プロローグ
子供の頃から雨の日になると決まって見る夢がある。
ああ、またあの夢だってその時は分かるのだけれど、目が覚めたらスッカリ忘れてしまって自分でも何の夢を見ていたのか分からない。けど、その夢を見るのは決まって雨が降る日なのだ。
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えーとですね、私、今日は非番だったんです。
で、たまたま非番で友達と映画を観に行ったのがあの場所だったわけですね。それであっちから一課の眞柴さんと倉内さんが走ってくるのが見えたんですよ。最初は二人しか見えてなくて、その前を走っている人相の悪いオッサンのことなんて眼中に無かったんです。だってほら、このお二人って超イケメンじゃないですか。ついつい眼福だと拝みたくなってしまって。
え、警官のくせに注意力が足りない? スミマセン。
それでですね、オッサンに気がついた時には直ぐそばまで来ていたわけです。包丁持ってるし友達いるし、このまま逃げても誰か刺されちゃうし、どうしようと思っていたらオッサンと目が合ってしまいまして。別におっさんに、ヘイ、オッサンカモーンなんて挑発したわけじゃないんです、誓って。
え、そんなこと聞いてない? スミマセン。
まあそんなこんなでオッサンが私に飛び掛ってきたんです。百キロ越えの巨漢を投げ飛ばすってなかなか大変ですよね。ここは物理の出番だと#咄嗟__とっさ__#に判断しました。そうです、力点・支点・作用点ってやつです。あ、ちなみに小学校でテコの原理で習うアレです、はい。
え、要点をさっさと話せ? 重ね重ねスミマセン。
とにかく私が容疑者を投げ飛ばして自転車三台が潰れたのは致し方のないことだと思います。あそこは駐輪禁止区域ですし自転車があること自体が間違っているんですから。それとオッサンがのびたところを取り押さえたのは何て言うか条件反射みたいなもので、別に功を焦って現行犯逮捕しようと思ったわけじゃないですよ。
ええ、私は非番でしたから。本当にたまたまなんですよ? 本当です。そんな疑わしそうな顔で見ないでください、部長。
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「はぁぁぁぁ……」
さんざんしぼられてガックリしながら廊下に出た。
「眞柴さん、倉内さん、私なにか悪いことしました? 良いことをした筈なのに叱られるだなんて理不尽だと思うんですけど」
自分を挟むようにして立っているイケメン刑事二人の腕を掴んで涙目(演技)で訴えた。
「俺達は感謝してるよ、沢村ちゃん。お陰で指名手配犯を逮捕できたんだから」
「うちの課長、交機の佐野課長と仲が悪いからね。その交機の沢村さんに手助けされる形になったのが面白くなくて刑事部長にねじ込んだんだと思う。ある意味、言いがかりに近いから気にすることないよ」
二人して慰めてくれるなんて優しいなあ、この人達。両手に花でもっと慰めてください。
「しかしあれだね、百キロ越えの巨漢がなんであんなに足が速いのか未だに謎だな。なんだろうな、あの速さ。俺達、結構な速さで走ってたよな、眞柴?」
倉内さんが首を傾げている。確かに向かってくるおっさんは物凄いスピードだった。
「火事場の何とやらでは?」
「アフターバーナーおじさんだな、ありゃ」
「誰かと衝突しなくて良かったですよ、あんなのとぶつかったら死人が出ちゃう」
投げ飛ばす時も、テコの原理を応用はしたもののかなりの重量だったから今でもちょっと肩が痛い。
「とにかく逮捕されて良かったですよ。これで少なくとも指名手配犯が一人減ったわけですし。皆さんのお役に立てて嬉しいです」
「ほんと、あれで取り逃がしていたら俺達、大目玉だったからなあ……沢村さんには今度なにかおごるよ、俺と眞柴で」
「わーい、何をおごってもらおうかなあ……」
「君か、非番中に逃走中の犯人を投げ飛ばしたというのは」
ひぇぇぇぇ、なんだか物凄い威圧感と冷気ととも超低音又は超低温の声が背後からした。
眞柴さんと倉内さんが姿勢を正し頭を下げた様子からして、振り返るまでもなく相手が誰か分かった。鬼の管理官とまで言われた名前を口にするのも恐ろしいれいのあの人だ。
「かかかかか、柏木管理官、お久し振りでごごごございます」
別に水戸黄門の真似をして笑ったわけでも滑舌が急に悪くなったわけでもない。どうも最初の出会いが不味かったのか、この人の顔を見ると妙なプレッシャーがかかって喋りがおかしくなるのだ。
管理官様の方も妙な表情を浮かべながらこちらを見下ろしている。
「また君なのか、沢村巡査」
「はいぃ、また私です……スミマセン……」
「君は一課の捜査員になりたいのか?」
「いえいえ、私の子供の頃からの夢は白バイ警官でして、靴底をすり減らして地道な捜査をする捜査官にはなれそうにありません」
眞柴さんと倉内さんはニヤニヤしながらこっちのやり取りを眺めているだけで助け舟も出してくれない。酷いよ、私は犯人逮捕の手助けをした恩人だというのに。せめて庇う素振りぐらい見せてくれても良いんじゃない?
