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 白んでいた空はすっかり澄んだ青空を見せ、太陽は燦々と輝いて陽光を降り注ぎ、森の中を明るく照らす。その暖かい日差しの中を灰色の竜を先頭に、言葉もなく足早に突き進むドルディノ達。

 向かう先は、出会った同胞が身を寄せているという洞穴だった。

 ドルディノは速度は落とさぬまま、視線だけを胸の中のリンへ落とす。意識はまだ戻っておらず、その腕は力なくだらりと垂れ下がり、宙で揺れていた。

 不安と焦燥で表情が翳り、灰色の双眸が揺れる。

 リンは、まだ幼さが残るとはいえ、薄いが硬い鱗に覆われた尻尾で叩き飛ばされた。打ち身で痣ができていても、おかしくない。最悪、裂傷だってありえた。

 一刻も早く、リンの具合を確かめなければならない。

 脳裏に、切り裂かれた肌から血が流れている映像が浮かんで、怖気が走る。

 「っ、まだかかるの!?」

 その声に焦りが滲んでいることに気が付いたのか、小さな唸り声で応えた灰色の竜は次の瞬間、それまで使っていなかった前足で土を抉り、飛ぶように駆け出した。一瞬遅れ、急いでドルディノも後を追う。

 木々の間を縫うように駆け抜けて数分後、一行は洞窟に辿り着いていた。 

 そこは、少し開けた場所になっていた。周囲の様子がとても見えやすく、灰色の竜が住処にしていたという岩山の洞窟は小川のすぐ真縁にある。喉が渇いたら小川の水を飲めばいいし、小さなせせらぎの音は、荒れた気分を落ち着かせてくれるだろう。

 一時的に身を隠すのには絶好の場所かもしれない。

 僅かに落ち着きを取り戻したドルディノは早速薄暗い洞窟に入り込むと、周囲に視線を走らせる。

 ―――危険なものはなさそう。

 「ねぇ君、ちょっと手伝ってくれないかな!」

 背後を振り向いてそう叫べば、光が射していた入り口にのっそりと影が差し込んだ。

 どしどしと重たい足音をさせながらやってきた竜の両腕にリンを預けると、上着を脱いで、それを岩の上に敷く。

 目覚めた時に少しでもいいから、冷たい岩に体温を奪われていないようにと思ってのことだっだ。

 そうしてドルディノは、リンを胸にもらい受けようとして振り返り―――……竜の腕に抱かれている姿を見て、はっと息を呑んだ。

 いつもは、まるで何かを避けるように深く被っている深緑のフード。

 それが、今はその役目を果たしておらず―――……ドルディノの見開かれた双眸には、リンの素顔がしっかり映り込んでいたのだ。

 それを見た瞬間、ドルディノの心臓は暴れ出し早鐘のように打ち続け始めた。

 息が詰まって、言葉が出なかった。

 緊張でごくりと湧いた唾を飲み下し、僅かに震えている指先をゆっくり伸ばしては躊躇して止め、またそろりと伸ばす。幾度となくそれを繰り返す間、灰色の瞳は落ち着かなさげに揺れ、驚愕に見開かれたままある一点だけに注がれていた。

 「っ…………れ、は…………」

 周囲の音は消え、心臓のそれだけがひときわ大きく耳朶を打つ中。

 ドルディノの震える指先が、ゆっくりとした動きでリンの顔の上を彷徨い―――……そして、ついに、額に触れた。

 そこにあったのは、過去に負ったであろうと思われる、傷跡。

 「…………リ、アン…………?」

 言葉になっていない声を紡いだ唇は、確かにそう動いていた。




 瞼を開けて、まず視界に飛び込んできたのは暗闇だった。

 とはいえ、周囲が全く見えないほどではない。安堵したリンは同時に芽生えた不安を胸に抱えたまま、ゆっくりと体を起こす。

 「あっ……!」

 瞬間、ずきっと腹部に痛みが走って咄嗟にお腹を抱え、前のめりになった。次いで、右足を襲う、軽い痛みにも気が付く。 

 ―――何……、どうしてお腹痛いんだっけ……。それに、足も……。

 足首を隠している外套の裾を、そっと捲る。そこには、何かの布地が巻かれてあった。

 ―――誰が、これを……?

