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遅くなりました。

読んで下さる皆様、ありがとうございます。

 「ろ……ロディ!」

 庇っている背中から前に飛びだそうとしたものの、一本の腕がそれを阻んだ。思わず見上げたドルディノの横顔は真剣なそれで、正面を向いたまま逸らさない。それは同郷だという二人も同じで、不穏な空気を感じ取ったリンの体が強張った。

 名前を呼ぼうとした瞬間剣戟が耳を劈き、マルクスの長剣がロディの短剣を弾き返していた。瞬きをする間に風を切り裂いた剣先が振り降ろされ、高音が轟ぐ。

 口角を上げたマルクスが口笛を吹いた。

 「なかなかやるじゃん!」

 一気に振り下ろされたマルクスの重い一撃を短剣が受け止め、悲鳴を上げる。

 接近戦に持ち込めば純粋な力と力の攻防となる。ロディの短剣がカタカタと震えているのも相まって、誰から見ても男のマルクスに利があるように見える。が、顔色一つ変えない。

 怪訝そうに漆黒の双眸を眇めたマルクスが後方に飛び退き、再び距離が空いた。

 固唾を呑んで見守っていたリンは我に返った。

 「やめてください! お願いです、その子を傷つけないで! ロディは私の大事な友達なの!」

 息を呑んだ音が頭上で聞こえ顔を上げると、ドルディノから見つめられていたことに気が付く。

 「……聞き間違いじゃ、なかったんだ……」

 「え?」

 「あの子……ロディ、っていう名前……なんですよね?」

 金属をぶつかり合わせている二人を振り返って問うドルディノを不思議に思いながらも頷く。

 「そう、ですけど……」

 「…………」

 「ドルディノさん?」

 「じゃあ…………」

 真剣な表情をしたドルディノと目が合い、心臓が早鐘のように打つ。

 「じゃあ、君は…………もしかして、リ」

 「あっ。 あのオッサン逃げたぜー!」

 ガキン! と長剣と短剣が交差し、高い音が鳴り響いた。

 「マルクス、あなたが遊んでいるからですよ! さっさと決着を付けてください!」

 「いやー、結構手練れなんだよねー。まぁ、でも……」

 ロディが押し返しマルクスのバランスが崩れ、その隙をつかれる。疾風のごとく繰り出された切っ先がマルクスに向かい、リンの口から悲鳴が迸った。

 「ロディ! やめてー!」

 刺されるところを直視できず目を逸らした直後、頭上からドルディノの優しい声音が降ってきた。

 「……リンさん、大丈夫ですよ。目を開けてください」

 その声に、おずおずと瞼を開ける。と、目の前の光景に吃驚の声が飛び出して口元を覆った。

 ―――え、え……え? なんで? 二人って初対面じゃなかった? 私の勘違い? なんか恋人同士みたい!?

 ロディの後頭部に左手を添え、右手をロディの腰に回して抱きしめている二人の間には色香が漂っており、まるで他人の逢引を盗み見しているような気持ちになってくる。

 だが、今は恥ずかしがっている場合ではない。ロディの様子がおかしいのだ。一旦近くで話してみなければ。

 「ロディっ……」

 「今は危険だから……行かないほうがいいです」

 一歩前に出た瞬間、引き戻されたと思ったら背中から抱きしめられてリンの息が詰まった。

 心臓は今にも爆発しそうなほど暴れ、限界まで硬直した体中からは汗が吹きだしそうで、顔はすごく熱い。衝動的に叫び出してしまいそうな気持を必死に抑えつつ、お腹に回された腕をもじもじと軽く掴む。

 「っ……! あっ……あのっ……ど、どる、でぃのさんっ…………」

 緊張で上手く呂律が回らない自分が恥ずかしい。

 「はい?」

 「っつ……、は、はなっ……してほしいですっ……」

 「ん? これは……」

 蚊の鳴き声の如く小さくなってしまった後者は、シードの一言に掻き消された。ドルディノの意識がそちらへ向いたことでほんの少し落ち着きを取り戻したリンが顔を上げると、ロディに近づいたシードが、くんくんと鼻を鳴らしていた。

 別の意味で叫びそうになったのをぐっと堪えていると。

 「何してんの? この変態」

 「殺しますよマルクス」

 「いやん~!」

 苛立たし気に溜め息を吐いたシードは髪を掻きあげると、佇まいを直した。

 「微かに香る、この匂い。この方は、もしかしたら傀儡とされているかもしれません」

 「傀儡……?」

 眇められた深緑の双眸に冷ややかさを感じ取り、体がすくみそうになった。が、腹部から肩に移動したドルディノの手にぎゅっと力が込められ、詰めていた息を吐き出す。

 「……意志を持たぬ、操り人形。調べによると、あの男がギーン・グリブスならば、動物や人を使って実験をすることが好きだとか。つまり、その方は傀儡の効果がある薬品を注入された可能性があるということです」

 「っ!?」

 震える手で裾を掴む。

 ―――こんなの、ひどすぎる! じゃあ、もしかして……ミュンルちゃんも!?

