第1章 第3話 深き森の追走劇
1日空きましたが、新しいお話をお送りいたします。
よろしくお願いします。
山道を歩く。
背の高い草が茂り、木は鬱蒼としていて陽の光は下まで届かない。
給仕から靴を盗んで良かった。と、再認識する。
森の中の道は思ったより険しく、素足のままだったら半間(※)もしない内に怪我をして、歩けなくなってたかもしれない。
「あの人には悪い事したけど、仕方ないよね……」
罪悪感はある。
それでも、逃げるのに必要なことで構っていられない、という二律背反。
最終的に行き着くのは、感謝をする、ということ。
彼女のお陰で逃げられたなら、それを感謝する亊にしよう。
あれ? これってただの良心の呵責から逃げているだけ?
ああ、もう、考えるのは後々にしよう。今はただ逃げることだけに集中しなくっちゃ……。他の大勢の使用人に見られてしまったんだ。これからは追って来る人がどんどん増えていくはず。悠長に歩いていられない。できるだけ早くできるだけ遠くに……。
―― ぴー!
館から脱出してどれくらいか分からないけど、笛の音が聞こえた。緊急時に使う警笛かもしれない。
「かなり近い位置? どうして……」
足を止めて、周囲の気配を探る。まだ近くには人が来てないと思う。
なにか追跡されるような痕跡を残した?
いや、そんなことはないと思う。
進んだ道は固い土で足跡を残すような失敗はしていない。
草は折らないように注意していたし、他に思い当たることは――
「――っ!?」
一瞬、踏み出した足に違和感を覚える。小さな小さな違和感。
足を退けて地面を見る。
そこには小さな紫色の輝石が落ちていた。確認しようと足で蹴ろうとした瞬間、小さく紫電が発生する。
―― ぴー!
「なっ――!?」
声を上げそうになって、慌てて口を手で塞ぎ、駆け出す。
直ぐにここを離れなくちゃ。
今のがどんな構造だったのか分からないけど、警笛の罠だってことは分かる。
もうすぐ、ここ目掛けて人が集まってくる。
もっと警戒しておけば良かった。これじゃあ、また状況は不利になっちゃうじゃないか。
一旦木々の影に身を隠して、着衣に地面の土と枯葉を付着させる。森の中では白だと目立つし仕方ない。生地が白だからどこまで迷彩効果に期待できるか分からないけど、ないよりは良い。
髪も目立つ色だから服の中に押し込める。少しごわごわして不快だけど、我慢するしかないよね……。
作業を終えて、自分の今の姿を再確認。
うん、さっきよりは目立たなくなった。
さて、さっさと先を急がないと捕まっちゃう。まずは前進しなくちゃ。
森のさらなる奥に向かって足を進める。
今度は罠に引っかからない様に慎重に、音を立てない様に、木陰に隠れる様に。
移動速度は落ちてしまうけど、もう形振り構っていられない。
そういえば、ボクって、こういうこと、前に経験したことあるのかな? 勝手に体が動いているし、現状を考えると、経験則で動いてるとしか思えない。
木々の間を縫いながら、自分の体を見下ろす。
どう見ても10歳位の体格なのに、この経験……。よほどボクは苦労してきた男の子だったんだろうな……。
まあ、男の子だったら、イタズラなんかしてて、大人に追いかけられた、なんて経験のひとつやふたつはしてそうだ。
……もしかすると、生きるために窃盗なんかもしていたんだろうか?
あり得る推測、裏付けになり得る経験則。
「――っ!?」
進む先、その向こう側、少し開けた場所が見える。人影が見えたような気がした。
その先から更に、なぜか知らないけど、なにかがこっちに向かってる、そんな気がしてならない。
ゆっくりと、音を立てないようにして、近場の大きな木の影にしゃがみ込む。
息を整えて周囲に気を配ると、離れた所に気配はあるけど、近場にはなにもない。
木陰から少しだけ、顔をのぞかせて先ほどの広場を見る。
なにも居なかった。
見間違い? それとも影はどこかに行ってしまった?
