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皆さまお久しぶりです。
色々なことが積み重なり前回の投稿から一年以上経ってしまいました。
次回まで間が空いてしまうかもしれませんが、どうぞお付き合いくださいませ。
お読みくださってありがとうございます。
カサカサと葉先が揺れ動き、その隙間から伸びてきた指先が二つに分ける。そうして通りやすくした道を、三人の若者が歩いて行った。
艶のある漆黒の髪が風でさらりと揺れて、頬にかかったそれを無意識に払ったドルディノは、いつの間にか昇った陽を仰ぎ見る。
早朝、洞窟を発った時はまだ空が白んでいたのだが、時が経つのは早い。
ここまでは誰に会うこともなく歩いてきたが、昨日の兵士たちは、既に森を去ったのだろうか。
―――彼らのことも気になるけど……それより、町に出たらどうしようか……。
お頭たちの姿が、脳裏を過る。
不用意に宿へ戻るわけにもいかない。もしかしたらまだ奇襲してきた男たちが潜んでいるかもしれないのだ。
―――お頭さんたちを捜すべきか……。
頭を悩ませていると、不意に人の声が聞こえる事に気付いて、顔を上げる。
―――町……?
ほっとしてドルディノの表情が和らいだが、次の瞬間それは一変した。
休憩以外では休まなかったドルディノの足が、初めて止まる。
僅かだが、風に混じって何か独特な臭いがするのだ。
「? ドルディノさん?」
休憩ですか? と背後で呟いたリンの声が遠く聞こえる中、ドルディノの眉根に寄せられた皴が一層深まった。
―――これ、は…………鉄みたいな……。でも、それとは別の、違う何かが……。
状況を探るため、神経を耳に集中させる。
徐々に、聞こえる音が明確になってきていたその瞬間、大きな音が耳を劈いた。咄嗟に両耳を塞ぎ、顔を顰めた。同時に集中力が落ち、聞こえていた音が僅かなものになる。
耳鳴りを伴った痛みを耳の奥に感じながら、先刻よりも抑え気味に神経を集中させる。
次の瞬間、老若男女の泣き叫ぶ声や罵声などが耳を劈いた。
ひっきりなしに続く騒音。離れていても、その異常さが伝わってくる。
ゴクリと湧いた唾を飲みこんだ。
このまま二人を連れて町に向かっては危ない。だが、このまま放っておくわけにもいかないだろう。
―――……何があったのか、確かめないと。
駆け出そうとして足を踏み込みんだ瞬間、がくんと体が背後へ傾き慌てて振り返ると、表情を曇らせたミュンルが肩を震わせて立っていた。
気付けば、少女の小さい手が、ドルディノの服の裾を握っている。
これが、自分の足を止めたのだ。
「お、にいちゃ……」
先刻まで太陽のように明るかった声は小さく掠れ、かすかに震えている。
顔色が悪くなったミュンルを見て、はっとした。
身は小さくても、竜なのだ。おそらく、少女もにおいの変化から不穏なものをかぎ取ったのだろう。
小さな細い肩に手を掛けると、ドルディノは安心させるように落ち着いた声音で言った。
「ミュンル。大丈夫だよ、大丈夫……落ち着いて。 ……リンさん」
「は、はい」
突然狼狽して落ち着きがなくなったミュンルとドルディノの間を往き来していたリンの視線が、灰色の双眸に定まる。
「僕、ちょっと……町の様子を見てきます。ミュンルを、お願いします」
そう言って今度は小さな同胞に視線を落とす。
「ミュンル。リンさんを、頼んだよ」
名を呼ばれ、はっと顔を上げたミュンルの瞳が、真剣そのものの灰色のそれとぶつかった。
顔を引き締めたミュンルは勢いよく、何度も頷く。
「分かった!」
その言葉に力強く頷き返したドルディノは、黙ってみていたリンを一瞥したあと、背を向けて走り出す。
小さくなっていくその後ろ姿を見守りながら、リンは心に不安が巣食うのを感じていた。
ドルディノが森の奥へと姿を消し、まるで太陽が隠れ宵闇の中に独り残されてしまったような侘しさを感じ、リンは背中をまるめて顔を俯けた。
すると、風でふわふわと揺れる淡い灰色の髪が視界に入った。それは日を浴びて透けて見え、まるで銀色のような輝きを放っている。
不意に、この少女と、島で幸せに暮らしていた時の自分の姿が重なり、胸が締め付けられる。
瞼を閉じて思い浮かぶのは、血のつながった肉親と、友達。
今頃、どこで何をし、何を想っているのか。
元気にしているのか。
脳裏に浮かんでは消えていく、家族や友人たちの笑顔。しかし、もう細部まで思い出せない。
瞼の裏で、漆黒の髪と灰色の双眸を持った少年が、優しく微笑みがけてくる。そして不意に、少年の顔がドルディノの微笑みに取って代わった。
「っ……」
それを吹っ切る様に頭を振ると、伏せていた瞼を開けた。瞬間、黄色がかった淡い灰色の双眸が目に飛び込んで来て心臓が強く跳ねる。
いつから、見られていたのだろうか。
「ど、どうしたの……?」
変な顔を見られなかったか不安を覚えつつ、落ち着いた声音を心掛けてそう言うと、ミュンルは真剣な面持ちで口を開いた。
「守ってるの!」
危うく吹き出しそうになったが寸でのところで堪え、慌てて平静を装う。
しかし、リンの口元は綻んでいた。
ドルディノに言われたことを、小さいなりに守ろうと、一生懸命なその姿がとても可愛らしく感じた。
先刻までの不安が消えて、今は心の中がほんわりと温かい。
―――私が、この子を守らなくちゃ。
そう、思った。
「あ、戻って来る」
「えっ?」
どきっと心臓が飛び跳ねて、反射的にドルディノが消えた方向を見る。
心臓の高鳴りを感じながら息を潜めてじっと待つ。が、すぐに現れると思ったドルディノは姿を見せる気配がない。
―――あれ……? 音とか聞こえた訳じゃないのかな。勘違い? ……そうだよね、さっき行ったばっかりだもの。こんなにすぐ帰って来るなんてこと、あるはずが、な……。
そこまで考え、はっとした。
先日、彼に抱えられ森の中を駆けた時、凄い速さではなかったか?
