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リン視点です。

 「……眠れない」

 強風で窓がガタガタと揺れ、ベッドで天井を眺めていたリンは体を起こした。一本の蝋燭さえない室内は真っ暗だが、気が休まるのは今しかない。陽が昇ると、いつまたギーンが乱暴に髪を鷲掴み、色を落としに来るか分からないからだ。

 恐怖で冷たくなった指先で、まだらの毛をくしゃりと握った。途端、胸の締め付けともう何度襲われたか知れない心痛に呻き、身を縮める。

 肩で息をしながら耐えていると、ギシ、と床の軋んだ音に顔を上げた。

 『近いうちに、僕一人で君に会いに来るから』と、言い残したロネの言葉を思い出した。だが、もしギーンだったら? 

 心臓の鼓動だけが大きく耳朶を打った。息を呑み、穴が空くほど扉を見つめる。すると小さなノックが響いて、安堵の溜め息が零れた。

 礼儀がある者は一人しかいない。

 「……リアン。起きてたの?」

 「うん……眠れなくて」

 カンテラを持ったロネが後ろ手に扉を閉め、近づいてくる。

 「久しぶりだね。なかなか来れなくてごめん。……髪、まだ落としきれてないんだね」

 ロネの瞳が揺れ、顔が歪んだ。痛ましそうに見つめてくる青い双眸に、頷いたリンが映る。

 「大丈夫……。それより、どうかしたの?」

 目尻を指先で拭ったロネは無言で机に向かうと、引き出しを開け底に手の平を当てた。一連の動作を静観していると再び近づいてきた彼の平には、金色の鍵があった。

 「これ……!」

 瞬きを繰り返す。一度だけ机の中を確認したことがあったが、その時は何もなかった筈なのに。

 「持っててくれる?」

 カンテラをリンに渡したロネが再び机に向かう。重いそれを持ち上げてずらすと、床に敷かれている布地一枚だけが残った。それも払いのけると沈んだ取っ手のようなものが現れ、思わず身を乗り出す。

 「な、何……それ……知らなかった……」

 茫然と呟いたリンに目を合わせたロネが、静かに答える。

 「たぶん、僕しか知らないと思う。……あの男は、屋敷に興味ないから」

 言わずもがな、ギーンのことだ。

 「ついてきて」

 金色の鍵を穴に回しこみ取っ手を起こして引っ張ると、カンテラの灯りに照らされて下り階段が浮かび上がった。思わず湧いた唾を飲み下す。

 伸ばされた手にカンテラを渡すと、「気を付けて」と言ったロネが階段を下り始め、リンもそれに倣う。うるさいほど靴音が反響する暗闇の中、頼りになるのはオレンジ色の灯りと先行するロネの背中だけだ。

 やがて、先に階段を下り切ったロネが唇に人差し指を当て、合図をしてきた。頷いて見せると彼は狭い通路を道なりに進んで行く。

 あとを追っていたリンは不意に、足を止めた。今一番聞きたくない男の声を耳にしたのだ。

 誰に喋っているのか知らないが興奮しているのか大声で何かを叫んでいる。

 耳を塞ぎたい気持ちに駆られ、眉根に皴が寄った。

 顔を上げ再び足を動かすと立ち止まっていたロネも靴音を響かせ始める。奥に行くほどギーンに近づいているのか、彼の笑い声が明瞭に聞こえてくる。

 「着いたよ」

 そう囁いたロネの先は光が漏れているのか仄かに明るく、甘ったるい香りが漏れてきていた。

 「ここ、覗いてごらん」

 彼が場所を譲る。ロネが指し示した壁の隙間を覗くと、リンは目を見開いた。

 「っつ……!?」

 刹那、口が塞がれていた。

 危うく叫んでしまうところだった。止めてくれたロネの平をぎゅっと掴み、リンは嗚咽が漏れそうになるのを必死に堪える。

 ―――ミュンルちゃん……!!

