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 ドルディノが奴隷として潜入するという作戦を立てた五日後の夜、ボッツが持ち帰った情報のもとフェイと二人でドレシアの町に足を踏み入れていた。

 彼の話によると、まず奴隷として売られる者たちは料亭の奥にある小屋の裏手で、売人と待ち合わせお眼鏡にかなうと連行されていくらしい。

 そんなわけでドルディノは今、紺色の外套に目下深くまでフードを被り、胸の前で両手首を縛られた状態で、フェイが持つカンテラの灯りを頼りにひと気のない暗闇の中を無言で歩いていた。

 緊張で汗をかいた手をぎゅっと握る。

 何かフェイと会話がしたいとは思うが、それは出来なかった。妙な勘繰りを避けるために黙っていようと、あらかじめ決めていたからだ。

 短くも長く感じた数分後、目的地が視界に映るとフェイが足を止めてドルディノを振り返った。神妙な顔つきで彼が僅かに頷いたため、ドルディノも首を縦に振って応える。

 ―――行こう。

 ここからは、芝居開始だ。

 フェイが、ドルディノの両手首に繋がっている縄を一気に引っ張った。

 その影響でよろけてしまった足取りを戻し、顔を上げる。フードの中から覗く灰色の双眸は、固い決意で漲っていた。

 フェイに引っ張られながら目的地へ着くと、そこには既に一人の男が立っていた。

 腕まくりされた袖から覗く腕はオレンジ色の灯りで陰影が強く浮き出て、酷く筋肉質に見える。中途半端で放置された髭も男の印象を無骨にさせていた。

 野蛮人―――……そんな言葉が脳裏を掠める。

 「よぉ。……そいつか? ツラを拝ませろよ」

 男の言葉で、フェイがドルディノのフードを払った。染めたままの金髪が、うっすらと闇夜に浮かび上がる。

 不意に、品定めするように眺めていた男の目つきが鋭くなった。

 「……どっかで見たことあるツラだな?」

 どくんと心臓が強く飛び跳ねたが、視線は男から逸らさなかった。そうすることで、怯むことは何もないと主張する。

 「……まぁいいか。結構カワイイ顔してるしな。傷もついてねぇ。いいぜ、合格だ」

 男が懐から布袋を取り出し、フェイの平に重たい音を立てて置いた。手早く中身を検分したフェイは「ども~」と片手を挙げ、踵を返す。

 「おら、お前はコッチだ」

 乱暴な足取りで進む男の背中を追いつつ肩越しに振り向くと、足を止めたフェイが僅かな微笑みを残し、建物の影へと消えていく。

 口元が一瞬緩んだが、すぐ真顔になる。再度前を向いたドルディノの眼差しには強い光が宿っていた。

 

 「おら。ここに入っとけ」

 暗がりの中、淡々とした口調でそう告げた男の指す先には、カンテラの光に照らされた大きな木箱が置かれていた。

 ドルディノの視線が男と木箱を行き来する。

 「あと、これな」

 懐に突っ込んだその手が顔面に迫った刹那、ドルディノの視界が闇に閉ざされる。

 目隠しだ。

 「よし、入れ。……違う、もっと右だ。ここだ、ここ。手間かけんなよ……よし、座ってろ」

 じゃあ箱に入ってから目隠ししてよ、と心の中で呟きながら座ると、がた、と何かが動く音がした。

 「じっとしてうるさくすんなよ」

 頭の上でガタン、とより大きな音が響き、完全な暗闇になったことを肌で感じ取った。男は暫く外でなにかしていたようだったが離れていく靴音がして以降、あたりは静寂に包まれている。

 これは、姿勢もさることながら精神的にもなかなかきつい。

 息をついて背中を凭れたドルディノは意味もなく顔を上げた。

 「……フェイさん、無事に戻れたかな……」

 ―――作戦も、滞りなく終わるといいんだけど……。

 フェイの話では、買われた奴隷は一旦ギーンと対面したのち競売にかけられるらしい。リンと同時に会っているドルディノを見れば、奴は面白がって必ず自分のものにするだろうと言っていた。

 あの男に会うまでは、耐えてみせる。そして、リンやリアン、ミュンルの居場所も突き止めて、必ず救い出す。

 逸る気持ちを抑え拳を握る。

 こんなに夜明けが待ち遠しかったことは、なかった。

 

 突如地面が揺れ、飛び起きたドルディノは頭をぶつけ「いたっ!」とぼやいた。辺りは真っ暗―――……と思ったところで、木箱の中だったと思い出す。いつの間にか眠っていたようだ。

