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 頭がくらくらして足元がおぼつかず、躓きそうになるのを何度も耐えながら、ドルディノは走っていた。

 通常なら感じることが殆どない息苦しさと、全身に重くのしかかっている倦怠感。それらのせいで、幾度も足を止め木陰に身を潜めて休めたら、と思いながら。

 しかし。

 はっ、はっ、と荒い呼吸を繰り返す度に膨らむその胸元から、しっかりと感じる温かさと両腕に掛かっているずっしりとした存在感に、保護欲が湧き上がるのだ。そうして幾度も、しっかりしなければ、と己を叱咤してきた。

 誰にも仰されることなくのびのびと成長した草花には時折肌を打たれ、どっしりと構えている大木から別れている枝と激突しないように避けながら、一心に森の中を駆け抜ける。

 ―――この人を、守らなくっちゃ……。

 

 向かう先に待ち受けているモノから。

 追って来ているかもしれない者達から。

 

 ザザザザ、と葉擦れの音が立つと共に、パキン、と乾いたそれが、虫の音も止んだ暗闇の中に木霊する。

 自分の胸から吐き出される呼吸音が、やけに大きく聞こえる。

 足を止めずに視線を落とし、胸に抱き抱えている人が身に纏っている濃い緑の外套が、向かい風に乗り波打つ様子が目に入る。

 落としてしまわないように、無意識に手の平に力が入った。

 ―――今は、僕しか側に居ないのだから。

 そうして湧き出してくる力を糧に、安全と思える距離を稼げるまで、ドルディノは走り続けるのだった。




 °*ο。☆°*ο。☆°*ο。☆°*ο。





 狭い廊下の床を軋ませながら歩いていると、目的の部屋から漏れ出している独特な香りが、鼻孔をくすぐった。

 一度フェイを先頭に歩き、覚えた道順を脳裏で思い起こしながら歩いてきた。

 心中では多少不安がくすぶっていたが、漂ってくるそれを胸いっぱいに吸い込むと、安堵が滲む息が大きく漏れた。

 足早に歩を進めながら、真夜中に甲板の上で再会した、外套を全身に纏いフードを深く被って表情も分からないあの人の事を、思い浮かべる。

 同時に無意識に手の平が、まだ完全には完治していない左脇腹の刺し傷の上をそっと滑った。

 また会ったことが嬉しかった。

 そして、その人の口からイリヤが目覚めたと聞いた時は更に驚愕した。

 今まで、ヤルが看ていたと思っていたのだ。だがそれは思い違いだったらしい。

 それを知って、自分の傷も治療してもらったこともあり感動もひとしおだった。

 その時はすぐにでもイリヤに会いに行くつもりだったのだが、また寝入ったと聞き、少年との再会は今になったのだった。

 

 近づいて行くにつれて一層濃くなっていく香りの元まで辿り着くと、ドルディノは扉の前で足を止めた。この扉を一枚隔てた先に、イリヤと、そして、あの人が居るのだ。

 不思議だった。

 初めて会った時は、理由は分からないけれど、荒波立った波が穏やかになる様に心が静まっていく気がした。

 しかし次の瞬間には、緊張して心臓が跳ねる。

 今も……そうだった。

 何故か、胸がドキドキする。

 手の平にじんわりと滲んだ汗を指先で擦ると、湧いた唾を飲み下し、意を決して顔を上げた。拳を握った手をゆっくり伸ばし、僅かに躊躇するも、甲でコンコン、と軽く扉をノックする。

