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お待たせしてすみません。

 グオォォォォォォォ! 

 猛獣の咆哮が轟ぎ、勢いよく風を切った漆黒の尾が、崩れ残った屋敷の半分を陥落させた。大地が揺れ、ズゥゥン、と残骸が沈んでも漆黒の巨獣は長い尻尾をあちこちに叩きつけて止まない。

 そんな光景を、リンは離れた上空から茫然と眺めていた。

 「……あちゃ~……何でああなった?」

 気を失っているロネとロディを腕に抱え、女性を左肩担ぎして飛んでいるマルクスが当惑の声を上げる。

 鍛錬が足りんかったか? と呟く彼を無視したシードは、左腕で捕まえているリンに問うた。

 「地下で、何があったんです?」

 リンは、混乱したままの頭で地下での流れを思い出そうとした。騒ぐ胸を抑え、言葉を舌に乗せていく。

 「……お二人と別れて地下に降りたら、牢屋が壊れていて……ロネとミュンルちゃん、それに、その女性が倒れていました。クロちゃんは……後ろから現れて……苦しそうだったので背中を撫でていたら……急にドルディノさんが膝をついて……光ったんです……!」

 突如、彼自身が爆発してしまったかのように閃光が迸り、目が眩んだのだ。

 ぞっとした。彼が死んでしまったかもと絶望した気持ちは、もう二度と味わいたくない。

 「それで、ああなったわけですか」

 「なぁシード。アレどうする? 戻るのか?」

 「……わかりません」

 もがく漆黒の巨体を見つめる深緑の瞳が揺れた。その双眸が、腰にまわされた腕を掴んでいるリンに落ちる。

 不意に、リンはシードの手が強張ったのを感じた。

 「落とすなよ」

 リンが顔を上げたと同時に鼓膜が破れそうなほどの咆哮が空気を震わせた。その目に映ったのは、頭部を大地に打ちつけて血を吹き流す獣の姿。

 「なっ!? どうしてっ……!?」

 「シード! ドルはどうして頭を打ちつけてる!? アレを止めるにはどうしたらいい!?」

 固く口を引き結んだまま黙り込むシードに、マルクスの顔が歪む。

 「殺るしかないってのか……!」

 ひゅ、と息を吸い込む。失う恐怖に体が震えた。

 「なんとかならないんですか!?」

 「なんとかなるならしています! 人間は黙っててください!」

 見下ろしてくる怒りを宿した瞳に、ぐっと息を詰める。しかし、このまま黙って見てはいられない。

 「った、確かに……私は弱い人間です……でも、だけどこのまま彼を失うなんて嫌です! 私は薬師です! 薬でも何でも作ってあの人を絶対に助けます!」

 その言葉を耳にした瞬間シードの目が見開いた。

 「……そうは言いますが、材料はともかく器具はあるんですか? 見たところ何も携えてなさそうですが?」

 低く呟かれた言葉に、ぎゅ、と唇を噛む。確かに、持っていた道具はギーンに奪われたままだ。おそらく屋敷の残骸に紛れているだろう。

 頭上から舌打ちされ、己の無力さに涙が滲む。

 ――私はどうしてこんなに役立たずなの!

 つと、靴音が耳朶を打った。

 「うわぁお~! 圧巻だねぇ~!」

 場にそぐわない喜色の滲んだ声に慌てて下方を探ると、見覚えのある茶髪に目を剥く。

 「っフェイさん!? どうしてここに……!?」

 「ん? いやぁ~離れた場所にずっといたんだけどねぇ、なんか面白そうだったからつい来ちゃった~」

 ――面白そうだから!?

 「人間。お前まで守れる余力はないが」

 冷ややかなシードの声が響く。

 「うんうん大丈夫大丈夫~。で、あれドルディノ君だよね?」

 「分かるんですか!?」

 「うん、まぁここに居ないし黒いし~。彼、どうしたの?」

 答えに窮した。皆目見当がつかない。

 「ん~……もしかして、彼がああなる前、甘いにおいとか嗅いだ?」

 「えっ……な、なんで……」

 確かに、地下牢には甘いにおいが充満していた。

 ――まさか、その所為なの?

