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ドルディノにそう投げかけられた小柄な人物は、足を後ろに引きもう一歩下がると、青い瞳を細め見据えてきた。
その瞳はまだ、信用できるか否か判断しかねていることを語っていた。
―――どう言ったら、信じてもらえるのかな……。何を、言えば……。
「僕は……僕は、人を、捜しに行くところで……」
ドルディノは、無意識にそう口にしていた。自身が口走った言葉にはっと気が付いて、口を噤む。
―――そんなことを、言ってどうするんだ……。
他に言葉も見つからなくて、黙り込む。
そうしてたっぷり数秒経った頃。
「……嘘じゃないだろうな?」
そう声が掛かって、ドルディノははっと顔を上げた。
正面に立っているその人の短い真紅の髪は風で弄ばれ、真っ直ぐに射抜いてくる青い瞳は鋭い光を放っている。
ドルディノは、無意識に拳を強く握った。
そして、はっきりとした口調で相手に告げる。
「嘘じゃない」
その言葉を信じるか否か考えあぐねているのだろう。相変わらず鋭い眼光を放ちながらじっと様子を窺ってくるその青い瞳を、ドルディノも負けじと睨み返すように見つめた。
嘘じゃない、こちらも真剣なんだと、そう伝えたくて。
瞬きすら忘れ、お互いが睨み合うように視線を交わしあって数秒後、警戒して身じろぎもせず体を強張らせていた相手は、体の力を抜いて肩を落とした。それによって二人の間に横たわっていた雰囲気も柔らかくなり、ドルディノは無意識に止めていた息を吐き出す。
「まあ、それなら別にいい」
そう言った途端、身を翻したかと思ったら再度大股で歩き始める。
その遠のいていく背中を見て、ドルディノは後を追うために慌てて駆け出した。すぐに追いついて隣に並ぶと、遅れをとらないように忙しなく足を動かしながら再度制止の言葉を掛けた。
「あの、危ないからっ……」
「ボクにも用事があるんだよ」
言葉を遮るように強い口調で言われ、それ以上続けることも出来ず、ドルディノはぐっと口を引き結んだ。
一瞬ですら視線をこちらへ向けることもなく、真っ直ぐ突き進んで行っているその姿勢は、「これ以上構うな」と言外に伝えている。
だが、危険と分かっていてこのまま放っておくことは出来ない。
ドルディノは、引き留めることは諦め、無言で後をついていくことに決めたのだった。
屋敷の広い庭が映りだした時、その殺伐とした雰囲気と有様に躊躇して歩く速度が落ちた。それは隣りを歩いていた赤毛の人物も一緒で、それまで勢いよく踏み出していた足もピタリと止まる。
広い、屋敷の庭で背中を向けて点々と立っている男達。その傍らには後ろに回された手を縄で縛られ、血や涎とそれを踏んだ靴跡でぐしゃぐしゃになった地面に跪かされて悔しそうに顔を歪めている男達が並んでいた。
―――これは……。
どういう状態なのだろうか。
立っている者達と跪かされている者達、どちらが自分らに危害を加えない者なのかが、分からない。
ざっと、跪かされている者達に視線を走らせ、見知った顔を捜す。そして中央からやや遠のいた奥の方に跪かされている男が視界に入ると、目を細めて見つめた。
見覚えが確かにある、ダークブラウンの髪。肩まであるそれを幾つかの束にし、更に三つ編みにしている。
その編まれた髪が、俯いている顔の頬の側でぶらりと垂れ下がっていた。
―――あの人……。 そうだ、確か捕まって最初の食事を、嗤いながら床に落とした人だ! 彼が捕まっているということは……。
脳裏で先刻聞いたフェイ達の言葉が反芻される。
―――頭と呼ばれてる人は、何度もこうやって奴隷商人達を捕まえていると聞いた……ということは、その人がまだ……ここに、居るはず……?
思考を巡らせていると、さっと何かが目の前を通ってハッと我に返ったドルディノは、素早く目線で後を追う。すると赤毛の人物が颯爽と屋敷の塀なりに歩いて行っている後姿が双眸に映り、ドルディノは慌てて駆け出した。
再度隣りに並んだドルディノは相変わらず硬い意志を含み正面を見据えている瞳と、一切迷いもなくきりきり進んでいくその姿を目にして、喉から出そうになっていた制止の言葉を飲み込む。
この様子では何度止めても無駄だろう。
無言で後ろをついて行っていると、塀の途中で、開け放たれている門があることに気が付いた。
開け放たれているのは、おそらく、侵入するのに使った為だろう。
―――どうするんだろう……。
そう思い見守っていると、先頭を小走りで進んでいた赤毛の人物は門に身を寄せ、背中を塀につけて体を隠し、上半身だけゆっくり傾け肩越しに庭の中を盗み見し始めた。
―――なんか……場慣れしてる?
