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 「……え?」

 逡巡していたことで反応が少し遅れたが、リンは続けて言った。

 「昨日……甲板で、目が合いましたよね? でもぼく……」

 ―――ああ、やっぱり目は合ってたんだ。でも、わざわざ謝るってことは、昨日のバカみたいって言ってたのは僕のことじゃないんだな。

 「大丈夫ですよ」

 微笑んでそう言うと、リンは一瞬顔を上げ、俯いた。

 照れているのだろうか。

 今や二人を包む空気は柔らかくなっており、何かを話さなければ、という切迫感はすっかりなくなっていた。緊張から固くなっていた体からも力が抜けて、ドルディノの顔に自然に笑顔が浮かぶ。

 「……あの……」

 おずおず、といった様子でそう話し掛けて来たリンに、ドルディノは軽く首を傾げながら微笑んで答えた。

 「はい?」

 「……船長さんが言ってた試練……化け物が、いるとかって。……怖く、ないですか?」

 ―――ああ……。その話かぁ。

 「そうですね……怖いというよりも、興味のほうが……」

 「興味、ですか?」

 「はい。……リンさんは、怖い、ですか?」

 「いいえ、ぼくは。……それよりも怖いもの、知ってますから」

 後者はまるで独り言のように小さく呟かれていた。ドルディノの耳には明確に聞こえたが、普通の人では訊き返すかもしれない程の、僅かな音量。

 ドルディノに背を向け、一枚しかない窓へ真っ直ぐ歩いて行くリンの背中を眺めつつ、思う。

 ―――化け物と呼ばれてるものよりも、怖いもの……? って、何だろう……。……昔、何かあったのかな……。僕、リンさんの船に乗る前のことって、全然知らないや……。訊いたら、答えてくれるかな……?

 最近は、ほんの少しだが、リンとの距離が縮まった気はしている。

 しかし、だからと言って無理矢理訊き出そうとすれば、そんな距離などすぐに遠のいていくだろう。折角仲良くなったのに、それは辛い。

 よって、選択肢は一つしかないように思える。

 ―――もう少し、仲良くなってから……。

 僅かに目を細め、窓辺から外を眺めるリンの背中を見つめる。

 しかし次の瞬間。

 ドルディノはハッと顔を上げ、何かを測りかねているような仕草をすると共に、ピタリと体の動きを止めた。珍しく、その眉間には皴が寄っている。

 遠くから何かの獣のような咆哮が空気を震わせ伝って気がしたのだ。リンの様子は先刻と変わりない。動揺することもなく、じっと外を見ている。

 ならば。今のが聞こえたのは、自分だけなのか?

 ―――今の咆哮の主が、例の……化け物なの? だとすれば……あれは……。

 「どうかしました?」

 その声でハッとして顔を上げると、リンがこちらを見つめていた。

 「やけに、難しそうな顔をしていましたけど……」

 続けて言われたことに答えるため、ドルディノは眉間に寄せていた皴を意識的に解いて、安心させようと笑顔を作る。

 「大丈夫、ですよ。何でもありません……」

 口ではそう言うものの、頭の中は真逆だった。色々な事が駆け巡って、落ち着かない。

 ―――距離があるからか……気があんまり感じ取れないのは。それとも、まだ小さいか、怪我をして生命力が弱まっているからか……? 今まで化け物と呼ばれてるくらいだから、人に姿を見られているだろうし、もしかしたら……傷つけ、られてるのかもしれない……。放っておけない。今すぐにでもここを出て、様子を見に……いや、咆哮を上げたのが『何』なのかをちゃんと確認しなくては……。

 そう。気がはっきりと読めない今、同胞だと決めつけるのは―――……まだ、早い。

 そう思うが、今すぐにでも駆けていきたいと心が訴えてくる。

そわそわしている雰囲気を察したのか、リンがゆっくりと口を開いた。

 「あの……どこか、行きたいところがあるなら行って来てもいいんですよ……?」

 「えっ……」

 そう答えてから数秒後、ドルディノは静かに頭を振った。

 正直、一瞬迷った。

 でも、行かなかった。行けなかった。

 リンさんを任せられているし、護ると決めていることも大きいが、咆哮を上げたものも、ただの動物か何かだという可能性が捨てきれない。

 不確かな状況でリンを一人置いて行くことは、出来ない。

 「では……荷物を持って、一緒に……とか」

 まるで頭の中を見透かされたような提案をされ、ドルディノは息を吞んだ。

 再度、迷いが生じる。

 荷物番は任された。荷と、リンも一緒に護れるならば、外へ出て行ってもいいのではないだろうか。

 ―――確かめたい気持ちは大きい。でも……。 

 思案気に俯いているドルディノを見ていたリンは、ベッドに置かれていった荷物に視線をやった。

 大きめの荷が二つ。一人ずつ持てば、余裕だろう。

 リンはベッドの上に置かれてある荷を一つ抱えると、動いた気配を察してか、はっとした表情でこちらを見つめているドルディノ所へ行くと、その胸に荷物を押し付ける様にして渡す。