 手当てをしてあることが分かり僅かな安心感が芽生えるが、油断はできなかった。きょろきょろと視線を辺りに巡らせ、己が置かれた状況の把握に努める。

 ……ここ、どこ? なんか顔が寒いし…………。

 「って、えっ!?」

 はっと我に返ったリンは反射的に両手を顔に持っていった。

 指先が触れたのは、自分の頬。

 その事実に、愕然とする。

 ―――うそ……嘘嘘嘘!! 何これ!? 何で!? どうしてこうなってるの!?

 頭はパニックを起こし真っ白、顔は血の気が引いて真っ青だった。慌てて後ろに垂れていたフードを勢いよく被り、体を固くさせたまま視線を周囲に走らせ、人の気配を探る。

 心中は不安で埋め尽くされ、心臓は早鐘のように打っていた。

 ―――待って、落ち着くの、そう落ち着いて! 落ち着け……落ち着け……。

 心の中でお経のように唱えつつ、手の平にじんわりと滲んだ汗を握りつぶし、すーはーと深呼吸を幾度も繰り返す。

 僅かに荒んだ心が落ち着いてきたような気がした。

 ―――人、そう、人はいない……よかった……。…………って、あれ? ドルディノさんはっ!?

 慌てて薄闇の中を見渡しじっくりと捜すが、やはり誰の姿もない。

 胸元を握りしめた手に、不安で打つ心臓の音が伝わった。

 ―――っ……落ち着いて……あの人が、あの人が……私を置いていくなんてこと…………。

 そこまで考えて、リンは己の身勝手さに鼻を鳴らし、自嘲の笑みを浮かべた。

 ―――結局、私は…………誰も信用しないと決めて生きてきたくせに、他人を当てにするのか…………。

 じんわりと目頭が熱くなって、体を丸める。

 ―――違う……、他人、というより…………私は、ドルディノさんを…………。

 信用、したいのだ。

 ―――あの人なら……あの人なら……誰かを裏切ることなんて……。

 しないって、思いたいだけでしょ? と、心の中でもう一人の自分が囁く。

 ―――もう、嫌だこんな自分……!

 胸元を握った手にぐっと力が入り、リンは更に体をきつく丸める。

 誰も信用できない。そう思ってから何年もの間、他人とは一線を置いて過ごしてきた。

 決して心を開かない、自分のことは喋らない。他人にも、興味を示さないように。そう、自分を制して。

 でも…………本当は…………もう一度、誰かを、信じたかった。

 そんな自分の想いに気付きたくなくて、蓋をしてきたけれど……彼に、会ってしまった。

 感情が顔や態度に出ていて分かりやすく、今まで見てきた誰よりも、自然体で。

 この人なら……と、淡い期待を抱いてしまった。

 一度、そう思ってしまったら……もう、なかったことには出来なくて。

 「っ……」

 自分の身勝手さに呆れる。

 もう、消え去ってしまいたい。そんな思いで、心の中が一杯になった。


 耳に痛いほどの静けさ。

 そこに、ピチチチ、と小鳥の囀りが聞こえた。

 はっと顔を上げ、音の聞こえた方向をじっと見つめていると、仄かな光が漏れていることに気が付いた。

 ゆっくりとした動作で立ち上がり、そこへ近づいて行く。

 光が漏れていた先を瞳に映した瞬間、その眩しさに目がくらみそうになった。両目を細め光に慣れるのを待ってから、ゆっくり目を開けてゆき―――……一瞬、天国とはこういう所なのかもしれない、と思った。

 燦々と降り注ぐ陽光が木々達に降り注ぎ、葉が色鮮やかな緑色で光り輝いていた。心が洗われるような小鳥の囀りがどこからか聞こえ、少しして小川のせせらぎが耳朶を打つ。

 何故か、胸が苦しくなった。

 息苦しさに耐えるように瞼を伏せる。と、次の瞬間はっと目を開いた。

 ―――……ドルディノ、さん?