 前後左右に傾く体をなんとか支えていると、ドンとお尻に振動がきた直後、揺れが収まった。

 どこかに運ばれたらしい。聞き耳を立て動向を探ると、数人の男たちが行き来している気配を感じる。

 おそらく、自分以外に木箱に入れられている人がいるのだろう。

 「……よし、終わりだな」

 「ったく、毎回疲れるんだよな~」

 「さっさと先を急ごうぜ……」

 「今日は俺が御者だ……中で座ってるやつは楽でいいよなぁったく……」

 ヒヒィン、と馬の嘶きが耳朶を打った。次いで地面が揺れて間髪入れず蹄の音しか聞こえなくなり、ドルディノは重い溜め息をつく。

 またこの揺れに耐えねばならないとは。

 ―――まるで、修行……。

 内心で愚痴ると、不意にマルクスの「修行だ、修行ー!」と張った声が聞こえた気がして、小さく鼻で笑った。

 瞼を伏せると、脳裏に同胞やリンたちの姿が浮かんだ。今頃どこでなにをしているのか。

 「……今の状況じゃあ、何もすることがないし……少し休もうかな」

 そうして仮眠をとっている最中たまに男がパンを渡してくることがあったが、それ以外の接触はなく淡々と時が過ぎた。

 しかしそれは唐突に終わる。空気が変わったのだ。

 ―――これは……海?

 幾度も耳にした海鳥の鳴き声が耳朶に響き、潮を孕んだ風が鼻孔をくすぐる。刹那、不安に襲われた。

 海を越えてしまって、フェイたちはついてこれるだろうか?

 ―――ボッツさんがついてくるってことになってたけど……。

 まあしかし、彼は気配を消すのがとても上手いし、諜報員としての経験もあるだろうからおそらく大丈夫なのだろう……と、今は信じることにする。

 それにしてもずっと同じ態勢でいたからか、筋肉の強張りが酷い。動かせる範囲で凝りを解しながら次に起こる変化を逃すまいと、居ずまいを直した。

 寸刻して、再びやってきた男たちが木箱を運び始めた。おそらく海を越えるために船に乗り変えるのだろう。

 遠くに聞こえていた飛沫の音は男たちの荒い息と靴音に取って代わり、次いで静寂と変化した。

 箱から出たい気持ちを溜め息と共に押し殺し、ドルディノは瞼を伏せた。

 何といっても他にやることがないのだ。

 刹那、ぎし、と床の軋む音を耳が拾い、目を開け素早く頭上を仰ぐ。

 ―――誰かいる。

 警戒心で身が硬くなった瞬間。

 「……いるか?」

 一気に脱力した。

 「ボッツさん……ですか?」

 「そうだ」

 「凄いですね……よくわかりましたね、場所が……。僕は大丈夫です」

 彼の機動力に心底感嘆した。ずっと見張っていなければ分からないだろう。いや、もしかしてずっと見ていたのだろうか?

 そんなことを考えていると、続けて声がおりてくる。

 「随時確認している。それなら良い。フェイから伝言だ。引き続き頑張って~だそうだ。じゃあな」

 「あ! ありがとうございます!」

 控えめの音量でそう叫べば、「ああ」と応えがあって肩が下がった。

 先刻までの重たい気分はどこかへ消え失せた。ボッツからの伝言をフェイの姿ごと思い出し、思わず口元が綻ぶ。二人の気遣いがとてもありがたい。

 ―――よし! 

 改めて気合を入れ直したドルディノは明るい顔で天を見上げたのだった。

 それから間もなくして、ピーと高音が地上で鳴り響いたことに気が付いた。おそらく、船が出航する際に送る汽笛だ。

 感じる揺れが僅かに強まる。ドルディノは、再び目を閉じた。

 それから、どれだけ時間が経ったのか知れない。

 惰眠を貪っていたドルディノの意識が突如引き戻された。

 「ぃ……おいっ! 居るなら返事しろっつってんだよ!?」

 「は、はいっ!」

 「ったく! 手間かかせんな!」

 ドン! と箱ごと体が僅かに傾いて心臓が飛び跳ねる。どうやら木箱が蹴られたらしい。

 遠くなっていく靴音を耳にしながら、吃驚した胸を撫で下ろす。

 今に至るまで男たちが接触してきたのは、移動やら食事やらの必要最低限のみ。今回もどちらかだろうと思っていたが、いくら待っても戻ってくる気配がない。

 ―――もしかして、とうとう……着いた?

 ごくりと唾を飲み下す。期待と緊張で脈拍が急速に高まった。

 すぐにでも箱を突き破って外界の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、凝り固まった体を解したい。そんな衝動に駆られるが理性で抑え込み、じっと耐えた。

 そんな時。

 ―――……!?

 はっと顔を上げ、狭い空間の中、身を乗り出す。

 「こ……れは…………!」

 驚愕に目を見開いたドルディノの心臓は、早鐘のように打っている。

 ―――近づいてくる……!?

 ドルディノはどんな小さな音でも拾おうと、無意識に全神経を耳に集中させていた。

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