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 「……何、話してるんだろう」

 木陰に移動した二人を見てそう呟いたリンは、その青い目を細めた。胡乱な視線を向けても、二人がそれに気付くことはない。

 ―――出会ったばかりにしては、親密な気がするし……。もしかして、前からの知り合い? そうだとしても、こんな森の中で偶然出会うかな? ……なんか、変……。一体、どういう関係なんだろう。

 そんな疑問が次々と頭の中で浮かんでは消えていく。

 ―――それに、あの動物は……どうなったの?

 脳裏に浮かび上がる、灰色の動物。

 一瞬しか見ていなかったが、自分とほぼ同じくらいの背丈があったことは、覚えていた。あれが、例の騒がられていた化け物、だろうか? 

 きっとそうだろう。森で見かけた兵士達が、一足先に居たのだから。

 兵士達は、戦意喪失していたみたいだったけれど。

 しかしそれは、仕方のないことかもしれない。自分だって、何が起きたのか分からないうちに全てが終わっていたのだ。

 化け物と言われ、兵士達の戦意を削ぐ位だ。恐ろしい相手だったのだろう。

 ―――でも、私は……なぜだろう。怖いとは、思わなかった。

 動物が、好きだからだろうか?

 それとも。

 どこか、懐かしいような気が……したからだろうか……。

 「すみません、お待たせしました」

 はっと顔を上げると、少女を連れて戻って来るドルディノの姿が目に映った。その顔には、穏やかな表情が浮かんでいる。

 暖かい日差しが降り注ぐ中、自分に微笑みを向け歩いてくる彼の姿に、どくんと胸の鼓動が大きく跳ねた。

 「い、いいえ……」

 強く打つ鼓動と共に頬の熱さを感じながら、表に出さぬよう努める。

 声は、震えてないだろうか? おかしくないだろうか。

 そんな不安が心に巣食う。

 「今日はあの洞窟で休んで、明朝にここを出ませんか?」

 気づいた様子もなく微笑むドルディノを見て、リンは安堵した。

 「はい……」

 「行きましょう」

 そう言って自然に差し伸ばされるドルディノの腕を見て、また心臓が一つ大きく跳ねる。落ち着き始めていた胸の鼓動がまた騒ぎ始め、リンは身を固くした。

 ―――どう、すればいいの……。

 戸惑い、ぎゅ、と拳を強く握ったリンは、とりあえずゆっくりと一歩足を踏み出した。

 そうしたことでドルディノの横に肩を並べた状態になり、不意に背中を優しく押す感触が伝わってからすぐに離れていく。

 進め、ということなのだろう。

 リンは緊張で身を強張らせながら、ドルディノの促すとおりに洞窟へ向かって歩き出したのだった。



 洞窟に入ったドルディノは、陽光が射し込んで明るい入り口付近に腰を下した。傍にはミュンルも足を投げ出して座っている。

 すると僅かな溜め息が聞こえ、背後を振り返った。

 「リンさん、大丈夫ですか? 傷……痛みますよね……」

 「あっ、大丈夫です、大丈夫……」

 岩壁に預けていた背を起こし慌てた様子でそう答えたリンの顔が、ドルディノから自身の足へと向けられた。

 そうは言っても、やはり気になるのだろう。

 ドルディノはズボンのポケットを探り、指先に当たった硬いそれを握ると、リンに差し出す。

 「あの、これ……良かったら使ってください」

 「え?」

 顔を上げたリンから、息を呑んだ気配が伝わり、慌てて付け加える。

 「変な物じゃないですよっ! これ、その、先日知り合った人から貰った傷薬で、僕も使いましたけど肌がおかしくなったとかはなかったですし!」

 ―――あ! でも人間じゃないし比較できないかな!? どうしよう……! いや、でもくれたお店の女性は確かに人だし、大丈夫かな……?