 「やっぱりかぁ~。それで、同胞の方たちは、彼をどうする予定です?」

 その質問に答えたのはマルクスだった。

 「あーそれがさぁ結構困ってるんだよねー。抑えつけるのに成功しても、限界がある」

 「なるほど。応援は期待できますか?」

 「まあそりゃあ国に呼びに戻れば……」 

 「時間はどのくらいかかります?」

 少し間を置き、続けて答える。

 「早くて半日……だが、俺だけじゃ抑えつけるのに半日も持つかどうか」

 「オイラが手伝いますよ」

 「「は?」」

 「え?」

 三人の声が重なった。

 砂利を踏みしめ、フェイが近づいていく。

 「止めなさい! 正気ですか!?」

 「おいおい、止めとけ。俺でもやばいってのにか弱い人間じゃ何もできねぇよ!」

 「フェイさん!!」

 距離を縮めていくフェイにマルクスが舌打ちした瞬間、彼は歩みを止めた。

 「このくらいでいいかな~。さて……ドルディノ君!」

 その叫び声に、暴れていた巨獣の獰猛な眼がひたりとフェイを見据える。

 「苦しいんだよね、大丈夫だよ。抗わないで、受け入れて!」

 手を伸ばしたフェイの全身が光ったと同時に、耳を劈く咆哮と地響きが轟ぐ。

 「ガッ……ウゥッ」

 「なっ……」

 何かの模様が描かれた大地に漆黒の巨体がひれ伏していた。唸り声を上げるものの身じろぎもしない姿を目にし、シードは二の句が継げない。

 「すっ……げ……」

 マルクスが愕然と漏らす。

 全身に纏っていた光を胸と手の平に移しているフェイが肩越しに振り向く。

 「オイラが抑えてるんで、お二人のどちらか、手伝ってくれませんか? 残った方は応援を呼びに行ってくれたら助かるんですけど、どうでしょう?」

 「マルクス。行ってくれますか?」

 「ああ、分かった。フェイだったか……すまん、任せた」

 フェイの返事を聞く前に、マルクスは抱えていた三人を後方に寝かせて飛び立っていった。その姿が見えなくなってからリンとミュンル、竜化したままのイルをおろし、フェイに並んだシードが腕を伸ばすと。

 「っ蔦がっ……!?」

 抑えつけられた地面から何本もの太い蔦が生え、黒い巨体をがんじがらめにしていった。

 「ありがとうございます~、ちょっと魔力温存しますね~」

 「いいえ。……あなたは……まさか、紋章術師なんですか?」

 「そうですね~」

 「……生き残りがいたんですね」

 「ええ、まあ」

 「紋章……術師……」

 「知ってる? リン」

 呟きに答えたフェイに、頭を振る。

 「まあ、伝承だからね~」

 ドルディノ君も知らなかったみたいだし、とフェイが笑う。

 「ドルディノさんと……関係あるんですか?」

 「ん~ドルディノ君と、というより、竜族と銀の一族の昔話かな」

 目を瞬かせるリンに、フェイが顎をしゃくる。

 「今のドルディノ君の姿。あれが本性だよ。竜化って呼ぶみたいだけど。人間と接するときとかは人型を取るみたいだね。今までそうだったでしょう。ね?」

 隣に立つシードを見やれば、静かに頷く。

 「あの……銀の一族って……」

 「君たちのことだよ、リン。知る人のみぞ知るってね」

 「えっ!?」

 どこからか息を呑む音が聞こえた。

 「ヤルとか、向こうにいる君のお友達もそうだよね。遥か昔、竜族と銀の一族は一緒に暮らしていたんだよ。けれどある日、二つの種族は決別し、銀の一族は出ていった。オイラの故郷ではそんなふうに伝わってる」

 「なぜ、あなたの里はそんなに詳しいのですか? まるで、見てきたかのように」

 シードの疑問にどう答えるか首をひねるフェイ。

 その時、竜の唸り声がリンの鼓膜を揺らし、ハッとした。

 「ドルディノさんっ……!」

 「あっ止めなさい!!」

 思わず駆け出したリンの背中にシードの制止が飛ぶが、振り切って伏している顔の手前で立ち止まった。すると瞼が上がり、灰色の双眸にリンの姿が映り込む。

 「ど、ドルディノさん……?」

 グルルル、と苦しそうに呻きながら細まった灰色の対は、リンから外れない。

 リンはそっと近づき、黒ずんだ鼻の前で膝をつくと、ゆっくり手を伸ばして鼻筋に触れる。

 「ドルディノさん……大丈夫ですか……? 怪我、いっぱい……しちゃって……。っ私、何もできなくてっ……ごめんなさいっ。 いつもっ、た、助けてもらってるのに……!」

 しゃくりあげながら、ぽろぽろと涙が流れる顔を両手で覆う。ふと、膝に何かが当たったような感触がして顔を上げると、澄んだ灰色の瞳にじっと見つめられていた。そこに労りを感じる気がして、思わず縋りつく。

 「ごめんなさい、ごめんなさい……。いつも、傍にいてくれて……ありがとうございます……」

 漆黒の竜は返事をするかのように、小さく喉を鳴らした。

 

 数時間後。助っ人を八名ほど連れて戻ってきたマルクスは、シードとフェイを囲んで話し合い、四人がかりでドルディノを持ち上げ、頑丈そうな籠つきの、ベルトのような物を巨体に巻き付けた。促されたリンとフェイは籠に入り、シードと三名が蔦で運び、二人は後方から風力支援、マルクスと他三人で気絶したままのロネ、ロディ、女性とミュンル、イルを抱え、大空へ飛び立つ。

 原型を留めていない瓦礫の山は瞬く間に豆粒のようになる。

 リンは、吹っ切るように前を向いて二度と振り返らなかった。

数年間、スランプに陥り、あれこれ悩んでいました。

ここ最近になってようやく打てるようになりましたので、投稿させて頂きました。


待っていてくださった方、初めての方も、読んでくださってありがとうございます。

おそらく、残り10話前後で、最終話までいくと思います。


それまで、どうぞよろしくお願いします。

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