ふと、そんな風に感じた。
その時。
「いたぞー! こっちだ!!」
庭の方からそんな怒声が聞こえたと同時に、数人が走っていくような重たい足音が聞こえ、ドルディノもそっと身を乗り出して様子を窺う。
どうやら、まだ捕まえ切れていなかったようだった。
奴隷商人の一部を発見し、その後を追っている。
ざっと見、二十はお縄になっているように見えるのだが、まだ増えるらしい。
―――一体、何人いたんだろう……。
そんなことを思っていると、ドルディノの耳に、カサ、と葉擦れの音が聞こえた。
素早く振り返り目を細め様子を窺っていると、葉がカサカサと踊り始め、やがて葉先の上に茶色いものがにょきっと生えるのを見て驚き、一瞬心臓が強く跳ねた。
どうやら人ではなかったらしい。
生えた三角に伸びている耳が、葉擦れの音をさせながら少しずつ距離を縮めてくる。近づいてくる度に葉擦れの音が大きくなっていき、その数秒後、ガサッという音と共にそれが止んだ。
そして、つぶらな、まんまるとした黒い瞳と目線が合う。
その動物は、密集して生えている細長い葉と葉の隙間から、まんまるとした小さい顔を覗かせていたのだ。
目を瞬きながら見つめてくる小動物と見つめ合って数秒。
「あ」
その小さな呟き声が側で聞こえ、ドルディノが声の主に視線を移すと同時にひときわ大きな葉擦れの音が響き、小動物が顔を覗かせていた方へ再度振り返る。と、丁度、葉の間を縫うように去っていっていると思われる断続的な葉擦れの音と共に、近場から遠くへと葉の揺れが移っていくところが目に映った。
「あ~あ……」
そんな、残念そうな声が聞こえたと思った瞬間。
「あっ! あいつ!!」
突然、背中を向けていた屋敷の庭から大声が聞こえ、ハッと振り返る。
―――見つかった!?
見ると、声を上げたと思われる跪いている人物が、鋭い目つきでこちらを睨んでいた。その視線を追い掛け、その人物を中心として波紋が広がる様に次々と顔が向けられる。その表情はどれもこれも、怪訝そうだった。
完全に怪しまれている。
「捕えろっ!」
誰がそう叫んだのかは分からなかったが、それを合図とするかのように近場に立っていた監視役の男達が一斉に駆け出して向かってきた。
逃げるべきなのか立ち向かうべきなのか、それとも敢えて捕まるべきなのか一瞬悩んだ後、目の前に立っている赤毛の人物がどうするのか様子を窺うことにする。
どうするか考えあぐねているのか、赤毛の人物は微動だにしなかった。
その間に距離を詰めて来た数人の男達が二手に分かれて襲い掛かって来て、後ろ手に回された両手首にはあっという間に太めの縄がきつく巻かれ、そこから伸びている余った縄を男達が持ち、力強く引っ張って庭へと連れて行かれた。
ぐいぐい引っ張って行くものだから、躓きそうになる。
―――これっ……僕は痛くないけど、この人痛いんじゃないかな……。
ドルディノの視線が、目の前で引っ張られて歩かされている赤毛の人物の細い背中へと注がれた。
そんなことを思っていると突然頭を押さえつけられ、地面に跪かされた。
砂利が膝を擦り、ほんの少しの違和感を伝えてくる。
「おらっ! 大人しくしておけよっ!」
―――ああ……こういうの、前もあったなぁ……。
そんな状況でもないのに、突然感慨深い気持ちになって瞼を伏せる。
―――あの時は、どうやったらあの子を守れるかと、そればっかり考えてた……。僕がもっと大人だったら、皆を守れたのかな……。今、どこにいるんだろう……本当に、また会える日が来るのかな……。
「おいっ、放せよ! ボクは奴隷商人の仲間じゃない!」
自分と同じような格好にされている赤毛の人物が、抗議の声を上げた。
「あぁ!?」
すると赤毛の人物の頭を抑え込んでいる男が吐き捨てるように言った。
見るからに苛々している。
「騒ぐと黙らせるぞ!?」
すぐにでも殴りそうな勢いでそう叫ぶ男だったが、次の瞬間、聞こえた言葉に黙り込むこととなった。
「あー……でもそいつ、服が『商品』のだぞ……?」
「そうだな……仲間じゃないかもしれねぇな」
「放してやったらどうだ?」
「いや、待て。確認を取ってからにした方が……」
「そうだな、誰かお頭呼んでこーい!」
口々に言葉が飛び交っていたが、どうやら結論が出たらしい。
そのまま聞き流しそうになっていたが、ある言葉にハッとする。
