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 頭の告げたその一言に一瞬でその場が静まり返ると同時に、誰かが息を呑む音が聞こえた。それは、ドルディノも同様だった。

 しかし、恐怖に震えているわけではなかった。

 自分はいいのだ。人ではない。柔らかい肌もしていないし、それなりに鍛えて来たので滅多なことでは傷つかないという自負もある。最悪、人の形を解いて、大空へ羽ばたいていくことも出来る。

 だが、この人達は柔らかい肌を持つ、人間だ。

 危険すぎる。

 突如脳裏に、化け物と称される何かがリンを切り裂くイメージが浮かび上がり、体の芯が冷えた。

 思わず拳に力が入る。

 ―――化け物……化け物って、そんなものが出る場所に、皆を……? リンさんを連れて行くっていうの? そんなの、物凄く危険じゃないか!

 さざ波の音だけが耳朶を打つ中、このまま黙ってはいられないと思い、ドルディノは声を張り上げた。

 「っそんな所へ行くのは……危険じゃないんですか!?」

 ドルディノの声に驚いたのか、隣に座っていたリンが身じろぎをした。頭を含めた三人は、普段と変わった様子を見せずにドルディノを見つめている。

 自分の試験とはいえ、フェイ達が見せている余裕が、不思議でならない。

 怪我したら、とか、もし帰れなくなったら、とか考えないのだろうか。それとも、船長である彼を信頼しているからこんな風に堂々としていられるのだろうか?

 ドルディノの頭の中で、そんなことがぐるぐると浮かんでは消えていく。

 そんな動転している様子を静かに見ていた船長は、ふぅ、と溜め息を吐いた。続いて、言葉を口に乗せる。

 「なんだ、怖いのか?」

 「違います! ……いいえ、怖いですよ! 皆さんが傷ついたらと思うと、僕は……」

 ただ怖気づいているのかと思えばそう続けたドルディノを見て、頭とフェイが軽く目を見開いた。

 「……それは、自分だけは傷つかないという自信か?」

 「っ! そういう意味じゃないです! ……僕は、人が傷つくのが……」

 ―――護れないのが、怖いんだ……。

 眉根を寄せ、何かに耐えているような表情を見せているドルディノの姿を、暫し思案気に見つめていた頭だったが、軽い口調で言った。

 「別に、真っ向から戦えとは言わない。いや、最悪の場合はそういう事態も考えられるが……そうならないようにはするつもりだ。君は会ったばかりだから分からないだろうが、私達はそれなりに場数を踏んできている。まあ……リンには下がっていてもらわないといけないが……」

 頭が名前を出したことで皆の視線が壁際に座っているリンへ向けられた。

 相変わらず濃い緑の外套とフードで表情は窺い知ることはできないが、怖くない筈がないとドルディノは思った。

 爪の痕が残りそうな程拳を強く握りしめたドルディノは、歯ぎしりしたい思いに駆られた。

 リンが戦えないと解っているなら、どうして連れて来たのか。

 そう思っていると、まるで考えていたことを見透かしたように、フェイが言った。

 「リンは何かあった時の為に来てもらったんだよ~。だからって訳じゃないけど、一番に護らなくちゃいけないね~」

 その答えを聞いた瞬間、体に入っていた力がふっと抜けた。それによって、拳が解かれ指が浮く。

 納得は出来た。けれど。

 思案気に俯きがちになるドルディノを、隣に座っていたリンはそっと見つめていた。 

 また、フェイはその二人の姿をにこにこしながら見守り、立ったまま背中を壁に預けて一言も喋らず聞いていたボッツは、愛用の小型ナイフの刃を丁寧に布で拭いている。頭はそんな船員達に視線を走らせると、統一性が殆どないメンバーの事を思い、僅かな溜め息を漏らして天井を見上げた。


 ―――やることがないなぁ。

 船に乗り込んで既に三時間は経った。が、どうにもすることがなく手持無沙汰だ。

 ボッツはとうの昔に姿を消しているし、奥の壁際から動いていない船長は瞼を閉じており、寝ているのかそうでないのか分からない。フェイはというと側にはいるものの床の上に大の字に寝転がって、豪快にいびきを掻いて寝ている。そして、リンは。