 「っ……あの、これっ……」

 「重いですか?」

 「いいえ! そんなこと! そうではなくてっ……!」

 「ならよかった。ぼくも残りの一つ持ちますから、それを持って…………ドルディノさんの、気になってること……はっきりさせましょう」

 何かは知らないですけど、と小さく呟きながらリンは再度荷物を取りに行く。

 ドルディノは、リンの優しさに心が打たれ、胸が熱くなっていた。

 新たに荷物を抱えたリンが、ドルディノの前の前に立ち、自分を見上げている。ドルディノが心を決めて部屋から出るのを、待ってくれているのだ。

 両手で抱えている鞄を握りしめる指先に、ぐっと力が入る。

 覚悟を決める。

 ―――ここを出たら、絶対。何があっても、リンさんを護る。絶対に傍を離れない。絶対……。

 心の中で誓いを立て、一瞬瞼を伏せる。

 そうして次に目を開いた時、ドルディノの顔には笑顔が広がっていた。

 「では、お言葉に甘えようと思います。よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げたドルディノの頭上で、リンの慌てる声が聞こえた。


 荷物を持った二人が部屋から宿屋の出入り口へと移動した時、ドルディノは「あ、そうだ」と呟いた。

 「リンさん、僕から離れないでくださいね。できれば隣に居てもらえると助かります」

 「え、あ、はい」

 一歩後ろに下がった状態で立っていたリンが、そう返事するや否や小走りでドルディノの隣に並ぶ。

 それを見て満足したドルディノは、微笑んだ。

 「ありがとうございます」

 「いえ……お礼を言われるほどのことじゃ……」

 そう呟くように言ったリンは、正面へ向き直った。それを合図とするかのようにドルディノも顔を上げ、耳を澄ます。

 そして、全身に張り巡らされている神経に集中し、『何』かの居場所を知るため、気配の片鱗を探した。

 周囲で交わされている人々の話し声や何かの物音、どこか遠くから囀っている鳥の声や、そよ風によってざわめく木々の擦れる音。

 多種多様な音が大きく鮮明にドルディノの耳へと入り込んでくる。

 そうして聴いているとその中に、どぉん、とどこかで何かが倒れるような音が混じっていることに気が付いた。その瞬間、はっと目を開き、音のした方角へ視線を投げる。

 ―――森……?

 脳裏に、船長の姿が浮かぶ。

 彼も確か、森に化け物が出るらしい、と言っていなかったか?

 「……森には、化け物が……って、船長さんが言ってました……よね」

 森の方向をじっと見つめているドルディノの考えを察したのか、リンがそう言葉を舌に乗せた。

 「森へ、行くんですか?」

 その言葉の中に含まれている心配そうな声色に気が付いたドルディノは、リンを見つめ、逡巡する。

 ―――明日にでも森へは行く……んだし、何が起こるか分からない……。森の奥には、行かない事にしよう。……そう、遠くから、気を感じられさえすれば。確かめられたら、今はそれだけでいい。この人を危険な目に遭わせることはできない。

 「……少しだけ……。でも、リンさんが嫌なら……」

 「いいえ、ぼくはだいじょう」

 ぶ、とリンが言った時、その体は衝撃で倒れそうになっていた。一瞬なにが起こったのか理解が追いつかないまま、咄嗟に伸ばしていたドルディノの両手はしっかりリンの肩を支えており、ちゃんと受け止められていたことに安堵の溜め息を漏らす。

 「……大丈夫ですか? リンさん。 ……リンさん?」

 抱き留められているリンの顔は、正面を向いていた。

 まるで、そこから目が離せないとでもいう様に。

 怪訝に思ったドルディノはリンの肩を掴んでいる手にしっかり力を込めつつ、視線を正面に向ける。

 そこには、くりんくりんの縮れ毛で頭が覆われている、背は小さいのに体はぶくぶく肉がついた丸い男が立っていた。

 男の目つきは、何かの下等生物を見るようなそれだったが、彼自身の身なりは良く、大きな宝石が付いている指輪を両手に幾つも嵌めていた。首元には金色に輝く、いかにも重たそうな鎖状のネックレスが首に下げられている。

 まるで、自分は金持ちである事を全身でアピールしているかのようだった。

 彼の目つきに嫌なものを感じたドルディノは、リンの肩を掴んでいる手に、更に力を込めると、リンを支えながらゆっくりとした動作で立ち上がった。何をしようとしているかを悟ったのか、リンも全身から抜け落ちていた力を足腰に入れ、自身の足でもゆっくりと立ち上がる。

 怪我もなく立ち上がれほっとしたものの、どうもリンの様子がおかしいことが気にかかる。

 ドルディノは、リンと目の前の男へ視線を何度も行き来させ、二人の様子を窺う。

 もちろん、男がリンに何かしようとする気配を見せようとするものなら、すぐにでも割って入れるように警戒したままでだ。

 何か思うことがあるのか、男の方も脂で光っている眉間に皴を寄せ、考えあぐねている様子でリンを睨み付ける様に見ている。

 一方リンは、彼の視線を避ける様に顔を俯け、拳を握った右手を胸元にやっていた。

 ―――何だろう、この雰囲気。……リンさん、この人と知り合いなの……? それにしては、友好的じゃない気が……。

 そう思った時だった。

 「……あぁ……思い出したぞ……」

 男が、にやぁと口元を歪め、笑った。

ミステリアス風の新作小説「ソウルメイト~魂の器~」を連載開始してみました。 良かったら覗いていただけたらとても嬉しいです(*´▽`*)

今回も読んでいただいてありがとうございましたm(_ _)m

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