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 ―――わわわわわ。

 矢継ぎ早に問われても答えに迷う。

 ―――心配してくれているのはわかるけど。

 「ヤル兄さん落ち着いてください、ぼくは大丈夫ですから。何があったかは長くなるので……ただ、外套を脱いでるのはぼくの意志なので」

 「ん……そうなのか? それならいいが……あと、誰だその子」

 細長い青緑の双眸が、リンの足元に立っているミュンルへ向く。が、突然ヤルはまるで何かに怖気ずいたかのように片足を一歩後ろへ下げた。その口元はぴく、とひきつっている。

 ミュンルはきらきらとした瞳を大きく見開き、とても楽しそうな声をあげた。

 「お兄ちゃん! お兄ちゃんなのに、はげてるひと~!」

 「ぶほぉっ!!」「ぷっ……」 と、遠くの空と近距離から誰かの吹きだした音が届き、間髪入れず、諌めるように少女の名を呼ぶリンの声が響いた。

 ―――わああああああああ! どうしよううううぅぅぅ!

 ドルディノのように、ミュンルの口を直接覆うことは憚られて、小さな両肩を掴むことで制止をかけつつヤルの様子を窺うと、彼は頬を引きつらせながら何かにじっと耐えるかのように俯いていた。

 ―――うわあああぁぁぁぁ! ほんとごめんヤル兄さん!!

 「ボッッ……ツ……」

 語尾が小さくなったのは、すでに彼方の人になっていたからだった。

 彼は、ごく僅かな足音しか立てずに歩くことができる。それ故、誰もボッツがちゃっかり距離を取っていることに誰も気づいていなかった。

 「っモルス!! あとで覚えとけ!!」

 「えええええぇぇぇぇぇぇおれだけええええぇぇぇぇぇ!!?」

 ヤルの空気が震える怒声に、切羽詰まったモルスの声が大きく轟いだ。そんなぁぁぁあぁぁぁ、と悲壮感たっぷりの叫び声が続き、聞いてるこっちが可哀想になってくる。

 ―――あああぁぁぁ……ごめんなさいモルス君……。ドルディノさんが居てくれたら…………。

 もしフェイがここにいたら、ひとしきりゲラゲラ笑ったあとで真顔に戻り、両手を合わせて合掌しただろう。ドルディノが居れば、ミュンルが口を開く前になんとかなったかもしれない。

