第1章 第1話 悪夢のち悪夢
咆哮する男が剣を切り上げ、右腕が熱く、そして冷たくなっていく。
眼の前に掲げられた青味がかった剣が翻り右太腿を貫いた。
痛くて――
とても痛くて涙が出そうだった。
それなのに、言葉は詰まって喉を出なかった。
見るとお腹には剣が一本生えていて、ごぶごぶと音を立てて、喉の奥から熱いなにかがせり上がってくる。
必死に痛みに耐えて、大事なものを守るためにただ動く。
右腕が熱い……。足が熱い……。腹部が熱い……。のども熱ければ……頭の奥まで熱を持つ……。
必死になって守り通したそれを……私は……。
頭が痛い……。喉が痛い……。節が痛い……。腱が痛い……。体が痛い……。心が痛い……。
僕という存在が燃えて尽きそう。
自らの肩を抱き寄せようとするが身体は指の一本さえ動いてくれなかった。
激しく体が熱を持っているはずなのに、酷く悪寒を感じる。
手が動かない……。足が動かない……。首が働かない……。
誰かが傍らに居るのがわかる。
だけど、それが誰なのか、どうしてそこに居るのかは、分からない。それが誰なのかは僕が一番良く知っていたはずだったのに……。
でも、もう思い出すことも無いのだろうな……と半ば諦める。
だって、僕は果ててしまったのだから。
「―――あなたは精一杯善処しました。後はゆるりとお休みください―――」
もう耳も正常ではなくなってしまったのかもしれない。
その声が、男のものであるのか、女のものであるのか。はたまた、幼いのか老いているのかさえ判らないくらいに混濁して聞こえてくる。
ゆっくりと、半分開いたまぶたから差す光を遮り、手がひとつ迫ってきた。
いつか、その光景を僕は逆の立場から見たことがある気がした。
ああ、そうか、僕は死ぬのか。
生を諦めた頃、また僕は咆哮する男が剣で切りつけられるのだ。
何度も、何度でもそれが繰り返されていく……。
僕は夢を見ていた……自分が殺され続ける夢を……。
…………
………
……
…
■◇■◇
「うぁっ!? ……ぐっ……痛いっ……」
反射的に、身体を起こそうとして、右腕と右の太ももに激痛が走った。
なんとか痛みに耐え切り、ゆっくりと呼吸を整えて、目を開ける。
なんだか凄く、怖い夢を見ていた気がする……。それがどんな内容だったか思い出せないけど、とっても怖かった気がする。
頬の濡れた感じ、目頭の痛み。
ああ、ボクは眠りながら涙を流していたんだ、って実感する。
「頭が……痛い……」
起きたばかりだからなのか、のどが渇いてうまく声が出ない。なんだか自分の声じゃないような印象を受ける、そんな声だった。
「気持ち悪い……体中汗でぐっしょり……」
ひどい寝汗で、体がべとついた感じ。せめて額だけでも汗を拭っておきたい。
額を右手で拭おうとして、違和感を覚えた。
なぜだか分からないけれど右腕に力が入らなかった。感覚はあるのに力が入らない。まるでそこだけ、動かし方を忘れてしまったように動かなかった。
「どうして……右手……」
一瞬 ―― 一瞬だけ頭によぎった心象。叫びながら、青光りする剣で切りつける男。切り飛ばされる右腕――。
「ボクの……右腕!?」
慌てて左手で右腕の付け根を探る。
「痛いっ」
ざらついた感触はあるけど、ボクの右腕は健在だった。
右腕を左手で持ち上げてみる。と、それは真っ白な腕だった。
生物的じゃない白さ。室内の薄暗さと目覚めたばかりで視界がぼやけているから良く判らないのかも知れないけど、どうやら感触では包帯で右腕が丸ごと包まれているらしい。
「どうして……こんな……」
疑問に思って見ているだけなのに、左手で持った部分からじくじくと痛みが広がって行く。その痛みに耐え切れなくなってゆっくりと、顔をしかめながら丁寧に元の場所に右手を戻した。
右腕の他にも右の太腿やお腹にも痛みと違和感を覚える……。
どうしてこんな怪我をしているんだろう? さっぱり分からない……。
「ううん、違う。思い出せない……。なんにも思い出せない?」
ボクは誰だ……? ここはどこ? ボクはどうしてここにいる? どうしてボクはこんな怪我をしてるんだ? なにか思い出せないのか?
必死になって、なにかを思い出そうとして、なにも引っかからない。
真っ白だった。
本当になにも思い出せない。
「そ、そんな馬鹿な……」
なにか、なにか無いの?