改めて側に立っている少女へ視線を移すと、ミュンルは一心にドルディノが消えた方向を見つめていた。まるで、そこからすぐにでもやってくると言わんばかりに。
―――まさか……本当に……? でも、そんなこと……。
普通の人間に、できるのだろうか?
妙な緊張感が生まれ、身を固くして、リンもミュンルが見つめる先に視線を向けた。
しかし、数分経っても彼が現れる気配はなく、若干ショックを受けている自分自身に戸惑いながらも、「戻ってこないね」と声を掛けようとし―――……葉擦れの音が聞こえて、口を噤んだ。
慌てて周囲を見渡すも人影はない。しかし、どこか慌ただしい靴音だけは確実に近づいて来ているのが分かる。
―――誰……!? もしかしてまた兵士……!?
隠れようかという考えが頭を過り、慌ててミュンルを見ると、少女は微動だにせず真剣な眼差を森の奥に向けたままだ。
そんな姿を見て、まさか、と思う。
―――本当にドルディノさんが……? もしかして、今の音は、彼の……?
半信半疑のまま、目を細め、森の奥を見据える。
動物でも人でも、何かが近付けばすぐに分かるように。
すると、突如ガサッと一際大きく葉擦れの音が立って、驚いたリンの体がびくんと跳ね上った。
「あ、ただいま戻りました」
「お兄ちゃん!」
聞きなれた声が響くと同時に、木々の合間からひょっこりとドルディノが姿を現した。
ほっと胸を撫で下ろしたリンだったが、疑問が頭をもたげる。
―――……本当に、戻って来た……。凄い速さ……。でもどうして、この子は分かったんだろう……?
微笑みながら距離を縮めて来るドルディノを眺めていたその視線は、自然にミュンルへ流れる。
そばに来たドルディノは「無事でよかった」と呟いて、抱きついてきたミュンルの頭を軽く撫でていた。
―――この二人、本当にどういう関係なのかな……。なんか……。
胸の奥が、もやっとする。
胡乱な視線に気が付いたのか、不意にドルディノが顔を上げた。瞬間ばっちり目が合い、咄嗟にぱっと顔を逸らしてしまってから、後悔が押し寄せる。
自分からは布が透けてドルディノの姿が見えるが、彼はそうでないのだ。目が合ったことなど、分かるはずもないのに。
自分でもどうして目を逸らしたかが分からず、話し掛けるタイミングも失って内心焦っていると、気遣いが含まれた優しい声音が耳を打った。
「大丈夫ですか? リンさん……何かありましたか?」
心配そうなその声を聞いた途端、ぎゅぅっと胸が締め付けられ、熱いものが広がっていく。同時に嬉しい気持ちと泣きたいそれがないまぜとなって、心の中に満ち溢れた。
―――どうして……どうして、こんな気持ちになるの……。これは、何なの? 私は……私は……一体、この人に、何を望んでるの?
ゆっくり顔を上げると、ドルディノの心配そうだった顔はほっとしたようなそれに変わり、それを間近で見たリンの息が詰まった。顔が熱くなり、胸の鼓動が速まる。
向けられたその優しい眼差しで、リンのないまぜになった感情が解けだし、心の中が温いもので満たされていく。
気が付けば、手を伸ばしかけていて。
さっと引き寄せ、もう片方の手でぐっと胸に抑え込む。
―――だめっ……! ……私は、この手を取ってはいけない……取れない。私は、……私はまだ、男か女かも分からない、未分化なんだから…………。




