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 ―――どうしたんだろう。

 突然目を逸らしたと思ったら自分を見上げ、再度顔を俯けてしまったリンを見て、不安を覚える。

 先日、森で兵士達に会ったときリンは胸を押さえて呼吸も荒く、今にも倒れてしまいそうだった。

 結局は、全く別の要因で意識を失ってしまうことになったが……。

 リンの顔をもっとよく見ようと覗きかけたそのとき、くん、と体が後ろに傾いた。

 「お兄ちゃん、町に行ったんでしょ? ……どうだった?」

 緊張した面持ちで尋ねてくるミュンルに合わせ、ドルディノの腰が自然に落ちる。

 「うん……」

 少女の言葉で、見てきた惨憺たる光景が脳裏に再生された。

 木板の上に、まるで飾りのように一列に並べられていた人の生首はどれも恐怖に引き攣った顔をしていた。髪の毛が乾いた血で頬に張りつき、切断部から流れ出たであろう鮮血は板を赤黒く染めあげ大地を汚し、辺りにはむせかえる程の腐敗臭。

 あの場を離れた今でも、鼻について消えない。

 ―――あれを見せるわけにはいかない……。

 いつの間にか俯いてた顔を上げ、ミュンルの黄色がかった淡い灰色の瞳を見つめた。答えるため口を開いたが、背後に立っているであろうリンのことを強く意識し、言葉に詰まる。

 ミュンルは竜だ。血の臭いを嗅ぎ分けることが出来る。そのため、何があったかはおおよその想像はついているだろう。しかし人間であるリンはそうもいかない。ありのままに伝えてショックを受けてもらいたくない。何と答えたらいいだろうか。

 しばし逡巡したが、ドルディノは正直に告げることにした。

 「二人には……見せたくないものがあった。でも、町を抜けずに船場へ行くことは出来ないから……森とのすれすれを行って、出入口に近づいたら……町に入って外に出よう。そうしても……いいかな?」

 その言葉に、目の前の少女は真摯な顔で頷き返した。

 「ぼくも……構いません」

 背後から聞こえた固い声に、ドルディノは振り返る。表情は分からないが、身体が強張っていることは目に見てとれた。

 「……じゃあ、行きましょう」

 立ち上がったドルディノはそう言って微笑み、リンに腕を伸ばす。

 一泊置いてから、リンは歩き出した。


 陽光で明るく照らされた森の中を足早に進んでいたドルディノは、常にリンとミュンルがついて来ているかを意識し、同時に町の気配も探っていた。

 距離をとっていても、酸っぱく鉄のさびたような刺激臭が鼻につく。幼い同胞に目を向けてみれば、少女も眉間に皴を寄せていた。隣に並ぶリンの表情は相変わらず知ることが叶わないため、人間の臭覚がわからないドルディノは彼女がこの臭いに気がついてないことを祈るしかない。

 「リンさん……体調は大丈夫ですか?」

 「あ、はい。大丈夫です」

 「それならよかったです」

 安堵の溜め息を漏らしたドルディノが踵を返したその背後で、リンは指先で鼻を擦った。その様子をミュンルの瞳が捉える。

 「お兄ちゃん……くさい?」

 「え……」

 ミュンルの小さな手が、リンの外套の裾をぎゅっと掴んでいた。自分よりも柔く、幼いそれを両手で優しく包み込んだリンは、頷いた。

 「うん……ちょっと……」

 「だいじょうぶ?」

 「うん、大丈夫。ありがとう」

 ふわふわしている灰色の頭を撫でて、行こう、と手を繋ぐと、ミュンルの瞳が輝いた。

 その様子を肩越しに見守っていたドルディノは、微笑ましく思いながら再び歩き出す。

 そうして歩いているうちに、遠くから人の声が聞こえてくることに気が付いた。どうやら町に近づいているらしい。

 ということは、これから慎重に行動せねばならない。

 「二人とも。……少し、周りに気を付けて進みましょう」

 「うん」

 「はい」

 警戒したのか、幾分低めに抑えられた声音が響き、ドルディノは頷いた。

 「出来れば、僕からあまり離れないで下さい」

 囁くようにそう言うと、ドルディノは再び歩き出した。辺りに葉擦れの音が響き渡るが、ドルディノの耳には遠くにある町の声が聴こえていた。最初は僅かなものだったが、今や明確な言葉となってドルディノの耳朶を打っていた。

