入れた時、何かと目が合って息を呑んだ。
――あ……これは……。
「壁に飾られている肖像画は、歴代の王とか臣下だった者たちだ」
「へー」
ロディが時計回りに眺めていき、リンもなんとなくそれに習った。
淡い金髪の絵もあれば、紺碧色を持つ男性、紅蓮を思わせるような人など、様々な者たちが額縁の中から力強く見据えてくる。
そうして回りながら、立ち止まったままのフェイの背中から、三人目の白髪の肖像画を見上げた。
――白髪の方が一番少ないんだなぁ。
「…………あれぇ?」
静謐だった雰囲気を、ロディの呟きが破った。
「……どうしたの? ロディ……」
大袈裟なほど左右に首を傾げるロディに小声で問いかける。
「いやぁ……なんでもない……うん、なんでもない」
ひらひらと手を振りながら、さらっと他のを流し見しつつ、出入口へ向かっていく。
「……まあ、用も済んだことですし戻りましょうか」
「おう」
リンはもう一度、描かれている人物を一瞥してから、退室した。
「しかしフェイ君はあの部屋が好きだねぇ。そんなに面白い?」
「そうですね~とても興味深いですよ~」
来た道を戻る途中もそんな会話が流れてくるが、リンの視線はロディに釘付けだった。
一昨日意識が戻ったロディと、ようやく再会できたことを喜び合っていたものの、隠し事も多く感じて、存在が遠い。
仕方のないことだと解ってはいるけれど。
うつうつとしながら夕食を摂り、食後に出されたお茶に口をつける。
おもむろに始終上の空だったロディが立ち上がり、一斉に注目を集めた。
「やっぱ、はっきりしておかないと気持ち悪いしな」
独り言ち、ロディはぐるりと竜人二人へ顔を向ける。
「あのさ……さっきの肖像画の中で、まだ生きてる竜って……いるの?」