不意に、どこかで人の会話が聞こえる。いや、呼び声? しかも前と後ろから聞こえた気がする。
もしかして……挟み込まれてる!?
程無くして、幾人かの人影が集まりはじめた。松明の明かりも見える。見まちがいなんかじゃなかった。このままじゃ捕まる確率が高くなる……。
どうしてこんなに正確なの? まるでボクの動きを読んでるみたいじゃないか。
後ろと前から迫るなら、動くなら右手か左手。館の表は左手だったはず。なら右手 ―― 裏側に行くしかない。
これって……どう考えても追い詰められてる展開じゃないか……。
ゆっくりと、音を立てずに、獣道らしき草の根を分けられた道を進む。
どうやったら、追手を巻けるんだろ……う――。
思わず、足を止めてしまった。
「う……あ……」
「おう、お疲れさま。結構逃げたじゃないか」
茂みの先、男がひとり立っていた。
影で隠れて正確には見えないけど、大きく、がっしりとした体格のようだった。
口にした言葉は、ボクがここまで来る事を知っていたような、そんな言葉。
どうして? ボクの正面に? あり得ない……。
「全く、色々引っ掻き回されていい迷惑だ」
一歩、男が少し逆立てた紫の髪を揺らしながらボクに歩み寄る。
捕まる? ボクは……逃げきれなかったの……?
「もう追いかけっこは終了だ。ほら、帰るぞ?」
男が気怠そうな口調とは裏腹に、苛立ちを含ませ語り続ける。
一歩、また一歩、こちらに歩み寄る。なぜか、ボクの足は地面に縫い付けられたように動かない。
「――ぁっ……」
きらり、と なにかが煌めく。
木漏れ日を受けた……大振りの剣の、その柄だった……。
「あ……ああ……」
―― 咆哮する男が剣を切り上げ、切り飛ばされる右腕。鮮やかな剣閃と激しい痛み。
右の二の腕を左手で掴む。と、一歩、男性が近付く。
―― 眼の前に掲げられた剣、翻り、切っ先で貫かれる右大腿部。
右足で、一歩、後退する。酷く右太腿が痛む。
痛くて ―― とても痛くて涙が出そう。
―― 刺さる剣先。揺らめく視線には腹部に刺さる剣。
「うぐっ……うぅ……」
生々しい、なにかが、ボクのお腹の底からせり上がってくるような感覚。
少しだけ、生臭い鉄のような味を覚悟して、感じたのは胃液特有の酸っぱさだった。
今見た心象、これがボクの過去……?
一歩、また男との距離が縮まる。
ボクは……殺される……の……? さっきみたいに、剣で……斬り殺されるの……?
やだ……。
ボク……死にたくない……。
まだなんにも分からないのに……このまま殺されるなんて……。
逃げなくちゃ……。
逃げなくちゃいけないのに……どうして上手く足が動かないの!?
―― がさりっ
「ひぃっ……」
眼前、とうとう茂みの中に足を踏み入れる音が大きく響く。
大きな男がボクを見下ろすように睨んだ。
「くっ、来るなぁ!」
やっとの事で、ボクの身体が動き始める。
そうだ、このまま向きを変えろ! さっさと逃げてしまえ! ここに居たら殺される!
「おい、一体なにを――」
「アンガース様! 見つかりましたか!?」
「ひぅっ……」
振り向く先には5人の男。
ボクを取り囲むように駆け寄る。
どうして? どうしてボクが追われなくちゃいけないの? ボクが、一体なにしたって言うんだよ!?
―― ぱちっ
このままボクは捕まるの……? そしたらボクは……殺――?
―― ぱちっ
こんなところで終わりだなんて――。
「やだ……来ないで……」
怖い、怖い、怖いよ! 誰かっ、誰か助けてっ!
「来ないでよぉ!!」
《―― AΕA ШΠ ΟAΥΧ ΞΠΟΠ, ΙAΟARΖ ΟAΥAΚ ――》
「え……? 今の声……なに?」
どこからか、なにかのか細い声が聞こえた気がする。
―― ばちばちっ
一瞬、右手から紫電が――。
「ちぃっ、皆の者、退避!」
―― ばちんっ!