焦ってた。
とにかくボクはなにか、自分が何者であるのか、それだけでも知りたかった。
痛む体に耐えて、左手を使って体を起こす。
意外に大きな寝台に寝かされていたらしい。見た限りは装飾華美ではなく実用性で簡素なものだった。肌掛けは肌触りが良くて気持ちがいいからかなり上質なのかもしれない。
まわりを見回す。
少しずつはっきりしてきた視界に、いろいろと物が見えてきた。
部屋は広くて薄暗く、壁に取り付けられている灯が部屋を微かに照らしている。
天井が高く感じるのは気のせい?
左手を天井に向けて伸ばして広げる。いつもと違って高く思える。
でも、その『いつも』と言える過去の記憶を頭の中から引き出すこともできないんだけど……。
だめだ。ボクにはなにかを思い出せるような情報が圧倒的に足らない。もっと、ボクのこと、ボクが居る場所のこと、色々知りたい。
ボクはなんでも良い、自分が置かれた現状を把握するための情報を得るために、寝台から降りることにした。
半身をずらして寝台から落としたその足は、細くて小さかった。
体を起こすとめまいがする。
気怠さを訴える頭を振り、気を引き締めて寝台から立ち上がる。
大量の長い髪が流れてくるぶしを撫でる。髪の毛も、ちょっと普通ではあり得ないような長さ。色は金色、地面を引きずるくらいの長さって、どう考えてもおかしいよ。
もしかして何ヵ月も寝たきりで、体の筋肉が削げ落ちて細くなったのだろうか? 体勢を崩してしまいそうになったのを踏ん張りこらえる。
「う……気持ち悪い……」
揺らめく視界に我慢できず、ゆっくりと窓に向かって歩き、暗幕にしがみつく。
何日寝ていたのか分からないけど、足に力が入らなくて倒れそうになったり、立っていられなかったりするようなこともないから、あまり寝ていた期間は長くはないのかもしれない。
それでも、なにかの違和感を覚えているし、体勢が思うように取れずに少しぐらぐらする感覚がするのも勘違いじゃないと思う。
暗幕で体を支えて、寝台脇の台から水差しを手にとって、喉を潤しながらゆっくりと、暗幕を少し開けてみる。
部屋が暗かったから外は夜なのかと思ったけれど、意外に明るくて、太陽が傾きかけた昼下がりといった様子だった。
どうやらこの建物自体は森の中に建てられているのか、それとも人里離れているか……。もしかすると、治療施設のような所にいるのかもしれない。
いや、治療施設の割には調度品が置かれているから、この認識はまちがっているのかも……。
「まさか……隔離されている……とかはないよね?」
外は風が強いのか、大きく揺れる鬱蒼とした木々が不安を掻き立てる。
この部屋だけじゃ分からない。もっとなにか、なにか情報を手に入れないと……ボクが置かれている状況を整理できる情報を。
部屋の出口を確認して歩き出す。と、ふとある一点に視線が釘付けになった。
入り口の近くに立て掛けられた大きな姿見、そこにボクの容姿が映し出されていた。
髪はぼさぼさで長く、地面に届いて乱れていた。
しゃがんで毛をすくうと、毛先は火に炙られたのか黒く変色して艶がない。
顔色は少し青白く、頬は痩けて血の気が少ないのが判る。さっきからふらふらしているのはこのせいかも知れない。
変わった特徴といえば左目が紫色、右目が金色というところ。
ああ、鏡に映ってるから左右逆かな?
身長は低めで肉付きも悪く、まるで発育不良の小さな子供といった印象。
着ている服は簡素な白の布地を使った貫頭衣、というより寝間着な気がする。
はっきりとした印象を言うと、捨てられた不幸で可哀想な子供。
……子供……?
そう、子供だった。
少しぼ~っとした表情でこちらを見る姿は、確かに貧相な子供だった。
ボクは……子供だったのか? ……なにを馬鹿な、鏡に写るボクは確かに小さな子供じゃないか……。他のなんだと言うんだよ。
首を振って、改めて鏡を見る。どう見ても、ああ、まちがいなく子供だった。
「違和感があるけど……それは記憶がないからなのかな……?」
口に出して、深呼吸をした。
そうしないと不安で仕方がなかったからだ、と心のなかで言い訳をして、ゆっくりと姿見から大きなドアへと視線を向ける。
この部屋の外がどうなっているかは判らないけど、外に出なければなにも判らない。だったら外に出るしかないじゃないか……。
思ったよりも臆病風に吹かれている自分の心に、活を入れて奮い立たせる。
「外に出る……。外に出るんだ……」
ゆっくりと手を伸ばして、音を立てないように扉の取っ手を回す。と、その勢いは軽く、あっけなく扉が外へと滑り出した。
――> To Be Continued.
結構自分で校正はしているのですが誤字脱字が多い性分です。
誤字とか脱字があったらご指摘いただけたら幸いです。
とりあえず冒頭部と第1話をアップしました。
第2話は9月2日の22時あたりを目処にアップする予定です。




