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 先刻とは違い陽光に照らされて明るくなった道を、ドルディノは走っていた。おぼろげながらに覚えている街並みを、適当に北へ向かって進んでいく。

 夜明け前、船へ向かってる時は人っ子一人居なかった道にも、今はちらほらと町の人の姿が見え始めていた。

 きっと、これから商いや仕事の準備等でもっと大勢の人が現れ始めるだろう。

 その人達が気が付く前に、囚われていた場所で今も続いているであろう争いが、収まるようにしなければ、と思う。

 けれど、自分にイリヤの知り合いを捜す以外で何かできることがあるだろうか……。

 ―――いや。行けば、何か手伝えることがあるかもしれない。

 脳裏でそんなことを考えながら走っていると、ふと誰かの声が聞こえ、町の中心を走っている大通りで、足を止めた。素早く視線を走らせ、周囲に軒並み並んでいる家々を見渡す一方で耳を澄まし、聞こえた声が幻聴かどうかを確かめる。

 異常がないかを目を細め観察しつつ、神経を耳に集中させていると、もう少し先の方から声が聞こえてくることが分かって、ドルディノは駆け出した。周囲に視線を走らせながら数メートル進んだ先で、ふと追っていた声が右側の路地から聞こえてくる事に気がつき、方向転換する。僅かに走る速度を上げ路地まで辿り着くと身を滑り込ませた。

 陽光が建物に阻まれて、路地は少し薄暗く、狭かった。ドルディノの走る音が一定のリズムを刻み、反響される。

 ―――なんだか、よくこういうパターンに出遭うなぁ……。

 自身の土を踏みしめる音を聞きながら数秒程走ると、ドルディノの双眸に二人ほど人影が飛び込んで来た。

 一旦足を止めてから、再度静かにゆっくりとした足取りで近づきつつ、目を眇めて様子を窺う。

 争う声も、狭い路地の影響もあって、普段より大きく響いていた。

 「……らさぁ、黙ってやるって言ってんだよ。な? 分かるだろ? だからさぁ……言うこと聞けよ」

 見るからに体格がいい男が、自身より小さい人物を壁際に追いつめて見下ろしていた。

 壁に背を張り付けている小柄な人物の耳の側には、男の腕が伸びている。

 どう見ても、逃げ道を塞いで獲物を追いつめている様にしか見えない。

 「やめて、くださいって言ってるじゃないですか……」

 男の顎の下で小柄な人物が囁くような声で、けれどはっきりとした口調でそう呟く。すると、覆いかぶさる様に見下ろしていた男は伸ばしていた背筋を軽く曲げて顔を近づけながら、壁に付いている手はそのままでもう片方の手の指先を、小さな顎下に添えてぐい、と無理矢理顔を上に向けた。

 「強情な女だ……」

 骨ばった男の唇が、囚われている人物の顔へ下りていく。

 ―――危ない!

 これ以上は見ていられない。

 男の所業を妨害するために、ドルディノは駆け出した。

 「っ……やめてって……」

 そう囁くように言った小柄な人物の細い手が男の後ろ首へ伸びて、男の首筋を撫でる。

 男は情欲を含んだ満足げな吐息を漏らしながら、掠れた声で囁いた。

 「そう……それでいいんだ……」

 下りていく男の唇が、小柄な人物のそれに重なろうとした、その瞬間。

 「言ってるだろうがこの色魔あぁぁ!」

 ゴス! という音と共に男の呻き声がドルディノの耳に届き、助けようと伸ばしていた手が虚空を掻いて駆けていた足も無意識に立ち止まった。

 唖然とし、口が半開きになったドルディノの灰色の双眸には、追いつめられていた小柄な人物が掴んでいた男の首根っこが、顔どころか胸の位置まで引き下ろされ、その膝が男のみぞおちにのめり込んでいるところが映っていた。

 「え……」

 「ったくこの変態野郎が! 一度拒否られたらそこでやめろっての! ボクは急いでるんだってさっきから何回も言ってるだろ!」

 憤りを全て言葉にして吐き出すかのように叫ぶように言うと、掴んでいた男の首根っこをパッと放した。その瞬間、男の大きい体が支えを無くしぐらりと傾いて行き、どさっと重たい音を立てて地面に倒れ、砂埃が舞った。

 立った砂埃が風に弄ばれて宙を舞い、ドルディノの体を吹き抜けていく。

 男が倒れたことで小柄な人物の存在を薄くしていた陰が消えうせ、その姿が露わになったその瞬間、ドルディノの瞳がある一点に、一瞬で惹かれた。

 ―――赤……だ……。

 燃えるように赤い、真紅の髪。

 これは、目立つ。ドルディノでさえ、一瞬で惹き込まれたのだから。

 「おい」

 間近で声が聞こえ、ドルディノははっと我に返った。

 真紅の髪に目を奪われている内に、小柄な人物は手の届く範囲、ぎりぎりにまで近づいて来ていたらしい。近距離で、正面から目を合わせたその人物は胸の前で腕を組み、目を細めてドルディノを見据えていた。

 赤く、全体的に短い髪の毛先が、整った顔立ちの柔らかそうな頬へ少しかかっている。着ている服は、薄汚れているが上下は白色で至ってシンプルなもの。所々擦り切れている。

 なにか、少し違和感を覚える。

 ―――何だろう……どこかで見たような……?