「ぎゃっ」
―― ばちっ……ばちばちっ!
「ひっ」
大きく弾ける音と共に、短く息を漏らすような男の悲鳴が聞こえる。見ると、ふたりの男が倒れていた。
もしかして、この右手から出てるこれが、彼らを襲ったの?
手から走った紫電。それが、木陰の隙間を縫うように光を発しながら、四方へと拡散し続けていた。
「なに……これ……。なんなの……?」
「Eis-Soutra,Vanratto-Fajell」
男の声がした。
顔を上げると、ボクの右腕と同じように、身体全体に紫電を纏って立っていた。
「ひぃっ」
ものすごい形相だった。
一気に詰め寄り、ボクの肩を掴んで睨みつける。
「おい! 今すぐ止めろ!」
止める……? な、なにを? ボクのこれのこと? どうやって!? これがなんなのかも分からないのに!
「おい! 早くしろ!」
「ひぅっ……」
一体なんなの……? 他の男たちは苦しんでるし、目の前の男も睨みつけてくるけど、痛みに耐えてるようにも見える。
ボクが、この人たちを苦しめてるの……?
紫電が弾ける合間、男たちの苦痛を訴える呻き声、耐え忍ぶ声が響き、ボクの耳に流れ来る。
もう嫌だ……。聞きたくない。どうしてこんな訳の分からないことが続くんだよ!?
止まれ! 止まれ! 止まってよ!? どうして止まらないの!?
「頼むから止めてくれ!」
男がボクの肩を強く掴み、懇願する。
ボクだって止まるもんなら止めてるよ! だけど――。
「……止まらない……止まらないんだよぅ」
ボクの右腕のコレ、全然止まらない。
「うぎっ!?」
右腕を握ってた左手から肉が焼ける匂いがする。見ると白い煙が立ち上り始めてた。
それどころか、どんどん身体から力が抜けてくように、すぅ……と一瞬意識が遠のいたような気がした。
「止まって……止まらない……止めて」
誰か……誰でもいい……これを……止めて……。
―― ざつっ
不意に立った音に惹かれて見ると、青味がかった銀の槍がボクの傍ら、地面に突き立っていた。
「……槍?」
惹かれるように右手が槍に触れる、と一気に紫電が吸い取られるように槍へ流れ込み、周囲の人達が開放されていくのが見えた。
「全くもって不甲斐ないですね」
小さく、凛とした声が聞こえた。
振り返ると一面の銀色。
ふわり、となにか柔らかな物に包まれた気がした直後、体の力が抜けるような感覚がする。
「警戒する必要はありません。今はお休みください」
その声、その口調、そしてその言葉……どこかで聞いたことが有るような気がする。
どこだっただろうか? 確かに聞いたことがる気がするのに……。喉元まで出てきていた答えは、ボクの体の力とともに、するりと抜けていくようだ。
「く………ってる……倒…てる……連れ………れ!」
もう……、男たちが……なにを言ってるのかも……分からない……。
耳が膜で覆われたように残響を引きながら、男たちの声が遠くなっていく……。
ボクは……どうなるの? ボクは……。
歪む世界に沈み込もうとしているような……。ふわふわとも、それともずっしりとでも言うべきなのか、よく分からなくなってきた……。
ボクは……このままどう……なる……――。
――> To Be Continued.
結構自分で校正はしているのですが誤字脱字が多い性分です。
誤字とか脱字があったらご指摘いただけたら幸いです。
■用語解説
(※)半間=地球の時間にして約10分~15分程度。つまり、1間=地球の時間にして約30分。
因みに、時間の単位をひと通り紹介。
・360鐘=1間
・4間=1刻
・12刻=1日
・10日=1巡り
・3巡り=1ヶ月
・12ヶ月=1年
つまり、1日=12刻=48間=17280鐘。
また、1年は原則360日。12ヶ月で1ヶ月は30日。
数字系の単位は割りと独自の単位を用いています。
その都度解説はしていきます。申し訳ありませんがよろしくお願いします。




