第四話 現れた過去
「私、お兄ちゃんに言われたとおり隠れてたよ」
最初に気がつかなかったのは名字が変わっていたからかもしれない。だか彼女の言葉であっという間に過去に引き戻され、目の前の女性が遥か昔に出会った少女の顔と重なった。自分の方へと倒れ込んできた彼女を抱き止めながら、やはり逃げられない運命なのだと諦めにも似た気持ちが湧き上がった。
その後、自分が弁護を引き受けた伊集院是清こと高橋秀則と顔を合わせた。十五年ぶりに顔を合わせた学生時代の友人は随分と見た目が変わっていた。体型もだが顔も何度か整形したらしい。
「……すまないな、国選を頼めば良かったんだが」
「いや、気にするな。受けたからには全力で弁護するよ」
「別に減刑されたいわけじゃないんだ。堕ちるところまで堕ちた身だからな」
だったら何故?と無言で問い掛けた。
「多分、一番楽しかった思い出と一番暗い思い出を共有しているのがお前だけだからかな。それを捕まる直前に思い出してな、つい、お前に弁護を頼む気になっちまった」
困惑したような笑みを浮かべる。
「それと、少しだけお前と話をしたかったのかもしれん」
「そうか」
「迷惑なら断ってくれてもいいんだぞ」
「いや。俺もお前と話をしたかったんだと思う」
この部屋には自分と高橋しかいない。あの時のことを知っていて生きているのは自分達二人だけだ。目の前の友人は自分をまっとうな道に戻すために多大な犠牲を払ってくれた。だからこそ話しておかなければならないだろう。
「高橋、お前を投げ飛ばした巡査のことなんだが……」
「ああ、あれには驚いた。まさかこの俺がいとも簡単に女に投げられるとはなぁ」
「彼女の名前は沢村捺都。旧姓、勝部捺都だ」
「勝部……まさか、あの勝部か?」
高橋が思わず身を乗り出した。
「ああ。あの時の子だよ」
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とにかく酷いものだった。男の呻き声、子供だけは助けてくれと懇願する女の声と悲鳴。そして断末魔。なにも子供まで手にかける必要はないだろうと止めに入ったのはこの高橋で、子供とは言え犯人の顔は覚える見られたならば生かしてはおけないというのが主犯格の男の言い分だった。
「何をいまさら仏心を出しているんだ。もう二人も三人も同じだろう」
「しかし相手は小学生だぞ」
二階で言い争う二人のやり取りは一階で見張りをしていた俺のところまで聞こえてきた。そんな時にキッチンで動く影を見つけた。怯えた顔をした小さな女の子だった。台所のキッチンの死角になっていたせいで最初は気がつかなかったのだろう。顔を見られたからこの子も殺さなくてはならないのか? 迷ったのは一瞬だけだった。その子の顔を見ながら口に指を当てて声を出さないようにと伝えると、それを理解したようで両手で自分の口をふさいだ。賢い子だ。
上の連中が降りてくる前に何とかしないと、と隠れる場所がないか周りを見渡す。勝手口から逃がそうかと思ったが、外にも見張りが立っていることに思い至る。
―― ダメだ、この場で隠れる場所でないと…… ――
足元に床下収納があることに気がついた。開けてみると空箱や醤油瓶などが入っているが、それを取り出せば女の子一人ぐらいは入れそうだ。急いで物を取り出し、女の子に手招きをする。
「ここに隠れてるんだよ。おまわりさんが見つけてくれるまで何があっても声を出したらダメだからね」
俺の言葉に女の子は頷いた。その子を収納棚に下ろすと、しゃがみ込ませて戸を閉める。それから敷物を上から乗せ取り出した箱や瓶を並べた。あとは上の連中が気紛れを起こさないことを祈るだけだった。
しかし復讐(と男は称していたが)を果たした連中は一階に降りてくると、すぐには逃走せず台所にあるスナック菓子などを物色し食べ始めた。今にして思えば人を殺したということでハイになっていたのだろうと思う。
「おい高橋、ビールかなにかないのか。冷蔵庫の中を探せよ」
そう言われて高橋がこちらにやってきた。どうか奴が収納棚に勘付かないようにと祈るような気持ちでその様子を見守った。勘付かれたら女の子はもちろん自分も殺される。高橋は冷蔵庫を開けてビールを出した。それから何かに気がついたのか足元に目を向けた。収納棚と床の隙間にシンクの前に敷かれていたマットが挟まっている。
「……」
高橋はさりげなく足でマットを器用に引っ張り出すと、そのまま何食わぬ顔をしてビールを主犯格の男方へと持っていった。あの時、高橋は気がついていたのだ、あそこに誰かが隠れていて、そこに隠したのが俺だということを。だがその事を他の連中に言うことなくその場を去った。
『お前はまだ間に合う。まっとうな道に戻れ』
