第3章 ジャスミン(仮名)が、ジャスミンになった件について その1
翌日からは、病棟実習だった。
入院している患者さんを学生一人ずつが担当し、その疾患・治療について勉強をする。それ以外にも、皮膚科医局で行われている勉強会や抄読会にも参加しなければならない。
自業自得なんだけど、睡眠不足の私にはひどくこたえるスケジュールだ。
実習生同士は顔を合わせないんだけど、巨乳ちゃんは今日は遅刻せずに登校できたらしい。、こんなメールが届いた。
「ジャスミン(仮名)さん(星)! お昼 (サンドイッチ)一緒( ハート)に食べ(親指)ましょうね(笑顔)」
単語ごとに絵文字がちりばめられてクラクラしてくる。たしか彼女は私より二つくらい年上のはずだ。いまどきの大人女子ってのは皆こうなんだろうか?
(てか、同じ病棟にいるんだから会ったときに口で言えばいいじゃん)
実習中も、いったいどこで打ってるんだか頻繁にメールが来る。うちの大学病院は最新式だから一般的な病院と違って携帯電話を使うことはできるんだけど、教官に怒られないのか心配になるレベルだった。
「いま、手術が終わったところです(泣き顔)。脂肪がまっ黄色 (バナナ)でした。昼ごはん無理そうです(青い顔)」
彼女が担当したのは、皮膚癌の患者さんだ。んでもって朝イチから中央手術室で摘出手術だったんだそうだ。きっとドMくんだったら涙を流して喜んだだろう。
「いま、病理室 (ガイコツ)で標本作ってます。ホルマリンで目が痛いです(目)」
手術が終わると、摘出した癌を病理部でホルマリン漬けの標本にする作業が待っている。彼女もなかなかハードな一日を送っているようだ。
「研修医が(メガネ)、胸ばっかりみてやらしいです。やだよー。助けてー(泣き顔)」
私の方は「類天疱瘡」という病気の患者さんを担当になった。自己免疫の異常で全身水ぶくれになってしまう難病だ。包帯交換だけで午前中を費やし、午後は図書館で病気についてのレポートをつくらなきゃいけない。
気が付いたら、午後四時をまわっていた。
五時から、医局で開かれる勉強会に参加しなきゃいけない。
(もう、こんな時間……アレ?)
ふと気がついた。そういえば、さっきまでうるさいくらいに届いていた巨乳ちゃんからのメールが、二時間前を最後に、プツリと途絶えていた。
「巨乳ちゃん(仮名)さん、大丈夫? どうしてる?」
メールを送った……しかし、返信が来ない。
電話をかけてみた。
「……おかけになった電話番号は、電源が入っていないか、電波の届かない……」
別に心配することじゃないのかもしれない。午前中メールを打ちすぎて電池が切れたとか、担当教官に叱られて携帯を取り出せないとか。
でも、彼女のくれた最後のメールがどうしても気になった。
「研修医が(メガネ)、胸ばっかりみてやらしいです。やだよー。助けてー(泣き顔)」
胸ばっかり見るやらしい研修医。
そいつが「エロ電波」男である可能性はゼロじゃないんだ。
私は類天疱瘡のレポートもそこそこに、図書館を出て彼女を探した。
皮膚科の医局か、入院患者のいる病棟か、はたまた患者さんの診察をする外来棟か。
運悪く、皮膚科はその三ヵ所が大学病院の広い敷地の中に分散している。
途中、班の男子たちにあったけど、みな巨乳ちゃんの姿は見てないそうだ。
(どうしよう。あの子が、変態の餌食になっていたら!)
私の脳裏に巨乳ちゃんの姿が浮かぶ。彼女の白い大きな胸に、誰ともわからぬ変態男の手が伸びようとしていた。
(そんなこと、絶対に許さない! 巨乳ちゃんの巨乳は私が守るんだ!)
私は、心に誓った。
しかし私の気合とは裏腹に、彼女は病棟の医師休憩室であっさり見つかった。
研修医たちが食事を取ったり仮眠したりする休憩室のソファで、彼女は爆睡していたんだ。すぐそばで、私のメールを受信したらしい携帯電話が赤く光っていた。
「あ、同じ班の学生さん? すごいよね、初日から病棟で居眠りする子ってはじめてみたよ。じゃあ、僕たち勉強会の準備で先に医局に行かなきゃいけないから。遅れないように起こしてあげて」
周りの先生たちは、苦笑いしながら休憩室を出ていった。
「もう、心配かけるんじゃないわよ。巨乳ちゃん(仮名)さん!」
アンタの乳のせいで、昨日私は全然眠れなかったんだ。眠いのはこっちだってのに!
声をかけても、巨乳ちゃんは休憩室のソファの肘かけにうつぶせになったまま、起きる気配も見せない。
ちょうど休憩室に夕日が差し込んで、巨乳ちゃんの寝顔を照らしていた。
うなじにうっすら生えた産毛が金色にきらきら光っている。