第三話 柏木の回想 1
「こんばんは、なっちゃん。僕がいたら寂しくないよね?」
人の気配がして目を開けたら目の前にクマちゃんがいた。
「わぎゃっ!」
「何よ、せっかくクマちゃん連れて来てあげたのにその反応は」
クマちゃんの横からお姉ちゃんが顔を覗かせた。
「お姉ちゃん、なんでここに?」
「錦戸さんからあんたが大きなたんこぶ作ったって聞いたからビックリして来てあげたんじゃない。ちょっとは感謝しなさいよね」
「大袈裟だよ……痛い痛いっ、やめてぇ」
こぶをクマちゃんでグリグリされた。
「ほら痛いんじゃないの。何もない会議室ですっ転んだですって? 現役の警察官が情けないわね」
「おねーちゃん、もしかして私を苛めに来たの?!」
「お友達を連れて来てあげただけよ。それと甘いモノの差し入れ」
ジャーンとタッパーに入ったチョコレートケーキが登場。きっと私の目はハート形になっていたに違いない。お姉ちゃんが作ったケーキ!!
お姉ちゃんが経営するカフェ『西風』の手作りケーキの噂は口コミでOLさん達に拡がって今や予約が取れないお店となりつつある。お姉ちゃんは地元の人達との交流を大事にしているのでケーキに関しては地元の人に対してだけ誕生日ケーキなどの予約を受け付けているけれどそれは秘密だ。
そして私の大好きなのはチョコレートケーキ。好き過ぎて胸が痛い。これを餌に何度も無理難題を押し付けられているけれど好きなモノは好き。これを食べるためなら多少の無理はしちゃう。
「食べたら少しは痛いのもマシでしょ。それにクマちゃんもいるし」
「私、そんな子供じゃないよ」
そう言いながらクマちゃんを受け取って自分の隣に座らせた。
気がついたらいつも一緒に寝ていたぬいぐるみのクマちゃん。今は実家の私の部屋でお留守番をしているけどそれまではいつも一緒だった。近頃では洗濯のしすぎで若干くたびれてきているので布地の保護を兼ねてお母さんが服を着せている。最近までは人気アニメのコスプレだったけれど、私が警察官になってからは警官の制服を着ている。これって誰が作っているんだろう?
「僕って言うわりには耳に可愛い髪飾りをつけてるのよね、この子」
「もしかして男の娘……」
「あらやだ、時代の最先端をいってたのね、この子」
笑いながらフォークをタッパにはまり込んでいるケーキに突き刺すと私の膝の上に置いてくれた。そして手提げ袋の中からは魔法瓶タイプの水筒。
「西風のケーキを出前してもらえるなんてそうある事じゃないんだからね、感謝しなさい」
「ありがとー……見返り要求されそうで怖いけど」
「お見舞いに見返りなんてつけないわよ」
私の言葉に少しだけ笑ったお姉ちゃんがちょっと怖かったデス。
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「よお」
店に入ってきた錦戸は見回してカウンター席に座っている友人に声をかけた。
「久し振りだな。お前から連絡してくるとは思わなかったよ」
椅子に座るこいつと同じものをと言ってバーテンに酒を注文する。
「それで? 俺に連絡してきたってことは沢村のことか? 様子を見に行ってないのか?」
「俺が行くと大袈裟になるからな」
「確かに一課の管理官殿が顔を出せば何事かって言われるわな」
あまり周囲には知られていないが、錦戸と柏木は同期でノンキャリとキャリアという違いがあるもののかなり親しい。だからたまにこうやって顔を合わせてお互いに持っている情報の交換をしている。
「それで沢村巡査は大丈夫なのか?」
「ここにコブ作ってるがそれ以外は元気なもんだよ。今頃は姉さんが見舞いに行ってるだろう。俺から連絡入れておいたから」
「そうか」
安心したように溜息をつく柏木を眺めながらやれやれと首を振った。
「気になるなら見舞いに行ってやればいいじゃないか」
「だから管理官の俺が行けば色々と憶測を呼ぶだろう。ただでさえ会っていたのが指名手配犯についた弁護士だ」
「めんどくせぇ役職に就いたもんだな、お前」
「好きでなったわけじゃない」
『大丈夫、もう怖い人はいないから出ておいで』
全ては十七年前のあの日から始まったことだ。
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新聞配達の男性が配達先の異変に気がつき110番通報をしてきたのは、前日から雨が降っていた土曜日の明け方近くのことだった。