 町に近づくにつれ、悲観にくれた人々の声が大きく響いてくる。

 ―――さすがにこれだけ町に近づけば、リンさんにも聞こえているかもしれない。

 肩越しに二人の様子を窺うと、手を繋いでいるのが嬉しいのだろう、満面の笑みを浮かべたミュンルがリンの横顔を見上げていた。リンもまんざらでもなさそうに口元を緩めている。

 ―――大丈夫そう、なのかな? ……二人とも、仲が良さそうでよかった。

 ドルディノの口元は自然に綻んでいた。

 それから暫く歩くと、途中で脇道に逸れた。理由は、町の景色がうっすらと視界に入るようになったからだ。ただし普通の人間であるリンには、なんの変わり映えもない森にしか見えないだろうが。

 歩度を落とし、聴覚と視覚で町の様子を窺いながら死角を探していると、人の目から隠してくれそうな一軒家が目に入った。ドルディノは周囲に視線を走らせながら静かに二人を呼んで誘導し、建物の影に身を滑り込ませる。

 「ふぅ……。とりあえず、大丈夫そうですね……」

 「はい」

 「うん!」

 声を抑えた返事を背中で聞きながら、ドルディノはゆっくりとした所作で家の壁からこっそり身を乗り出し、先刻から騒がしく不穏な空気がするほうへ目を細めた。

 今いる場所は、例の血なまぐさいところからは離れている。つまり、先に見えるあの人だかりは、別件だろうと考えられるが……。

 ―――一体、何が起きてるんだ? もしかして、お頭さんたちに何かあったんじゃ……!?

 「お兄ちゃん、みんな何してるの……?」

 耳元で大きく聞こえたその言葉に肩が飛び跳ねる。ドキドキする胸に手を当てながら、うわずった声で答えた。

 「さ、さぁ……」

 ―――調べに行きたいけど……今出てもいいのか……。

 「あたしちょっと見てくるね」

 「えっ!? ちょっ!?」

 ミュンルを止めようとしたドルディノの腕が、虚しく虚空を掻いた。伸ばされた指の隙間から、少女の淡い灰色の髪が陽光に透けてふわふわと空を踊っている様子が見える。

 まるで風のような速さだ。

 いや、確かに風竜ではあるのだが。

 ―――ま、間に合わなかったああああぁぁぁぁぁぁ!

 「ドルディノさん、ぼくが連れ戻してきますね」

 「えっ!?」

 ―――リンさんまで!?

 焦って振り向くと、ドルディノの了承を待つようにリンがそこに佇んでいた。ミュンルを探して群衆に視線を向ければ、彼らの足元を右往左往している様子が目に入る。

 「…………じゃあ、お願いします。……大丈夫ですか?」

 「大丈夫ですよ?」

 くすり、と笑った気配を感じた。

 「では、ちょっと行ってきます」

 「あ、お願いします」

 小走りで通り過ぎていく背中にそう投げかけると、一瞬リンが肩越しに振り向き、微笑んだ気がした。すぐにミュンルの側に駆け寄ったリンは、少女と二、三言葉を交わしたあと、群れの後ろから人々の目線を追いかけるように顔を上げる。

 しかし突如、静かに後ずさりしだした。

 ―――……? なんか、様子が変だ……。

 塀についている左手に、思わず力が入る。

 ―――僕も、向こうに行った方が……。

 じりじりと距離を取って行くリンを見つめながらそう思案した時、不意に足を止めたリンが、胸元に手を当てた。

 次の瞬間。

 ドルディノの灰色の双眸が、驚愕で見開かれた。

 リンが、今まで一度も脱いだことのない外套を完全に取り去り、その身を太陽の下に晒していたからだった。

初めての方も以前から見てくださっていた方も、読んでいただいてありがとうございます。

精神的なもので色々あり、かなり久しぶりの投稿となりますので不安もありますが……楽しんでいただけたら、嬉しいです。


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