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―――小さい……。
何とはなしに意識がリンだけに向けられ、上から下までじっくりと観察してしまう。
―――身体も、細い気がするし……なんか、少しでも力を入れたら、簡単に……。
「……っ!」
不意にリンが顔を上げ、視線が絡んだ気がして息を吞んだ。じんわりと変な汗が手の平に滲んでくる。
既に顔を見合わせてしまった状態で視線を逸らすのも変な気がして、しかしそうしたい気持ちに強く駆られているにも関わらず、ドルディノはリンと正面から顔を見合わせたまま、耐える。
すると先にリンが動き視線を逸らしたことで、まるで呪縛が解けたかのように、いつのまにか肩に入っていた力を抜いた。
しかし次の瞬間。
「っ!!」
「ちょっと、脇腹見せてくださいね」
そう言ったリンが傷のある左脇腹に顔を近づけてきて、ドルディノは固まった。
そんなことには気付きもしないリンは更に「腕を上げてください」と口にし、ドルディノはその至近距離にどぎまぎしながらも、指示通りに体を動かす。
胸から数センチ程しか離れていない腋下で僅かに揺れ動いている頭と、それから続く小さいリンの体をどうしても意識してしまい、視線が泳いだ。
しかしその間もずっと激しく跳ね続ける心臓の鼓動がうるさく、リンに聞こえないかと不安になり、湧いた唾を飲み下す。無意識にまた両肩に力が入って、あまりの緊張に幾度も唾を飲み込みながら、リンから意識を逸らす為、周囲に目を向けようとする。
が、リンの指先が肌に触れる感触や、温かさ、薬を塗ったりする際の冷やりとした刺激。それらの違和感等でその度に意識を引き戻され、目が自然にリンに向いてしまう。
そして唐突に、顔が熱いことに気が付く。
―――っ……あつ、い……!
耳も熱い。体にも熱を感じ、変な汗が浮かんでくる。
服を脱ぎたいほどだった。
だがそれは出来ないし、顔が赤くなっているかもしれないと懸念がうまれる。
―――そうだったら、どうしよう……。っ……変な人って思われるかな?
不安が胸の中に巣食って無意識に、僅かに目を細めた。その表情は端から見れば、何かを耐えているような、苦しそうなそれだった。
その次の瞬間。
リンが傷の手当てをする為、脇腹に落としていた視線を、上げた。
「っ……」
目前に在るリンの、透けるような白い肌とうっすら桃色がかっているふっくらとした唇に視線がいき、息を詰まらせる。
これ以上ないほど強く心臓がドクン! と胸を強く叩き、何故かそこから目が離せなくなった。
―――っ……!
思わず、ぎゅっと力強く目を閉じて顔を横に逸らした。
もう、心臓は壊れてしまいそうな程跳ねまわっている。
―――僕……っ。
何かおかしい。
「大丈夫ですか?」
心地よい声が耳朶を打って、はっと目を開けると、ゆっくりとした動きでリンの方を見遣る。
深く被っている深緑のフードで表情は隠れ窺えないが、気遣ってくれていることだけは分かって、ドルディノは反射的に大きく頷いた後、リンを見つめた。
「大丈夫、です……」
「……」
数秒、じっと顔を合わせてるだけだったリンが、僅かに首を傾げ、すっと腕を伸ばしてくる。
「顔が赤いですよ……熱でも?」
その一際色白く映った、ほっそりとした手が額に触れそうになった瞬間、ドルディノは咄嗟にその身を仰け反らし、指先を躱してしまった。
やってしまった途端、さーと血の気が引く。
―――うわああぁぁぁ僕何してるのー!? どうしよう!? どうやって誤魔化したらいいのこれ!? 無理だよね!? 流石に誤魔化せられないよね!!