 しかし、差し出した、中身の濃い緑が見える透明の瓶をリンが受け取る気配はなく、何故かじっとそれを見つめているようで。

 他人が使ったものを差し出すというのは、無礼だったかもしれない。

 そう思い直し「すみません」と腕を引っ込めようとした、その時。

 「あっ待ってください!」

 慌てた声が聞こえ、ドルディノはピタリと動きを止めた。

 「あの……それ、使わせてください」

 そう言って、リンの手が真っ直ぐに差し出された。

 「あっ、はい」

 手の平に瓶を置くと、すっと腕が遠ざかっていく。すぐに使われるのかと思っていたが、リンは視線を落としたままじっとしていた。

 何を、考えているのだろうか。

 少し不安を感じ始めたとき、リンが呟くように言った。

 「……これ、どこで貰ったんですか?」

 「えっ……? っと、それは確か……シベルサの町で、パルカを売っている女性から……」

 「シベルサ……」

 不意に会話が途切れ、妙な沈黙が横たわった。何かおかしいことを言ったのかと、ドルディノは内心首を傾げつつリンの動向を見守っていると。

 「……それではお借りしますね」

 とリンが囁くように言ってズボンの裾を捲り始めた為、ドルディノは慌てて視線を逸らした。

 しかし耳は、しゅるしゅると立つ衣擦れの音をこぼすことなく拾う。

 ―――っ……。

 何故か居たたまれない気持ちになったドルディノは立ち上がると、外へ向かって歩き出した。洞窟と外への境目に立つと心地よい風と小川のせせらぎが迎えてくれる。それに身を任せていると気が紛れ、安堵の溜め息が漏れた。

 ―――あー、びっくりした……。

 頬が火照って、少し熱い。まだ心臓がとくとくと鳴っている。

 そんな自分を不思議に思いながら衣擦れの音が止むのを待っていると、背後で動く気配を感じ、視線を落とした。

 灰色の双眸に、ミュンルの小さな頭が映り込む。

 「……イル、大丈夫かな……」

 心配そうに小さく囁いた同胞の頭に、ポンと軽く手の平を乗せたドルディノは「うん……」と呟いて応えた。

 ―――どうやって居場所を探ったらいいかな。気を探るのはもちろんのことだけど……。フェイさんに相談してみようか……皆、あれからどうなっただろう。大丈夫かな……何とか見つけないと……怪我とかしてなかったらいいんだけど……。

 「あの、終わりました……よ」

 「あ、はい」

 そう声が掛かって、ドルディノは元の位置へ戻り、腰を下した。隣にミュンルが座ったタイミングで、リンが口を開く。

 「これ、ありがとうございました」

 そう言って差し出された傷薬の入った瓶を、「あ、はい」と微笑みながら受け取ったドルディノは再度ポケットに仕舞いこむ。

 「あの……目が覚めた時からずっと思ってたんですが……」

 「はい」

 二人の視線が注がれる中、リンは言葉を続ける。

 「あの、灰色の動物……は、どうなったんですか……?」

 「あ、はーい! それあムガッんーっんーっ」

 瞬時に塞がれたミュンルの口から、言葉にならないそれが漏れる。

 「あああいえ、あのそれはですね……ええと、そう逃げました! ねっ? ミュンル!」

 手の平でミュンルの口を塞いだのを見て、呆気にとられたリンには気付かず、早口でそう言ったドルディノの視線は、隣に座っている少女へ向けられていた。

 「んー……んん? んー……ん」

 何を言っているのかさっぱりわからない。

 苦しくなったのか、ミュンルの小さい指先がドルディノのそれに伸びた。即座にぷはぁ、と大きく一呼吸した音が洞窟内に木霊する。それからミュンルはドルディノを一瞥したあと、正面のリンへ視線を向け「うん」と呟いた。そして再度、まるで何かを確認するようにドルディノを見上げている。

 「…………そうですか」

 なんの抑揚もなくそう呟くように言ったリンに、今度はドルディノが口を開いた。

 「あ、の……僕も訊きたいことが、あるんです、けど……」

 どこか歯切れの悪い言い方をするドルディノを数秒見つめたあと、リンは「何でしょう」と短く答える。

 何故かリンの様子が先刻と違い、妙に態度が固くなったことを見て取ったドルディノに焦燥感が生まれた。

 ―――え、なんで……なんかさっきと雰囲気が……。僕なにか、失敗したっ?

 言うか言うまいか迷いが生じ、焦りを感じて口を噤む。

 その間も正面に座っているリンと気まずい思いで見つめ合っていたドルディノは、頭を振った。

 こんな雰囲気では、とても額の傷のことを訊けそうにない。

 「す、すみませんっ。何でもない、です……」

 「そうですか」

 短いその一言が突き放されたように感じ、小さくなっていたドルディノの勇気は、跡形もなく消滅したのだった。





 「じょ、女王陛下。お食事中、申し訳ございません……」

 弱々しいその声で、真紅に染められた形のいい唇が、ピタリと動きを止めた。次いで、静かな室内に僅かな鉄のぶつかる音が響くと、真っ白い布地が赤い唇へ寄せられ、口元に優しく当てられる。かさつき一つない、すべすべの細長い指先から力が抜け、口元を拭った布はひらりと宙を舞い、人の姿が映るほど綺麗に磨かれた床にぱさりと落ちた。 