 僅かに、彼の声が聞こえた気がしたのだ。

 見知った姿を捜して視線を巡らすも、一向に見当たる気配はないし、声も聞こえない。

 ―――空耳、だったのかな……でも、じゃあ……私どうしてこんなところに居るんだろう。一体何がどうなってるの? ええと、確かあの時……。

 気を失う前の、記憶の糸を辿っていく。

 ―――森の中を歩いていて……。そうだ、鎧を着ている人達が居て……。

 リンの脳裏に灰色の動物が浮かび上り、ハッと息を呑んだ。

 ―――そうだ! あの大きな動物から何かが伸びてきて……!

 不意に、ツン、と外套が引っ張られている感触がして、何気なく視線を落とす。

 「うわぁっ!?」

 驚愕のあまり、リンの体が跳ね上がった。無意識に一歩後ずさり、どっどっどっど、と早鐘のように打つ心臓を抑えながら、音もなくすり寄り傍に立っていたものを見つめた。

 ―――びっくりした……! だ、誰……?

 リンと目が合うと、初めは不思議そうに首を傾げていた。しかし次の瞬間、つぼみだった花弁が一気に開花したような笑みを浮かべた。

 一瞬でその笑顔に惹き込まれ、リンは思考を奪われる。

 「…………あなた…………誰…………?」 

 茫然としながらも、リンの口は勝手に言葉を紡いでいた。

 くるくるとカールしている薄い灰色の髪が、風に乗ってふわふわ揺れている。細められた瞳は黄色がかっている淡い灰色で不思議な色合いをしていたが、この少女にはよく似合っていた。

 「あたし? あたしはミュンル! お姉ちゃん……あ、お兄ちゃん? は?」

 「え……あ、と、ぼくは、リンです」

 「リン!」

 「は、はい」

 「ケガ、大丈夫?」

 「っ……」

 ―――なんで、この子が知って……?