 ちらりと目を向けると、真っ直ぐ顔を上げてはいるが、どこを見ているか分からない姿が映る。

 目を開けているのかすら、分からない。

 ―――少し、外の空気を吸って来ようかな。

 そう思い、寝ていることは確実のフェイを起こさぬよう、静かに腰を上げ、立ち上がる。そうして背中を向け、足を一歩踏み出した途端。

 「どこ行くの~?」

 寝ている筈の人から声が掛かった。

 ドルディノはゆっくり背後を振り返る。すると、三人の顔が自分に向けられており、驚きで跳び上がりそうになった。

 心臓がドクドク鳴っているのを感じながら、問いに答えるため、口を開く。

 「ちょっと、外の空気でも吸おうかと……でもフェイさん、寝ていたんじゃないんですか?」

 「ん~まぁね~」

 大の字に転がり瞼を閉じたままの格好で答えたフェイは、それから少し唸り声を上げた後、続けて言った。

 「リンも行って来たら~? ずっと座ってても暇でしょう~」

 だらしなく四肢を投げ出してそう言うフェイの方がいかにも暇そうに見えるのだが、当人は全く気が付いていないようだ。船に乗り込んだばかりの時の、心地よい程度にあった緊張感は一体どこへ行ったのだろう。

 そんなことを考えていると、座っているままだったリンが不意に立ち上がった。

 「そうですね」

 外套が捲れていないか、裾に手を滑らせながらそう言った後、佇まいを直してドルディノの方へ顔を向けた。

 自分が見つめられている気分に陥って、先刻とは違う意味で心臓が跳ねる。僅かに緊張で身を固くしつつ、ドルディノはぎこちない笑みを顔に浮かべて目前の扉を開け、リンを促した。

 「それじゃあ、行きましょうか」

 「はい」

 静かに足を踏み出したリンがドルディノの側を通り過ぎ、薄暗い廊下へ出る。

 ドルディノは部屋を出る前に一言、「では、行ってきます」と言い残してから扉を閉めた。

 すると扉の中からフェイの「いってらっしゃ~い」という声が聞こえ、つい口元が緩む。そして甲板の方へ出る方向に向くと、いつから見ていたのか自分の方に顔を向けているリンの姿が目に映って、ちょっと気恥ずかしくなった。

 笑ったのを見られていたのだ。

 頬に熱を感じていると、リンが何事もなかったように体の向きを変え、ドルディノより前に立つ。

 「行きましょう」

 そう声を掛けて歩き出したリンの後ろを「あ、はい」と答え、慌てて歩き出した。

 そうして、ほんの数メートル足を進めた途中。

 僅かな甘ったるい香りがドルディノの鼻孔をくすぐり、ドルディノの足を止めさせた。

 すん、と息を吸ってその香りを嗅ぐ。

 ―――この香り……どこかで……。

 頭の中の記憶の糸を手繰るが、どこでだったかはっきりと思い出せない。

 そこまで出かかっている気がするのに。

 「どうかしました?」

 その声ではっと顔を上げ、意識をリンへ向けた。ほんの少し離れた所で立ち止まり、ドルディノの様子を窺っている。

 突如、脳裏にフェイの「リンを護らなければ」という言葉が甦り、焦燥感に駆られてリンの元へ駆け出そうとし―――……体に違和感を覚えた。

 ―――……なに……? 体が、微妙にぞわぞわする……?

 何かが、疼いているような……今まで感じた事のない不思議な感覚。

 次の瞬間。

 ―――っ!

 ぐらりと、めまいのようなものが襲って来て足元がもつれそうになった。が、無意識に体のバランスを整え無様に転ぶ姿を見せずに済むと、平静を装いながら、なんとか小走りのままリンの元へ辿り着く。と、距離が縮まって安心したのか、リンが再び歩き出し、ドルディノもその後に続いた。

 しかし、心の中では未だ続く体の違和感に対し不快と焦燥を感じながら、一刻も早くこの狭い廊下を抜け出し、新鮮な空気をたっぷり吸い込みたいと願っていた。

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