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短く切られ、首筋に沿って鎖骨に掛かっている銀髪は少しくすんで見え、体のラインを浮き彫りにさせる黒い服はまるで忍びのようだ。強調された胸の膨らみから続く下肢はところどころ細長く切れており、露わになった白い肌から真紅が滲んでいる。
「ロディ! ロディ!!」
飛びつくように格子を掴んで揺さぶるがビクともしない。意識がないのか、猿ぐつわされ、だらりとぶら下がっているロディは身じろぎ一つしなかった。
「そやつはな、わしを殺そうと忍んで来たらしいが……くくくっ! まさか実の弟に裏切られるとは思わなかったろうなぁ!?」
愉しそうな笑い声が木霊し、格子を掴んだままのリンの両手が怒りで震えた。
―――どうせ、また脅してあなたがやらせたんでしょう!?
「そういえばそやつも初めは汚い赤で髪を染めておってなぁ……落とそうとしたら噛みついてきよったから、猿ぐつわして躾してやったわ」
反響する嘲笑が不快で、耳を塞ぎたい気持ちを歯を食いしばって耐える。
「お……にい、ちゃ……」
はっと横を振り向くと、地面に倒れたミュンルが懸命に見上げている姿を捉え、気が付いたら駆け出していた。
「ミュンルちゃん! ミュンルちゃん大丈夫!? どこか痛いの!? ミュンルちゃん……!」
苦しそうな呼吸を繰り返し、体を丸めているミュンルを見ていると視界が涙で歪んでくる。それが邪魔で何度も瞬きを繰り返し、少女の姿を目に焼き付けた。
「た、すけ…………」
「うん! うん、うん、うん!! 絶対助けるから!! だからお願い、もう少し待ってて!!」
「い……る、も…………」
「え!?」
「そ……こ……」
震える小さな指先が指したほうに視線を向けると、確かに牢が一つあった。そっと近づくと、真っ黒い物体が奥のほうで蠢めいている。
見覚えがある気がして首を傾げた。どこか……遠い昔。確かまだ、母親やみんなと島で暮らしていた頃。
「っ……! クロちゃんっ!?」
「ガアアアァァアァ!」
咆哮を上げたそれは、何かもがいているようにいやいやをし、太く長い尻尾で何度も石床を叩いた。負荷が加わる度に地がひび割れ、破片が飛び散っていく様子を茫然と見つめる。
普通じゃ考えられない程の怪力だ。あれでは、人間などなす術もないだろう。
「……が、よ……。イ、ル……だ……よ」
弱々しい少女の声が耳朶を打ち、黄色がかった淡い灰色の双眸を振り返った。
そういえば、と小さく零す。
そう。私は確か同じような尻尾を目の前で見た。それも最近。
あれは、森から出た直後だった。ミュンルとドルディノが町の端で軽く争っていたとき、背を向けていたミュンルの首筋には鱗が、そしてスカートの裾からは尻尾が覗いていたのだ。あの時はあまりに突然のことで声も出ず、そのあとロネの事があって忘れていたけれど。
―――ミュンルちゃんと、この子……クロちゃんみたいな子は、友達。ドルディノさんと、ミュンルちゃんも……。この黒い子も含め、みんな同じ国の出身ということ? じゃあ、ドルディノさんも…………。
青い瞳に、地に頭をぶつけている動物が映り込んだ。
確かに、ドルディノは人間とは思えないくらいに脚が速い。宿で痺れ薬を仕込まれたときも、フェイや頭は動きにくそうだったが彼は体が動くばかりだけでなく、自分を抱え逃亡までやってのけた。ナイフで深く刺されていたのに、診察してみると浅い傷だったこともある。
―――人間、ではない……?
「っぅ!!?」
心臓に何かが突き刺さったような激痛に襲われ息が詰まり、その場にうずくまった。額に脂汗が浮かび、頸動脈がドクドクと波打つ。体が熱く、これまでと比較にならないほど全身の骨が痛い。
「はっ……っ、ぁ……つぅっ…………っ」
「ほぉ?」
コツン、と靴の先がリンの目尻に映る。全身を襲う疼痛に吐息を零しながら耐え、遅々と見上げるといやらしい笑みを浮かべたギーンの顔が目の前にあった。
「実はなぁ……あの双子が変化する様をじっくり見たかったんじゃが、逃しておってのぉ。くっくっくっく……今回は、見物できそうじゃ!!」
「っやあああああ!!」
腕を掴まれて走った激痛に、絶叫が迸った。地下室から引きずられるように出され、一歩一歩が焼け付くように痛むのに、倒れそうになる脚を無理矢理動かされ続けた。ようやく部屋まで辿り着いたと思えば体がベッドに投げ出され、骨を折られたような痛みに悲鳴を上げる。
肩で息をするリンに腹底から嗤いながら近づいたギーンが、口を開いた。
「痛むんだろう? 可哀想にのぉ! これ以上痛くされたくないなら、こっちを向くんじゃ」
息も絶え絶えにのっそりと振り向くと、愉しそうなギーンと目が合って肌が粟立ったその刹那。
「いやああああぁあぁ!! 放してえええぇぇぇぇ!!」
リンの両手首を片手でつかみ取ったギーンがリンの体をベッドに組み敷いた。
「殴られたくないなら黙れ!」
「っ……!ぅっ…………はっ、はっ……はっぁ……!」
「そうだ。そのまま言うことを聞いておれ」
ギーンの指先が、襟首を掴む。
痛みなのか屈辱なのか恐怖なのか。リンの視界が揺れ、涙が零れた。次から次へと溢れ出て留まる事を知らない。
―――もう、やだ…………! もうやだぁ!!