 すると、返事が返って来るかわりに扉がガチャリと鳴り、ゆっくり開かれていった。

 緊張しながら見つめていると、灰色の双眸に飛び込んで来たのは無表情のヤルで、嬉しいようなそうでないような、複雑な気分に陥った。

 「来たか。こっちだ」

 くい、と顎を動かし歩き出すヤルを、扉を閉めて慌てて追いかける。

 ヤルの歩く先に、もう一枚扉があるのが目に映る。どうやらそちらへ向かっているようだ。

 それに気づいたと同時に、ヤルの存在で忘れかけていた緊張感に襲われ、心臓が大きく跳ね出す。

 ―――あの人も、居るのかな……。

 会いたいような、逃げてしまいたいような。

 そんな複雑な気持ちに対してどう向き合えばいいのか考える暇もなく。

 ヤルは目前に迫ったもう一枚の扉を、開け放った。

 「あ」

 「ヤル兄さん」

 二人の声が同時に耳に届いて我慢できなくなり、ヤルの背後からそろりと身を乗り出し、見えない奥の部屋の様子を窺う。

 その部屋は、広くはなかった。

 開け放たれた扉から数メートルも離れていない距離にベッドがあり、そこに上半身だけ起こしているイリヤの元気な姿があった。

 そして、その傍らには。

 「迎えが来たよ」

 「おっ」

 ヤルがそう言うとほぼ同時に、背後で身を乗り出していたドルディノと目が合ったイリヤの顔に笑顔が広がった。

 「ドルディノ!」

 途端、イリヤは飛び跳ねるようにベッドから降りると、ドルディノの胸に飛び込んだ。

 それまで感じていた緊張などが全て吹っ飛び、胸に飛び込んで来た少年を微笑んで迎えたドルディノは、その小さい頭をそっと撫でた。

 先日、今にも死んでしまいそうな程ぐったりとしていたのが、嘘みたいだ。

 「お前は元気そうだな!」

 にやりと歯を見せて言うイリヤに、ドルディノもつられて笑う。

 「うん。イリヤ君も元気になったみたいで本当に良かった。もう大丈夫? 痛い所とかはない?」

 「おうよ! でも腹減った!」

 その言葉にぷっと吹き出し、声を上げて笑ったドルディノは、ふと視線に気が付いてイリヤの背後に立っている二人にそれを移す。

 その存在を忘れてしまい、いないもののように振る舞ってしまったことに少々気まずく思いながら、ドルディノは二人に微笑みかけた。

 「あの、すみません……。ありがとうございました、本当に……」

 「ありがとな、リン!」

 ドルディノに触発されたのか、イリヤが大きな声を上げた。

 それに驚くこともなく感謝の言葉を受け入れたリンは腰を軽く曲げてイリヤの視線に自分のそれを合わせると、口元を緩めた。

 「いいえ、どういたしまして。体に入ったのが、少量だったからよかったんです。……元気になって本当に良かったです」

 「少量……」

 そう小さく呟いたイリヤが、側に立っていたドルディノを見上げた。

 その視線を感じ、少年と目を合わせる。

 「ん?」

 優しくそう促せば、イリヤは頭を振った。

 「……いや、ドルディノは……本当に凄いんだなと思って。お前があの時、スープをひっくり返さなかったら、おれは……」

 「スープに入っているのが分かったんですか?」

 間に入って来たリンの言葉で心臓が飛び跳ね、緊張するドルディノをよそに、イリヤは頷くと言葉を続けた。

 「スープ飲もうとしたドルディノが、急に何か入ってるって言いだして……。でもおれはその時、もう一口飲んでたんだ」

 「……そうなんですか」

 耳に入ったその言葉に何か別の感情が含まれている気がして、不安を覚える。フードを深く被っている為尚更その表情が気になって仕方がない。

 どう思われたのだろうか。

 そう考えていた時。

 「なあドルディノ。ここ船の上なんだってな。おれまだ外に出てないんだ! 外に行こうぜ!」

 「え、あ、うん……分かった。行こう」

 ドルディノがそう答えると、彼が入って来た開け放たれたままの扉に向かって踵を返すイリヤ。ドルディノはもう一度二人を一瞥した後、後ろ髪を引かれる思いを感じながらも身を翻し、少年の後を追った。