 嫌な予感はしていたのだ。けれど、そうならないことを祈っていたのに。

 どうして、とリンは俯いた。決壊が崩れ、雫がぽたりと落ち染みを作る。

 「……ごめん……」

 耳朶を打つ曇った声音に、頭を振る。もう一度瞼を上げ、ミュンルの姿を目に焼き付けた。

 傷つき怯えている彼女に、以前の太陽みたいに明るかった片鱗はどこにもない。綺麗だった体は薄汚れ、ふわふわだった髪の毛も見る影もなかった。

 「くくくっ……! 今日はなぁ、いいもの持ってきたからなぁ~? これはどのようになるんじゃろうなぁ~? はははははっ!」 

 突然目の前にギーンの姿が現れたと思ったら、奥へ消えた。直後、足をばたつかせているような音が反響する。

 「いやぁ! やだぁー! いたいのいやだぁ! お願いお家に帰りたいいぃぃ!」

 その悲痛な叫びを耳にした瞬間、リンの口からくぐもったそれが漏れた。今度は後ろから抱きしめるように口元をロネの両手で覆われていたからだった。

 ―――もう、耐えられない……! あんな小さな女の子にまで!!

 怒りと悲しみで胸が張り裂けそうだ。今すぐにでも助けに行きたいのに、それが出来ない。どうしてこんなに自分は無力なんだろう。涙が止まらない。

 嘲笑して離れていくギーンのあとに、苦しそうに呻いて這いつくばるミュンルの姿が穴から見える。

 「ああぁぁぁ……あついよぉ……。はっ……はっ……く、るし……よぉ…………っ」

 大声で叫びたい衝動が走った刹那、肩を掴まれ向きを変えられ、青い双眸と視線が合った。

 「戻ろう……」

 限界まで抑えられた音量に、歯を食いしばりながら頷く。間髪入れずはっと息を呑んだロネの様子に、再び穴の先に目を凝らした。

 嗤いながら向かうギーンの向こうに、鎖に繋がれた人影が見えた。ほくそ笑んだギーンが、囚われている者の顔を上げ何かしているようだが、暗くてよく見えない。

 「行こう」

 突如そう言ったロネが腕を引っ張り身を翻したため、リンは従いざるを得なかった。

 部屋に戻るとロネは動かした家具を直し、鍵も引き出しの中に仕舞いこんだ。そうしてベッドに座らせたリンを振りかえると、面を伏せる。

 「ごめん……。まさかあの男が、この時間にあそこにいるなんて思わなかったんだ……」

 あんな場面を見せるつもりじゃなかった、と続けたロネに、リンはもう一度頭を振った。

 今更言っても仕方のないことだし、最初に自分があの子を連れて回さなければ、こうなることもなかった筈だ。

 「それより、あの子を助けてあげたい。あそこは何なの?」

 「牢屋だよ……。あの男が……興味を抱いている相手をあそこに入れてるんだ」

 「そうなんだ……じゃあ全員出してあげないといけないね」

 その言葉にはっとロネが顔を上げ、強い意志で漲っているリンの青い瞳を見た。

 「リアン……」

 「そろそろ、ロネも部屋に戻らないといけないんじゃない? 知られたら大変だよ」

 「そう……だね。じゃあ、戻るよ」

 「うん。またね……つっ……!?」

 「リアン!?」

 扉に手を掛けていたロネが、胸を抑えているリンを見るや否やすっ飛んで来て背中をさすり始める。彼の手の平は温かかったが、それを感じる余裕は一切なかった。体を限界まで丸め、焼けつくような痛さに体を震わせた。背中に汗の玉が浮かんでいるのが分かる。

 「大丈夫!? リア……っ……!! そうか……、その痛みは……」

 「っ……な、に…………?」

 苦痛に顔を歪めたリンがロネを見上げると、彼は複雑な表情をしていた。

 「その痛みはね……僕も体験したよ。痛いよね、凄く。……でも、それを越えたら君は、生まれ変わるんだ。新しい自分に」

 「えっ……!?」

 荒い呼吸を繰り返しながらさらに問うと、ロネは口を開いた。

 「性別が、決まるんだよ」

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