 静まり返った部屋に息を吐く音が響き、邪魔にならぬよう周囲の壁に張り付くようにして立っているメイドと兵士達の肩が、大きく震える。

 室内に満ちている空気は殺伐としており、身じろぎ一つさえ許されそうにないほどの緊張感で満ち溢れていた。

 女王の、扇状の長い睫毛の隙間から覗く淡い水色の双眸が声の主へと向けられたが、頭を深々と下げていた男は気付かなかった。

 「顔を上げよ」

 「はっ。……っ!!」

 面を上げた瞬間凍てつくような視線に貫かれ、男の体が大きく跳ねた。

 胸の前で重ねられた両手はぶるぶると震え、血色が悪かった男の顔色は一層悲壮さを増す。目線は、まるで縫い付けられたように女王の瞳から逸らすことができなかった。

 今にも気絶してしまいそうなほど恐怖に慄いている男に、女王はゆっくりとした所作で首を傾げて見せる。

 凍てつくように冷たいその瞳は「早う話せ」と凄んでいた。

 周囲の誰もが息をすることさえ控え固唾を呑んで見守っている中、ごくり、と男の喉が鳴り、静まり返った室内に大きく響く。

 「も、森に送った兵らが、戻って参りまして……」

 言葉が一旦途切れ、男は恐怖に引き攣った顔で女王の反応を窺う。だが、足を組んだまま表情一つ変えず眺めている女王を見て、男は内心安堵した。

 「報告を、と」

 「遅い」

 短い一言が飛ぶと同時に風が薙ぎ、男の首から鮮血が迸った。

 血飛沫で赤く染まった床にどさりと投げ出された四肢の音で、周囲からこぼれた掠れた悲鳴も掻き消され、女王の耳には届かない。

 「誰かこのゴミを早う片づけい、汚らしい! 新しい剣をもて!」

 ガシャァァンと真っ赤な血がべっとりとついた剣が、甲高い音を立てて転がった。そこに数人の男達が慌ててやって来ると、息絶えた者と剣を運んで行き、メイド達が床に広がっている赤い液体の処理にかかる。

 恐怖に慄いた面を伏せ震える指先でそれらの作業を黙々と済ませている最中、新しい剣が女王にうやうやしく差し出された。

 「これを……」

 カチャリ。

 剣が手渡されたと思われるその音で、床を拭くメイド達の呼吸が荒くなり、全身の震えが強くなる。

 またいつ気分で斬り殺されるか分からない、恐怖からだった。

 ほんの少しでも彼女の琴線に触れれば何をされるか分からない。そんな、終わりのない日々。この城から出られるのは、自身で命を絶つか、死体になって放り出されるかのどちらかなのだ。もうこうして十数年以上も女王の暴政が続き、民を顧みない自分勝手な統治が行われている。

 正そうとした者も、何人かいた。しかしその者達も残虐に殺されてしまい、残ったのは家族の命を盾に取られ逆らう勇気を喪失し、気分を害さないよう息を潜めて生活する者達だけ。

 女王の血を引く跡継ぎは一人だけいるが、表には出でこず、仕えている者達からすれば居ないも同然だった。その為、本当に生きているのかすら怪しいのが現状だ。

 突然、きぃ、と扉が軋んだ音を立てて開かれ、床に影が映り込んだ。左胸に十字の紋章が描かれている鎧を着込み、腰には剣を携えている。

 「ガディロか……。報告せよ」

 真っ直ぐ女王に向かって歩いていた男は、素早く片膝を付き頭を垂れた。

 「は。報告致します」

 面を伏せているカディロの目線が、床を拭いているメイドに移る。しかしそれに気を取られるのは一瞬のことで、彼の唇は言葉を続けていた。

 「森の奥にて人と同じ背丈の獰猛な生き物を発見し、捕獲を試みましたところ予想外に強靭で全く刃が立たず、途中で現れた何者かと共に姿を消しました」

 ピクリ、と女王の眉間に皴が寄る。

 「なんと……? 何者じゃ」

 「存じません。ただ、見掛けない格好で旅人の様でした」

 「役立たずめが」

 「誠に申し訳ありません」

 「直ちに人相書きを用意せよ」

 「御意に」

 ガディロは素早く立ち上がると扉に向かって足を一歩踏み出した。あと一歩で扉の外、というところで「ああ」と女王が漏らした言葉を聞き、足をピタリと止める。

 「同行した役立たず共を打ち首にせよ。見せしめとして民に晒せ。よいな」

 「……御意に」

 ガディロは今度こそ部屋の外へ出ると、後ろ手で扉を静かに閉めた。即座に歩き出し広い廊下を暫く直進したあと、不意に足を止める。

 ちっ、とガディロの口から舌打ちが漏れた。

 「……悪魔め」

 ポソリと小さく呟いたその声色には、隠せない程の侮蔑が滲んでいた。

 「くそっ!」

 吐き捨てるように言ったあと、再度ガディロの足が動き出す。

 女王から下された命令を、遂行するために。

遅くなりまして、申し訳ありません。 この度も読んでくださりありがとうございます。

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