 「おい、あんた人の話聞いてるのか? こいつの仲間なのかって言ってるだろ!?」

 鋭い声が飛んで来て、ドルディノは現実に引き戻された。

 色々考えていて少しぼうっとしていたらしい。

 相手は見るからに苛々しだしている。

 「す、すみませんちょっと考え事を……。それで……」

 ―――確か、仲間かどうかって訊いてたよね。もう一度訊いたら僕も殴られそうな雰囲気だなぁ。

 心の中でそんなことを考えながら、ドルディノは否定の言葉を舌に乗せる。

 「違いますよ。全く知らない人です。僕は、丁度そこの道を通りがかった所で……声が聞こえたので様子を見に来ただけです」

 両手を胸の前で振って見せ悪意をない事を身振りで伝えながらそう答えると、胡乱な視線を送って来ていた相手だったが大きな溜め息をつき、「よし」と呟いた。

 「まあ、それなら別にいい」

 そう言うと同時に、大股で歩き出してドルディノの側を通り過ぎ、先刻通って来たばかりの大通りの方へと向かって真っすぐ進んでいく。

 その後姿を目で追っていたドルディノだったが、はっと我に返った。

 ―――そうだ、僕もイリヤ君の友達を捜しに行くところだったんだ。

 船を降りて来た目的を思い出したドルディノは先頭を行く小柄な人物の後を追うように小走りで駆け出した。

 大通りに出ると、歩幅を広くずんずんと北へ向かって直進している後姿を見て、ドルディノは目を瞠った。

 ―――あっちは、今危険なのに! 止めないと!

 速度をぐんと上げて走り数歩で追いついたドルディノは、歩く度に大きく振られていた腕を掴んで引き留めると少し力を込めて己の方に引っ張った。

 突然引っ張られた小柄な人物は防ぐことも出来ずに背後へ倒れそうになり、そこをドルディノの胸で受け止められ、転倒を逃れる。

 「っ……あんたっ! 突然何するんだよ! 危ないだろう!?」

 胸の中で顔を上げ、キッと睨み付けてくる。

 その瞳は、綺麗な青だった。

 ―――青……。あ……そういえば、あの人も青だったな……。

 イリヤを預けた時。

 あの時はそれどころではななかったため注視していなかったが、改めて思い出してみると海の色だった気がする。

 だが、青は度々見かける色だ。そう珍しいものでもない。

 銀髪ほどには。

 ―――リアン……。

 「放せよっ!」

 ドン、と胸を押されたドルディノは数歩後ろへ下がった。顔を上げ、真っ直ぐ見つめると小柄な人物は目を細めてふい、と視線を逸らす。

 「ボクに、触るな」

 「……今、あっちは危険な状態なんです。だから……行かない方がいいと思って……」

 「何……?」

 俯きがちにしていた顔を上げ、青い瞳で真っ直ぐドルディノを射抜いてくる。その視線の鋭さに少し圧倒されつつ、しかし気を取り直して続けて言った。

 「その……ちょっと、争いが起こってるみたいで。巻き込まれると、危ないので」

 ドルディノの言葉を聞いている内に、だんだんと鋭くなっていく双眸を見て、ドルディノは違和感を覚え始めた。

 ―――どうして、そんな目で僕を見るの……? 何か変なこと言った? 言ってないよね?

 心の中で誰ともなしに訊くが、答えは返ってこない。

 その質問に答えられる人物は今、目の前に立っている者しかいないのだから。

 「あの……僕、なんか変なこと言いました……?」

 「なぜ、あんたがそれを知っている?」

 意を決してそう問えば硬い声で訊き返され、ドルディノは口を噤んだ。

 ―――なんでって……逃げて来たから、とか、言えない……し……。なんて答えたらいいんだろう。どうしてそんなことを訊くんだろう? まさか、この人も奴隷商の関係者……? 関係者……あ! そうか!

 ある事を思い出した瞬間、ドルディノの顔に笑顔が浮かんだ。それを見た赤毛の人物は、眉間に皴を寄せ、一歩後ろに下がる。

 その視線は怪しげなものを見るそれだ。

 ―――なんでもっと早く思い出さなかったのかな。この人の、着てる服! イリヤ君と同じなんだ! この人も、逃げて来たんだ!

 霧が晴れたようにすっきりしたドルディノは、相変わらず胡乱な視線を送ってくる小柄な人物に微笑みがける。

 「僕、奴隷商人に捕まってたんだけど、逃げ出してきたんです。……あなたも、そうですよね?」

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