 二人が甲板へ出ると、早速潮を含んだ海風が出迎えてくれた。

 そよ風に弄ばれた髪が額にかかるのを指先で避けながら、興奮した様子で飛び跳ねるように甲板を小走りで駆けるイリヤを微笑んで見守る。

 一頻り走り回って疲れたのか飽きたのか暫くすると、立ち止まって見守っていたドルディノの所まで戻って来たイリヤはうずくまり、はぁ、と盛大に溜め息を漏らした。

 「なんだか、疲れた……」

 そう漏らしたイリヤに、苦笑する。

 「病み上がりなんだから、無理したらだめだよ……」

 「……そうだな……」

 そう言って立ち上がると、気持ちよさそうに、背筋と両腕を天に伸ばして硬くなった筋肉をほぐす。

 そして、再度ドルディノを見上げた。

 「なあ……、ドルディノは……これから、どうするんだ……? ……おれは……帰らないと。心配してると思うし」

 「……そうだね……」

 頷きながらそう答え、ドルディノは眼下に広がる広大な蒼い海原へ視線を向けた。

 燦々と降り注ぐ陽光が水面に反射し、キラキラと輝いている。

 心の底から、綺麗だと思った。

 しかし、灰色の双眸に広がっている地平線を眺めていると、唐突に寂しさを覚えた。

 ―――そうだよね……ずっと、一緒にはいられない……。

 「……なあ」

 隣から声が聞こえ視線を向けると、真摯な瞳とぶつかり合う。

 「ドルディノは……どうするんだ?」

 「……僕は……会いたい人がいるから。その人を、捜すよ……」

 「……そうか、そう言ってたもんな。おれも、アイツ捜して一緒に戻らないと……」

 「あ、そう言えばイリヤ君の友達って、どんな子なの? ごめんね、僕捜しに行ったんだけど……」

 その言葉を聞いたイリヤは呆気にとられた顔をして、ドルディノを見つめた。

 「え? 捜しに行ったの?」

 「うん……でも、その……僕、さ……」

 何か言うのを躊躇しているドルディノをじぃっと見つめて待っていたイリヤだったが、続きを言う気配がなく、しびれを切らした。

 「おれ、アイツのこと何にも話してないけど……見た目とか。でも、捜しに行ったの?」

 「……うん……」

 少し顔を俯きがちに、右手で首筋を撫でながら苦虫を噛み潰したような表情でそう答えるドルディノを見て、イリヤはおかしいやら呆れるやら複雑な気持ちになった。

 思わず溜め息が漏れる。

 「お前ってさー……凄いのか抜けてるのかわかんないな?」

 最後の方は苦笑しながら言われ、ドルディノも返す言葉がなく、苦笑する。

 「まあでも、ありがとな!」

 気まずくなった雰囲気を払拭させようと明るく言うイリヤの意志を汲み取って、ドルディノも応える。

 「ううん……それで、イリヤ君の友達ってどんな子なの?」

 「アイツは……」

 そう呟くように言うと、それまでドルディノに向けていた視線を、広大な海原に落とした。

 どこからか、波が砕け散る音が絶えず響き渡っており、それが二人を包み込む。

 何かを思い出していたのか。

 暫くしてから、イリヤは続けた。

 「……アイツは、父さんがおれの護衛に雇ったやつなんだ。女みたいなやつなんだぜ。それなのに、めちゃくちゃ強いんだ……。……一度も、手合わせで勝ったことがないんだ、おれ。でも、いつか……勝ってやる」

 静かに、けれども力強い意志を感じさせる言葉だった。

 勝ちたい、という気持ちがとても伝わって来て、ドルディノは無意識に微笑む。

 それは、兄が弟を陰ながら見守るような、そんな温かい微笑みだった。

 「……まあっ! 会ってたんならすぐわかるさ! だって赤毛で超目立つんだからなアイツ!」

 その時、ハハッと笑うイリヤの声が、遠くに聞こえた。

 ―――あかげ? ……赤毛? 赤毛で……武術が長けて…………?

 瞬間、脳裏に一人の人物が思い浮かぶ。

 赤毛で、青い瞳の快活な印象を受けた、あの少年。 ほんの一時だったけれど、行動を共にした。

 人を捜しているとは、はっきりと言っていなかったけれど。

 ―――いや、でも……捕まってた人達全員見た訳じゃないしなぁ……別人の可能性もあるし……。あるけど……。

 「……僕、赤毛の子、見たよ」

 「えっ!?」

 それまで海の青が広がっていた瞳に、今度はドルディノが映り込んだ。

 勢いよく食いついてきたイリヤを見て、焦りが生まれる。

 期待させてもし違っていたら申し訳ない。

 慌てて両手を振りながら、言葉を付け加える。

 「いや、でも、捕まってた子全員見た訳じゃないから……! 違うかも、しれないし……!」

 その言葉を聞いて、イリヤの両肩が一気に下がった。

 そうだよなぁ、と小さく呟かれた言葉が耳に入る。なんだか結局悪いことをした気分になって、ドルディノも申し訳なく思っていた時。

 それまで俯いていたイリヤの顔が上がって、ドルディノと視線が合った。

 「まあ、その時はその時ってことで……名前とか聞いた? どんなヤツだった?」

 情報を求めてくるイリヤに、会った少年の事を思い出しながら、思いつくまま言葉を口に乗せる。

 「えーと……。名前は、聞いてなくて。……会った時は、なんか、男の人に絡まれてた、かな? ……殴って気絶させてたけど」

 一番最後の言葉を言ったとき、イリヤが吹き出した声が聞こえた。

 「……赤くて、短い髪で、青い瞳……意志が強そうな感じで、威勢がいいというか、快活というか……元気な印象だったかなぁ。それで、そう……武術を嗜んでそうな雰囲気があったなぁ。行動も素早くて……」