 その時、ガサ、と葉擦れの音が正面から聞こえたリンは、少女から視線を上げ―――……その瞳に、見知った人物の姿が映り込み、安堵の溜め息が漏れた。

 「っドルディノさん!」

 「あ、えっと、あの……その、目が、覚めたんですね、リンさん。体……は、大丈夫、ですか? どこか、痛い所は……」

 何故かどもりつつ答えるドルディノを不思議に思ったものの、再会できた安心感に一瞬で霧散する。

 「はい、大丈夫です。あの……足の手当て、もしかして……?」

 「あっそれ僕です! す、すみません……その……色々と……で、でも、おでこと手足くらいしか見てないです! け、決して変なことは……!」

 自然に、ぷ、とリンの口から笑い声が漏れた。

 その慌てっぷりが、なんとも微笑ましく、眩しく映って。

 気が付いたら、笑っていた。



 肩を震わせながら、くすくすと笑うリンを見て、ドルディノは目を丸くした。次いで、胸が熱くなり喜びで満ち溢れる。

 ―――初めて、笑ってくれた……。

 思わず、口元が緩む。

 目を細めて見ていると、不意にリンの笑い声が止み、そっと面が伏せられた。

 ―――あ……もっと聞きたかったのに……。

 後ろ髪を引かれるような気持ちになりながらも、ドルディノが新たに口を開いた時。

 くん、と服の裾が引っ張られ、目線を落とした。

 「……お兄ちゃん。……いつ行けるの?」

 「あー……ごめんねミュンル……リンさん、ちょっとこの子に話したいことがあるので、少し向こうに行ってもいいですか?」

 「あ、はい……」

 了承を得たドルディノは、ミュンルの小さな背中を押して木陰に移動すると、少女の目線の高さに合わせてしゃがみ、真剣みを帯びた瞳で見つめる。


 それは、リンが目覚める少し前のこと。


 リンを寝かせたドルディノは、洞窟から出ると竜を少し離れた所へ誘導すると、自身の乱れた心を落ち着かせるため、溜め息を一つ落とし、そっと尋ねた。

 「それで……君は、どうしてあんなところにいたの?」

 竜は唸り声を上げようとしたがドルディノはそれを制し、言葉を重ねた。

 「ごめん、あの……」

 そう言って洞窟の方を一瞥し、困ったような表情をする。

 「君……人型、とれる? 僕みたいに……」

 灰色の竜は首を傾げ、目を細め、体の動きをピタリと止める。

 ドルディノには解った。それは、灰色の竜が人型をとるために、全神経を集中させているのだと。

 ドルディノの予想通り、灰色の竜の体は見る見るうちに、小さく細くなっていった。

 灰色の硬そうな体から、血色の良さそうな白い肌へ。鉤爪が生えている指先は縮み、うっすら桃色づいている人間の小さなものになり、獰猛な爬虫類の顔は、あどけない表情をした人間の小さな子供のものへと変化する。

 「……君は……風竜かな? 全体的に色素が薄い……」

 ドルディノの言葉に、こくんと頷いた竜は、自身の名前を告げたあと、続けて話した。

 「あたし……あたしたち、遊んでたの!」

 ミュンルのその言葉を聞き、ドルディノの瞳に真剣さが増した。

 「最近……人型になるのが慣れてきてて……この間、イルと空飛んで遊んでた……。それで、途中でイルが休みたいって言ったから、あたしも疲れてたし……ちょっとだけ休んで帰ろうって……。本当なんだよ、本当にちょっとだけ休むつもりだったんだよ!」

 話している間に興奮してきたのか、声を張り上げて言うミュンル。その小さな肩に手を置いたドルディノは、静かな声色で「落ち着いて……」と諭すように囁いた。

 しかし、それでも少女の興奮は収まらないのか、落ち着きもない様子で捲し立てるように言う。

 「ちょっとだけのつもりだったんだ! でも、でも……!! っ……気が付いたら、あたしたち……寝ちゃってて!! き、気が付いたら、こ、怖い人たちがいっぱいいて…………」

 そこまで聞いた時、その先はある程度予想がついた。息苦しさに眉を寄せ、ぐっと拳を握る。

 「イルが……人間たちに飛びかかって、その間に……あたしに、逃げろって……でも、あたし……あたし……!」

 「分かったよ」

 「えっ……」

 涙で潤んだミュンルの瞳に、優しい微笑みを浮かべたドルディノの姿が映り込む。

 くしゃ、と少女の頭を撫でたドルディノは、優しい声音で続けた。

 「怖かったのに……よく頑張ったね」

 「っ~~~!」

 どん、とミュンルの温かい小さな体が飛び込んできて、ドルディノはそっと片手を背中に回し、あやすようにポン、ポンと繰り返し優しく叩く。その間、ミュンルは華奢な体を小刻みに震わせ、堪えきれない嗚咽を漏らしながら、暫く泣いていた。

 ひとしきり経って落ち着いた頃を見計らい、ドルディノは尋ねた。

 「友達の……イル君は……捕まったかどうか、分かる?」

 「うんっ……とっ。なんかで、ぐ、ぐるぐる……ま、かれて……連れて、い、行かれた……」

 ひっく、と嗚咽を漏らしながら説明してくれたミュンルの頭を、よく言えたね、と優しく撫でてやったのだ。


 それらを思い出しながら、ドルディノは諭すような声音で呟くように言う。

 「ミュンル。君の気持ちは分かるし僕も助けに行きたいけど……こちらの国には、こちらのやり方があるんだ。危険だし、リンさんもいる。今すぐにってわけにはいかない。……ミュンルも知ってるよね? 僕たちの体は、硬くできてる。少々のことじゃ、怪我なんてしない。大丈夫だよ、絶対助けに行くから。……ね?」

 ミュンルは、黄色がかった淡い灰色の瞳を不安げに揺らし、何か言いたげに口を開いたが―――……噤んだ。

 顔を俯けて、小さく頷く。

 「ありがとう」

 ほっと息を吐き出し、すっと手を差し出したドルディノの平に、同胞の小さなそれが重なる。

 「行こう」

 「うん……」

 リンを待たしてはいけないと思うドルディノの足は、無意識に早歩きになっていた。


未だ不調続きのため、遅くなりました。 この度も読んでくださってありがとうございますm(_ _)m

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