柏木管理官に名前を覚えられるきっかけとなったのは数ヶ月前のパトロール中に遭遇した交通違反の車がきっかけだった。
その車、偶然にも一課がマークしていたとある殺人事件の容疑者が運転していた。そんなこと知るはずもない職務に忠実な私は、車線変更禁止の車線を跨いで右から左へと移動したその車を止めたのだ。後ろに尾行中の一課の車がいたなんて気が付かずに。ああ、その車の存在に気が付かなかったわけじゃないんだ。なんか凄い顔してこっち睨んでる人達が乗ってる車がいるなあとは思ってたんだけどそれが一課の人達だとは思わなかっただけで。
とにかく交通違反の取り締まりの方が大事だからと睨んでくる人達なんて気にも留めなかった。まあそれがきっかけで止めた車の男はやましいことがあるものだから挙動不審のあげく逃亡をはかったわけで、尾行していた刑事さん達が後ろの車から飛び出してきちゃってちょっとした大捕り物になってしまったわけ。
私としてはとんだトバッチリで散々な目に遭ったわけだけど管理官や一課の人の言い分はまた違うらしい。
「子供の頃からの夢を叶えたのに早々に免職にはなりたくはないだろう。少しは弁えて行動したまえ」
「はいぃぃぃ」
ひぇぇぇぇっ!! 超怖いっす!! 管理官の背中を見送りながら、はぁぁと溜め息をつく。変な汗かいちゃったよ。あの人は苦手だぁ……。
「沢村ちゃん、絶対に柏木管理官の要注意人物リストに入ってるよね」
「チェック厳し過ぎですよ、管理官。一課と接点が無い筈なのに何でこんなに顔を合わせることが多いんだか」
「もう運命の人かもしれないね」
「そんな運命いらねぇっす」
会うたびに変なプレッシャー感じる人が運命の人だなんて絶対にイヤだ。
「そこの一課の若造ども! うちの沢村に手を出したらぶっ殺すぞ!」
そこら中に響き渡るドラ声。これはこれで迫力があって怖いです。
「やだなあ、錦戸さん。俺達は恩人の沢村ちゃんを慰めていただけですよ」
「ですです。機動隊のマスコットガールに手を出すなんて、そんな畏れ多い」
「はーん……本当か? 沢村ぁ、こいつ等に言い寄られて困っていたんじゃないのかぁ?」
「だいじょーぶです、隊長。そういうことされたら隊長直伝の技で投げ飛ばします」
そうなんだよね、小柄な私が百キロ越えの巨漢を投げ飛ばせたのはこの人のお陰なのだ。小柄な私が重たいバイクをうまく扱えるようになったのも隊長のお陰。力点・支点・作用点。バイクの時も実に役立っているのだ。
「俺達より柏木管理官のチェックの方が問題でしょ」
「なんだ、あいつもお前にちょっかい出してるのか」
「いやいや、違いますって」
話を歪曲しないで欲しい……。
「何故か巡り合せが悪いんですよね。一課の捜査に割り込む気なんてさらさら無いのに」
「それって運命ってやつじゃ?」
「やめてください、隊長まで」
でもこれで懲戒対象になったら洒落にならないよなあ。もしかして柏木管理官が懲戒免職のスイッチを握っていたりして……と真剣に考えてしまった。
私の名前は沢村捺都。警視庁機動隊の白バイのパトロール隊員で現在二十二歳。今年の春、念願の白バイ隊員になって現在は錦戸隊長の元で日々精進を続けている最中だ。
子供の頃から夢だった白バイのパトロール隊員になることができて順風満帆。そんな日が続くと思っていたんだけどね。
あの日までは。