 「っ地下にミュンルちゃんたちがいます! 早く助けないと!」


 


 



 「あいづらめええぇぇぇ!! ふざげやがっでえええぇぇぇぇ!!」

 外傷を負った頭部から流れた血が目を塞ぎ、廊下にぽたぽたと跡を残す。ギーンは全身に走る痛みでふらつく体を壁で支えながら、腸が煮えくり返る思いで一心不乱に地下を目指していた。

 飼い犬に手を噛まれるなどあってはならない。断じて許せるものか!

 ギーンの口端が歪む。懐から手を差し抜いたとき、その平には緑色の液体が入っている注射器が握られていた。

 笑い声が響いたが、それは足早になった靴音ですぐに掻き消される。

 間もなくして現れた鉄扉に錠を回し込むと、重たそうな音が響いた。痛む足を引き摺るようにして最奥へ進むと、ギーンの口から興奮で高まった嗤い声が漏れる。

 「さーぁ、お前の出番だぞ!!」

 鉄のぶつかる音を立たせ牢屋の扉を開けたギーンは、足早に踏み入り蹲っている黒い生き物の側に立った。

 ソレは、ギーンにとって未知の生物、興味の対象であり、格好のオモチャだった。

 捕まえた直後はただの子供だったが、何時もするように薬品を嗅がせていると暴れ出し、ある日その姿を変えたのだ。

 化け物に。

 それからというもの、あらゆる手段を講じて実験を行ってきた。

 多種多様に混ぜた薬品を嗅がせ、硬い皮膚に刃物を突き立て、塗り込み、強固な体の中でもっとも最弱な個所を探ったりなど様々だ。随時観察をしてきて、最近この生物は媚薬の香りを吸い込むと荒ぶることが分かった。

 では、それを体の中に摂り込んだらどうなるか?

 いやらしい笑みを浮かべたギーンは黒い生き物の気を引くため、注射器を手の平に打ちつけ音を出す。すると、伏せて床に押し付けていた頭が振り向き、咆哮を上げた。

 鼓膜が破れそうなほどの騒音に片耳を塞いだギーンは鬼の形相で怒声を浴びせると黒い頭を蹴り飛ばし、強かに頭部を打ちつけたのを見て溜飲を下げる。

 「静かにせんか!! 頭に響くじゃろうがああぁぁ!! 」

 「グ……グルルルルルル…………」

 「そう、そうだ。大人しくしておれ……!」

 距離を詰めたギーンの手にある注射器の、緑の液体がたぷんと揺れた。目を見開いたギーンはそれを大きく振り上げると、歯茎を見せて嗤う。

 「あいつらを皆殺しにしろおおぉぉぉ!!!」

 勢いよく振り下ろされた針の先はしかし、届くことは叶わなかった。太く短い尾で飛ばされギーンの呻き声と共に周囲にぶちまけられたからだった。

 辺り一面に濃厚な甘い香りが立ち昇る中、黒い生き物は雄叫びを上げながら壁に頭を打ちつけ、尻尾をうねらせ鉄格子を破壊する。

 頭部を強打した影響か霞む視界に、もがきながら尾を振り回し、壁や石床までも瓦礫にしていく漆黒の生き物を捉えたギーンは歯ぎしりをした。

 「ぐ…………ぞおおぉぉぉっ!!!」

 瞬きをする間にゴミの山と化し、試験薬も失ってはここに留まる意味はない。

 一瞬で見限ったギーンは眩暈がする頭を片手で押さえ、ふらつきながら崩壊しつつある地下室から抜け出すと背後の様子を窺った。 

 刹那、鼻梁に皴を寄せ牙を剝き出しにして唸る化け物の鋭い目と合い、肌が粟立つ。

 「ひ……いぃっ…………!」

 咄嗟に目に入った階段を駆け上り逃げようとするが、重そうな音と振動が伝わってきて背筋が凍った。

 確実に追ってきている。

 焦燥感に追い立てられ、心臓が訴える痛みにも耐え、ぐらぐらする頭でひたすら駆け上ると上階の奥まった部屋に逃げ込んだ。

 ―――早く、早く早く早く早く!!!

 懐から鍵束を取り出し、震える手で一致する鍵を探し当てるその数秒が何時間にも感じる。ようやく鍵穴に差し込んだと思ったらドシンドシンドシンと迫る足音に危機感を覚えて後方に飛びのいた瞬間、蝶番が外れた扉が轟音と共に蹴り倒された。

 「ひいぃぃぃっ…………!!?」

 逃げる場所は、一ヶ所しかなかった。

 バルコニーへ飛び出すように出ると手摺を背に、二足歩行で立っている黒い物体に笑いかける。

 「まっ……待て!! これ以上こっちへ寄るなああぁぁぁっ!! つっっ!!?」

 刹那。

 大地が大きく震え、その瞳に美しい青空が映り込んだ。

 体を包んだ浮遊感と激しい風圧が背中を襲った直後、後頭部に激しい衝撃を受けた。次いで、走馬灯のようにゆっくりと、視界いっぱいに輝いていた空が翳ってゆく。

 全身が押しつぶされ事切れたギーンには、己が暮らしてきた屋敷が崩落したことなど知る由もなかった。

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