恐怖で引き攣ったリンの目に愉快そうに笑うギーンの顔が映った、その瞬間。
ひときわ高い声でリンが会いたい人の名を叫んだのとギーンの手が服を裂いたのはほぼ同時だった。
そして、ガラスの破片が煌めきながら宙を舞い、眼前で歯を剝き出して嗤っていたギーンの顔が一瞬で蹴り飛ばされたのも。
重たいものが勢いよく扉に激突した音を掻き消すように、誰かの声が遠くで響いた。
「あーやっちゃったー。ねぇ凄い音したけどあれ生きてるー?」
「さぁ。しかし亡くなったとなると、わが国で裁けなくなりますが」
けれど、リンの耳には聞こえてなかった。
その青い瞳には、漆黒の髪と灰色の双眸を持った青年の横顔が映っていたから。
「どるでぃのさぁぁぁん……」
灰色の目とあった瞬間抱きすくめられて、息が止まった。顔が、熱い。心臓の高鳴りが止まらない。
「ごめん……遅くなって。もっと早く来れたらよかったのに……」
耳元で囁かれた声音に、知らず知らず涙が溢れていた。指先で、ドルディノの服をぎゅっと掴む。
会いたくて会いたくて仕方がなかったひとが、また自分を助けに来てくれた。人間であるギーンなんかより、余程心が温かくて優しさに溢れたひとだ。
人間でなくても構わない。ドルディノさんは、ドルディノさんだ。
このひとがいい。
「大丈夫……? リンさん……、……っ!?」
少し体を離した途端、ドルディノの顔が真っ赤に染まり慌てたように目が泳ぎ始める。
「ご、ごめんなさい! そ、そのっ今まで気が付かなくて! ちょ、ちょっと二人とも後ろ向いてて後ろ!」
「あぁ、はいはいー」
ドルディノの肩越しに、いつから居たのか知らないが男性が二人も見えて驚いた。
この角度からではリンの体は二人から見えない筈なのだが、慌てて脱いだ上着を着せてくれるドルディノが可愛く思え、口元が綻ぶ。
「あの……リンさん、怪我とかはしてませんか? さっき、叫び声が聞こえて……」
「そうそう、それで居ても立っても居られなくなって突っ込んで行ったんだもんねー」
「マルクス。少しは口を閉じたらいかがですか」
「へいへいー」
頬を引きつらせて沈黙しているドルディノに胸をときめかせながら、満面の笑顔で頷いた。
「大丈夫です。あの、後ろのお二人は……?」
「あ、僕と同じ出身のマルクスとシードです。……窓枠に足をかけているほうがマルクスで、立っているほうがシードといいます」
「よろしくーお嬢ちゃん」
「お嬢、ちゃん……」
「ん? お嬢ちゃんじゃないの? 今、ムネあったよねシード」
「マルクス!」
「ほら怒られた。あなたはもう少しデリカシーというものを備えたほうがいいですよ、マルクス」
リンは、そっと自分の胸を見下ろした。そこには、十八年間なかった柔らかい膨らみが確かな重さをもって存在している。
「リンさん、すみません。うちのマルクスが失礼なことを…………リンさん?」
「なんでもないです」
顔が緩むのを、止められなかった。
「ん?」
その時、窓枠に足をかけていたマルクスが室内に降り立ち、二歩前に出た。シードも正面にある扉を睨み、ドルディノはリンを背中に庇う。
「何か来るな」
その刹那。
ドォン! と蝶番ごと蹴り飛ばされた扉が床に落下し「ぐべぇっ!」とカエルの潰れたような鳴き声が聞こえた。
一歩、室内へ進んできた足が壊れた扉を踏んずけ「ぐふぅ!」と何かが漏らしたが、その上に仁王立ちした者を見て、誰かが息を呑んだ。
そこには、漆黒で全身を覆っている、片手に短剣を握りしめた銀髪の女が立っていた。