 だが今は、二人とも居ないのだ。

 リンは罪悪感もあり、フォローを試みた。

 「ヤル兄さん……あの、ぼくのせいだから、ここは……」

 「あぁ? ……いや、お前は悪くない。笑ったのはあいつらだ」

 ドスの効いた声音が、途中でいつもの調子に戻る。

 「そういや話が逸れたが、その子はなんだ?」

 はっとした。

 ―――そういえば話の途中だったんだった。

 「えっと、ミュンルちゃん……この子が、友達とはぐれて困ってたところで会ったって言ってました」

 「言ってました?」

 「あ、はい……ドルディノさんが……」

 「やはり彼か」

 眉根を寄せ低い声で呟いたヤルに、リンは戸惑いを隠せない。

 どうしてこのような反応をするのだろう。彼は、悪い人ではないのに。あの人はすごく優しい人だ。それを、分かってほしいと思う。

 「……ドルディノさんは、この子を放っておけなかったんですよ。だって広い森の中で独りだし……とっても心細かったと思います……ぼくなら…………」

 その先は、言わなかった。

 黙って聞いていたヤルは、一際明るい声で「まっ、」と声をあげる。

 「リンがいいなら、いいさ」

 その言葉を聞いて、リンは胸のつっかえが取れた心地になった。あからさまに安堵したリンを見て、ヤルはそっぽを向く。

 「これからどこか行くのか」

 「あ、はい。足りないものがあったので買い出しに行こうと……この子も一緒に」

 ぎゅ、と、小さな肩を掴む手に力を込める。ミュンルはリンを見上げて嬉しそうに笑った。つられてリンも微笑む。

 「……ま、いいけど気を付けるんだぞ。……なんだかここは……」

 そこで言葉を切ったヤルに首を傾げると、彼は頭を振った。

 「いや、なんでもない。とにかく気を付けろ。用事が済んだらすぐに戻るんだぞ、いいな?」

 「分かりました」

 リンが頷いたのを確認すると、ヤルは道を開けた。

 「行こう、ミュンルちゃん」 

 「はーい!」

 小さな手を繋いだリンがタラップを踏んで桟橋へと降り、離れていくその後ろ姿を見えなくなるまで見守っていたヤルは、不意に「よし」と呟き、監視塔を振り返ると声を張り上げた。

 「も~る~す~!!」

 「ひょ、ひょえええぇぇぇぇぇぇ!!」

 それから数秒後。モルスの「いでっ! いででででででででででででで!!」という叫び声が、暫く船の上で轟いでいた。

 

 ミュンルの手を引いて再度入り口まで戻って来たリンは、寂寞としている町を見て言葉に詰まった。

少し前までちらほらと人の姿があったのに、今は人っ子一人として見当たらない。

 突然心細くなり、ミュンルと繋いでいる手をぎゅっと握った。

 ―――やっぱり、止めておけばよかったかな……でもせっかく来たんだから、買って帰らないと……。 

 不安から心臓が早鐘のように打っているのを感じながら、一旦瞼を閉じて、開ける。

 ―――よし!

 「行こう、ミュンルちゃん」

 「うん…………なんか、変な感じがする」

 「うん……」

 ミュンルが力を込めてリンの手を握り返した。

 本来なら、年が上の自分が安心させてあげなくてはならないのは分かっているが、このような心境ではさすがに出来そうになかった。本当ならすぐにでも船に戻りたい気分なのだ。

 ―――ごめんね……。

 申し訳ない気持ちでミュンルの小さな頭を見つめながらも歩き出した足は止めない。

 止めたら何かが起きてしまいそうな、そんな気さえしている。

 何かに突き動かされているかのようにリンはミュンルを連れたまま町の奥へと進んでいく。入り口付近はまばらだった町並みも、中心へ向かっているうちに密接になっていき、ここまで入り込むと人の姿もちらほらと見かけ始めた。

 誰も居ないよりは気持ちが楽になり、やっと人心地ついた気がして強張っていた体の力を抜く。

 「もう少しだよ」

 囁くように言うと、ミュンルが大きく頷いた。

 ほんの少し甘ったるい匂いが辺りに充満している地帯を足早に通り過ぎると、すぐそこに古びた木製の扉があった。軽く押すと軋んだ音を立てて開かれた。室内は壁に付いてある数個の蝋燭でオレンジ色に照らされ薄暗い。ほんの少しの風圧で灯っている炎が踊って影が揺らぎ、落ち着いていた不安が戻ってきた。

 急いで済ませてしまおうと握った手をぐっと引っ張ったが反応がなく、ミュンルを振り返ってみると、少女はどこかを見つめたまま身じろぎしなかった。

 普通なら不思議に思うところであるが、この時のリンは気が急いており、一刻も早く買い物を終えて船に戻りたい気持ちでいっぱいだった。

 「ミュンルちゃん、ここにいる?」

 ミュンルは、無言でゆっくり頷いた。反応してくれたことに安堵して、リンは足を一歩踏み出す。

 「ごめんね、すぐ戻ってくるからここで待っててね」

 もう一度、こくり。

 「ごめんねすぐ戻るから」

 再度、念を押すように告げてからリンは店の中に身を滑り込ませた。

 足を乗せる度にギシギシ鳴る床が抜けないかと不安で、確かめながら進む。昼前に来た時と同じ場所に立つと、同じ入れ物を手に取ってガラスの栓を抜き、中身を確かめると軽く頷いた。