その家に朝刊を投函する直前、なにやらガラの悪い若いのと擦れ違ったこともあり何となく気になったらしい。最寄りの派出所の警察官がその民家を訪問し先ず目に入ったのが二階へと上がる階段に転々と残っていた血痕。その警官は直ぐに本署に連絡、所轄の一課の刑事、鑑識が駆け付ける事態となった。
当時まだ刑事になりたての自分はベテランの芦田刑事と共に現場に入った。現場は凄惨なもので壁に飛び立った血しぶきや家具のあちらこちらに付着した血液は家人がかなり抵抗したことを伺わせるモノだった。
「勝部家は夫婦と息子一人と娘一人の四人家族ということですが、お嬢さんだけがまだ見つかっていません」
鑑識の一人が三人の遺体を運び出している方を見ながら芦田さんに報告してきた。
「探したのか?」
「はい。現場の様子からすると普段は親御さんと一緒に就寝していたようですが」
「連れ去られたのか?」
「恐らくは……」
幼稚園児を連れ去ってどうするつもりなのか、嫌な光景が頭に浮かび何とも言えない気持ちになる。その気持ちに蓋をしつつ二人で他の部屋を見て回った。
「怨恨ですかね」
「勝部氏は弁護士だったそうだ。そういうこともあるかもしれんな」
台所は食べモノが散らかっていた。どうやら犯人達がここで飲み食いをしたらしい。四人も手にかけておいてその場で食事をするなんて正気の沙汰とは思えない。
「……?」
乱雑に食品が散らかっているそこを見て何か違和感を感じた。まあそう言うこともあるのだろうと思い最初はその場を離れたのだが何故か気になる。
「どうした、柏木」
「いえ、なんだか台所が気になって……」
「何か見つけたのか?」
「そうじゃないんですけど、何か引っかかるんですよ」
「ふむ、気が済むまで調べてこい。但し鑑識班の邪魔だけはするなよ」
「はい」
芦田さんの許可を得て台所に戻る。何に違和感を感じたのだろう。そう思いながら散らかり放題の台所をぐるりと見渡した。シンクにも床にも色々なモノが散らばっている。その中で勝手口付近だけがマットが敷かれ、その周囲に整然と段ボール箱が詰まれていた。箱に触れると中身は空のようだ。
「……何でここだけ?」
鑑識に一言断りを入れてから段ボール箱を横にずらしてマットをめくるとそこには床下収納があった。まるでこれを隠すように積まれている箱、まさか……? マットと箱をどけてから収納の扉をゆっくりと開けた。最初に目に入ったのは小さな黒い頭。そして自分を見上げる怯えた目だった。
「芦田さん!! ……ちょっと」
思わず大きな声で芦田さんを呼んだが、その声に女の子がビクッとしたので慌てて声をひそめた。
「どうした?!」
「女の子、見つけました! 生きてます!」
その言葉に複数の足音がこちらへと慌ただしく近づいてくる。そこから女の子を引き上げようと手を伸ばしたが怯えて体をすくめる様子に躊躇った。それは芦田さんにも伝わったようで、俺の肩を軽く叩くと後は任せるから病院に連れて行けと言って他の連中を引き連れてそれぞれの現場へと戻っていく。
「え、ちょ……」
任せるって言われても一体どうしたら良いんだと慌てて立ち上がって振り返るが、皆、行ってしまった後だった。
こういう時の子供の扱いって女性刑事に任せた方が良いんじゃないのか?と思うのだが、あいにくと今回の現場に女性はいない。溜息をついて女の子に視線を戻す。その子は大きな目をこちらに向けていた。再びその場にしゃがみ込むと、女の子に手を差し伸べた。
「出てこれる?」
まるで差し出された手が蛇であるかのように警戒しているその子を見て胸が痛んだ。この子は昨日の惨劇をどんな思いで見ていたのか……。
「大丈夫、もう怖い人はいないから出ておいで」
そう言うと辛抱強く待つことにする。怖がっているのを無理に引っ張り出すようなことはしたくなかった。しばらくすると、その子の小さな手が差し出された自分の手に触れた。
「抱っこしていい?」
その問いにコクンと頷いたので抱き上げてその場から引っ張り上げる。そして抱いたまま玄関の方へ行こうとして足を止めた。玄関先にも血が落ちていた筈だ。
「外、報道とかどうなっていますか?」
近くにいた鑑識に声をかける。そこへ芦田さんがやって来た。
「勝手口に車を回した。そっちから出ろ」
「分かりました」
それが彼女、勝部捺都、今の沢村捺都巡査と初めて会った日の出来事だった。
この二人って年の差、いくつだ・・・
っていうか、カップリング成立するのか?