あれから彼なりに俺の事を観察していたのだろう。俺の親が名の知れた企業家だと知って連中が金の無心をし始めた頃、高橋がそう言った。
『お前は悪人にはなりきれんよ。これを機会にちゃんとした人生を生き直せ』
そう言って消息が分からなくなった直後、あの時の連中が事故で全員死んだことを知った。原因は車の整備不良ということだったが、高橋が事件に関与した人間を消す為に細工したのだと直ぐに分かった。そしてどうしてそんなことをしたのかも。
そして俺は高橋の言うとおり大学に戻り弁護士の道へと進んだ。殺された勝部家の主が弁護士だったからと言う訳でもないのだが、同じ道を歩むことで無意識に贖罪の意味を込めていたのかもしれない。
そしてあの事件から十七年。目の前にあの女の子が現れた。警察官として。何と言う皮肉な巡り合わせなのだろう。
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「沢村さん、酷い事件に巻き込まれていたんだな」
倉内が眞柴の元に捜査資料を持ってきた。当初は樋口を調べるつもりでいたのだが、錦戸の言葉に引っ掛かりを感じて捺都のことから調べ始めたのだ。
「一家惨殺事件……ああ、なんとなく記憶にあるな。お宮入りの事件だったか、これ」
「担当していたのは一昨年に退職した芦田さんと、あ……柏木、管理官」
「は?」
思わず資料を覗き込む。そして読んでいくうちに二人して納得してしまった。
「管理官は沢村ちゃんのことに気がついてたんだな、恐らく」
「それであれやこれや口出ししているのか? なんつーかこれは……口煩いパパ?」
「なのか?」
「けどこれで、あの人が捜査に厳しい理由が分かったな。これが原点なのか」
刑事になって間なしに遭遇した凶悪事件。しかも未解決事件だ。柏木にとっては忘れたくても忘れられない事件だろう。
「唯一の目撃者だった沢村ちゃんからは何も情報が引き出せてないみたいだな。……怨恨の線では何も出なかったのか」
「関係者には片っ端から当たってるいみたいだが、さすがに刑事事件の被告ともなるとロクでもない奴が多いな、中には死んでいるやつもいるみたいだし」
「だが、これで沢村ちゃんが口にした言葉の意味が分かったな」
『私、お兄ちゃんに言われたとおり隠れてたよ』
「沢村さんが見つかったのは台所の床下収納。幼稚園児がとっさに隠れるにしてはちょっと難しい場所ではあるな」
「誰かが沢村ちゃんをそこに入れて、隠れているように言ったってことで説明がつく。それが樋口弁護士だとして、繋がると思うか?」
「さあなあ……なんせ十七年前の事件だろ? 樋口弁護士は当時十九歳。一応は未成年か。沢村さんが相手の顔を覚えていれば話は早そうだが」
「それは無理な話だ」
「うぉわ?!」
眞柴と倉内はいきなりの声に飛び上がった。二人して振り返るとそこに難しい顔をした柏木が立っていた。
「何をこそこそ調べているのかと思えば、お前達、何をしている」
「え、いやあ……」
「ところで、無理ってどういうことです?」
「お前達はこの事件とは何の関係も無いだろう。本来の捜査に戻れ」
しかし彼等も一課刑事の端くれ。上のモノに言われて、はいそうですかと引き下がるわけがない。柏木は厄介な連中に目をつけられたものだと溜め息をついた。
「沢村巡査は何も覚えていない」
「事件のことをですか」
「事件のことだけではなくそれまでの記憶だ。今の彼女には恐らく事件後からの記憶しかないだろう。それがどういう意味を指しているかぐらいお前達にも分かるだろう」
「自分の心を守る為に記憶に蓋をしたということですか……」
彼女はその辛い記憶に蓋をすることで生き延びたとも言える。
「お前達が過去を掘り返すということは、沢村巡査のその蓋をこじ開けるということだ。その結果どういう事態を招くか、責任を持てるか、お前達」
「十七年前の事件を解決できるかもしれないんですよ?」
「その為に唯一あの事件から生き延びた少女の心を殺すのか?」
しばらく沈黙が流れた。
柏木も彼等の気持ちも理解出来たし自分の中にも今まで手がけた中での唯一の黒星となったあの事件を解決したいという気持ちがまだ残ってはいる。だが警察官としての職務よりも、一人の人間としてあの少女の心だけは壊したくないと思いこの件に関してはお宮入りという不本意な結果を受け入れたのだ。縄張り意識ではないが今更のようにあの事件を知らない誰かにほじくり返して欲しくないという気持ちが強かった。
「とにかくだ、お前達は自分達の捜査に戻れ。これ以上この事件に関わるようなら上司に報告するぞ」
その言葉に眞柴と倉内は引き下がるしかなかった。
普通なら引き下がらずに猟犬並みに喰い付くけどね。
ま、これはお話ですから( ̄▽ ̄)