 ―――これだ。よかった、あった。さっさと買って戻ろう。

 店内最奥にある小さなカウンターの奥側にどっしり構えている、皴の深い老婆にお金を支払うと、リンは小走りで店の外へ飛び出した。

 「ごめんミュンルちゃ……ミュンルちゃん!? え、どこ!?」

 姿が見えず、ざあっと一気に血の気が引いたのが分かった。急激に心拍数が跳ね上り焦燥感に駆り立てられ、ざっと左右を確認しいないとわかると来た道を走り出した。

 のだが、その足はすぐにぴたりと止まった。

 リンは瞬きを繰り返し、数メートル離れた先に立っている、黒の外套を身につけている人物を見つめた。伏せていた面が上げられると同時にリンの眼が徐々に見開いていき、すぐに小さな叫び声をあげて口元を両手で覆う。涙腺が緩み、涙が決壊を越えて次から次へと溢れ出し、ぽたぽたと土に吸い込まれていった。

 まるでいやいやをするように、リンはゆっくり顔を振った。

 堪えきれない想いが嗚咽となり、リンの口から零れる。

 ―――これは、現実? 幻覚? 嘘じゃない? 本当? 本当なの? 信じられない、信じられない! 信じられない……!!

 「っつぅ~~~~っくっ……っ、ろぉっつっ…………っ…………ろ、ねぇぇぇぇ~~~~っ!!!」

 「リアン」

 気が付けば、リンはその胸に飛び込んでいた。これ以上ないというほどの力を両腕に込めて抱き締め、同等の力で抱きしめ返してくる旧友に絶対的な安心感を抱きながら、声が枯れるほどわんわん泣き叫んだ。

 ロネは、リンの肩に額を乗せるとぐっと腕に力を込めた。そして、のろりと頭を上げ、泣いて聞こえないであろうリンの耳元に唇を寄せると、吐息と共にぽつりと囁いた。

 「ごめんな…………」

 


 










°*ο。☆°*ο。☆°*ο。☆°*ο。

 












 蝋燭の淡いオレンジ色の光がほんのり辺りを照らしていた。冷たい石畳をカツンカツンと軽快な靴音を踏み鳴らしながら、横に広い恰幅の背の低い男が鼻息を荒くして歩いて行く。

 ぐふ、ぐふふと、面白くてたまらんとでもいうように、満面の笑みを浮かべた男が明かりのそばを通り過ぎた時、身に付けているいくつもの宝石や貴金属が煌めいた。

 決して一般市民では身につけられない上等な質の黒いチョッキを留めているボタンは、でっぷりとした腹で左右に引っ張られ、いつはち切れてもおかしくない。

 主がいない空の格子をいくつも通り過ぎて最奥につくと、男はにたぁと笑みを浮かべて舌なめずりをした。鼻下からハの字に生えている黒い髭が口元の動きにつられて上がる。

 「くっくっく……あーはっはっはっは!! ええ眺めじゃのお!!」

 男の目前には牢屋が三つ並んでいた。

 向かって左側の牢屋には、左右の壁から伸びている鉄製の大きな鎖に両手を、床から伸びている鎖に両足首を、奥の壁からは腰を拘束されている赤毛の女性が囚われていた。

 男が現れた途端、女は勢いよく鉄格子まで向かって走り、辿り着く前にビンと張った鎖に阻まれ足を止めることを余儀なくされる。

 その様子が面白くて面白くて、小太りの男は嘲笑した。そうして隣の牢を一瞥する。そちらには、上半身裸の少年が拘束されていた。

 その肌は、やけどやみみずばれ、引っかき傷や切り傷、抉ったような肉の盛りも見られ、体中に様々な傷を負っていた。まだ新しく、流血しているものさえある。

 ここにある者は全て、男のコレクションだった。

 「ええ……ええ、ええ! 最高だ!! もうすぐだ……もうすぐにアレが届く!!」

 そう叫ぶと、もう一度男は腹から哄笑したのだった。

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