―――頭って……まさか、フェイさんとかが言っていた……? もしそうなら……どうにかなるかも……。
誰かが建物の中へ入って行く気配がすると共に、今までのざわめきが嘘のように静まり、沈黙が支配した。
一言、なにかを呟くことさえ憚る雰囲気。
頭と呼ばれた者が姿を現すまでを異様に長く感じながら、じっくり待つこと数分後。
やがて、ドルディノの耳にカシャン、と重たい音が聞こえ始めた。それは断続的に一定のリズムで刻まれ、少しずつ音が大きくなってゆく。
そうしてついにその音は、砂利を踏みしめるそれへと変わった。
頭を押さえつけられている為、顔を上げて姿を拝むことはできない。耳だけで、彼らの言葉を拾い気配を感じ、どう動くのかを推測する。
「―――何だ?」
「お頭、すみません。確認していただきたいことがありまして。……こちらに」
そう交わす話し声が聞こえると同時に、二つの靴音が砂利を踏みしめながら近づいてくるのが分かった。数秒して側まで来るとそれは止み、再度会話が聞こえ始める。
「一旦捕まえ終わった後で門の側に立っている怪しい二人組がいまして。一人は『商品』に普及されるものを着てるんですが、もう一人は……」
「だからボクは違うってさっきも言っただろ!」
ドルディノの左隣りでそう叫んだ赤毛の人物に触発されたのか、動く気配が伝わった。そうして数秒経った後、「ふむ」と一言発したのを耳が拾う。
「縄を解け」
「はいっ」
命令された男が赤毛の人物の背後に回り込み、手首と縛っている縄の間にナイフを入れ、ぶつ、と切った。なんの苦労もなく一瞬で切れた縄を見た所、使ったナイフの刃は切れ味が相当良いのだろう。
解放され自由を得た赤毛の人物は両膝を付けたままで上半身を起こし、縛られていた手首をさすっている姿が横目に映った。
「くっそ……跡がついたじゃないか……」
そうぼやいた赤毛の人物にはそれ以上構わず、男達の視線が今度はドルディノへ注がれる。
一番怪しいのは、おそらく自分だ。
「この男なんですが……『商品』の服も着ていないし……。この赤毛の少年と一緒には居たんですが……どうしましょうか」
「……そうだな。ルイを呼べ」
「分かりました」
―――ルイ……? なんだ……関係ない人なのかな……。
誰かが走り去っていく靴音と共に軽い地鳴りが両膝から体へと伝わってくる。だが、庭から出ていったのだろう。やがて振動は静まり、再度静寂がその場を満たした。
ドルディノは一言も喋らず黙って顔を俯けていたが、興が湧いたのか頭と呼ばれている者が話しかけて来た。
「……お前。どうして門に立っていた? そこの赤毛の坊主の知り合いか?」
「え……」
そう呟いて、無意識に俯いていた顔を上げる。
そうして飛び込んで来た彼の、茶色がかっているくすんだ朱色の双眸と視線がぶつかり合った。首の後ろで一つに纏めているであろう菫色の髪が、肩から逞しそうな平たい胸へと流れているのが目に映る。
なんと言えばいいか言葉に詰まっていると、彼の質問には別の者が答えた。
「まあ……さっき会ったばっかりだけどな」
そう赤毛の人物が答えると、もう一度男は「ふむ」と呟き、それっきり口を閉ざした。
気まずい静寂が横たわり、ドルディノはまた口を噤んで異様に長く感じる時を過ごしていたが、新たな足音が遠くから聞こえてくることに気が付いて、そっと顔を上げた。
少しずつ距離を縮めてくる二人の姿がその双眸がはっきり捉えた時、ドルディノは小さく「あ」と呟き、無意識に微笑んでいた。
向かって来ている二人の内一人は、先刻まで会っていた人物。
―――あれは、間違いなくフェイさんだ。……ということは、じゃあやっぱりこの人が……船の、頭?
顔を上げて目の前に立っている頭と呼ばれている人物へ視線を向けるが、彼は向かって来ている二人を見ていてこちらには気が付かない。その視線を追って、ドルディノは再度向かって来ているフェイに視線を向けた。
悠々と歩いてくるフェイは、最初ドルディノには気が付いていないようだった。
が、距離が近づくにつれてその表情が変化していく。目を瞬いたと思えば目を細めじっと見つめてきて、最後にはその口角を上げ肩を震わせ始めたのだ。
笑いたいのを堪えているように見える。
ドルディノは、そんなフェイを見て苦笑するしかなかった。