どうしよう、どうしようとそれしか頭に浮かばないドルディノの心臓が今度は、別の意味で壊れそうな程跳ねまわっていた。妙な汗がじんわりと出てきて、じっとりとしてくる。
触れようとして避けられた指先が行き場を無くし手持ち無沙汰に宙に浮かんでいたが、リンはその手を引っ込めた。と、ほぼ同時に顔を逸らしたままのドルディノの耳が誰かの足音を拾い、扉の方に意識を向ける。
ドルディノの正面に立っていたリンは熱を測ろうとして身を乗り出してたが、その姿勢を正した。それによってほど良い距離が二人の間に設けられ、精神的に余裕が生まれる。気まずくなりつつあった雰囲気も何故か扉の方へ目を向けているドルディノのおかげで気にならなくなり、時間が空いたリンは、じっと彼を観察する。
けれど、ドルディノは何かに気を取られている様子で、リンの視線には気づいていなかった。
一秒が過ぎていくにつれ、足音が大きくなってくる。確実にこの部屋へ近づいて来ていた。その靴音は一定のリズムを刻んでおり、とても落ち着いている。
船員の誰かなのだろう。
一番最初に脳裏に浮かぶのは、ヤルだ。
ぐったりしていたイリヤを抱えこの部屋に訪れた時扉を開けて迎えてくれたのもヤルだし、昨晩甲板で偶然会った時も、リンはわざわざイリヤが目覚めたと伝えに来ていたし、その際二人は仲良さげに話をしていた。
二人は、仲がいいのかもしれない。
そう考えると、何故だか少し、もやもやとした気分になった。
―――どうしてだろう。
何故そうなるのか、分からなかった。
己の気持ちに気を取られているうちに、足音は間近に迫っていた。ぱたん、という扉が閉まるような音を耳が拾い、ドルディノの意識は再度扉へ向かう。
コツン、コツンと小気味良い靴音が響き、その音は少しずつ大きくなっていった。視線をリンへ向けると、誰かがやって来ている足音にようやく気が付いたのか、扉の方を見つめていた。
気を取られているその様子にまたドルディノの胸がざわめく。
―――なんで……こんな気持ちになるんだろう……?
ガチャリと音が響き、二人に見守られる中扉が開けられていく。
そうして完全に扉が開け放たれた時、そこに立っていたのは予想通り、ヤルだった。
姿を現したヤルは室内にいるリンを見たとほぼ同時にドルディノの存在に気付き、一瞬驚いた表情を見せる。
一歩足を踏み出して中に入ったヤルは後ろ手に扉を閉め、数歩でリンの側へ寄ると、ドルディノに視線を投げると口を開いた。
「また、珍しい組み合わせだね。どうしたの」
先刻の軽い騒動を知ってか知らないでか、ヤルは静かな口調でそう質問を投げ掛ける。
「……少し、話を。あと、傷の手当てをしていました」
「……そう」
ヤルは何かを窺う様に目を細めドルディノを見つめていたが、やがて飽きたのか目をリンに戻した。
「聞いた? もうしばらくこの町に居るって」
「はい、先程聞きました」
「そう。予備とか色々確認して、あとで買いに行くのもいいかもしれないね」
「はい……そうですね……」
「出掛けるときは声を掛けるんだよ。付いていくから」
「……はい」
「あと、さっき……」
―――会話に、入れない……。
リンとヤルの会話は続いていき、間に入れないドルディノはその様子を見ていたが、突然虚しさが込み上げてきた。
置いてきぼりにされているような気がし、胸が苦しくなってくる。
三人でいる筈なのに、一人じゃないのに。
ここには、まるで一人だけで居るようだった。
もっとこっちを向いてほしい。自分を見て欲しい。
そんな思いで、埋め尽くされる。
でも、気づいてはもらえない。
―――っ……。
リンと仲良さげに話が出来る、ヤルが羨ましくて。
突然、ぎっ、とベッドが軋んだ音を立て、二人の会話がぴたりと止んだ。同時にその視線は、音を立てた者……ドルディノへと向かう。
今まで腰を下していた筈のドルディノが、立ち上がっていた。
その顔は、軽く俯いていて表情は読めない。
「……僕、失礼します。……手当て、ありがとうございました……リンさん」
言い終わるとほぼ同時に、ドルディノは動いていた。
そう言い残し、小走りで、まるで逃げる様に部屋から出て行ったドルディノの背中を、二人は黙ったまま見送った。