 相槌を打っているイリヤの声が聞こえ、ドルディノはふと思い出したことがあり、更に続けた。

 「あ、あと動物が好きそうな感じがしたんだけど。でも、向こうには怖がられているような」

 「おっ、本当か!? もしかして、自分の事『ボク』って言う!?」

 「え? あ、うん。ボクって言ってたね」

 「まじで!? アイツかも! なあ、アイツどっかいくとかって聞いた!?」

 「ええと……」

 ―――確か、フェイさんが……。

 「捕まった子達は故郷に帰す、って話を聞いたら、お礼言って走って行っちゃったんだ……。だから、どこに行くかは、はっきりとは分からなくて……ごめんね」

 「そうか~……。……まあでも、本当にアイツなら、多分町に戻ってるはずだ。こうしちゃいられない、おれも帰らなくちゃ!」

 「……うん、そうだね」

 そう答えると、はっとしたようにイリヤが顔を上げ、見つめて来た。

 その表情は言葉にしないものの、しまった、と顔に書いてある。

 ドルディノは、優しく微笑んだ。

 「大丈夫だよ。……帰るなら、無理しちゃだめだよ。まだ、病み上がりなんだから」

 「……うん……」

 イリヤの声から勢いが削がれ、声も小さくなっていた。

 肩を落としてはいるが、視線はそらされることなく、ドルディノに注がれていた。

 その瞳が僅かに潤んで見えるのは、気のせいだろうか。

 少しでも寂しがってくれているなら、嬉しいと思う。

 イリヤにとって、いい人であれた、証だから。

 別れは、寂しいけれども。

 その時、ふと背後から視線を感じ、ドルディノは振り返った。

 フェイやシャリー、ヤルとリンが並んで立っていた。

 どうやら遠巻きに自分たちの様子を窺っていたようだ。

 振り返ったドルディノを見たフェイが足を一歩踏み出し、真っ直ぐ向かって来る。

 距離を縮めてくる彼を見ながら、ドルディノの心にじんわりと、寂しさが広がっていった。

 イリヤとの別れが、刻一刻と近づいて来ているのを、ひしひしと感じていた。

 「おはよう二人とも~。しんみりしちゃってるけど~、……出立することにしたの~?」

 「おはようございます、フェイさん」

 「……おはよう、ございます……」

 小さく挨拶をしたイリヤに、フェイの視線が注がれた。

 そうして、ふむ、と小さく呟く。

 「少年の様子を見ると、君とは別れるみたいだね~?」

 イリヤに向けていた視線を今度はドルディノに移し、問うた。

 確信はあるのだろうが、一応確認を取るのだろう。

 「……はい」

 「そう。じゃあ、イリヤ君には~、はいこれ」

 そういうと同時に、イリヤに小さな袋を差し出した。

 差し出される瞬間、ジャラ、と金属がこすれるような音が聞こえたので、中身はおそらく故郷までの船代なのだろう。

 イリヤは、出された袋をじっと見つめる。

 本当に貰って良いのか、迷っている様子だ。

 躊躇しているのがフェイも解っているのだろう。彼は、空いているもう片方の手でイリヤの手首をすくい、その平の中に持っていた袋をポンと置いた。

 「これはね、君だけじゃないんだ。今まで沢山の人に渡してきたんだ。頭の……船長の意向なんだよ。だから、受け取って、安全に確実に家に帰りなさい。忘れてもいいけど、気になるなら、船の名前を覚えておいて。ダグネスだよ」

 「……ダグ……ネス……」

 「そう、ダグネス」

 微笑みながら頷き、イリヤが袋を受け取ったと察して手を離す。

 手の平に乗った小さい袋を、イリヤは両手でぎゅ、と握った。

 「君を乗せる船は、この船を下りると色々停留してるけど、一番西の端にいるおやじさんの小舟だから」

 そう言うと、これですることは全て終わった、とでもいうように、フェイは踵を返して来た道を戻って行く。彼が歩いて行く方向には、先刻と変わらず船員達が立ち並んでいた。

 「……行こう、イリヤ君」

 「うん……」

 ドルディノは小さい背中に手の平を添えた。

 促されたことが分かったイリヤはゆっくり歩き出し、船員達が見守る中、タラップの前まで行くと足を止める。そうして背後を振り返りフェイ達に視線を向けると、深々と、頭を垂れた。

 それは、今、何も持たないイリヤが出来る、感謝の意を伝える唯一の方法だった。

 そうして、イリヤはドルディノと、ダグネスを後にした。



 フェイに言われた通り西の方へ向かうと、一隻の船が波間を漂っていた。

 その小舟の中には一人の男性が立っており、イリヤが握っている袋を見ると軽く頷き、顎をしゃくって入れと促してくる。

 イリヤは振り向いて、ドルディノと目を合わせる。

 ―――これで、本当に最後なんだなぁ……。

 「……どうか、元気で……無事に帰るんだよ」

 「……っ」

 ぐっと拳を握りしめたイリヤは、俯いた。

 よく見ると、小さい肩が、僅かに震えている。そうかと思ったら、次の瞬間。

 イリヤはドルディノの胸に、ドン! と体当たりをした。

 一瞬だけ、ドルディノの体が後ろに下がった。驚きながらも視線を落とすと、腰に圧迫感と共に温もりが伝わって来て、抱き締められているのだ、と分かる。

 じんわりと、胸が苦しくなり、目尻に涙が滲んで来た。せり上がって来る悲しみを抑え込んで、声が震えそうになるのを耐える。

 声が震えていたら、喜ばしいことなのに、しんみりしてしまう。気にさせてしまう。

 数秒かけて、何度か息を吞み、神経を集中させて声が震えないように、落ち着けと自分に念じる。

 そうして次に口を開いた時、その甲斐があってドルディノの声色は揺れておらず、はっきりと言葉にすることが出来た。

 「ご両親が、待ってるよ」

 「……っ! う、んっ……!」

 鼻をすする音が聞こえ、ドルディノもつられて嗚咽を漏らさないように耐えることで、精一杯だった。浮かんだ涙をこぼさないように、瞬きもせず、イリヤの姿を脳に焼き付けるように、じっと見つめる。

 抱きついていたイリヤの腕が離れた。

 俯いたままで、手の甲で何かを拭う仕草をすると、顔を上げてドルディノを見、笑った。

 その目尻には、新しい涙が滲んでいたが。

 「ドルディノもっ……、元気でなっ! 絶対だからな!」

 口を開くと泣いてしまいそうで、ドルディノは微笑んだまま、頷いた。

 それを見たイリヤもまた、力強く頷き返し、ドルディノに背中を向ける。

 別れの一歩を踏み出し、歩を進めて。

 イリヤは、揺れる小舟に男の助けを借りて乗りこんだ。その途端、水面に波紋が大きく広がって、映っていたドルディノの顔が大きく歪み、同時に距離も遠のいていく。

 今にも泣きだしそうなしわくちゃの顔をドルディノに向けながらも、イリヤは嗚咽を漏らさないように必死に耐えているのが、手に取る様に分かった。

 ドルディノは大きく手を振り、もう声が震えようが構わないと思い、叫んだ。

 「元気でねっ……!!」

 ドルディノが手を大きく振ることで空気が裂け、ぶんぶんと音が鳴る。

 ドルディノの目にもその姿が映らなくなりそうになったとき、声が大きく空気を震わせ、風に乗って言葉を伝えてくる。

 「またなあああぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 

 その一言は、殆ど泣き声そのもので。

 

 

 それまでギリギリで耐えていたドルディノの双眸の決壊は、ついに崩壊してしまった。


 

 「……」

 肩を大きく震わせ、顔を俯けて、それでも声を漏らさないように耐え悲しんでいるドルディノの背中を、静かに見つめている瞳があった。

 リンは、身に纏っている深緑の外套付きのフードをぎゅ、と掴み深く引っ張ると踵を返し、裾を波打たせながら、静かにその場を後にした。

遅くなりすみません。 喉風邪にかかってダウンしていました。 ただの風邪なのに高熱って出るものなんですね……^^;  皆様も、体調にはお気を付けください。  お待ちいただいた皆様、ありがとうございます。

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